ペトリュスのお話 その1
シャトー・ボトルとネゴシアンボトル

さて、写真のボトルは3本ともシャトー・ペトリュス1950年です。
右側のラベルはご存知でしょう。シャトー元詰のラベルです。現在のペトリュスはこのラベルのみ存在します。
左側はJ.Aムエックス社、中央はH.グラフェ・ルコック社が瓶詰めしたシャトー・ペトリュス1950です。
この当時はシャトーが直接瓶詰したものと、数社のネゴシアンに樽で販売しそのネゴシアンのオリジナルラベルを貼られて販売されたものとが混在していました。中身は正真正銘のシャトー・ペトリュス1950です。
近年のシャトー・ペトリュスはこのようなネゴシアン・ラベルのものは存在しておりません。100%のペトリュスがシャトー元詰になっているからです。

 
(参考)
1960年代頃までワインは樽でネゴシアンに売ることが多く、そのネゴシアンのオリジナル・ラベルで販売されていました。ところが1870年から1890年にかけてヨーロッパを襲ったフィロキセラの影響によりフランスの葡萄畑の作付け面積は1/3に減少。しかし、ワインに対する需要は年々増え、その結果偽造酒が出現し始めました。(有名産地のワインに品質の悪い安物のワインをブレンド。)1890年代末にはますます偽造の悪質さと規模は目にあまるようになってしまいました。
その後、栽培家達の反発、抗議、暴動もおこり1935年にI.N.A.Oが設けられ、ようやく偽造酒が排除されることになりました。これはボルドーだけに限らず、ブルゴーニュ、シャンパーニュでも起きた出来事です。ボルドーでは1920年代始めシャトー・ムートン・ロートシルトがいちはやく「シャトー元詰め」を始めようと決心し、他のシャトーにも呼びかけることになりした。1970年代前半にはほとんどのボルドー格付けシャトーは自分(あるいはその所有者)で瓶詰することになりました。
 
このシャトー・ペトリュスが完全なる「シャトー元詰」になったのはいつ頃なのかははっきりと解りませんが、おそらく1960年代始めだと思います。それまでにペトリュスはどんなネゴシアンに販売していたかを今、研究中です。
 
 
(右)のシャトー元詰の1950年のペトリュスは、当時やっと飲み頃の「うまいペトリュス」に出会った記念すべきワインです。ビロードの喉越とも言うべき、ちょうど今が「旬」。まだちょっと荒っぽさが残っているような感じでした。すでにパーカーが高得点つけていましたが、比較的目立っていなかったので価格は$300程度でした。(94年5月試飲)
(左)のJ.A MOUEIX社(ボルドー、リブルヌ)の1950年のペトリュスの外見は、ボトルは短く、瓶底は全くの平らです。はっきりと申しますと期待はしていませんでした。が、意外や意外に濃縮された味わいでまだまだ若さも残っていた堂々とした帝王らしいペトリュスでした。(99年10月試飲)
(中央)H.GRAFE−LECOCQ(ベルギー、ナミュール)の1950年ペトリュス。なんと不思議なことにこのネゴシアン・ボトルもうまいじゃないですか。3連勝した感じです。非常に濃い色でほぼパーフェクトの味。以前飲んだ1961よりもうまい、との声も。さすがペトリュス!!
(2000年1月試飲)




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