ペトリュスのお話 その4
エドモン・ルバとラコスト・ルバ
無名のペトリュスが名声を確立するのに大きな貢献を果たしたのはマダム・ルバという人物である、という事実は皆様ご存知だと思います。
1920年代にリブールヌでホテルを経営していたエドモンがこのペトリュスの持分権を取得し、
その死後マダム・エドモン・ルバが完全な所有になりました。
マダム・ルバの努力はペトリュスの名声を勝ち取ることが出来、ジャン・ピエール・ムエックスの力で至上のワインの座に登りつめることが出来ました。
そのマダム・エドモン・ルバは1961年に死去し、姪のリリー・ラコスト・ルバが受け継ぐことになりました。
さて、ここから本題に入ります。
ペトリュスのラベルには所有者名が小さく書かれています。
文献によると1961年以降はMme L.P.LACOSTE−LOUBATと書かれているとあります。
(1960年以前はMme EDMOND−LOUBAT)
実際に今まで飲んだペトリュスの空瓶(全部手元には無いのですが)を調べたところ、
1972年までがMme EDMOND−LOUBATで、
1973年からMme L.P.LACOSTE−LOUBATである。と結論を出しました。
ところが、
さらに書物など調べていくうちに、1961年から1974年までは両方の所有者名が存在しているのです。
(左)ワイン王国Vol.4に載っている1961ペトリュスのラベル。 Mme EDMOND−LOUBATと表示されている。以前自分が飲んだ1961年もこの表示と同じである。 (右)1987年ロンドンで行われたペトリュス垂直試飲会のときの1961年のラベル。 ちょっと見難いがMme L.P.LACOSTE−LOUBATと表示されている。 |
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(左)ワイン王国Vol.4に載っている1974ペトリュスのラベル。Mme EDMOND−LOUBATと表示されている。 (右)手元にあった1974ペトリュス。Mme L.P.LACOSTE−LOUBATと表示されている。 |
Mme EDMOND−LOUBATの死後、
所有者が甥と姪の2人が相続し、甥はジャン・ピエール・ムエックスに所有権を譲ることになりました。
したがってペトリュスの所有権は2人になった訳でそれぞれの持分の関係でこういう表示になったのかもしれません。
1961年から1973年まではMme EDMOND−LOUBAT所有のラベルがが圧倒的に多いような気がします。
1975年からはMme L.P.LACOSTE−LOUBAT所有のラベルだけが存在しているようです。
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