第8章 明日の風を掴むため(*1)
ヴィオラーデンの2階にある自室で、ヴィオラートは旅の支度を進めていた。
旅支度とは言っても、普段の採取に出かける時とそう変わりはない。わずかな着替えと携帯用の調合器具を採取用のかごに収めると、アイテム保管用のコンテナを開けて、薬や爆弾、保存食料を多めに取り出す。長旅には、このストックでも足りそうにないが、使い切ったら後は現地で調達するか、調合で作ればよい。
2階は屋根裏部屋で、ヴィオラートとバルトロメウスが子供の頃から寝室として使っている。部屋自体が分かれているわけではなく、兄妹の生活空間は板で作ったついたてで仕切られているだけだ。小さなベッドとクローゼット、本棚がある他、共用スペースのほとんどが、今はヴィオラートが設置したコンテナで占められている。(*2)
ドアにはもちろん鍵など付いていない(*3)。だから、相手が着替えをしている最中に足を踏み入れてしまい、ひと騒ぎ起こることもしばしばだ。(*4)
「さてと、これでいいかな?」
ヴィオラートがひと息ついた時、ドアが乱暴に押し開けられて、バルトロメウスが飛び込んで来た。
「おい、ヴィオ!」
「あ、どうしたの、お兄ちゃん?」
「どうしたの、じゃねえ!」
バルトロメウスはかみつくように言った。
「おまえ、カタリーナさんと一緒にマッセンへ行くって、本気なのか?」
「うん、そうだよ」
ヴィオラートは静かに答えた。とにかくなにか行動に移せるということで、乱れていた気持ちも落ち着いている。
「お父さんとお母さんがマッセンハイムにいるってことがわかったんだから、助けに行かなくちゃ」
「だけどよ、マッセンはフィンデン王国の軍隊に攻め込まれようとしてるんだぞ!」
両腕を振り回して、バルトロメウスは叫んだ。
「俺も行くぞ! 親父とお袋が危ないってだけじゃない。そんな危険なところに、おまえだけを行かせるわけにはいかねえ! 俺は、おまえのことを親父たちから頼まれてるんだからな」
「ありがと、お兄ちゃん」
兄を振り返り、ヴィオラートは微笑んだ。
「気持ちは嬉しいよ。でも、お兄ちゃんまでが行ってしまったら、あたしたちの留守中、誰がカロッテ村を守るの?」
「そ、それは――」
バルトロメウスが口ごもる。
「アイゼルさんはあたしと一緒に来てくれるそうだし、ロードフリードさんはハーフェンの竜騎士隊に知らせに行ってしまうでしょ? もし、その間に万が一のことが――カロッテ村が軍隊に攻め込まれるようなことがあったら、どうなるの?」
「だけどなあ・・・」
「お父さんやお母さんのことも心配だけれど、あたしはカロッテ村のことも心配なの。だって、大切な故郷だもの。あたしがマッセンに行くのだって、お父さんたちのこともあるけれど、向こうで起こっていることの謎を解いて、できるものならフィンデン王国を元通りの平和な国にして、最終的にはカロッテ村を守りたいからなんだよ」
ヴィオラートはきっぱりと言った。
「あたしは、故郷を――カロッテ村を守るために行くんだよ。ロードフリードさんも、ブリギットも、みんな気持ちは同じだと思うよ。行くのも残るのも、カロッテ村が大切だから――。でも、留守中、誰か信頼できる人が残っていてくれれば、もっと安心して行けるんだよ。だから、お兄ちゃんは残って、カロッテ村を守って」
「ヴィオ・・・」
「それに、村以外にも、お兄ちゃんには守ってあげないといけない人がいるんじゃないの?」
ヴィオラートは悪戯っぽい笑みを浮かべて兄を見つめた。
「ば、ばか、何言ってんだよ」
バルトロメウスはせき払いをした。
「あたしの留守中は、クラーラさんにお店番をお願いしておいたから、ちゃんと手伝ってあげてね」
「あ、ああ、まあな」
かごを背負うと、杖を手に、ヴィオラートは階段へ向かった。
肩を並べて階段を下りながら、バルトロメウスがぼそりと言う。
「なあ、ヴィオ・・・」
「ん、何?」
「おまえみたいな妹を持って、その・・・誇りに思うぜ」
「やだぁ、お兄ちゃんってばぁ!」
「うわっ!」
照れたヴィオラートが背中を突き飛ばすと、バルトロメウスはバランスを失って、そのまま階段を転げ落ちていった。(*5)
「まあ・・・。大丈夫ですか?」
ヴィオラートが留守中の店番をするためにカウンターに控えていたクラーラが心配そうに声をかける。
バルトロメウスは起き上がると、笑顔を作って、
「あ、いや、クラーラさん、階段を素早く下りるには、こうするのが一番なんですよ、ははは――あいたたた!」
「ふふ、変なバルトロメウスさん」
クラーラはくすくす笑った。
ベルが鳴ってドアが開き、数人の人影が入って来る。
「どう、出発の準備はできたかしら?」
すっかり旅支度を整えたアイゼルが尋ねた。後ろでは、カタリーナが落ち着いた表情で控えている。
(起ったことは素直に受け入れて、毎日を風のように生きていくだけよ・・・)
以前、カタリーナが言っていた言葉をヴィオラートは思い出した。
「俺たちは、もう出かけるよ」
大振りの剣を腰に差したロードフリードが静かな口調で言う。
「竜騎士の説得は、わたしたちに任せてくださって結構ですわ」
ブリギットの頬が心なしか紅潮しているのは、ハーフェンまでロードフリードとふたり旅ということもあるのだろう。
「はい、お願いします、ロードフリードさん」
ヴィオラートは笑顔を向ける。
「ブリギットも、気をつけてね。『失意の森』は、強い魔物も出るから」
通常、カロッテ村からハーフェンへ行くには、海沿いにファスビンダーまで北進し、そこから王国横断道を下るルートを取る。街道は整備されているし、危険も少ないが、その代わり時間がかかる。『失意の森』を突っ切るルートを使えば、危険ではあるが時間の短縮になるのだ。森を通り抜けるのに必要なアイテム(*6)は、ヴィオラートがロードフリードに渡してある。
「心配ご無用ですわ。ロードフリード様がいらっしゃるんですもの。それに、わたしだって――」
ブリギットは、ヴィオラートに正拳突きを見舞った(*7)。もちろん本気ではない。だが、彼女に武道の心得がある(*8)ことは、これまで共にしてきた冒険でわかっている。
「あはは、もちろん、信頼してるってば」
「当然ですわ」
ヴィオラートの言葉に、ブリギットはつんとあごを上げてみせた。
「でも、アイゼルさん、本当に一緒に来てくれるんですか?」
ヴィオラートがアイゼルに尋ねる。
アイゼルはこれまで、ザールブルグの師匠に送った手紙の返事が届くまでは行動を起こすべきではないと主張していた。ヴィオラートはそのことが心に引っかかっていたのだ。
「事情が変わったしね」
アイゼルは、ヴィオラートを安心させるように微笑んだ。
「ご両親が危ないとなったら、マッセンに行きたいというあなたを止めることはできないもの。マッセンへ行くには、どのみちフィンデン王国を通り抜けなければならないしね。それに――」
アイゼルは思いをめぐらすように小首をかしげる。
「考えてみれば、わたしの先生だったら、返事を寄こすなんて悠長なことをしないで、直接やって来ると思うわ。それも、カロッテ村へ寄らずに、直接メッテルブルグへ向かうという気がするわね」
「でも、そんなに遠くから来るには、時間がかかりますよ」
「ふふ、言ったでしょう、錬金術に不可能はないのよ」
(ヘルミーナ先生の場合は、特にね・・・)
アイゼルは心の中で付け加えた。
「それじゃ、行って来ます!」
心配そうに見送るバルトロメウスとクラーラに、ヴィオラートは元気よく叫んだ。
その時、ベルが鳴り、ドアが開いた。
「こんにちは〜。相変わらずスパッとしないお店だね」
入って来たのは、緑色の服を着て、同じ色の帽子をかぶった小さな男の子のような姿だった。
「あ、パウル」
ヴィオラートが声を上げる。
パウルは、ヴィオラートが初めて『失意の森』を通り抜けた時、途中にある『妖精の森』で出会った妖精だ。妖精は人間よりもはるかに長命だが、平和でのどかな種族で、人間の手伝いをしたり森で採れる産物を売り歩いたりして暮らしている。その中で、パウルはいっぷう変わった存在で、冒険に憧れており、ヴィオラートと一緒に旅をしたこともある。外見も普通の妖精とはいささか異なり、背中には身長と同じくらいの剣を背負い、熱血少年のような太く濃い眉毛が特徴的だ(*9)。
とことこと店の中央へ入ってきたパウルは、ひくひくと鼻を動かした。
「くんくん・・・。あれえ、するぜするぜ、冒険のニオイがするぜ!」
ヴィオラートに向き直る。
「お姉さん、これから冒険へ行くんでしょ? オイラにはわかるんだ。ねえ、オイラも連れて行ってよ!」
「あ、あのね、パウル。確かに旅に出るところだけど、これはいつもの冒険とは違うのよ。とっても危ないところへ――」
「大冒険だね! それでこそ、オイラにぴったりじゃないか。妖精最強の戦士、この強かっこかわいいパウル様の出番だぜ、イェ〜!」
今にも回転ダンスを始めそうだ。
「だけど・・・」
「連れて行きましょう」
アイゼルが静かに言った。
「アイゼルさん!?」
ヴィオラートが目を丸くする。
「何かの役に立つかも知れないしね。足手まといにもならないでしょう」
パウルはにっこりとアイゼルを見上げた。
「やったぁ! おばさん(*10)、ありがとう」
アイゼルの眉がつり上がり、頬がひくひくと引きつる。背後でカタリーナがぷっと吹き出した。
アイゼルはなんとか気を取り直し、しげしげとパウルをながめた。
「少し、言葉の使い方を覚えてもらわないといけないようね。それにしても、わたしもいろいろな妖精を知っているけど、こんな妖精、初めてだわ」
ヴィオラートに向かって言う。
「ほんとに、変な妖精ね。類は友を呼ぶのかしら?」
「へ、変――!?」
とたんに、パウルの顔色が変わった。
「オイラが変・・・。オイラが変・・・」
見る間に、大きな瞳が涙でうるむ。
「うわあああああああ〜ん!」
パウルは叫びながら飛び出していってしまった。
「あ、パウル!」
ヴィオラートがあわてて追う。
「やっぱり、変な妖精・・・」
それを見送って、アイゼルがつぶやいた。
こうして、ヴィオラートが村はずれで泣いているパウルを見つけ、「あなたは変じゃない」と説得するのに時間がかかったため、出発は一刻ほど遅れることになったのだった。
ヴィオラート、カタリーナ、アイゼル、パウルの4人からなる一行は、『大貫洞』へ向かう途中、ファスビンダーへ立ち寄った。
酒場でザヴィットと情報交換し、アデルベルトとラステルの様子を見るのが目的だった。
残念ながら、ザヴィットからはめぼしい情報は得られなかった。『大貫洞』方面からやって来る旅人がまったくいなくなったこと、北西部の山岳地帯で爆弾魔が出たらしいこと、それ以外はカナーラント王国内部に不穏のきざしは見えないこと――。
「爆弾魔ですって?」
アイゼルは眉をひそめたが、特に意見は言わなかった。
カタリーナとパウルを酒場に残し、アイゼルとヴィオラートは、アデルベルトの様子を見に2階の寝室へ向かった。
ラステルが付き添っていた。彼女の方は、すっかり健康を取り戻したように見える。ところが、アデルベルトは、巻かれた包帯が先日より増えており、顔中をぐるぐる巻きにされているし、片足をベッドの上に吊っている。
目を丸くするヴィオラートに、ラステルが苦笑しながら説明した。
「先日、やっと歩けるようになったの。アデルベルトさんったら、恩返しにザヴィットさんのお店を手伝うんだって言い張って、1階へ下りようとしたのよ。そうしたら、階段でつまずいて転げ落ちて、ぶつかった勢いでワイン棚が頭の上に崩れて来て――(*11)」
「はあ・・・」
アイゼルもヴィオラートも、あんぐりと口を開けるしかなかった。
これからフィンデン王国を通ってマッセンへ向かうことを告げると、ラステルは喜んだ。
「そう・・・。気をつけて行って。フィンデン王国をよろしくね」
「平和が戻ったら、すぐに迎えに来ますから」
「お願いよ。わたし、ここでお祈りしているわ」
ラステルは、サイドテーブルを見やった。
そこには、見たこともないような妙な形の物体が置かれている。両手で抱え込める程度の大きさで、金属の輪がみっつ組み合わされて立体的な球形を作っており、上下に丸い板が固定されて、安定して置くことができるようになっている。(*12)
「何なんですか、それ?」
ヴィオラートが尋ねる。ラステルは寂しそうに微笑んで、それを両手で包み、
「わたしの、お守りよ・・・。ユーディーが遺してくれた、たったひとつのものなの。形見――みたいなものかしらね。メッテルブルグを出る時、これだけは肌身離さずにいたの。無事にカナーラント王国へ来て、みんなに会えたのも、これのおかげなのかも知れないわね」
不意にドアが開き、パウルが飛び込んでくる。
「お姉さん、アブラムシなんか売ってないで(*13)、早く出発しようよ! オイラ、もう腕がチリンチリン鳴って、ガマンできないのさ!」
「まあ!」
ラステルが立ち上がる。ひざまずいてパウルの頭をなで、うっとりとつぶやく。(*14)
「こんなところにも、妖精さんがいるなんて・・・」
「うんうん、モテる男はつらいねえ。でも、オイラに惚れちゃあダメだぜ、ベイベ!」
得意げなパウルに、ヴィオラートもアイゼルも苦笑するしかない。
ラステルは、パウルが背負っている剣に目をとめた。
「あら、剣なんか持ってるのね。うふふ、変な妖精さん」
「ええっ! オイラが――変?」
たちまち、パウルの目に涙が盛り上がる。
「うわああああああ〜ん!!」
結局、飛び出して行ったパウルをヴィオラートが見つけて慰めるのに時間がかかり、出発は遅れることになってしまった。
『大貫洞』の中は、静まり返っている。
もともと通る旅人が少ない上に、今はフィンデン王国側が封鎖されているのだろう、誰とも行き会うことがない。出会うのは魔物ばかりだ。
だが、ゴーレムの集団だろうが、死霊の群れだろうが、4人の冒険者はひるまない。
「ロートブリッツ!」
アイゼルの杖から放たれる雷撃が金属の身体のゴーレムを打ち倒し(*15)、カタリーナの剣が止めを刺す。
「エンゲルスピリット!」
ヴィオラートの攻撃を受けた死霊は消滅し、アイゼルが投げる爆弾がぷにぷにの群れを一掃する。
「とぉーっ!!」
パウルが振り回す剣は、あまり役に立っていないようだ。ちょこまか戦場を動き回るのに飽きると、隅の方に引っ込んで昼寝(*16)をしていたりする。
「ほんと、変な妖精・・・」
アイゼルは、本人に聞こえないようにつぶやいた。
魔物が多い場所を無事に通過すると、あたりの静寂に影響されてか、みな無口になる。長時間の歩きに疲れたのか、パウルもおしゃべりをする元気がないようだ。
ふとヴィオラートは、隣を歩いているカタリーナの剣帯からなにかが下がっているのに目をとめた。彼女の長剣の柄と同じくらいの長さの筒型をした木だ。おぼろげに人の形が彫り込まれている。
「カタリーナさん、何なんですか、それ?」
「ああ、これのこと?」
カタリーナはそれを持ち上げて、ヴィオラートに示した。
「“マッセンの騎士”の木彫りの人形よ。まだ作り始めたばかりなんだけど」
「へえ、“マッセンの騎士”?」
「まだ話したことがなかったっけ?(*17) あたしが旅をしているのは“マッセンの騎士”を探すためなのよ」
「ふうん・・・」
そういえば、ファスビンダーで初めてカタリーナに会った時、人を探していると聞いたことはある。
「“マッセンの騎士”は、あたしの国の英雄なのよ」
人形をなでながら、カタリーナは語る。
「20年以上前――まだ、あたしが生まれる前のことだけれど、マッセンにたくさんの魔物が現れたことがあったの。首都のマッセンハイムも魔物に襲われてね、もうだめだとみんなが思った時に、突然現れたのが、勇敢なひとりの少年。彼は、すごい剣の腕の持ち主で、とうとう魔物の群れを追い払ってしまったのよ」
「へえ、すごいですね」
「その少年は、しばらくして姿を消してしまったそうよ。あたしは、小さい頃からずっとその話を聞かされて育ったから、どうしても彼に会いたくなってね。剣を習い始めたのも冒険者になったのも、みんな“マッセンの騎士”に影響を受けたためよ。西の方へ旅立ったという噂があったから、あたしもマッセンからは西に当たるこちらの国を旅しているってわけ」
「でも、どうして人形なんかを――?」
「ずっと旅して探しているうちにね、彼のイメージがあたしの中で固まってきたのよ。きっと今なら――、そうね、長身で、美しい黒髪をなびかせて、すっごく強い美形の騎士になってるはずよ」
「いや、そうとは限らないかも・・・」
「何よ、想像するのは自由じゃない」
カタリーナは横目でにらんだ。
「それでね、そのイメージを形にしたくて、適当な木材を拾って、暇を見つけて彫っているのよ。ひとりで野宿する時の時間つぶしにもなるしね」
「もし、その人に会えたら、完成品をプレゼントとかするんですか?」
「う〜ん、そんなこと、考えてみたこともないわね。これを彫るのは、あくまで自分のためよ。でもね――」
カタリーナは正面を見すえて、言葉を続ける。
「もしかしたら――って思うのよ。マッセンの国が危機に陥っている今、“マッセンの騎士”が国を救いに戻って来てくれるんじゃないかってね」
「そうなったらいいですね」
その時、先頭を歩いていたアイゼルが振り返った。
「そろそろ出口が近いみたいね。準備をした方がいいわ」
4人とも足を止める。パウルは疲れたのか、その場にぺたんと座り込んだ。
「あちら側の様子は、想像するしかないけれど、おそらくフィンデン王国の騎士隊が封鎖しているとみて間違いないわね」
カタリーナがうなずく。
「そうね。目的は、たぶんラステルさんたちのような国外逃亡者を取り締まるためだと思うけど、当然、フィンデン王国へ入ろうとする旅人も――」
「捕まって、拘束されるでしょうね」
アイゼルは答えて、小物入れから指輪を取り出す。何の飾りもないシンプルな金属の指輪だ。
「見つからずに通り抜けるのが一番ね。これを付けてちょうだい」
「何ですか、これ?」
「あ〜あ、ダサイ指輪だね。これじゃあ、ナウなヤングにはウケないよ」
かん高い声でパウルが言う。パウルをにらみつけて、アイゼルは続ける。
「『ルフトリング』(*18)よ。ご覧なさい」
言うと、アイゼルは指輪をはめる。
「え?」
「あれえ!?」
アイゼルの姿はかき消えた。
「どう?」
何もない空間から、アイゼルの声だけが聞こえる。
「ふうん・・・。気配は消えないのね」
カタリーナは平然と言う。あまり驚いていないようだ。
「これはね、身に着けた人の姿を一時的に見えなくするアイテムなのよ。効果は長い時間は続かないけれどね」
再びアイゼルが姿を現す。
「でも、オイラには大きすぎるよ」
パウルが言う。確かに、人間の指に合わせて作られているので、妖精にはぶかぶかだ。
「仕方がないわね。指を通したら、しっかり押さえて外れないようにするのよ」
「でも、姿を消したらお互いの姿も見えなくなっちゃいますよね」
ヴィオラートの言葉に、アイゼルは肩をすくめた。
「それは仕方がないわ。とにかく、バラバラになってもいいから、騎士隊の封鎖線を突破することよ。かれらの目が届かない場所へ着いたら、街道脇の森の中で集合するしかないわね」
「まあ、あたしは気配でわかるから、ついていくわ」
「あ、でも、カタリーナさんが気配でわかるなら、騎士隊にもわかってしまうんじゃ・・・」
「たぶん、大丈夫だと思うわ。並みの騎士なら、ごまかせると思う。ザールブルグで、わたしの友達がこれを付けてお城に忍び込んだことがあるのだけれど、気付いたのは騎士隊長だけだったそうよ(*19)」
「ふうん、カタリーナさんって、すごいんだ」
「さあ、それじゃ、行きましょう。姿は見えなくても実体はあるんだから、騎士にぶつかったりしないようにするのよ」
しばらく進むと、明るい陽光が差し込むのが見えてくる。『大貫洞』の東口だ。
「いい、行くわよ」
アイゼルの合図で、一斉に指輪をはめる。一瞬で、『大貫洞』から人影は消え失せた。
案の定、洞窟の外では、青い鎧を着た数人の騎士が見張りに立っていた。
周囲の森からは馬のいななきが聞こえ、なにかを調理する煙も漂ってくる。かなりの人数が野営しているようだ。
ヴィオラートは足音を忍ばせて、騎士の立っている脇を通り抜ける。姿は見えないはずなのに、つい物陰に隠れたくなってしまうのは仕方ないことなのだろう。他の3人の姿は見えない。カタリーナと違って気配に敏感ではないので、他の3人がどこにいるのかわからないのが不安だ。
アイゼルもカタリーナも、無事に騎士の傍らを抜ける。だが、冒険に慣れていないパウルは、そうはうまくいかなかった。もともと開放的な性格の妖精族には、こそこそするのは苦手だったのかも知れない。
「あいた!」
ヴィオラートの背後で、小さな叫びがあがる。
パウルが石につまずいて、転んだのだ。その拍子に、ぶかぶかだったパウルの『ルフトリング』が外れ、ころころと転がる。
「わっ!」
「どうした!?」
いきなり道の真ん中に現れた姿に、一瞬、肝をつぶしたようだが、騎士たちはすぐに気を取り直し、パウルを取り囲む。
「何だ、こいつは?」
「ガキじゃないか。でも、剣を持ってるぞ」
「かまわん、侵入者は侵入者だ、ひっとらえろ!」
パウルは起き上がると、剣に手をかける。
「出たなあ、悪者どもめ! 妖精最強の戦士、パウル様が成敗してやるぞ、覚悟しろぉ!」
「けっ、何を言ってやがる」
騎士のひとりにひょいと襟をつかんで持ち上げられ、パウルは足をばたばたさせてもがく。
「こらあ、持ち上げるなんて卑怯だぞぉ、正々堂々と勝負しろ!」
「おい、黙らせろ」
別の騎士が、剣の柄で殴りつけようとする。
「やめなさい!」
背後から声が上がり、騎士を火の玉が襲った。
「うわあ!」
「何者だ!?」
一斉に剣を引き抜いて、騎士たちが向き直る。
「お姉さん!」
騎士の手が離れて地面に落ちたパウルは、もがいて起き上がろうとする。
空間がゆらめき、指輪の効力が切れたヴィオラートの姿が現れる。
「こいつは――!?」
「あの時の魔女だ!」
先日、洞窟の中で戦った相手が混じっていたようだ。騎士のひとりが呼子を吹き鳴らす。
「ロートブリッツ!」
ヴィオラートの後ろから雷撃が騎士たちを襲う。
「さあ、ヴィオラート、逃げるのよ! パウルも早く!」
アイゼルが叫ぶ。カタリーナも姿を現し、剣を抜いて身構えている。
しかし――。
森の中から、わらわらと青光りする鎧姿の騎士たちがわき出て来た。その数、およそ20人。
「侵入者め!」
「わがフィンデン王国を狙う者に天罰を!」
「敵襲! 敵襲!」
口々に叫びながら、騎士団が迫る。
「ターフェルルンデ!」(*20)
恐れ気もなく切り込むカタリーナの一撃に、たちまち数人の騎士が倒れる。
「シュラオプストック!」(*21)
アイゼルの杖から放たれた火の玉が、騎士の鎧を焦がす。
「え〜い!」
ヴィオラートも負けじと、かごから取り出した爆弾を投げつける。
「待て!」
背後から声がかかる。
「お姉さん、助けて〜」
振り向いたヴィオラートの目に、騎士のひとりにぶら下げられ、剣を突きつけられたパウルの姿が飛び込んでくる。
「パウル!」
「このガキを助けたかったら、武器を捨てるんだ」
「くっ」
カタリーナがくちびるをかむ。
「騎士の癖に、なんて卑怯な――!」
カタリーナは、仕方なく円月刀を投げ捨てた。
アイゼルもヴィオラートも、杖から手を離す。パウルの命には代えられない。
あっという間に、3人は取り囲まれてしまう。
「ひっとらえろ」
騎士隊のリーダーらしい男が、氷のような口調で言う。
「抵抗したら、切り捨てても構わん」
「アイゼルさん――」
ヴィオラートは、頼りになる先輩を見やる。
「進退きわまった・・・かしらね」
ヴィオラートに顔を向けたアイゼルの表情は厳しい。
無表情に、騎士たちがずいと一歩を踏み出す。
その刹那、あたりの空気が変わった。
騎士たちが、凍りついたように動きを止める。ぴくりとも動かない。
ヴィオラートは周囲を見回そうとしたが、身体がしびれ、首を動かすこともできない。声を出すこともできず、茫然とアイゼルを見つめるだけだ。
アイゼルも状況は同じだった。エメラルド色の目を大きく見開き、ヴィオラートを見返している。カタリーナも同じだ。騎士にぶら下げられたパウルも、騎士ともども完全に身体が麻痺してしまっている。
頭上をなにかの影がよぎるのを、アイゼルは感じた。そして、誰かが地面に降り立つ音。
本人の姿が視界に入ってくる前に、アイゼルは相手が誰かわかっていた。
「ふふふふふ、しょっぱなから、にぎやかな場面に来合わせたものね。面倒だったから、『冥土みやげ』(*22)をまとめて使ってしまったけれど」
黒の錬金術服に濃紺のローブ姿で『空飛ぶじゅうたん』から降り立ったヘルミーナは、腕組みをして、数年ぶりに会う弟子をしげしげとながめた。
「久しぶりね、ふふふ。それにしても、アイゼル・・・あなた、太った?(*23)」