V

某月某日(6)
前ページへ 次ページへ

喜びも束の間(思わぬアクシデント)(平成20年2月25日)
 散歩と記憶(その5:散歩の効果)の最後に春先に向けて散歩の輪が広がることを期待し、『広がるとすれば、「池上駅から本門寺方向へ」、または「矢口渡駅から西友を越え多摩川方向へ」拡大するだろう』と、書き込んだのが、1月20日のことである。

 妻は1月17日朝、起こしたが、上手く起き上がることが出来なかった。よく見ると右足親指の付け根の部分にかき傷があり、赤く腫れていた。

 当日は通院日であったので、ついでに足を見て貰うが、特に治療をするほどでないとのことであった。しかし、起きても歩行が困難なため、3日間散歩を中止した。そして20日には足の痛みも一応治まり、散歩に出掛け、池上ルートを順調に歩いてきた。翌21日も今度は矢口渡駅ルートを歩き、西友の交差点まできた。最初の頃は左折して帰宅方向に歩いていたが、最近(1月12日)は右折して右折、右折、右折と廻り、再び西友に戻り今度は左折して、帰途についていた。

 今回(1月21日)も西友を右折して、最初の路地を曲がらず直進し、次の交差点まで来た。ここでしばらく考え、右折せず左折して歩き始めた。そして次の交差点で左折し、西友より一本多摩川寄りの道を通ることとなり、早くも期待通り散歩の輪を拡大することとなった。期待半分で昨日書き込んだばかりのことが、現実のこととなり、驚くと同時に喜んだ次第である。

 喜んだのも束の間、22日朝再び寝床より起き上がることが出来ず、抱き起こす結果となった。それでも何とか歩くことは出来た。当日はホームヘルパーが来る日で、少し調子は悪いが、いつものようにスーパへ買い物に出掛けた。本来ならスーパからの帰途少し遠回りをして散歩をしてくるのだが、帰途急に歩けなくなり、抱えるようにして帰ってきた。右足親指の根元を見ると膿んではいないが、赤く腫れていた。24日再びやっと車に乗せ病院に行くが、右足親指の傷は問題にならないとのことである。

 その後も一進一退で29日は昭和大の神経内科への通院日のため、何とか通院してきた。その夜、入浴のため、左足の靴下を脱がせている際、何だか踵が黒くなっているのが見えた。よく見直すと直径5cm程の『血豆』である。
「アッ!これだ!」、歩けなくなった原因は右足とばかり思っていたが、左足であることが漸く判明した。

 早速、翌日体のかき傷もあり、掛かり付けの皮膚科にやっと連れて行き、診察して貰った結果、明らかに「靴擦れの跡である。腫れていた時にはさぞ痛かっただろう。ここまで来たら皮がむけ、自然に治るのを待つしかない。」とのことであった。

 歩行が困難になった原因は左足踵の靴擦れであることが判明したことで一安心であるが、何故もっと早く気がついてやれなかったのか、反省している。靴は3年以上履いており、また毎日の散歩に使用していたものであり、靴擦れなど全く想像しなかった。たまたま、「右足親指に傷があったこと、右足を出す時にビッコを引くのが、右足親指が曲がるために痛いのだ」と勝手に判断したところに原因があるようである。よく考えれば「右足を出す際、左足に体重が掛かり、痛いためにビッコを引いているのだ」と当たり前のことである。思いこみとは恐ろしいことである。

 原因が分かり、自然に治るのを待つことにしたが、2月1日の朝、起こそうとするが全く立ち上がれなくなった。左足首が腫れ上がっている。何とか抱き起こし、着替えだけ済ませた。これは整形外科に行くしかないと判断し、早速、H病院に走り込み、診察券を出すと同時に車椅子を借りてきた。しかし、椅子から立たせるのがやっとで、玄関の段差を越えて車椅子まで、一人で連れ出すことを考えたが、とても出来そうもない。やむなく、救急車を依頼することとなた。

 救急車で運び込んで貰うと言う大げさになったが、診察の結果は先の皮膚科の診断と同じで、足の腫れも圧迫(床ずれ)による浮腫で、柔らかい布団などに足を載せてやる必要があるとのことであった。また靴擦れの処置についても「このまま皮がむけるまで自然に任せるか、切開して一応血を抜き取るかは五分五分だ。」とのことであった。

 一応「切開で血を抜いて貰うこと」をお願いし、傷口から細菌が入らないための塗り薬を貰って、帰宅することとなった。しばらく起きたことによって患部への圧迫が減ったためか、朝起きた時よりも浮腫は若干減り、何とか立ち上がり、ヨチヨチ歩きが出来るようになったので、車椅子で帰り、何とか家の中まで支えながら入れることができた。

 当然のことながら歩くことが出来ないので、デイサービスは休むこととなった。それにもまして難題が生じた。現在畳の部屋に布団を引いて寝ている。本人は起きる意思がないため、半身を起こし、55kg以上の物体を抱え上げ、足の立つ状態まで立たせないといけない。腰に負担が掛からないように背筋を伸ばし、抱え上げるのだが、可成りの負担である。これを続けていては腰を痛めてしまいそうである。

 2階には子供たちが使用していたベットがあるのだが、ベットを下ろしてくるには部屋の模様替えも必要であり、一人で簡単に出来ることでもなく、大事となる。何か代案はないか、考えた末、少しでも腰を浮かせて座らせることが出来ればよいので、ベット用のマットの高さを利用してみようと考えた。マットであれば少々重いが一人で引きずり下ろして来ればよい。早速実行してみたところ、30cm弱の高さを確保することができた。これで、一旦上半身を起こし、マットに座らせてから、抱き起こすこととなり、お陰で負荷も半減することとなった。

 家の中での移動は出来るようになったが、2月6日が糖尿病の通院日に当たり、何とかスリッパを履かせ車に乗せることが出来たので、抱きかかえながらのよたよた歩きではあるが、血液検査を受けてくることが出来た。また、足の浮腫も糖尿と無関係ではない。比較的経緯は順調に来ているので、一ヶ月間、血糖値を下げる薬を外し、利尿剤を服用することとなった。

 2月9日よりスリッパ履きながら何とかデイサービスに通わせることが出来るようになった。これでやっと一息付けることになった。しかし、何時までもスリッパ履きというわけにはいかない。当分従来の靴は履けないので、靴の調達が必要になった。本人を連れて行き、足に合わせるのなら簡単なのだが、それが出来ない。靴屋に行き事情を話し、軽くて履きやすい靴を出して貰った。従来履いていた靴が23.5cmであり、どれだけ大きくすべきか、思案したが、24.5cmを購入した。しかし、履かせてみると右足は当然のことながら、すっと入りゆるめであるが、左足は本人も履こうとしないし、こちらも踵の痛さ加減が分からないので、一寸押し込めば入るのだが、それが出来ず、翌日25cmサイズに交換して貰うこととなった。

 室内では椅子に座っているが、立ち上がりたがらない。抱えて立ち上がらせると、足が痛そうに立つ。手を取って歩かせるが、最初の数歩は痛そうにビッコを引きながら歩く。しかし、その後は正常に歩く。本当に痛いのか、痛かった頃の記憶から、「立つと痛い」と思いこんでいるのか判断に苦しむところである。まだ足の浮腫は残っており、朝は浮腫は少ないが、夕方には多くなっている。余り心配ばかりしていても足腰を弱めてしまうので、靴の慣らしと散歩を兼ねて屋外を歩き始めた。現在行きつけのスーパーまで、約1kmを従来よりは時間は掛かっているが、問題なく歩けるようになっている。

 靴擦れの跡の治癒は自然に任せるしかなく、少々時間は掛かるが、徐々に回復し、かつてのように散歩に出掛けられるように、回復することを期待している。

 考えてみると「たかが靴擦れ」である。これがここまで大事になるとは想像もしなかったことである。妻が「足のここが痛い。」と一言、話していてくれたら、簡単に済んでいたことである。直接間接的に5つの病院を廻る結果となったが、患部をやっと指摘できた時には、時既に遅く積極的に治療する方法はなく、基本的に自然回復を待つしかなかった。振り返ってみると、この1ヶ月間は全く一人相撲を取っていたことになる。我々日常生活における、言葉による会話が如何に重要であるかを痛感すると同時に、外見だけから他人の心情を察することが如何に難しいかを痛感した次第である。

靴擦れのその後(平成20年7月27日)
 足の靴づれ騒動以来半年を経過し、足そのものは完全に癒えているが、事件前後の行動には可成りの差が生じている。従来は当然のことながら、朝寝床から起き上がったり、椅子に座っていても、歩きたくなれば立ち上がって家の中を歩いていた。しかし、現在は朝は起こさないと寝たきりである。また椅子に座らせていると、座ったきりで、自ら立ち上がって家の中を歩き廻ることがなくなった。

 それでは体力が落ちたのだろうか。先ず立っている時のバランス感覚は従来同様、非常に良く、倒れたり転んだりするようなことはない。また立っているのが辛くなり倒れ込むようなこともない。どうも歩くことも歩けないのでなく、歩くと言う行動に対する信号が発せられていないように思えてならない。これもまた我々一般常識では理解しにくいのだが、どのような時にどのような行動を取るべきか、我々は既に学習し記憶しているので、体調が回復してきた場合、正常時の行動に戻ろうとする。しかし、脳障害を持つ妻にとっては脳の記憶による行動と言うよりも、体で覚えた経験則によって行動を起こすようだ。

 従来からも病院など待合室で待っていて呼出で立ち上がったり、診察室で診察終了後、立ち上がる際には、手を出して声かけと共に立たせている。本人は呼出や診察が終了したことが分からないので、座ってから立つまでの時間が短い時には「今座ったばかりなのに、急に立てと言われても体は理解できていない。」そこで2,3回手を引いて声かけをすると、やっと立つのだと分かり、徐々に足に力が入り始め立ち上がっていた。

 特に騒動後は、足の痛さから本人自らベットから起き上がったり、椅子から立ち上がったりすることはなく、抱きかかえたり、手を引いてかけ声と共に立ち上がるのが習慣となった。正常者はけがの回復と共に、当然のことながら元の自らの行動に戻るのだが、妻にとっては新しい行動パターンから、従来の行動パターンに切り替えるのは非常に大変なことのようである。古い行動パターンの記憶に戻るのでなく、新しく体で覚えた行動が正しいのだと思っているようである。即ち、昔のように自分で起き上がれるようにするためには、少しずつ起こす体勢を変えて、自立できる体勢を徐々に覚え込ませる必要がありそうである。

 散歩に関しても騒動前の状態に中々戻れていない。靴擦れで出来た黒ずんだ血豆の跡は2ヶ月程かかって、やっと取れた。春を迎えそろそろ散歩を本格的に再開しようと思っていたが、今年は天候不順で雨が多かった。昨年は少々の雨でも散歩に出掛けていたが、今年はさすがに歩き始めたばかりであり、雨の日には散歩を中止せざるを得ず、中々連続して散歩を続けることが出来ずにいると、梅雨入りとなり、暑さも加わってきた。妻は暑さに弱く、行動が鈍くなり、毎年夏の散歩は苦労していたが、今年はそれに輪を掛け、自分から歩こうとしないため、少々手を引いて歩くが、数歩歩くとまた立ち止まってしまうの繰り返しとなっている。

 以前はデイサービスから帰って来ると往復1km程を40分程掛けてスーパーへ買い物に行き、夕食後再び1〜2km程散歩に出掛けていた。しかし最近はスーパーに出掛けるのに1時間以上かかるようになり始めたので、日によっては買い物に出掛けるのを省略して、夕食後散歩に出るようにし始めた。

 従来は夕食後は散歩であり、スーパーに向かうことなく、好きな散歩道の方向に出掛けていたので、当然散歩道の方向に出掛けるものと思っていた。しかし、特に誘導しているわけではないが、スーパーへ出掛ける。帰宅後は買い物、そして夕食後は散歩と理解しているのだろうと勝手に思っていたが、これは全く違っていて、妻からするとその日の1回目はスーパーへの買い物であり、2回目が散歩であると理解しているらしい。
 
 そこでスーパーへの買い物1回だけで終わっているケースが多くなっている。それでも、たまに2回目の出かけで散歩コースを歩いてはいるが、殆どが自宅周辺でその歩く距離も昨年に比べると1回り小さくなっている。現在は夏の暑さのためやむを得ないと思っているが、秋を迎え体調も整った時に昨年と当程度まで回復してくれることを期待しているが、果たしてどうなるだろうか。

妻の握力(平成20年10月14日)
 握力とは言うまでもなく、手の握る力のことである。握手をする際、お互いに手を差し伸べて、掌を合わせ握り合う。その行動を力学的に説明すると、手を握るべく、力を加えていくが、お互いの掌が接触した時、接触したと言うセンサー機能が働き、握る方向の力に対抗して負の力が働き始め、お互いに力のバランスしたところで力の加わり方が止まり、握手が成立するのだと思う。従って自然の状態で手を握りあっていることができる。即ち、手をつないで歩く時も同様である。

 握手も懐かしい人に出会った時などには、堅く力を込めて握り合う場合がある。この場合は負の力に反抗して意識的に力を加え続ける。この力に対抗して負の力も増加し続け、最後はその力のバランスしたところで、固い握手が完成される。しかし、固い握手を継続するには負の力に対抗して、必要以上に強い力を加え続ける必要があり、くたびれてきて、この固い握手を継続し続けることは困難である。即ち、握力計を握って握力を測定するのと同じ原理である、

 何故このような説明をするかと言うと、握力の強いことが、ピック病の特徴の1つであるようである。神経内科での触診の一つなのであろうか、通院の際、医師は時々手を握って確かめている。握力だけでなく、手や腕、所謂腕力が強くなるようである。妻は腕など鍛えたことがないので、正常な頃は当然のことながら、(試したことはないが)握力では妻に負けるようなことはなかったが、しかし最近ではその握力に圧倒されることがしばしば生じている。

 この力はどこから来るのだろうか、素人なりに考えてみる。先程の握手の原理で、手の力の方向に対して接触センサーによって負の力が働き、力のバランスしたところで、握手が成立すると述べたが、この負の力を発生させる機能が徐々に働かなくなっているように思われる。即ち、握力計のバネが弱まったのと同じで、握ろうとする力に反抗する力が弱まった分、同じ力で握っていても握力が増すことになるのだろうと思われる。また強く握りしめることは反発力に逆らって力を加えることであり、疲れてきて継続して握りしめ続けることは困難である。しかし、負の力を発生する機能が弱っている場合には疲れることなく、強く握りしめていることが可能となる。

 妻と散歩や買い物に出掛ける際、手をつないで誘導しながら歩いている。その際の握力は年毎に増してきており、手をつないでいるという感覚よりも、手を握りしめられているという感覚である。2,30分程歩き続けていると、変わらない握力で握りしめられているため、指先にしびれを感じることもある。

 妻は既に言葉を失い、一言も話すことはない。また、問いかけに対して、うなずくこともなく、全く感情表現を現すこともない。しかし、本人からすると手の触覚が唯一の感情を現す手段であるのかも知れない。手に触れたもは何でも握りしめようとする。そして接触感を増そうとして、更に強く握りしめようとするようである。

 例えば服などを着せようとして、手が体の前の方に行くとサッと手が伸びてきて、手首を捕まれてしまう。一般の行動は非常に鈍いのだが、この手の動きだけは非常に速い。手を捕まれてしまうと服を着せる作業が出来なくなるので手を離そうとすると、握る力が益々強くなり、しばしば手を離して貰うため難儀をしている。手首などの時はまだ良いのだが、指、特に小指や親指など1本だけ、握られた時には慌ててしまう。

 握るという意味では一旦手にした物は何時までも持ち続ける。外出の際バッグを手に持たせているが、バッグを手にしていることを忘れて、落としてしまうのではないかと心配し、時々確認をしているが、むしろ逆で引っ張っても簡単に外れないほど、しっかりとバッグを握りしめているようである。

 病状と共に何故、手の握力が増すのか、本質なところは分からないが、先にも述べたように言葉を失い、知識も失い感情を表現することも出来なくなっているが、やはり何らか心の寂しさを感じているのだと思う。言葉で話しかけられても理解が出来ない。手を触れた時の触感が唯一の感情表現手段であり、また孤立感から脱却し、安心できるのであろう。従って只手が触れたという感覚では満足できず、より強く感触を味合うために、より強く握りしめるのではないかと想像している。
 

魔の空間(玄関での出来事)(平成20年12月14日)
 ほぼ毎日買い物や散歩のため妻を連れて外出するが、最近少し歩き方が良くなり、安心していた矢先の出来事である。

 11月25日(火):いつものようにヘルパーと共に買い物に出掛けた。その間に調合を依頼していた薬を貰いに薬局に出掛けることにした。薬局の少し手前で、帰宅する二人に出会った。薬を貰い帰宅し、玄関のドアを開けると異様な光景を目にしたのである。

 妻は上がり框に膝をつき、顔面を床にすりつけ、前方に倒れ込んでいた。ヘルパーは何とか起こそうとするが、重くて処置に困っていた。後方から起こそうとするが、持ち上がらず、前方より体を抱き上げて起こしたが、足に力が入らず立っていないので、何とか抱きかかえて、居間まで移動し、椅子に座らせることができた。

 先程は普通に歩いていたのに急に気分でも悪くなってかと心配し、血圧を測ってみたが、血圧及び心拍数共に正常値で異常は認められなかった。しばらくすると落ち着いて、平常に戻った様子なので、いつものように風呂に入れて貰うことにした。

 11月30日(日):天気も良く、妻も最近比較的スムースに歩くようになったので、久々に蒲田まで散歩に出掛けることにした。買い物を済ませ、帰りも歩けそうであったが、バスで帰ることにした。順調に帰宅し、玄関を入り靴脱ぎ場に足を載せたので、いつものように靴を脱がせようとして横から靴に手を掛けた途端に前方に倒れ込み、先日と同様に膝を曲げて顔面を床にすりつけた状態となってしまった。自分では身動きが取れず、前方より抱きかかえて居間まで移動して、椅子に座らせた。

 原因は何か。従来は靴脱ぎ場に足を載せると、靴を脱ぐものと理解しており、足を上げて脱がしていたのだが、最近は足を上げさせると少し前のめりなったり、靴のまま上がろうとするようになっていた。普段、道を歩いている時には体のバランスが良く、転びそうになったり、少々手を引っ張ってもバランスを崩すことはない。しかし、家に着くと、一刻も早く部屋に入ろうとし、靴を脱ぐことも忘れ、気だけが焦り、体が前方に倒れ込み重心が前方にずれ、バランスを崩していることが原因のようである。

 12月2日(火):ヘルパーに日曜日に先週と同様の転倒が起きたことを話し、靴を脱ぐ際、『上がろうとする気持ちが先行して、体の重心を前方に移動させて転倒する』ようなので、靴を脱がせる際、『後方から脱がせるのではなく、本人より先に床に上がって、肩に手を掛けさせて、前方より靴を脱がせる』ようにお願いしておいた。

 予定通り帰宅し玄関のドアを開けて入って来るのが分かったので、玄関での様子を見るため部屋のドアを開けようとした瞬間、『バタッ』と大きな音がしたので、急いでドアを開けると、妻は玄関の板の間に『ベタッ』と俯せに倒れ込んでいた。今回は跪いたように、倒れたのでなく、真一文字に倒れて身動きしない状態である。急いで、少し体を起こし、前方より抱きかかえるようにして、居間まで移動して椅子に座らせた。倒れ方が異常だったので、ビックリし、血圧を測定してみたが、平常な数値である。また顔面の一部を床にぶつけて若干赤くした程度で、骨折などの心配もなかった。

 ヘルパーによると、玄関のドアを開け、妻を先に中に入れ、自分も続いて中に入り、手を離した状態でドアを閉めるべくドア側を向いた瞬間の出来事のようである。本人は玄関を入ったので、早く部屋まで行こうとして、歩を進め、靴脱ぎ場まで進み板の間に上がろうとして上がり框に足を引っかけたのか、または靴脱ぎ場で一旦止まったが、早く上がろうと言う『気』が先行し、重心を前方に移動させて仕舞ったものと思われる。

 ヘルパーは長年面倒を見て貰っているベテランで、基本的には妻の行動については熟知している。ヘルパーとしては買い物に行く、道中の安全が第一であり、玄関にたどり着いたことで、安堵感がある。事前に「靴を脱がせる時」の注意は聞いているが、玄関を入って靴を脱がせるまでには時間があり、普段と同じように手を離し、ドアを閉める行動を取ったものと思われる。その一瞬の出来事である。

 幸いなことは、この3回の転倒事故で、骨折などの大きな事故がなかったことである。我々常人だと足に打ち身を作ったり、手などの骨折を起こしていても不思議ではない。躓いて転んだのであれば我々は咄嗟に危険を感じ、手を出し支えようとする。しかし、体重がのしかかり骨折するケースが多い。しかし、妻の場合には、立っている時の体勢と倒れた時の体勢は全く同じで、大木が倒れたように倒れている。倒れる間の時間に危険を感じ、それをカバーするために手足を動かした形跡がない。丁度幼児が転んでもけがをしないようなものである。もう一つ幸いなことは、転んだ場所周辺には何も物が置かれてなかったことである。もし、堅い物でも置かれていたら、大けがをしたところである。

 ケガがなかったからこのままでよいのだと言うわけにはいかない。早速、玄関のタタキに椅子を置くことにした。玄関を入ると、椅子まで誘導して座らせる。座らせれば安心で、その後ゆっくりドアを閉めることができる。そして靴を脱がせ、スリッパに履き替えさせてから、手を携えて板の間に上がる。これで安心して靴を脱がせることができるようになった。

 一方、外出の際、靴を履かせるのも、上がり框でスリッパを脱がせ、靴を履かせていた。しかし、これも可成り不安定な体勢であり何時倒れても不思議でないので、スリッパのままタタキまで下ろし、椅子に座らせてからスリッパを脱がせ、靴を履かせることにした。これで靴の着脱が安全にできるようになった。

 これで一件落着と思ったのだが、新たな問題が発生しそうなことを発見した。今迄は玄関先まで来ても、スリッパのまま上がり框から降りるものではないと認識していたので安心していたが、スリッパのまま上がり框から下りることを教えてしまったことである。行動の変化は頭(脳)では覚えられないのだが、繰り返すことで体で覚えることはできる。これによって、外出すべく玄関先まで来て、手を離すと一人で上がり框からスリッパのまま下りようとする可能性がある。正常にタタキまで下りられれば問題がないが、何らかの拍子で前方に倒れ込んだら、段差があり、下は石畳であり、また前方にはドアがあるので、床に転んだ時と違って、転べば大けがになる可能性が大であることが分かった。当面は外出すべく、玄関先まで来た場合には必ず、椅子まで誘導して椅子に座らせることを実行しようと思っている。しかし、これも忘れ物などして、うっかり居間へ引き返すことも想定される。”玄関先での転倒に対する安全対策”にもう一工夫が必要である。

 初 詣(平成21年1月15日)
 ここ十数年初詣には池上本門寺に夫婦で元日に出掛けることにしている。当初は妻も元気であり、当然のことながら本門寺まで歩き、本門寺にお参りすると同時に、行程約5km程の池上七福神巡りをして来るようにしていた。 しかし、徐々に妻の歩き方も鈍くなって来たため、平成16年より本門寺への参拝のみとなった。自宅より本門寺までは約1.5km程あり、また山門を抜けると96段の石段を上るので、可成りハードな行程である。

 一昨年は普段比較的散歩に出掛けていたが、本門寺まで足を伸ばすことがなく、池上駅周辺までであった。昨年の初詣は歩いて往復は難しいと考え、バス通りでタクシーを拾い、本門寺まで出掛けた。しかし、正月は参拝客が多いため、境内に通じる車道は車両通行止めとなっており、また人混みのため山門前までも進めないため、呑川にかかる橋の袂で降り、150m程歩いて山門まで進み、石段を登ることとなった。人込みの中、果たしてスムースに登れるかどうか、心配であったが一般の人の流れに沿って96段を無事登りきることができた。

 参拝を済ませ、帰途は石段を下り、呑川を越えたところで、仲見世通りを抜けて、池上駅まで出て、例年通り駅前で淺野屋の「くず餅」を買い、1km弱のバス通りを歩いて帰宅した。

 昨年は、その後、靴擦れによる足の故障で、長期間歩くことができなくなり、回復後も歩くスピードも可成り遅くなって、1km程度の買い物には出掛けているが、散歩に出掛ける頻度が少なくなっていた。しかし、最近やっと歩く調子も良くなりつつあるので、今年も池上本門寺へ初詣に出掛けることにした。往復歩くことは到底無理であるので、昨年同様本門寺手前までタクシーで行こうと思い、バス通りへ出てタクシーの来るのを振り返り見ながら、池上駅方向に歩
 
 山門から石段付近の初詣客
き始めた。比較的順調に歩いているので、歩を進めているが、池上方向のタクシーは1台も来ない。一方池上駅から蒲田方向に向かう車は時々来るのだが、全て客が乗っている。
 
 そうこうしているうちにバスが来たが、既に池上駅の1つ手前の停留所であり、乗っても250m程であり、見過ごして歩くことにした。ここまで来ると、池上駅前にはタクシーはあるが、人混みの中を走って400m程なので、休み休みではあるがまだ比較的順調に歩いているので、歩いていくことにした。
 
 仲見世を抜け、参道を200m程歩くと山門に出る。山門を入ると左右に出店が数軒出ているが、これを過ぎるといよいよ石段である。一寸厳しいかと思いながらもここまで歩いてきたので、石段を登り切って呉れることを期待して上り始めた。最初は順調に登り始めたが、最初の踊り場の数段手前で立ち止まった。手を取って踊り場までは上がったが、腰を少し前方に曲げ、大儀そうである。まだ、石段は四分の一程度なので、これ以上昇のは無理と思い、引き返すことにした。引き返すためには下り方向の階段に移る必要がある。普段は張られてないのだが、上り下りの通路を分けるために階段中央に設けられた鉄の鎖を跨がねばならない。高さは余り高くないので、跨げない高さではないが、妻の手を引いただけで、跨がせるのは一寸難しい。どのように跨がせるか思案していたところ、丁度反対側を下りてきた、ご夫婦が手助けをしてくれ、足を持ち上げるようにして、反対側に移動することができた。その男性は親切にも石段を下りきるまで、片側の腕を支えてくれて無事下りることができた。

 少々大儀そうではあるが、タクシーを拾うためには池上駅前まで出る必要があり、休み休み何とか無事、池上駅前まで、たどり着いた。タクシー乗り場の前が丁度、淺野屋であるので、例年通り「くず餅」を買ってタクシーで無事帰宅した。

 しかし、以上のように初詣は途中、中断してしまったので、遅ればせながら、昨14日に車で出掛けて、参拝して参りました。

ページへ 次ページへ

介護奮戦記の目次へ