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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第1章 詩姫―ウタヒメ―(*1)

グラムナート地方南西部。
南へ向かって伸びるその険しい山並みは、そのままの姿で絶壁となって海へと落ち込んでいる。北へたどれば、山々は途切れることなく連なり、グラムナートの最高峰であるボッカム火山(*2)へといたる。
急峻な断崖が連なり、凶暴な魔物や死者の邪霊が出没するため、あえてそこへ分け入ろうとする旅人はいない。完全装備の軍隊でさえ二の足を踏む危険地帯だ。
そのため、山脈はふたつの国を分け隔てる天然の国境となっている。
東のフィンデン王国と、西のカナーラント王国。
だが、このふたつの国をつなぐルートがまったくないわけではない。
山脈を貫く一本の洞窟がある。人の手によって掘られたのか、自然の気まぐれによって作られたのか、それは誰にもわからない。ただ、『大貫洞』と名付けられたその洞窟は、はるかな昔から確かに存在しており、両国を行き来する数少ない旅商人や冒険者に知られ、利用されていた。もちろん、安心して通行できるというわけではない。迷路のような分かれ道もあれば、魔物がひそむ一帯もある。山越えをするよりはまだしも安全という程度だ。ともかく、『大貫洞』のおかげで、ふたつの国は互いに孤立することなく、細々とだが交易や文化交流を行うことができた。
今も、危険を冒して洞窟に足を踏み入れる旅人たちがいる。その目的は様々だ。
まだ見ぬ新天地に希望をふくらませる者もいれば、異国の品を売りさばいて一儲けしようともくろむ者もいる。そして、もっと深刻な理由をもつ者もまた――。

『大貫洞』の東――フィンデン王国側の入口に、10騎あまりの騎馬の兵士が乗りつけた。いずれもきらきらと青く輝く鎧に身に包み(*3)、長剣を差している。きびきびとした動きで、乗ってきた馬を街道の脇の木々につなぎ、整列する。10名の騎士が2列横隊に並び、隊長と思われる年かさの騎士がそれに向かい合うように立つ。
緑が深い森の中に集結した青き騎士隊の姿は、さながら一幅の絵画のようだった。
あわただしく点呼がとられ、前列左端に立った騎士が報告する。
「フィンデン王国神聖騎士団、第11分隊(*4)、全員到着しました! 脱落者なし! 負傷者なし!」
わざわざ報告せずとも、見れば明らかなことだが、規則を厳格に守ることこそ、隊の規律を保つためには重要なのだ。
「うむ」
分隊長はうなずくと、ふところから筒型に丸められた紙を取り出した。赤い封蝋には、フィンデン王国の紋章(*5)が印されている。首都メッテルブルグを出発する際に渡された命令書だ。おもむろに封を切り、紙を広げる。
分隊長は広げた紙に目を落とした。しばらく読み進むと、何度かうなずく。
そして、部下に向き直り、口を開いた。
「われわれフィンデン王国神聖騎士団第11分隊は、重大な指令を受けた。現在、国家反逆の疑いがある男女が2名、『大貫洞』を西へ逃亡中だ。われわれはそれを追跡し、その身柄を確保する。――生死に関わりなく、だ」
騎士たちは直立不動の姿勢で聞き入っていたが、隊長の最後の言葉を聞くと、身じろぎした。
ひとりの若い騎士が、全員が感じたであろう疑問を口にする。彼は分隊の中でもっとも経験が浅い。
「生死に関わりなく・・・でありますか?」
その命令が意味するところは、見つけ次第、問答無用で切り捨ててもかまわないということだ。いくら国家に対する反逆の疑いがあるとはいえ――あくまで“疑い”なのだ。罪が確定したわけではない――、そのようなことが許されるのだろうか。
分隊長は、発言した騎士を無表情でにらんだ。
「王の命令は絶対だ。われわれは、命令を遂行すればそれでよい」
「はい、ですが・・・」
「命令違反は、反逆と同じだ。即刻、処刑の対象となる」
感情というものがまったく感じられない上官の言葉に、騎士は青ざめて口をつぐんだ。これ以上なにか言ったら、文字通り、自分の首が飛びかねない。
別の騎士が挙手して、質問する。
「反逆者というのは、どのような連中なのでありますか?」
「男は冒険者で、剣の腕は立つが、負傷している。女は貴族だが、魔女だとも言われている。情報では、妖しげな力を持った歌をあやつるらしい。だが、心配は要らん」
隊長は、平板な口調を崩さず、続ける。
「やつらは、逃亡を続けて心身ともに疲れきっているはずだ。われわれ、強大なるフィンデン神聖騎士団の敵ではない」
「はっ!」
騎士たちは一斉に応える。
どのような命令でも疑問をさしはさまず着実に遂行することが、厳しい規律と訓練で鍛えられたフィンデン騎士団の本分だ。
先ほどの騎士が、もうひとつ質問する。
「隊長・・・。その反逆者は、何という名前なのですか?」
隊長はうろんそうな目を向けた。名前など、どうでもいいだろうと言いたげな様子だ。だが、鼻を鳴らすと、一度たたんでしまった命令書を取り出し、目を走らせる。
「ああ、ここに書いてある・・・。アデルベルト・ホッカーと、ラステル・ビハウゼンだ」


一方、山を越えた『大貫洞』の反対の端、カナーラント王国側では、東側の緊迫した状況など知る由もなく、3人の旅人がのんびりと歩を進めていた。
このあたりではあまり見かけない、いっぷう変わった風体の一行だった。
ふたりは若い女性で、ひとりはかなり年のいった男性だ。父親とふたりの娘といってもいい年恰好である。だが、会話を聞いてみると、家族ではないことがわかる。
「わあ、わくわくしますね。カナーラント王国から外へ出るなんて、あたし、初めて。いったい、どんなところなんだろうなあ」
はしゃいだ口調でしゃべりながら先頭に立つのは、まだあどけなさの残る少女だ。年齢は10代後半。まっすぐに伸びた褐色の長い髪と、同じ色の大きな瞳が目立つ。服装は、帽子から上着、スカートにいたるまで緑と白に統一されている。さびれつつある生まれ故郷のカロッテ村を救うために一念発起し、お店を開いて奮闘中の駆け出し錬金術士、ヴィオラート・プラターネだ。
「そうね。わたしも旅に出てから長いけれど、新しい土地へ行く時は心が躍るわ。そういう好奇心や探究心は大切よ。いつまでも忘れないようにするのよ」
落ち着いた口調で応じている女性は、ヴィオラートよりも5、6歳年上に見える。いでたちはヴィオラートに似通っているが、色彩は対照的で、髪飾りからブーツにいたるまで赤とピンクでかためている。整った顔立ちの中で、エメラルド色の瞳が穏やかで知的な輝きを放っている。遠い異国からカナーラント王国を訪れ、たまたま立ち寄ったカロッテ村でヴィオラートに出会い、錬金術の手ほどきをした、いわばヴィオラートの師匠にあたる錬金術士である。名前はアイゼル・ワイマール。
しかし、このふたりが、ともに短いスカートを着用しているのは、当節の流行ででもあるのだろうか。
「ははは、お嬢さん方、はしゃぐのは結構だが、油断しないように頼むよ。『大貫洞』は長い上に、トラップもあれば手ごわい魔物も出る。ピクニック気分で行ける場所ではないのだからね」
低い、穏やかな声が最後尾から響く。ザヴィット・キッパーの本業は、カナーラント王国でもっとも『大貫洞』に近い街ファスビンダーの酒場『酒と俺亭』のマスターだ。口ひげをたくわえ、簡素な白いシャツにえんじ色のベストを着込んだ姿は、いかにも酒場のカウンターが似合いそうだ。50歳を過ぎているが、体にはぜい肉はなく、鋭い眼差しも若々しさを失ってはいない。アクセサリーのつもりなのか、いつも胸ポケットにダーツの矢を差している。
振り返ったヴィオラートが、杖を振り回しながら、笑顔で言う。
「大丈夫ですよ、アイゼルさんとザヴィットさんが一緒に来てくれてるんですから。それに、以前に『大貫洞』を通ったことがあるザヴィットさんがいれば、道に迷う心配もないし」
「おいおい、あまり期待してもらっては困るよ。なにしろ、私があの洞窟を抜けたのは、まだ冒険者をやっていた頃――20年以上も昔のことなのだからね。20年といえば、どんな変化が起こっていてもおかしくない。本来なら、お嬢さんのような若い娘さんにお勧めするような場所ではないのだがね」
苦笑しながらザヴィットが答える。
「じゃあ、どうしてあたしに『大貫洞』のことを教えてくれたんですか?」
いつの時代でも、どこの国でも、情報は酒場に集まる。中でも、かつてカナーラントの中心地だったファスビンダーは、陸上交通の要所として様々なところから旅人が訪れ、ザヴィットの酒場はちょっとした情報の宝庫となっていた。ファスビンダーはカロッテ村からもっとも近いということもあり、ヴィオラートは店を開く前からザヴィットの酒場を何度も訪れ、依頼を受けたり情報を手に入れたりしていたのだ。だが、『大貫洞』のことを初めて耳にしたのは、つい最近のことだ。なぜザヴィットは、2年あまりもこの情報を隠していたのだろう。
そのことを聞くと、ザヴィットは笑って答えた。
「それは、『大貫洞』へ行っても大丈夫だと思えるほど、お嬢さんが力をつけてきたからだよ。私も、だてに長年、酒場のマスターをやっているわけではない。分不相応な情報を与えてしまっては、相手に不幸をもたらすことになるからね」
「ええと・・・、それって・・・?」
ヴィオラートが首をかしげる。アイゼルが眉をひそめ、
「あなた、意外とどんくさいのね。いい? 新しい採取場所や街があると聞いたら、あなたは後先考えずにすっ飛んでいくでしょう?」
「ええ、まあ・・・」
ヴィオラートは苦笑して、頭をかいた。
(その辺は、エルフィールによく似てるわね・・・)
心の中でつぶやいたアイゼルが続ける。
「冒険者としての経験が未熟なままで、危険な場所や強い魔物がいる場所へ行ったりしたら、大けがをして帰ってくることになる・・・いいえ、帰って来られないかも知れないのよ。ザヴィットさんは、ちゃんとそいうことを考えてくれていたのよ(*6)
「なるほど・・・」
ヴィオラートはにっこり笑った。
「じゃあ、あたしももう一人前ってことですね!」
「あら、本当に一人前の人は、そんなことは口にしないものよ」
「うー」
アイゼルにたしなめられ、ヴィオラートは黙り込んだ。
街道は、森の中をうねうねと続いている。ゆるやかな曲がり角を通り過ぎた時、ザヴィットが木々の向こうを透かし見て、言った。
「見えたぞ。あそこが『大貫洞』の入口だ」
森が途切れた先は、切り立った断崖となっていた。ごつごつとした岩肌がむき出しとなった、草木も生えていない急斜面だ。その下部に、半円形の穴がぽっかりと口を開けている。洞窟はかなり大きく、小型の馬車ならそのまま通り抜けられそうだ。
「いよいよね」
立ち止まり、腕組みをしてアイゼルがつぶやく。このあたりの仕草が、遠いザールブルグにいる師匠に似てきていることに、アイゼルは気付いていない。
「洞窟の中にはヒカリゴケが群生しているはずだから、十分に明るく、通行に支障はないはずだ。だが、念には念を入れておかないとね」
ザヴィットが荷物から松明を取り出す。火打石を使おうとしたザヴィットを押しとどめ、アイゼルはガラスびんに入った赤い粉末を松明に振りかけ、軽く地面にこすりつけた。
火花が飛んで大きな炎があがり、松明はすぐにぱちぱちと音をたてて燃え始めた。
「ふうむ、それが錬金術というやつかね。なかなか便利なものだね」
ザヴィットが感心したように言う。
アイゼルは、もの問いたげに見ているヴィオラートに微笑む。
「『燃える砂』よ。あなたに教えてあげてもいいのだけれど、このあたりでは材料のカノーネ岩が採れないから、調合するのは無理そうね」(*7)
「では、行こうか」
松明を掲げたザヴィットを先頭に、3人は『大貫洞』に足を踏み入れた。


岩の通路は、壁から天井までびっしりと繁茂したヒカリゴケが発する穏やかな光に照らされている。
厚い岩壁や天井にこだまする二組の足音と、足音の主の激しい息づかいの他は、洞窟の静寂を破るものはない。
足音を忍ばせている余裕はない。追っ手に聞かれようと、先を急ぐ方が重要だ。
だが、男はけがで衰弱しており、女は長く歩くことに慣れておらず、疲れきっていた。
気を配らなければならないのは、追っ手に対してだけではない。洞窟の中をさまよう魔物どもにも出会わぬよう、細心の注意が必要だった。古の魔力によって生命を吹き込まれたゴーレムや、地上に怨念を残した死霊に遭遇したら、運のつきだ。今の状態では、戦うことも逃げることもできそうにない。
それに加えて、ふたりはもう若くなかった(*8)。底なしの元気が湧いてきて、何でもできると思い込んでいた日々は、遠い過去のものになっている。
それでも、男女は助け合いながら、一歩一歩、前に進んでいた。
事情を知らぬ者が見たら、恋の逃避行に見えたかも知れない。
男は、軽鎧に身をかため、大きな両手剣を持った冒険者姿だ。一方、女性は気品のある顔立ちで、ひと目で高級品とわかるドレスを身に着けている。もっとも、そのドレスも今は薄汚れてぼろぼろだが。
身分違いの恋の末、家を捨てて他国へ落ち延びようとする貴族婦人と、彼女に身も心も捧げた平民の恋人――。一見して、そのように思える。
だが、真相はそのようなロマンティックなものではない。
不意に、男は身をかがめると、足元の岩盤に耳を当てた。
「まずいな・・・」
身を起こしたアデルベルトはつぶやいた。皮の鎧はずたずたで、その下に巻かれた包帯にはあちこちに血がにじんでいる。だらりと下げた左腕は、ほとんど使い物にならず、熱をもってずきずきとうずいている。額に浮かんだ汗は、洞窟内の暑さによるものではない。
「追っ手なの?」
ラステルが尋ねる。もともとは小鳥のように美しい声の持ち主だが(*9)、今は声もかすれている。
「ああ、少なくみて5人、多くて10人」
剣を杖代わりにして立ち上がったアデルベルトは、大きく息をついた。
「もう・・・終わりなのかしら」
ラステルが涙ぐむ。
「ごめんなさい。あなたをこんなことに巻き込んでしまって・・・。わたしの、何の根拠もない思いつきのために・・・」
「何を言ってるんだい!」
アデルベルトがさえぎる。
「謝らなきゃならないのは、僕の方だ。せっかく僕を信頼して、護衛にしてくれたっていうのに、肝心なところでくしゃみをして、やつらに見つかってしまうし、勝負どころで剣を空振りしてしまうし・・・。やっぱり、僕は不幸の星の下に生まれた男なんだよ(*10)
「ううん、そんなことないわよ」
ラステルはアデルベルトのたくましい手を両手で包んだ。
「あなたが守ってくれなかったら、とてもではないけれど、ここまでは来られなかったわ」
その言葉が、アデルベルトに勇気を与えたようだった。
「よし、行こう、ラステル。最後の最後まで、希望を捨てちゃいけない。ここを抜ければ、カナーラント王国だ。そうすればきっと――」
アデルベルトの言葉は、後方から響いてきたあわただしい足音にかき消された。
「いたぞ!」
「待て、反逆者め!」
剣を構えた騎士の一団が、青光りする鎧に包まれてわらわらと現れる。
「くっ」
アデルベルトは、ラステルをかばうように壁際へ寄せ、その前に立ちふさがった。
あっという間に、岩壁を背にしたふたりは騎士団に半円形に取り囲まれる。
騎士隊の分隊長が、感情のない声で告げる。
「アデルベルト・ホッカー、ラステル・ビハウゼン――。両名を国家反逆の罪で、逮捕する」
「そんな――!?」
ラステルが叫ぶ。
「僕たちが、何をしたというんだ?」
アデルベルトの声は黙殺された。
「わたしたちをどうするつもりです!?」
ラステルの声には、貴族らしい精一杯の威厳がこもっている。が、隊長は動じる気配がない。
「メッテルブルグの国家法廷で、正義の名の下に裁かれるのだ」
「あんなものの、どこが正義なのよ!」
ラステルの目は怒りに燃えていた。
「メッテルブルグへ連れ戻されるくらいなら、ここで死んだ方がましです!」
騎士隊長の目が光った。無表情に部下を見渡す。
「聞いたな・・・。今の言葉は、フィンデン王国に対する反逆そのものだ」
剣を構えた騎士たちにあごをしゃくる。
「処刑しろ」
いちばん近くにいた騎士が、長剣を振りかぶった。
「させるか!」
アデルベルトは右手一本で重い剣を支え、振り下ろされた長剣を受け止める。鋭い金属音が響き、騎士の一撃をそらすことはできたものの、アデルベルトの剣は手からもぎとられて床に落ちた。
「きゃあっ!」
ラステルの悲鳴が洞窟の天井にこだまする。
別の騎士が近づき、剣を横になぐ。アデルベルトはラステルを地面に引き倒し、全身でかばった。
さらにひとりが剣を振りかぶって近づく。もう避けるすべはない。
(これまでか・・・)
アデルベルトは頭上に迫ってくる剣をぼんやりと見つめた。
なにかが鋭くうなりをあげて、大気を切り裂いた。
「ぎゃあっ!」
騎士が悲鳴をあげ、手から剣がぽろりと落ちる。
目を上げると、羽根のついた短い棒が騎士の右手に突き立っているのが見えた。
ダーツの矢だ。手から手首をおおう手甲のわずかな隙間に、見事に突き刺さっている(*11)
「待ちなさい!」
子供のような、若々しい女性の声がした。
「ふむ・・・。どうやらただの盗賊ではないようだな」
今度は、冷静な口調の男の声だ。
「大勢でよってたかってなんて、騎士のすることとは思えないわね」
最後は、若いが落ち着いた女性の声。
ひょっとしたら、最後の最後になって幸運の星が舞い降りてきたのかも知れない・・・。
薄れゆく意識の中で、アデルベルトは思った。
ラステルは、アデルベルトにかばわれて冷たい岩に押し付けられた体勢のまま、首をひねって見上げた。
異国風の見慣れない格好をした若い女性がふたり、騎士たちに対峙しているのが見える。髪飾り、短いスカートとローブ、そして両手で構えた杖・・・。それは、はるかな記憶を呼び覚ます、とても懐かしい姿だった。緊迫した状況とは場違いな思いが、心をよぎる。
(おへそを出さない錬金術士も、いるのね・・・)(*12)


剣と剣がぶつかりあう鋭い音と女性の悲鳴が相次いで響きわたった瞬間、ザヴィットは走り出し、杖を構えたアイゼルがすぐにその後に続いた。出遅れたヴィオラートがあたふたと追う。
そして、青い鎧に身を固めた騎士が、倒れている相手に長剣を振り下ろそうとした刹那、ザヴィットがダーツの矢を投げたのだった。
今、カナーラントからやって来た3人の旅人は、フィンデン騎士隊とにらみあっている。
「あんたたち、何やってるのよ! 弱い者いじめは――」
つめよろうとしたヴィオラートをアイゼルが止め、目で合図して黙らせる。ここは、知識と経験が豊富なザヴィットに任せようという判断だ。
ザヴィットは、ベストの隙間に右手を差し入れたまま(*13)、落ち着いた様子で相手を観察していた。
「ふむ、驚いたな・・・。私の記憶に間違いがなければ、かれらはフィンデン王国の正規の騎士隊の格好をしている」
ザヴィットは低い声でアイゼルにささやきかけた。アイゼルが目をひそめた。
「・・・ということは?」
「私たちが相手にしているのは、フィンデン正規軍か、あるいはそれに化けたごろつきかだ。私としては、後者であることを望むがね」
リーダーらしい年かさの騎士が、剣を構えたまま前に出る。
「邪魔立てするな。われわれ、フィンデン王国神聖騎士団は、王の名の下に神聖なる任務を遂行中だ。それを妨げる者は、フィンデン王国の敵とみなす」
「ふうん、おかしな話ね。たったふたりを大人数でいたぶるのが、神聖な任務と言えるのかしら」
アイゼルがとげのある口調でつぶやく。隊長が目をむいた。
「貴様――! 今、わが国家を冒涜する言葉を口にしたな。これではっきりした」
部下を振り返り、命令する。
「こやつらも同罪だ。処刑しろ」
「狂ってるわ・・・」
アイゼルがつぶやく。
同時に、騎士たちがときの声をあげて切りかかってきた。
だが、ザヴィットは準備を整えていた。右手で握った短剣で受け流すと、身をかがめざま、相手の勢いを利用して肩越しに投げ飛ばす。
「ぐわっ」
岩壁に叩きつけられた騎士は、剣を放り出してのびてしまった。
他のふたりも、素早く行動していた。
「くらいなさい!」
アイゼルが振り下ろす杖から、いくつもの白い光球が放たれ、騎士たちの青い鎧にぶつかっては、ふくれあがって破裂する。そのたびに、たくましい騎士の体が弾き飛ばされ、悲鳴があがる。
「エンゲルスピリット!」
ヴィオラートは杖の力を借りて(*14)、精神攻撃を行っていた。目に見えない精神波の直撃を受けた相手は気力が萎えてしまうのだ。鎧がとてつもなく重く感じられ、剣を支えることもできず、へなへなとくずおれる。
あっという間に形勢は一変した。
「ま、魔女だあっ!」(*15)
剣を取り落とし、おびえた表情で若い騎士が叫んだ。
「総員退却!!」
「ひけ、ひけ――っ!!」
騎士たちは、剣を放り出したまま、雪崩を打って東の方へ逃げていく。
「こらぁ! 待てえ!」
追いかけようとするヴィオラートをアイゼルが止める。
「待ちなさい、ヴィオラート。もっと大事なことがあるでしょう」
振り返ったヴィオラートは、ザヴィットとアイゼルが倒れている男女を抱き起こそうとしているのに気付いた。
「ご、ごめんなさい」
あわてて駆け寄り、アイゼルを手伝う。
「しっかりしてください!」
女性に語りかけ、水筒の水をくちびるに振りかける。
小さくうめくと、女性は目を見開いた。
かすれた声で、切れ切れの言葉がもれる。
「あ・・・あなたたち・・・、れん、きん・・・じゅつ、し・・・よね?」
「はい、そうです。・・・あたしはまだ、駆け出しだけど」
女性の口元にかすかに笑みが浮かび、涙が一筋、頬をつたう。
「そう・・・。よかった・・・、やっと、会えた・・・」
不意に、女性は両手を上げ、ヴィオラートの錬金術服の袖をすがるようにつかんだ。
「お願い・・・。フィンデン王国を・・・、たすけて・・・」
振り絞るように言うと、そのまま目を閉じ、がっくりと首をたれた。
「もしもし、しっかりしてください! ――どうしよう、死んじゃったのかな」
「大丈夫。気を失っただけよ」
おろおろするヴィオラートに、アイゼルが落ち着いた声をかける。
「そちらはいかがですか、ザヴィットさん?」
ナイフで男の皮鎧を切り裂き、傷を調べていたザヴィットが答える。
「ああ・・・。命に別状はない。だが、左肩が折れて、化膿しているようだ。すぐに街へ運んで手当てをする必要があるな」
「そうですね。それに、さっきの騎士たちのことも気になるわ。とにかく、ファスビンダーへ戻りましょう」
アイゼルがうなずく。
「うむ。さっきの連中が、本当にフィンデン王国の騎士団だとしたら・・・。なにかとんでもないことが起こっているような気がする」
ザヴィットは重々しく言った。
「だが・・・。このふたりを運ぶのは、かなりの骨だぞ。担架もないし、どうしたものか・・・」
考え込むザヴィットに、アイゼルは微笑んでみせる。
「そのことなら、心配ないわ。錬金術に不可能はないのよ」
青緑色をした宝石のような小石を取り出すと、ぐったりと倒れている男女の体のあちこちに取り付けていった。
「ザヴィットさん、抱き起こしてみてください」
言われるままにアデルベルトの体に手をかけたザヴィットは、目を丸くした。
「これは――! 驚いたね、雲のように軽い。片手でも支えられそうだよ」
「『グラビ結晶』よ。これを使えば、重いものでも簡単に持ち運ぶことができるわ」
「あの〜、アイゼルさん」
少し離れたところで、なにやらごそごそやっていたヴィオラートが声をかける。
「その結晶、まだありますか?」
「え? 何に使うの、ヴィオラート?」
「これを持って帰ろうと思って。えへへ」
ヴィオラートは、フィンデン王国の騎士たちが投げ捨てていった長剣をかき集めていた。
「これだけ立派な剣なら、きっとお店で高く売れますよ。窯で溶かしてインゴットにしてもいいし」
「あきれた・・・。ほんとに、転んでもただでは起きない娘ね」
苦笑したアイゼルだが、すぐに表情を引き締め、思いに沈んだ。
(それにしても、隣の国で、いったい何が起きているのかしら・・・?)


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