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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第2章 力加減はほどほどに(*1)

ドアをけたたましく叩くノックの音に、クライス・キュールは眠りから覚めた。
頭は重く、霧がかかったようにぼんやりしている。カーテンの隙間から斜めに差し込んでくる日差しから判断すると、まだ夜明けから数刻と経っていないに違いない。昨夜も新たな研究論文の執筆に没頭して徹夜をし、夜明け間際にベッドに入ったばかりだ。なのに、ノックの音はやまない。安眠妨害もいいところだ。
サイドテーブルへ手を伸ばして、愛用の銀縁眼鏡を探り当てる。眼鏡をかけると、視野がはっきりし、フレームのひんやりとした感触が気分をすっきりさせてくれる。
ノックはまだ続いている。ドアを叩く音に混じって、いらだった調子の女性の声も聞こえてくる。
「ちょっと、クライス! 起きなさいよ! 朝よ、朝だってば!」
クライスはベッドに半身を起こし、ふと眉をひそめた。
(はて、こんな早い時間にあの人が起きているなんて、珍しいこともあるものですね・・・)
ベッドを出て、狭い室内を見渡す。ベッドとサイドテーブル、書き物机と書棚がある他は何の飾り気もない、実用一辺倒の部屋だ。アカデミーの寮棟の部屋は、どこでも似たようなものだ。ただ、かつて学生として在籍していたザールブルグとは異なり、ここケントニスでは研究員という資格を与えられているため、個人用の研究室を別に持つことができる。そのため、実験は研究室で、論文執筆や文献に目を通すのはこちらの部屋でというように、気分の切り替えができるのはありがたかった。
ノックの音がさらに強まる。
「もう、いつまで寝てるつもりなの? 起きなさい、起きなさいってば!」
彼女の声を聞いているのは、決して不愉快ではない。だが、このまま叫ばせておいては、他の部屋の住人に迷惑だろう。クライスは手早く服装を整えた。
また声が響く。
「いいわ、開けないなら、ドアを爆破するから!」(*2)
彼女なら、本気でやりかねない。クライスはおもむろにドアを開けた。
「おはようございます、マルローネさん」
自分でも慇懃無礼とわかる口調だ。
だが、口調とは裏腹に、視線はドアのすぐ前に立っている女性に引き寄せられていた。
錬金術士としてはかなり型破りの、露出度の高いいでたちに、波打つような豊かな金髪。表情豊かな空色の大きな瞳は、ややとまどったような色を浮かべている。急にクライスがドアを開けたので、勢いをそがれたという風情だった。
「あ、あはは、おはよう、クライス」
アカデミーではクライスの2年先輩にあたる錬金術士マルローネは、かつてはザールブルグ・アカデミー史上に類を見ない最低の成績を取ってしまい、アカデミー始まって以来初の特別試験を受けさせられたことがある。それは、5年の間、工房を開いて錬金術で自活しながら、レベルの高いアイテムを調合するというものだった。クライスと知り合ったのも、この特別試験中のことである。当時から、クライスはマルローネとは対照的に成績優秀で、17歳にしてアカデミー首席の座に着き、卒業後も成績優秀者のみが行けるマイスターランクに進学して研究を続けた。一方、マルローネも試験期間を通じてめきめきと腕を上げ、ついには師匠のイングリドにも認められて無事卒業することができた。それには副産物があり、マルローネは錬金術の腕と同時に冒険者としても名を上げた。他の騎士や冒険者と協力して、世間を騒がせたヴィラント山の火竜や塔に潜む魔人を倒し、ついには“爆弾娘”の異名まで取るようになったのだ。
卒業後、マルローネは『錬金術とは何か』という究極の命題への解答を求めて旅に出た。あちこちを放浪した末に、彼女は錬金術の総本山であるケントニスへたどりつき、そこのアカデミーで更なる高みを目指して錬金術の研究に取り組んでいた。(*3)
数年後、ザールブルグ・アカデミーのマイスターランクを卒業したクライスもまた、高度な研究を続けるためにケントニスへやってきた。マルローネのことを追いかけていったのだという噂は根強く残っているが(*4)、クライス本人はその噂に関しては無視を決め込んでいる。
「ところで、なにかご用ですか」
冷ややかな口調でクライスはきいた。
「あ、うん、ちょっとね」
「それにしても、朝っぱらから本当に騒がしい人ですね。安眠妨害もいいところです。だいたい、あなたがこんな時間に起きているなんて、どういう風の吹き回しですか。珍しいこともあるものですね。天変地異の前触れでなければよいのですが」
「うるさいわね、あたしはナマズじゃないわよ!」
マルローネが目をつりあげて言い返す。
「あたしは、寝ぼすけのあんたと違って、早寝早起き、規則正しい生活をしているんですからね」
「快食快眠の間違いでしょう。それに・・・」
クライスは、マルローネのくしゃくしゃになった髪と薄汚れたローブを見やった。
「あなたが昨夜、ベッドに入っていないことは明白です。おおかた、わけのわからない実験でもして徹夜をしていたのでしょう。そうでもなければ、あなたがこの時間に起きていることに説明がつきません。まったく、規則正しい生活が聞いてあきれますね」
「う・・・」
図星をさされたマルローネは口ごもる。だが、すぐに気を取り直し、
「何よ、せっかくすごい新アイテムが完成したから、実験に立ち会わせてあげようと思って誘いに来たのに! いいわよ、ひとりで実験するから」
「新アイテム・・・?」
クライスの目が光った。マルローネが先日来、研究室に閉じこもって何やら調合を繰り返していたことは知っている。
「じゃーん! これよ」
マルローネは、背中に隠し持っていた布のようなものを広げて見せた。
「これは――」
クライスは息をのんだ。マルローネが得意げに見つめる。
「――ずいぶんと、不恰好なカーペットですね。ぺったんこだし、縫い目はほつれているし、形はゆがんでいるし、大きさも中途半端だし、誰も使いたがらないでしょう」
あきれたようにクライスが言う。マルローネが気色ばむ。
「し、失礼ね! 違うわよ、一見すればただのカーペットにしか見えないけれど、これは神秘的な力を持っている逸品なのよ」
「もったいぶらないでください。いったい何だと言うのですか」
「聞いて驚きなさい! あたしのオリジナル調合、『フェーリングじゅうたん』(*5)よ」
「はあ・・・?」
クライスは眉をひそめた。そのアイテムの名前には、どこか聞き覚えがある。
「気が付いたみたいね。思い出したでしょ、図書室に転がっていた、あの写本よ。とうとう解読に成功したってわけよ」
クライスは思い出した。あれは、ひと月ほど前のことだった。

ケントニス・アカデミーの図書室には、50年以上にわたる歴史を物語るように、数万冊に及ぶ蔵書が収められている。だが、そのすべてがきちんと体系立って整理されているわけではなく、目録に記載されていない蔵書も数多い。アカデミーの卒業生が執筆した書物や、関係者が国の内外で発見した古代の写本などが絶え間なく送りつけられて来るためだ。少しでも状況を改善するために、年に数回、アカデミー職員や生徒が総出で、図書室の大整理が行われる。研究員のクライスやマルローネも例外ではなく、駆り出されて書棚の整理に当たった。
そして、30年ほど前に収集された書物が収められている書棚を整理している時、マルローネが棚の後ろに落ちていた古ぼけた写本を見つけたのだった。
『レーベの手記』(*6)と題されたいつの時代のものとも知れない写本には、高度な知識と技術を持った者にしか読み解くことができないような、難解な内容が記されていた。恐ろしい破壊力を持った爆弾や、おぞましい効果をもたらす毒薬、奇跡のような回復力のある薬、不思議な魔力を持つ装飾品・・・。それらを調合してみようと考えるのは、錬金術の探求者としては当然のことだった。
だが、クライスはその内容があまりに危険であることに、危惧を抱いた。そして、この書物は当分の間は封印しておくべきだと、マルローネを説得しようとした。
ところが、例によってクライスの口調にはとげがありすぎた。反発したマルローネは意地になり、絶対に解読してやると宣言して、自分の研究室に持ち帰ってしまったのだ。

そして今、研究の成果が目の前にあるという。
あらためてクライスは、マルローネが手にしているカーペットのようなものをしげしげとながめた。
主な原材料は『フォルメル織布』だろうか。2メートル四方ほどのいびつな正方形で、表面には迷路のような模様が隙間なく描き込まれている。じっと凝視していると、模様に吸い込まれそうな気分になる。
クライスは目をそらし、咳払いして尋ねた。
「これは、どのような効果を持っているのですか」
マルローネの空色の目が輝く。
「よくぞ聞いてくれました! これはね、写本に出ていた『フェーリング陣』(*7)の改良版なのよ。ラフ調合を試してみたってわけ」
クライスは心の中でうなった。もうラフ調合をマスターしているとは・・・!
マルローネもクライスも、ラフ調合という技術を知ったのは、ケントニスに来てからだった(*8)
材料に何を用いるかが固定されている通常の調合とは異なり、ラフ調合ではおおまかに分類されたカテゴリーの中に含まれる様々な材料を使って自由に調合する。その過程で、多彩な効果を持つアイテムを創り出すことができるのだ。
しかし、ラフ調合には当たり外れが大きい。予想もしなかった素晴らしい効果を持つアイテムが出来上がる可能性もあるが、それ以上に、箸にも棒にもかからない失敗作に終わることも多い。理路整然とした論理を好むクライスには肌に合わず、これまで敬遠してきたのだった。それに対して、大雑把な性格で新しいことには何でも挑戦したがるマルローネには、ラフ調合はぴったり合っているようだった。いろいろな材料を研究室に持ち込んでは、様々なパターンの調合を繰り返し、爆発や異臭騒ぎをしょっちゅう起こしている。そんなマルローネをまぶしく思っている自分を、クライスは否定することができなかった。
マルローネは説明を続ける。
「『フェーリング陣』は、物体を包み込んでどこか別の場所に送り込んでしまうという効果があるのよね。でも、ただそのまま作ったんじゃ面白くないじゃない。だから、作った『フェーリング陣』をもう一度、材料に使って、調合し直してみたのよ」
「で、どのような効果があるというのです?」
マルローネの目の輝きに胸騒ぎを感じながら、クライスが尋ねる。
「これはね・・・。物体じゃなくて、人間を遠くまで送ることができるのよ!」
「本当ですか? 信じられませんね」
言い返されるかと思ったが、マルローネは素直にうなずいた。ゆっくりと笑みを浮かべる。
「それはそうよね。まだ試したわけじゃないし。ちゃんと実験しないと、信じられないわよね」
クライスの不安は、嵐の前の黒雲のように広がった。
「まさか――、私に実験台になれと?」
「ばかね、誰もそんなこと言ってないわよ」
マルローネは安心させるように、広げていた『フェーリングじゅうたん』をたたむ。
「ただ、実験に付き合ってもらいたいだけよ」
「そうですか」
やや安心したようだが、疑わしそうなクライスの表情は消えない。
「さあ、行こう!」
マルローネはすたすたと歩き出す。
「待ってください。どこへ行こうというのですか」
振り返ったマルローネはにんまりと笑った。
「鈍いわね、実験場に決まってるじゃない」

ケントニス・アカデミーのロビーでは、ショップ店員のイクシーが店開きの準備を進めていた。
ショップ店員とアカデミーの司書を兼ねているイクシーは、ケントニス出身者の例に漏れず、左右の瞳の色が異なっている。書物が好きで、几帳面で融通が利かない性格をしているイクシーは、いつもこのロビーの片隅から、アカデミー内ににらみをきかせている。
寮棟の方から近づいてくるひと組の男女に気付くと、イクシーは眉をひそめた。
(まあ・・・。こんなに朝早くからなんて、珍しい。天変地異でも起きるんじゃないかしら)(*9)
「おはようございます」
内心を表に出すことなく、落ち着いた声で挨拶する。
「あ、イクシー、おはよう」
マルローネは上機嫌だ。手には何やら薄汚れた布をかかえている。
「おはようございます」
クライスは無愛想だが、これはいつものことだ。
「お出かけですか?」
イクシーはさりげなく尋ねた。厄介ごとの芽を早めに摘むためにも、このふたりの行動は、極力把握しておく必要がある。
マルローネが来てから、ケントニス・アカデミーには騒ぎが頻発するようになった。生命を吹き込まれたホウキが大暴れしたり、爆発で実験室が吹っ飛んだりした。
クライスがやって来て、さらに騒ぎは増えた。クライス個人はまじめで、問題などまったく起こしそうにないタイプなのに、マルローネと一緒になるとなぜか事がこじれる。怪しい薬を投与されて猫耳を生やされた生徒が出たり(*10)、クライスとマルローネが一時的に若返って子供になってしまったり(*11)、事件が起こるたびにイクシーも振り回されてきた。
注意しておくに越したことはない。始末書を書かせるだけでも余計な仕事で、いい迷惑なのだ。
イクシーの心のうちに気付くはずもなく、マルローネがにこにこして答える。
「うん、ちょっと『竜虎の森』まで行って来るよ。新しいアイテムの実験をするんだ」
「そうですか。実験も結構ですが、くれぐれも森を焼き払ったり、山崩れを起こしたりはしないでください」
「あははは、やだなあ、そんなことできるわけないじゃない」
マルローネが笑って手を振る。クライスは眼鏡を整え、冷静な口調で答える。
「そうですね。いくらマルローネさんが“爆弾娘”でも、そこまでは無理でしょう」
「クライス、うるさ〜い!」
(でも、実際にそういうことをやってのけた錬金術士がいたのよ)
ケントニス・アカデミーの歴史を熟知しているイクシーは、心の中でつぶやいた。
「それじゃ、行って来ま〜す!」
正面扉を抜け、陽光が降り注ぐ中庭へ出て行くふたりを見送りながら、イクシーはため息をついた。
少なくとも、今日一日は、あのふたりがアカデミー内で騒ぎを起こす心配はない。
今日は落ち着いて過ごせるわね、とイクシーは思った。

ケントニスの街は、エル・バドール大陸の東に位置している。
大陸内部から伸びてきた高原が、東でそのまま海に落ち込む土地柄で、海岸沿いのわずかな平地に街が開けている他、ゆるやかな山の斜面に張り付くように家々が建てられている。
そして、いちだんと高い山すそに、アカデミーの白亜の建物が、街並みを見下ろすように建っている。
そこから、曲がりくねった山道を登っていった先に、やや平坦な台地が広がり、こんもりとした森が静かに息づいている。
そこが、通称『竜虎の森』だった。(*12)
もちろん、もともとは別の名前が付けられており、地図にもその名前が記されている。
だが、30年あまり昔に、アカデミー関係者を中心に『竜虎の森』と呼ばれ始めて以来、その通称が定着し、今では街の人々もそう呼ぶようになっている。
森の中には小さな広場がある。東に向かって開けていて、そこからは海を見下ろすことができる。
海が見下ろせる位置に、手作りの木のベンチが置いてあった(*13)。ベンチが風雨にさらされて壊れるたびに、アカデミー生の手で新しいものが作られ、この場所に置かれるのが伝統となっている。
山道を数刻かけて歩き、この場所にたどりついたマルローネは、
「ああ、疲れた」
と、ベンチに座り込んだ。たたんだ『フェーリングじゅうたん』や、こまごまとしたアイテムを入れた小型のかごを背負い、外出時には必ず持ち歩く『星と月の杖』(*14)を手にしている。
同じように杖の助けを借りて登ってきたクライスは、あきれたようにマルローネを見た。
「そんなに和んでいる場合ですか。私は睡眠不足で眠いのですよ。さっさと実験を済ませて帰りましょう」
「もう、せっかちだなあ。そんなに小姑みたいにぎゃあぎゃあ言ってると、しわが増えるよ」(*15)
マルローネはすまして言う。
「大きなお世話です。あなたにしわの心配をしていただく義理はありません」
憮然として答えるクライスに、マルローネが手招きする。
「まあ、突っ立ってないで座りなよ。風が気持ちいいよ。それに、実験を始める前に、心を落ち着けなきゃ」
確かに、海から吹き上げてくる風は心地よく、マルローネの金髪をそよがせている。それに誘われるように、クライスもベンチに腰を下ろした。慎み深いのか度胸がないのか(*16)、十分に相手との距離をおいている。
しばらく、黙りこくったまま、陽光にきらめく水面を見つめていた。
「ねえ・・・。不思議だよね、時間の流れって」
ひとりごとを言うように、マルローネがつぶやく。
「今、あたしたちはこうしてここに座っているけど、何年も、何十年も前に、同じように座ってた人たちがいるんだよね、きっと」
クライスは黙って耳を傾けている。
「その人たちも、錬金術士だったのかな・・・。どんな人たちだったんだろう。どんなことを考えてたんだろうね?」


さかのぼること30年の昔――。
クライスとマルローネが語り合っていた、まさに同じ場所で、ふたつの小さな人影が動き回っていた。
「もう! ヘルミーナってば、何をとろとろやってるのよ、さっさと運びなさいよ!」
「うるさいわね、こういうことは慎重にやらないといけないのよ! ぶつけて壊しちゃったりしたら、イングリド、あんたのせいだからね!」
まだ10歳にも満たないと思われる、あどけないふたりの少女だ。ふたりともケントニス人らしく左右の目の色が異なっている。ひとりは軽くウェーヴのかかった薄水色の髪をカチューシャで止め、もうひとりは首筋で切りそろえた薄紫色の髪に奇妙な輪のような形をした帽子を載せている。カチューシャを付けているのがイングリドで、輪っかの帽子をかぶっているのがヘルミーナだ。
ふたりは今、自分たちで作った木製のベンチを、丘の下のアカデミーからかついで登ってきたところだった。
「はああーっ」
「ふぅーっ」
草木が刈り取られたかのようにぽっかりと森の中に開けた広場にベンチを下ろすと、草の上にへたりこんだ。大きく息をつく。
「あーあ、まったく、あんたのせいで、とんでもない目に遭っちゃったじゃない」
イングリドの言葉に、ヘルミーナが目をむいて言い返す。
「冗談じゃないわ、あんたがあんな爆弾を使うから――」
「あんただって、ひとのことを言えないでしょ!」
互いに一歩も引かず、にらみ合ったが、やがて苦笑して目をそらす。
「そりゃまあ、ちょっとやり過ぎちゃったとは思うけどさ」
「そうね・・・」

錬金術を学ぶためにふたりがケントニス・アカデミーに入学したのは2年前、8歳の時だ。
もちろん、通常はアカデミーに入学できるのは15歳からである。だが、イングリドもヘルミーナも、当時から大人顔負けの知識と技術を持ち、周囲を驚かせていた。その類まれな錬金術の素質に目をとめたアカデミーは、特例としてふたりの入学を認め、入学したふたりはめきめき頭角を現して、『神童』と呼ばれるまでになった。
もちろん、同い年のふたりが、互いを意識し始めるまでに長い時間はかからなかった。
錬金術の腕を競うだけならば、問題はなかったろう。
だが、錬金術では『神童』でも、ふたりはまだ子供だった。
大人なら我慢するところでも、子供に特有の遠慮のなさでぶつかり合った。
そして、陽気で元気の良いイングリドと体が弱く内向的なヘルミーナという性格の違いもあり、いつの間にかふたりは徹底的に対立し、些細なことからけんかを繰り返すようになっていた。
こうしたことから、アカデミーではふたりのことを『神童』とは別の名で呼ぶようになった。
アカデミーの『竜虎』――。
そして、数ヶ月前、この名がケントニスの歴史に残る決定的な事件が起きた。
その頃、ケントニス・アカデミーの元老院は、ある重大な決定を下そうとしていた。
海を越えた先にある東の大陸に、錬金術を広めようというのだ。
東のストウ大陸は、島大陸であるエル・バドールの数倍も広く、いくつもの国があり多くの民が住んでいる。それらの国のひとつ、シグザール王国に錬金術士を派遣してアカデミーを建設し、錬金術普及の礎とする計画が立てられた。
元老院の構成員でもっとも若いドルニエが派遣メンバーのリーダーとなり、アカデミーから若手の優秀な錬金術士が選抜されて送り出されることとなった。
その中に、まだ10歳に満たないイングリドとヘルミーナも含まれていた。
若い力が新天地で思い切り活躍するのを期待したのか、面倒ごとの種を遠くへ追いやってしまおうとしたのか、元老院の真意はわからない。
だが、遠征メンバーに選ばれたことで、『竜虎』の対決姿勢はますます高まった。
「ザールブルグへ行く前に、決着をつけましょう」
「いいわ、望むところよ」
どちらからともなく言い出し、ふたりはアカデミーの裏手の丘に登った。(*17)
後に『竜虎の森』と呼ばれることになる場所だ。
イングリドとヘルミーナは、それぞれが知識と技術の粋を尽くして調合した強力な爆弾の威力で勝負をつけようとした。大量の爆弾が、森に持ち込まれた。
知識と技術、そして熱意は申し分なかった。
しかし、配慮には欠けていた。
腕を競うのに夢中になったふたりの手元が狂った。
狙いがはずれた爆弾は、ふたりが持ち込んだ爆弾のストックの中へ落ちた。そして、すべての爆弾が誘爆した。
あたりの木々は焼き尽くされ、爆発で緩んだ地盤は崩れて、大量の岩と土砂が斜面を流れ下って海に降り注いだ。
幸いなことに、死傷者はゼロだった。
現地調査をしたアカデミー当局は、きわめて珍しい局地的な地震と原因不明の山火事が同時発生した天変地異である、と公式発表した。アカデミーとしては、組織の存続のためには真相を隠蔽するしかなかったのだ。
当然のごとく、当事者のふたりは謹慎を命じられ、ペナルティが科された。
焼き払われた森を復活させ、人々の憩いの場所となるよう、手作りのベンチを設置すること――。
森の復活のためには、大量の『植物用栄養剤』を調合すれば済んだ。これは彼女らの腕ならば大したことではない。だが、ベンチの製作については、錬金術は一切使ってはならぬという条件が付けられた。
錬金術の知識と技術がなければ、イングリドもヘルミーナもただの9歳の子供である。
森へ行って斧で木を切り出し、板を作ってやすりをかけ、組み合わせて釘付けする。慣れない大工仕事で、ふたりはへとへとになった。それに、ザールブルグに向けて出発する日は容赦なく迫ってくる。それまでには作業を完成させなければならない。間に合わなかったら、遠征メンバーから外されることになる、と警告されていた。
もはや、いがみ合っている余裕はなかった。ふたりは出会ってから初めて力を合わせ、ようやく完成させたベンチを設置場所である森の広場へ運んできたのだった。
ぎりぎりで間に合った。出発は、明日に迫っていたのだ。

「よぉし、できたぁ!」
地面に浅く掘った穴に脚を埋め、ベンチを固定すると、イングリドは勢いよくベンチに腰を下ろした。
「あ、ずるい!」
ヘルミーナもすぐ後に続く。
ふたりの体重で、ベンチはかすかにきしんだが、持ちこたえた。
イングリドもヘルミーナも、仕事を終えた脱力感からか、しばらく放心したように黙りこくって座っている。
ベンチに座ったふたりからは、東に広がる海が見下ろせる。ふたりが引き起こした山崩れのせいで、森が海に向かって開けたのだ。
太陽はすでに西に傾き、ふたりの影法師が海に向かって長く伸びている。
「いよいよ、明日ね・・・」
ヘルミーナが海を見つめたまま、つぶやいた。水平線の先にある未知の大陸を見すえているかのようだ。
「そうね」
イングリドの瞳も輝いている。
「あたしの野望の第一歩が、始まるんだわ」
「へ、野望?」
ヘルミーナの言葉に、イングリドは隣にいる少女を見つめた。
「そうよ、野望・・・。ねえ、イングリド、あなたはなぜ、錬金術士になろうと思ったの?」
普段ならば「あなたの知ったことじゃないわ」と言い返すところだが、今日のイングリドは素直な気持ちになっていた。
「自分の可能性を試すには、これが一番だと思ったからよ」
「ふうん、ありきたりな理由ね」
イングリドはじろりとヘルミーナをにらんだ。
「じゃあ、あんたは何だって言うのよ」
ヘルミーナはすぐには答えず、遠く水平線を見つめた。
「錬金術って、どこから来たんだろうね」
「決まってるじゃない。『旅の人』が――」
20年ほど前、ケントニスにやって来たひとりの旅人が、これまで誰も見たことがない術をもたらした。それがケントニスの錬金術の始まりであることは、子供でも知っている。
「じゃ、『旅の人』はどこから来たの? どこで錬金術を覚えたの?」
「それは――」
イングリドは口ごもった。そこまで考えたことはなかったのだ。
「あたし、絶対、探し出して見せるわ。錬金術の始まりを――」
正面を見すえたまま、ヘルミーナは続ける。
「そのためには、ただ本を読んでるだけじゃだめだって気付いたの。いろいろなところへ旅して、いろいろなものを見て、経験を積まないと。今度の旅は、その第一歩なのよ」(*18)
ヘルミーナの横顔を見ているうちに、イングリドはこれまで感じることのなかった新たな感情がわいてくるのに気付いた。ただのいけ好かないやつではなく、対等の相手として認めようとする気持ちだった。
「あたしだって、負けないからね」
イングリドの言葉に、ヘルミーナは顔を向け、大人びた笑みを浮かべた。
「これからが、本当の勝負ね、ふふふ」
イングリドがうなずく。
「がんばらなくちゃね・・・」
「うん、がんばろうね・・・」

一刻ほど後。
ひとりの少女が、『竜虎の森』に通じる山道を、息を切らせて登ってきた。
すでに日は暮れかけ、あたりには薄闇がただよい始めている。
「イングリドー! ヘルミーナー! ・・・もう、どこ行っちゃったんだろう、明日は出発だっていうのに」
青色の錬金術服を着て、頭巾をかぶった10代後半の少女は、アカデミー研修生のリリーだった。
師匠のドルニエや、イングリド、ヘルミーナと共に、東の大陸へ赴く遠征メンバーのひとりである。
森を抜け、広場に出ると、ベンチに並んでちょこんと座っているふたりの姿が見えた。
ほっと息をはいて、リリーは近づく。
「こらぁ! 心配したんだぞ」
のぞき込んだリリーは、思わず微笑んだ。
寄り添い合うようにベンチに座ったイングリドとヘルミーナは、罪のない顔をして、安らかな寝息を立てていた。
ふたりの苦労の跡がしのばれる、不恰好なベンチを検分する。
「ふふふ、どうやらうまくいったみたいね」
錬金術の助けなしにふたり一緒に作業する、というペナルティをアカデミー当局に進言したのはリリーだった。
これから行く未知の土地で錬金術を普及させていくためには、メンバー全員の信頼関係の構築が不可欠だとリリーは考えていた。師のドルニエは、錬金術への造詣は深いが、残念ながら人間関係の機微には疎い。
大事な戦力であるイングリドとヘルミーナが感情的にいがみ合ったままでは、うまくいくものもうまくいかなくなってしまうだろう。それを心配したリリーは、荒療治を試みたのだった。
そっとふたりを揺り起こす。
「さあ、ふたりとも、帰る時間よ。明日は出発なんだから、ちゃんとしたベッドでゆっくり寝ないと」
「ふああ・・・。あ、リリー先生?」
ヘルミーナは小さくあくびをして、目をこすった。
「え・・・? もうこんな時間?」
はねおきたイングリドが叫ぶ。
「もう! 寝過ごしちゃうなんて。あたし、まだ荷物をまとめてないのよ! 早く寮へ戻って、片付けなくちゃ!」
「あーあ、あわてちゃって。あたしはちゃんと準備はできてるわよ」
「ヘルミーナ! あんた、もしかして、それを知っててわざと作業を長引かせたわね?」
「ひとのせいにするんじゃないわよ。自己管理がちゃんとできてないだけじゃない」
「あんたに言われたくないわ! 帰る! 先に帰って、あんたの晩ごはんも食べちゃうからね」
「待ちなさい! 抜け駆けしようったって、そうはいかないわよ!」
争うように坂道を駆け下っていくふたりを見送りながら、リリーは首をかしげた。
「ほんとに、大丈夫かしら・・・?」
振り返り、闇のとばりが下りつつある東の水平線を見つめる。
両手を口に当て、リリーは大きく叫んだ。
「待ってなさい、ザールブルグ! 必ず、アカデミーを建設してやるんだから!」


そして今、リリーらが建設したアカデミーで学んできたマルローネとクライスが、『竜虎の森』に立っていた。
「さあ、実験を始めるわよ!」
マルローネは、『フェーリングじゅうたん』を地面に広げる。
そして、何やら黄色っぽいどろりとした液体が入ったガラスびんを取り出した。
「これは『黄金ドリンク』(*19)よ。効果を発動させるための触媒になるの」
クライスは、いぶかしげな表情で、黙って聞いている。
「これを一滴たらせば、発動するわ。発動したら、すぐに飛び込まないとね。到達目標地点はケントニス・アカデミーの中庭よ」
説明を続けながら、マルローネはガラスびんの栓を抜いた。
「さあ、クライス、準備はいい?」
「はあ?」
クライスは気のない返事をした。寝不足のせいか、頭がよく働かない。普段のクライスならば、この時点ですでに事態を察知できているはずなのだが。
マルローネに導かれるままに、広げられたカーペットのそばへ近寄る。
マルローネはガラスびんを傾け、中身の『黄金ドリンク』をたらそうとした。だが、詰まっているのか、液体は出てこない。
「おかしいわね。えいっ!」
思い切りびんを振ると、どぼどぼと黄色い液体がこぼれ落ちる。
「あ、多すぎたかな? ま、いいか」
液体がしみ込むと、とたんに『フェーリングじゅうたん』の表面に変化が起きた。
迷路のような模様が動き出し、目にもとまらぬ速さで渦巻き始める。
あっという間に、布地の表面には虹色に輝き、脈動する渦が出現した。
「さあ、クライス、行って!」
「へ?」
「早く飛び込むのよ! 次元の穴が出現している時間はごくわずかなんだから」
「何ですって!?」
ようやくクライスは、相手が言っていることがのみこめた。
「冗談じゃありません! やっぱり私を実験台にするつもりだったんですね!」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。これは人間を遠くまで転送するアイテムなんだから、実験すると言えば、実際に人を送ってみるしかないじゃない」
「ぶっつけ本番で人体実験なんて、危険すぎます!」
「大丈夫よ、あたしも一緒に行くから」
「そういう問題ではありません!」
「男でしょ! がたがた言わないで、行きなさい!」
マルローネは両手でクライスを押した。バランスを失ったクライスは、仰向けに渦の上に倒れこむ。
「わあっ!」
渦はクライスを頭から飲み込んだ。虹色に脈打つ渦から突き出した両足がばたついたが、すぐに渦の中に消える。
「よおし、あたしも!」
杖をつかむと、マルローネは足から渦に飛び込んだ。
下半身が沈み込んだ瞬間、手を伸ばして布のへりをつかむ。マルローネの手が消えるのと一緒に、『フェーリングじゅうたん』自体も巻き込まれるように、自らが作り出した渦巻きの中に消えた。
一瞬後、閃光が走り、重々しい爆発音が響いた。
それに気付いた者は、誰ひとりとしていなかった。また、気付いたとしても、気にかける者はいなかったろう。ここは錬金術の総本山である。実験の失敗による爆発や閃光は日常茶飯事なのだ。いちいち気にしていたら、身がもたない。
その場には、ふたりの錬金術士がいたという形跡も、なにかのアイテムが置いてあったという証拠も、なにひとつ残っていなかった。

その日の夕刻。
書類整理をしていたイクシーは、不機嫌そうに顔を上げた。
マルローネからの週次報告書が、まだ提出されていない。
帰って来たら、きつく言ってやらなくちゃ。
そう心にとめて、イクシーは作業に戻った。
だが、マルローネもクライスも帰って来なかった。
次の日も。その次の日も。
神隠しにでもあったかのように、ケントニス周辺から、ふたりの姿はかき消えてしまっていた。
しかし、日ごろの行いが行いだけに、真剣に心配する者はいなかった。
おおかた、また気まぐれを起こして、ふらふらと旅に出てしまったのだろう。
「研究員マルローネ、ならびに研究員クライス・キュール。外出先不申告および連続無断外泊。始末書提出の要あり」
1週間後、イクシーはそう書き込むと、日誌をぱたりと閉じた。(*20)


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