戻る付録へ

前へ次へ

〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第6章 只今お取り込み中!(*1)

カナーラント王国の国土の大半は、大陸から東の海に向かって突き出した半円形の大きな半島から成り立っている。半島は、西から東に向かって流れるふたつの大河によって分割されている。北部のクラオト川と、南部のヴィスコー川だ。いずれの川も河口に巨大な三角州を作り(*2)、そこは海産物や植物の豊富な産地となって人々の生活を潤している。
ファスビンダーから南東に伸びるキッセル湾岸街道は、その名の通り、海沿いを走っている。クラオト河口に散在する島に架け渡されたいくつもの橋を渡り、キッセル湾の中央部にそそりたつ謎の塔(*3)を東に見ながら街道を南進すると、カロッテ村にたどりつく。これより南にも土地は広がっているが、人はほとんど住んでいない。カロッテ村は、カナーラント王国の中でもっとも辺境に位置しているのだ。
村に入ると、ぽつりぽつりと並んだ小さな家々の間に、野菜畑が広がっている。特に目立つのが村の名前にもなっているにんじん畑だ。放し飼いにされているにわとりが地面をつついて餌を探しながら歩き回り、道端では野良猫が居眠りをしている。時々姿を見せる村人たちも、せかせかした様子はかけらほどもなく、のんびりと生活を楽しんでいる感じだ。だが、よく見ると子供や若者の姿が少ない。がらんとして生活感が感じられない家も目立つようだ。
ここ何年も、カロッテ村は忍び寄る過疎の波にさらされてきていた。にんじん以外に名産品はなく、他にめぼしい産業もない。外部から訪れる人はほとんどなく、仕事を求めて村を出て行く人々が増加の一途をたどっていた。
このままでは、そう遠くない将来に、カロッテ村は消えてなくなってしまうかも知れない――。
危機感を抱いた村長のオイゲン・バルビアは、2年前に村おこしの計画を立ち上げた。村に観光客を呼び寄せる策を村人たちから募り、もっとも成功した者に賞品を贈ると宣言したのだ。その賞品はとんでもないもので――。
ともかく、ヴィオラートはこの企画に飛びついた。
彼女の両親も、過疎が進む村に見切りをつけて、遠くの大きな街へ移り住んでいった。引越しに反対したヴィオラートと兄のバルトロメウスは、すったもんだの末、3年という条件付きで村に残ることを許された。3年の間に村を発展させ、活気を取り戻させることができれば、そのままずっと村に残ってよい、ただし、村がさびれたままだったら、有無を言わせず両親のいる街に連れて行くというのが、両親が提示した条件だった。
そして、ヴィオラートは、たまたま村を訪れたアイゼルから手ほどきを受けた錬金術を利用して、店を開いた。その店――ヴィオラーデンを繁盛させ、ひいてはカロッテ村を発展させることがヴィオラートの念願であり、自らに課した使命だった。
両親に指定された期限まで、残り1年となっているが、まだ村が十分に発展したとはいいがたい。(*4)
村の中を流れる小川に沿って進むと、こじんまりとした広場に出る。広場には共同井戸があり、その脇に村の名物であるにんじんが山のように積み上げられている。誰でも無料で持ち帰ってよいのだが、あまり品質は良くなく、しなびているにんじんも多い。(*5)
広場の北側には雑貨屋を兼ねた酒場の『月光亭』があり、その東側に建っている二階家が、村で唯一の――いや、カナーラント王国で唯一の錬金術の店ヴィオラーデンである。
店の2階正面には『ヴィオラーデン』と書かれた大きな看板が掲げられており、客の目を引く。正面扉を開けると、チリンチリンと鳴るベルの音に迎えられる。正面奥のレジカウンターまでの店内に置かれた陳列棚には、日用品から食料品、爆弾や武具、薬品から宝石類までが所狭しと並んでいる(*6)。いささか品揃えに節操がないようにも思えるが、客のどんな要望にも応えるという店主のポリシーを表しているのだろう。
カウンターの奥には、2階に通じる階段の脇に金属を溶かす窯が置かれ、商品陳列棚の左には調合用の大釜が火にかけられてぐつぐつと煮え立っている。窓辺には調合器具が並んだテーブルがあるが、ここは錬金術の調合作業だけではなく食卓にも使われている。食器と調合器具がごっちゃになって変な味の料理が出されることもあるらしいが、幸い、深刻な中毒が起きたということはないようだ。もっとも、中毒しても薬で治してしまうだろうから、表沙汰になっていないだけかも知れない。

ヴィオラートは商品棚の整理を終え、カウンターに陣取って客の来店を待っているところだった。久々の店番だ。
「ふあああ〜、よく寝たぜ」
そこへ、ぼさぼさの頭をぼりぼりかきながら、兄のバルトロメウスが2階の寝室から階段を下りてくる。
ヴィオラートとは3つ違いだが、子供っぽくてのんきな性格のため、周囲からは妹の方がしっかりしていると思われている。だが本人はまったく気にせず、畑仕事に冒険にとマイペースで生きている。
「あ〜、腹減った。なあヴィオ、なんかないのか?」
テーブルにどっかと座り込み、大あくびをする。ヴィオラートは兄をにらみつけ、
「もう、お兄ちゃんも少しは手伝ってよ! さっきも、あたしひとりでお店を開ける準備をしたんだからね。あたしの留守中も、お店番サボってたんでしょ。あんまり売り上げ増えてないし」
「あん? 俺はそれなりに仕事はしたぞ。ただ働きなんだから(*7)、少しはサボったっていいだろうが」
「知らない! こっちはもう、大変だったんだから――」
「どうした? なんかあったのかよ?」
「・・・ううん、何でもない」
ヴィオラートは言葉をのみ込んだ。ファスビンダーでラステルから聞かされた話は、みだりに口外しない方がいいとアイゼルから釘を刺されている。
(無責任な噂が一人歩きしたら、大変なことになるわ。ここは自重してちょうだい・・・)
アイゼルはそう言っていたが、耳にした内容があまりに深刻で大きすぎるため、自分の胸のうちにとどめておくのはとてつもなく苦しいことだった。
今日もアイゼルは酒場に入り浸って、さりげなく情報収集に努めている。後は、アイゼルがザールブルグにいる先生に送った手紙への返事を待つしかない。
ヴィオラートとアイゼルはカロッテ村へ戻ってきたが、ラステルとアデルベルトはそのままファスビンダーに残っている。アデルベルトの容態が良くならず、ラステルが付き添っているためだ。ザヴィットも、自分独自のルートを使っていろいろと情報を集めてくれるという。
こうしている間にも、フィンデン王国では罪もない人たちが苦しんでいる。ラステルは、錬金術しか国を救えないと言っていた。なのに、今の自分は何もしてあげることができない。アイゼルの言うことはもっともなのだが、それでも何もできない自分が歯がゆくて仕方がない。
錬金術って、何でもできる学問ではなかったの?
本に書いてあった、不可能を可能にする技術だというのは嘘だったの?
店番をしながらも、ヴィオラートはそれらのことをぼんやりと考えていた。

ドアが開いてベルが鳴り、買い物かごを提げた人の良さそうな中年女性が入ってくる。
「ヴィオちゃん、こんにちは。今日もがんばってるわね!」
「あ・・・メラニーおばさん、いらっしゃいませ」
ヴィオラートの家の隣に住むメラニーは、兄妹が幼い頃からなにくれと面倒をみてくれた女性であり、店を開いた当初から毎日のように足を運んでくれている。田舎の村の慣習で、現金ではなく物々交換で商品を買っていくのだが、交換品として野菜や料理を持参してきてくれる。
ヴィオラートの声にいつもの元気がなかったので、メラニーは少しいぶかしげな表情を浮かべたが、すぐに陳列棚の商品を物色し始めた。ヴィオラートは上の空で宙に視線をさまよわせている。
「それじゃ、今日はこれをもらおうかね」
と、メラニーは、ヴィオラートがファスビンダーから採取してきたばかりの新鮮なブドウをカウンターに置いた。そして、買い物かごの中身を広げる。
「今日はね、これがうちで取れたから、これをあげるわね」
にんじんや豆、ケーキやスープ、糸や木材といった様々な品物がある。代金としてこの中からひとつを選んでくれというのだ。(*8)
「はあ・・・」
ヴィオラートはため息をつき、ぼんやりとしたまま無造作に手を伸ばして、つやつやしたオレンジ色の葉を取った。希少価値の高い『世界樹の葉っぱ』だ。
メラニーの顔がひきつる。こんな高価なものを選ばれるとは予想していなかったのだろう。愛想を尽かしたような目でヴィオラートをにらんでいたが(*9)、ぷいと顔をそむけ、買ったブドウをひったくるように取って、憤然とした足取りで店を出て行った。
乱暴な音をたててドアが閉まると、バルトロメウスはいぶかしげな顔で妹を見つめた。いつもは客を不愉快にさせるような取引をするヴィオラートではない。逆に、値引きをしたりサービスし過ぎるために、儲けが出ないこともしばしばなのだ。
「おい、ヴィオ・・・」
だが、ヴィオラートが兄の声に反応する前に、再びドアが開き、若い女性が入ってきた。
「こんにちは、ヴィオちゃん・・・。あ、バルトロメウスさんもいたのね」
かすかに頬を染めて挨拶したのは、酒場に併設されている雑貨屋を営むクリエムヒルトだ。店の経営という点ではヴィオラートの先輩格だが、自分の店で取り扱っていない品物を買いに、よく訪れてくれる。日ごろの言動からすると、もしかしたら他にも目当てがあるのかも知れない。
「あ、いらっしゃいませ・・・」
「ヴィオちゃん・・・?」
クリエムヒルトも、いつもと違うヴィオラートの様子が気になったようだが、首を振り振り商品を選び始める。しばらく棚の商品を見ながらあちらこちら移動した後、適度に熟成したチーズの固まりを取り上げてカウンターに差し出す。
「今日はね、これを売ってもらおうかな」
ポケットから布の包みを取り出し、カウンターに広げた。
そこには、様々な色や形をした植物のタネが入っていた。クリエムヒルトは、いつも代金をタネで支払うのだ。
「それじゃ、今日はこれでいいかしら? ヴィオちゃんのために、できるだけいいものを選んでおいたから」
「じゃあ、これで・・・」
まん丸や平べったいもの、とげがちくちく出ているもの、黒いのや虹色をしたものなどが並ぶ中から、ヴィオラートはよく見もせずに、最初に手が触れたものを拾い上げた。
それは、どこか儚げな、ぼんやりとした形のものだった(*10)。タネの中ではいちばん高価なものだ。
クリエムヒルトの目が三角になる。あきれ果てたという表情で、買った商品を今にも返品しそうな勢いでヴィオラートをにらみつけたが、無言できびすを返すと、不機嫌な顔でドアを叩きつけるように閉め、帰って行った。
あっけにとられて、バルトロメウスが見送る。
「ヴィオ、おまえなあ・・・」
またもドアが開き、意見しようとするバルトロメウスの声は途中で消えた。
「こんにちは、ヴィオ」
やって来たのは、オイゲン村長の孫娘クラーラだ。バルトロメウスと同い年で、村一番の美人である。つややかな髪を腰まで伸ばし、地味だが高級で品のいい服を着込んでいる。
オイゲン村長が村おこしの企画をぶち上げた時、優勝者にはクラーラとの結婚を認めるという爆弾発言をした。その事実を知ったクラーラは当初は落ち込んでいたが、見知らぬ相手との結婚という運命を避けるため、ヴィオラートが村おこしに優勝してくれることを願い、ヴィオラーデンの発展を誰よりも応援してくれている。
とたんに、バルトロメウスが背筋を伸ばして立ち上がった。先ほどまでとは別人のように、表情が引き締まっている。
「あ、クラーラさん、いらっしゃいませ。今日は、いい天気ですね、ははは・・・」
先頭に立って、かいがいしく商品棚を案内する。この言動を見るだけで、バルトロメウスが村に残った理由は明らかだろう。
クラーラは、棚からハチミツを選び出すとカウンターに置いた。
「はい、これをお願いね。日用品ならヴィオのお店でだいたい揃うから便利ね」
「はあ・・・」
ヴィオラートが気のない返事をする。
(こら、ヴィオ、もっと愛想よくしなきゃだめだろうが!)(*11)
無言の圧力をこめてクラーラの背後からにらみつけている兄も、ヴィオラートの目に入っていないようだ。
「はい、それじゃ、お代はこれでいかしら。毎日いいお野菜をしっかり食べないとだめよ」
クラーラは、交換用に持って来た野菜や食料品を並べた。ヴィオラートは心ここにあらずといった様子で、手近にあったいい香りのする根っこを無造作に取る。めったに手に入らない最高級の『アルラウネの根』だ。
クラーラの表情が変わった。哀れみのこもった冷ややかな目でヴィオラートを見やる。そしてそのまま、きびすを返そうとする。
「あ、あの、クラーラさん、待ってください! これはきっと、なにかの間違いで――。おい、ヴィオ!」
泡を食ったバルトロメウスがとりなそうとする。
クラーラは振り向くと、
「ちょっと」
とバルトロメウスをカウンターから離れたテーブルへ連れて行く。ヴィオラートは、それを気にかける様子もない。相変わらず目を宙に向け、なにやらぶつぶつ言いながらぼんやりと思いにふけっている。
「ねえ、バルトロメウスさん、ヴィオになにかあったの?」
クラーラがささやく。
「あんなヴィオ、見たことないわ」
「あ、いや、俺もなんか変だなって思ってたんですよ、はは。さすがクラーラさん、お目が高い。ここは兄として、なんとかしなくちゃいけませんよね」
さわやかな笑顔をクラーラに向けると、バルトロメウスは妹のいるカウンターにつかつかと歩み寄る。
「おい、ヴィオ!」
「え? どうしたの、お兄ちゃん」
ぼんやりと顔を向けるヴィオラートの額に手を当てる。
「熱は・・・ないようだな」
じっと妹の目を覗き込み、
「おまえ、やっぱり変だぞ。なんかあったのか? 冒険の途中で頭を打ったとかよ」
ヴィオラートは目をそらし、ゆっくり首を横に振った。
「ううん、何でもないよ」
「いいや、そんなはずはねえ!」
バルトロメウスは大声で決めつけた。
「俺がやるならまだしも(*12)、商売熱心なおまえがあんな評判を落とすような物々交換をするなんて、どうかしてるとしか思えねえ」
「何でもないったら」
ヴィオラートの声にいらだちが混じる。
「おい、何を怒ってるんだよ。俺はおまえのことを心配して・・・」
「何でもないって言ってるでしょ!」
ヴィオラートは顔をゆがめて怒鳴った。感情が高ぶっているのか、瞳には涙すら浮かんでいる。
「ヴィオ・・・」
その時、ベルがチリンと鳴り、長身の青年が入ってきた。すぐ後ろに、高級そうなドレスを着た少女が続いている。
「やあ、ヴィオ、バルテル・・・。おや、どうしたんだ。また兄弟げんかかい?」
ロードフリード・サンタールは、バルトロメウスとヴィオラートとは幼馴染だ。幼い頃からカロッテ村で一緒に遊びながら育った仲だが、12歳の時に王都ハーフェンの騎士精錬所に入って騎士になる訓練を積んでいた。その優れた剣技で将来を嘱望されたが、なぜか騎士隊に入隊することなくカロッテ村に戻ってきたのだった。整った貴族的な顔立ちとさらさらの髪、思いやりがあって頭もよく、非のうちどころがない好青年である。彼が村に戻ってきたことで、村を出て行くのをやめた女性もいたらしい。
「まったく、公共の場所であるお店の中でいさかいなんて・・・。これだから、田舎者はいやですわ」
ロードフリードに同行していた少女は、2年前にハーフェンからカロッテ村に移り住んできたブリギット・ジーエルンだ。ジーエルン家はハーフェンでも名の知れた資産家で、これまでずっと都会育ちだったブリギットは田舎が嫌いらしい。わけあってカロッテ村に住むことになってしまったようだが、引越して来た当初から村人とはあまり付き合わず、一定の距離をおいている。ただひとりの例外は、都会の洗練された作法を身に着けているロードフリードで、エスコート役として連れ回すことが多い。ヴィオラートとは同い年で、ロードフリードのとりなしがあったためにそれなりの付き合いもあるが、ことあるごとに高圧的な態度をとる。だが、どうやらそれは本心ではないらしく、ヴィオラートの採取の旅に付き合ったり、店の運営についてアドバイスをくれることもあった。
ロードフリードににらまれ、バルトロメウスはむきになって言う。
「ば、ばか、そんなんじゃねえよ。俺は、ヴィオの様子が変なのを心配してだな・・・」
「おまえはいつも変じゃないか」
兄の言葉を無視して、ロードフリードはヴィオラートの顔を覗き込む。
ヴィオラートの頬を、涙がひとすじ伝った。
「ヴィオ、大丈夫かい?」
温かみのこもった幼馴染の言葉に、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
ヴィオラートはカウンターに突っ伏し、激しくしゃくりあげた。ロードフリードの胸に顔をうずめなかったのは、そばで見ているブリギットの刺すような視線を気にしたためかも知れない。
「まあ、妹さんをこんなに泣かすなんて、ずいぶんとご立派なお兄様ですこと」
「まったくだ。謝れ、バルテル」
「おい、ちょっと待てよ!」
ブリギットとロードフリードの非難に、バルトロメウスが気色ばむ。助けを求めるようにクラーラを見やって、
「クラーラさん、こいつらに言ってやってくださいよ」
「バルトロメウスさんの言う通りよ」
進み出て、ヴィオラートの背中をさすってやりながら、クラーラが言った。ヴィオラートが上の空で、接客態度もおかしかったことを話す。
「そうだったのか。悪かったな、バルテル」
「まあ、いいけどよ」
「とにかく、少し休ませて、落ち着かせましょう」
クラーラの言葉で、バルトロメウスが妹の身体を支え、窓辺の椅子に座らせる。
ブリギットもかいがいしくポットを準備してお茶をいれたが、これは半分はロードフリードの目を意識してのことだったろう。
テーブルを片付けてティーカップを並べ、4人で席につく。黙りこくってお茶をすすりながら、ヴィオラートが落ち着くのを待った。中途半端に言葉をかけるよりは、しばらく放っておいた方がいい。わけを聞くのはそれからだ。


ベルが鳴り、ドアが開いた。
皮鎧にマントをまとい、腰に剣を差した冒険者姿の若い女性が入ってくる。
「こんにちは。・・・ええと、お店、やってるわよね」
ファスビンダーを根城にあちこちを放浪している女性冒険者、カタリーナ・トラッケンだ。異国の出身で、人を探して旅をしているという。かわいい顔立ち(*13)をしているが剣の腕は確かで、ヴィオラートも強い魔物が出る場所へ行く時は、よく彼女を護衛に雇っていた。
「あ、はい、ヴィオラーデンは営業中ですよ! 何を差し上げましょう?」
クラーラの目を意識してか、バルトロメウスがてきぱきと立ち上がる。
店内を見回したカタリーナは、窓辺でうつむいて肩を震わせているヴィオラートに目をとめ、
「あら、どうやら取り込み中だったみたいね。ごめんなさい。でも、シチューがあったら一人前――いいえ、二人前もらえる? ずっと歩き通しだったから、お腹がすいてお腹がすいて」
「ええと、お持ち帰りですか? ここで食べて行きますか? ご一緒にビアなんか、いかがでしょう?」(*14)
バルトロメウスは張り切って店主役を演じている。いつものだらけた店番姿を見慣れているロードフリードは苦笑していた。
「そうね・・・。ここで食べていくことにするわ」
「あいよ、シチュー二人前、お待ち!」
バルトロメウスが、ヴィオラート特製のブランクシチューを木のボウルになみなみと盛って差し出す。
受け取ったカタリーナは、その場で床にどっかと座り込んで、がつがつとシチューをかきこんでいく。ブリギットが眉をひそめて、田舎者は作法がどうのこうのと聞こえよがしに言っているが、気にするそぶりも見せない。人目を気にせず、飾ることなく自由に毎日を生きていくのがカタリーナ流なのだ。
「はあ〜、やっと落ち着いたわ。ごちそうさま」
クラーラが差し出したティーカップを目礼して受け取り、カタリーナはゆっくりとすする。
「でも、この村は平和ね。ほっとしたわ。旅先で変な夢をみたものだから、気になって気になって」
「どんな夢だったんですか?」
お客と気の利いた会話を交わすことも店主の役割だと心得たバルトロメウスが、クラーラをちらちら見ながら言う。
「そう・・・。『失意の森』(*15)をふらふらしていた時のことよ」
カタリーナはゆっくりと話し始める。
「とってもいやな夢だったわ。あたしの故郷の街が、魔物に襲われて全滅する夢――。それが、毎晩毎晩で、目が覚めた後も胸騒ぎが収まらなくて」
その話は生々しかった。
人っ子ひとりいないように思える故郷の街に、ただひとりで立っていたこと。突然、身も凍りそうな冷気が襲い、無数の氷の柱が降ってきて、家々を打ち壊したこと。壊された家からは恐怖にかられた住民が逃げ出してきたが、黒い影のような魔物がそれを追って出現したこと。魔物を倒して住民を救おうと、街路から街路へと剣を振るって駆け抜けたこと。
「――で、いつも最後は街の中央広場で終わるのよ。街の広場には、国の守護神である古い宝石が祀られているんだけど、そこには黒い霧がたちこめていて。近づこうとすると、大きな怪しい影がゆらめきながら現れて、そこで目が覚めるの。真に迫っていて、本当に故郷が魔物に襲われているのかと思ったわ」
言葉を切ると、カタリーナはため息をついて笑った。
「でも、そんなはずないわよね。マッセンハイムは、小さいけれど平和な街で――」
「何ですって!」
背後から上がった叫びに、カタリーナははっとして振り向いた。
ロードフリードもブリギットも、バルトロメウスもクラーラも、窓辺の椅子から凍りついたようにこちらを見つめているヴィオラートを、びっくりしたように見やる。
ヴィオラートの顔は青ざめ、目は大きく見開かれている。
「カタリーナさん! もう一度言ってください!」
面食らったようにカタリーナが繰り返す。
「ええと・・・。マッセンハイムは、小さいけれど平和な街で――」
「マッセンハイムって、もしかして、マッセンの――」
「あら、よく知ってるわね。あなたには、まだ話したことはなかったと思うけど」
カタリーナはうなずいた。
「そう、マッセンハイムはマッセンの首都よ。あたしの生まれ故郷」
「ああ、どうしよう!?」
ヴィオラートは全身を震わせて叫んだ。
「おい、ヴィオ」
「落ち着け、ヴィオ」
バルトロメウスとロードフリードが駆け寄る。
頭を抱えてうずくまっていたヴィオラートは、やがて決然とした表情で顔を上げた。
そして、ヴィオラートはアイゼルの言いつけにそむき、自分が知っているすべてを語ったのだった。


ヴィオラートの話を聞いた面々の反応は、それぞれに異なっていた。
バルトロメウスとクラーラは、ぽかんとして何も言えずにいる。平和でのどかなカロッテ村で育ったふたりには、どのような事態なのか実感できずにいるのだろう。
ブリギットは、半分ヒステリーを起こしていた。
「大変だわ! メッテルブルグにはジーエルン家の取引先がたくさんあるのよ! すぐにお父様に知らせなくては――!」
「待つんだ、ブリギット」
冷静さを崩さないのがロードフリードだ。騎士候補生として鍛えられた経験が生きているのだろう。
「アイゼルさんが言っている通り、むやみに噂を広げるのは良くない。この話は、ここにいる人間の間だけにとどめておくべきだ。基本的にはね」
「そんなこと言ったって――!」
反論しようとするブリギットを目で制する。
そして、ヴィオラートを見やる。
「ヴィオ、俺の考えだが、この件はハーフェンの竜騎士隊に知らせるべきだと思う」
「竜騎士隊?」
「ああ、もしかしたら、フィンデン王国の軍隊がカナーラント王国に攻め込んでくるかも知れないわけだろう? 万一に備えて、しかるべき相手に情報を伝えておくべきだ」
「それが、竜騎士隊なんですね」
「そうだよ、ヴィオ。竜騎士隊は、国防の要だ。騎士精錬所時代に世話になった先輩もいる。きっと耳を傾けてくれるさ」
ロードフリードは立ち上がった。
「家へ帰って、旅の支度をしてくる。準備ができ次第、俺はすぐにハーフェンに発つよ」
「ロードフリードさん・・・」
「そうだ、ヴィオも一緒に来るかい? 当事者の生の話を聞かせた方が――」
「わたしも行きますわ!」
ブリギットのかん高い声が割り込んだ。
「ジーエルン家は、こう言っては何ですけれど、王室に対して発言力があります。少しでも説得材料が多い方がいいと思いませんこと?」
「でも、ハーフェンに行くのは、かなりの長旅だ。一刻を争うから、強行軍になるし」
「そんなこと、何でもありませんわ。ヴィオラートにできて、わたしにできないはずがありません!」
高飛車な口調で言いつのっていたブリギットだが、目を伏せ、声を落として付け加える。
「それに、メッテルブルグのビハウゼン家とは、まんざら知らない間柄ではありませんもの。ラステルさんのために、なにかして差し上げたいのです」
「ブリギット・・・」
ヴィオラートが感謝のまなざしを向けると、ブリギットは顔を赤くしてつんと目をそらした。
「あたしは、行く」
片隅から、静かな声が聞こえた。
「カタリーナさん?」
それまで目を閉じて静かに思いにふけっていたカタリーナが、ゆっくりと立ち上がる。
「ヴィオ、教えてくれて、どうもありがとう。あたしはマッセンに帰るよ」
「でも、たったひとりじゃ――」
「簡単なことよ」
カタリーナは落ち着いた口調で言う。
「マッセンはあたしの故郷・・・。故郷は大切・・・。その故郷が危ない・・・。大切なものは、守らなければならない・・・。だから、あたしは故郷のマッセンを守るために帰るのよ。それが、自然な姿だから。どう、単純なことでしょ?」
「あたしにも手伝わせて!」
ヴィオラートが叫ぶ。
「カタリーナさんには、いつも護衛として守ってもらって、とっても感謝してるんだよ。何度、助けてもらったことか――。だから、今度はあたしが――」
「ヴィオ、無茶を言うな!」
バルトロメウスが怒鳴る。
「おまえに何ができるって言うんだ!?」
「だって――!」
「ありがとう。気持ちは嬉しいけれど、これはあたしの問題だから」
カタリーナがマントの埃を払う。すぐにでも出発しそうな様子だ。
「待って、カタリーナさん!」
その時、ベルが鳴り、ドアが開いた。

「あら、ずいぶん騒がしいわね」
中で交わされていた会話も知らず、穏やかな表情で入ってきたアイゼルは、手にしていた薄汚れた封筒をヴィオラートに手渡す。
「表の郵便受けから手紙がはみだして落ちそうになっていたから、取ってきてあげたわ」
「あ、お父さんたちからだ」
ヴィオラートの声に、バルトロメウスが手紙をひったくる。
「おう、今度こそ、俺のことが書いてあるんだろうな?」
遠い街へ引っ越した両親から、これまでも何通か手紙が届いていたが、いつも話題はヴィオラートのことばかりなので、兄としては面白くないのだ。
乱暴な手つきで封筒を開けると、声に出して読み始める。
「ええと・・・なんだこりゃ? また日付は半年前じゃねえか、どうなってるんだ? ――なになに、『最愛なるヴィオラートへ』だと? 俺のことはどうなんだよ! ええと、『事業はそれなりにうまくいっているが、大きな街だけに同業者も多く、なかなか思うようにいかない』 そりゃそうだ、そう簡単にうまくいってたまるかよ、俺たちだって苦労してるんだからな・・・。『そこで、事業を広げるために、新しい街へ引っ越すことにした。今度の街は、少し離れた国の小さな街だが、強い商売敵がいないので、きっとうまくいくと思う』だと? なるほど、親父たちも苦労してるな。それで、と・・・『引越し先の街の名前は』――」
バルトロメウスの声がかすれ、言葉が途切れた。手が震え、手紙がはらりと落ちる。
「どうしたのよ、お兄ちゃん」
ヴィオラートが手紙を拾い上げ、続きに目を走らせる。
「ええと、『引越し先の街の名前は』――」
ヴィオラートの身体がびくっと震えた。目を上げ、驚いて見守る一同をぼんやりと見回す。
「カタリーナさん・・・。カタリーナさんだけの問題じゃなくなっちゃったよ・・・」
つばを飲み込み、一語一語を区切るようにして、ヴィオラートはそのくだりを読み上げた。
「『引越し先の街の名前は、マッセンハイム』・・・」


戻る付録へ

前へ次へ