妻は父親が国鉄(現JR)に勤めていたため秋田で生まれ、その後全国を転々としていたが、高校は下関の女学院を卒業している。その女学院の友人Fさんが結婚して茅野に住んでおられ、結婚して間もない頃お子さんを連れて我が家を訪ねてこられた際、一度お会いしたことがあった。その後まだ子供たちが小さい頃は上京してきては何回か会ってようであり、また近年は電話でのやりとりがなされていたようである。

Fさんより一昨年電話がかかってきた折り、「妻が脳障害によって電話口に出て会話をすることができる状態にない」ことをお話しした。その後,非常に心配して頂き、お見舞いなども頂戴している。
妻は右前脳の障害であり、コンピュータで言えば、データファイル及びアプリケーションソフトが壊れた状態である。今まで蓄積してきた知識や経験情報を失って仕舞っていると同時に思考力及び判断力がなくなっている。しかし、幸いにも目からの画像情報は十分認識でき、人の顔や歩き慣れた道など(地図)は分かっているので、Fさんにお会いすれば分かるのではないかと思い、一昨年8月の終わりに一泊止まりで諏訪湖まで出向き、旅館までご足労願って、お会いした。
妻は一言も話すわけでなく、また話に相づちを打つわけでもないが、お会いした瞬間笑顔が出たこと、またお持ちいただいた結婚前2人で旅行した宮島で撮った写真を見てやはり笑顔を浮かべていた。翌日、茅野のご自宅に寄らせて頂き、昼食をご馳走になって帰宅した。
妻の元気なうちにと思い、少々厚かましいとは思いながら、Fさんにお願いして再びお会い頂くことになった。人混みは避けたいので、夏も終わりに近づいた8月26日に一泊泊まりでまた諏訪湖まで出掛けた。中央高速に出るまでは少々混んでいたが、その後は順調で途中2回休憩をしたが、4時間少々で着くことが出来た。妻は車に乗るのが好きで、道中一睡もすることなく前方を見つめて乗っていた。チェックイン後、連絡をし旅館までご足労願って、再会した。前回同様、お会いした際にニコッと笑顔を見せたのが唯一の挨拶であった。
夕食後、貸切風呂(妻一人で風呂に行くことは危険なので)にゆっくり入り、その後、湖畔で観光客のために毎日打ち上げられる花火を見物して、のんびりと過ごすことが出来た。翌日は朝からご夫妻に霧ヶ峰、白樺湖、蓼科を案内頂いた。生憎の小雨で視界が悪かったのは残念であったが、久しぶりに高原の空気を満喫しながらドライブを楽しむことが出来た。
昼食をご馳走になりながらの話の中で、『妻が寡黙になりだしたこと、段々電話の応対が出来なくなってきたこと、話の途中で電話を切ってしまうようになったこと、そして電話が鳴れば真っ先に受話器を取っていたのが電話を取らなくなったこと』などをお話しした。Fさんもある時、電話をした際、話の途中で電話を切られてしまい、「何か嫌われたのではないか」と思ったことがあったそうである。大変失礼をしたようである。
下山し、南諏訪インターで別れを告げ、帰途についた。帰りは順調で途中一カ所で休憩をしたが、3時間少々で帰宅することが出来た。
今回の無理なお願いを快くお引き受け頂き、貴重な時間を割いて頂いたFさんに深く御礼申し上げます。本人は言葉や態度に何も現せませんが、心の中では大変喜んでいると思います。本当に有り難うございました。「持つべきものは友」を強く実感しました。 |