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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第9章 はちの巣と謎(*1)

再び、マルローネとクライスは深い森の中をさまよっていた。
崩落した洞窟を逃げ出した後、何日かを森で過ごし、人里へ下りる道を探している。
「まったく、あの時どうして逃げ出しちゃったのよ? せっかく道がわかると思ったのに」
密生した下生えをかき分けて進みながら、マルローネがぼやく。
「ひとのせいにしないでください。あなたも一緒にすっ飛んで逃げたじゃないですか」
髪の毛や眼鏡のフレームにからみついた蜘蛛の巣を払いのけながら、クライスがにらむ。マルローネはぺろりと舌を出した。
「そりゃあねえ・・・。騒ぎを起こすと本能的に身体が逃げ出しちゃうのよ(*2)、あはは」
気遣わしげに背後を振り返る。
「あの騎士さん、無事だったかなあ」
「そう思うなら、戻って確かめてみたらいかがですか」
「やだよ、きっと怒ってるもん。不可抗力とはいえ、遺跡を壊しちゃったし」
「どこが不可抗力ですか」
「ねえ、それより――」
マルローネはまじめな顔でクライスを見やる。
「あの人、ここはカナーラント王国だって言ってたよね。そんな名前の国、聞いたことがないんだけど」
「やれやれ、あなたは地理の授業をまじめに受けていなかったようですね。無理もありませんが」
「何よ、そのばかにしたような目は。じゃあ、あんた、知ってるって言うの?」
「シグザール王国が、ストウ大陸の西部にあることは、ご存知ですよね」
「あったりまえよ」
「では、ストウ大陸の東側は何と呼ばれているか、知っていますか」
「知らない」
「アカデミー図書館の蔵書で読んだことがあるだけですが、そこはグラムナート地方と呼ばれています」
「ふうん、それで?」
「グラムナート地方には、いくつかの国があります。もっとも大きいのはフィンデン王国という国ですが、カナーラント王国はフィンデン王国の南西にある小国ですね」(*3)
「へえ・・・。よく覚えてるわね」
「初歩的な知識ですよ。大したことではありません」
「別にほめてるわけじゃないわ。あきれてるのよ。つまらないことを、よく覚えてるなあって」
マルローネは空色の目をぐるりと回した。
「それで、そのカナーラント王国からケントニスに――いいえ、シグザール王国でもいいわ、とにかく、あたしたちになじみのある土地へ帰るには、どうすればいいの? どのくらいかかるの?」
「陸路は問題外でしょう。あのローラントという竜騎士が言っていた通りだとすれば、カナーラントの王都ハーフェンから、交易用の定期船が走っているはずですね。シグザール方面へ行く船もあるでしょう。それに乗れば――」
「うん、乗れば――?」
「本に書いてあった内容を信じるなら、ストウ大陸の南岸をぐるりと回って、だいたい半年から1年で帰り着くでしょうか」
「へ!? そんなにかかるの!? あたしたち、そんな遠くへ来ちゃったわけ?」
マルローネは目を丸くする。クライスは肩をすくめ、答える。
「いくら嘆いても、事実は曲げられませんよ」
「やったあ!」
マルローネの歓声に、慰めようと思っていたクライスは目をむいた。
「マルローネさん?」
「だって、あたしが作った『フェーリングじゅうたん』は、海と大陸をまるまる飛び越すパワーがあったわけでしょ? すご〜い、あたしってば天才!!」
「そういう方向へ考えが行きますか? 本当に、おめでたい思考回路を持った人ですね」
「ねえ、それじゃ、もう一度このアイテムを使って――」
「却下します」
クライスはにべもなくはねつけた。
「どこへ出るかもわからない危険なアイテムを使おうなんて、正気ですか? 今度は、海の底とか火山の火口の中とかに送られてしまうかも知れないのですよ」
「まあ・・・、それはそうね」
マルローネもしぶしぶ納得する。
「じゃあ、これからどうするの?」
「とにかく、山を下りることですね。ハーフェンへ向かいましょう。もしかしたら、途中に人里があるかも知れませんし」
「そうだね。いい加減、野宿も飽きたし。ちゃんとしたお風呂に入って、おいしい料理を肴に一杯きゅーっと・・・」(*4)
「ほとんど思考回路が親父ですね」
「うるさ〜い! ・・・ああ、そんなことを想像したら、お腹がすいて来ちゃったよ」
マルローネは手近な木のこずえを見上げる。
「木の実でも、なってないかなあ」
「ここからでは、見えませんね」
クライスも頭上を振り仰ぐ。
「こうすればわかるよ。えいっ!」
マルローネは、いきなり幹を蹴りつけた。
大枝小枝ががさがさと揺れ、握りこぶしほどの大きさのとげの生えたかたまりがいくつも落ちてくる。
「あいたた!」
クライスはあわててローブで頭をかばう。
「ほらね。やっぱり『うに』の木だったんだ」(*5)
得意そうに、地面に転がった実をマルローネが拾い上げる。『うに』の実は、ちくちくしたとげでおおわれており、投げつければ武器代わりになるが、とげの皮をむいてゆでれば、食用にもなる。
「これだけじゃ、物足りないね。よおし、もう1回!」
「ちょっと待ってください!」
マルローネが蹴りを入れる前に、クライスは身を避けた。
「え〜い!」
マルローネの体重を乗せた蹴りが、木肌に食い込む。振動が、幹から上方のこずえに広がり、大木の全体が揺れる。
そして――。
べきばきと枝が折れる音がし、巨大な影が葉叢を突き破って落ちてきた(*6)
下生えに大穴が開き、大地が震える。
「な、何・・・?」
灰色のかたまりは、むっくりと起き上がった。背丈も横幅も、人間の倍以上はある。
「これって――」
「クマです!」
クライスが叫ぶ。
ケントニス周辺やシグザール地方には、野生のクマはほとんど住んでいない。東部のストルデル滝の周辺に少数が生息しているだけで、性質もおとなしく人を襲うことは少ない(*7)。それ以外には、キャラバンで飼われていて、軽業などの見世物に使われている姿を見るのがせいぜいだ。それも、さほど大きくはない。
つまり、このように巨大なクマと顔を突き合せるのは、ふたりには初めての経験だった。
「あ、あの、ごめんなさい、お昼寝の邪魔をしちゃって・・・。あはは」
マルローネの愛想笑いも、凶暴なヤクトベアには通じるはずもない。
灰色の毛皮におおわれたクマは、前足を振り上げ、雄叫びをあげた。毛皮に残るいくつもの傷が、このクマが歴戦の強者だということを物語っている。狩人による矢傷や刀傷も混じっているだろう。それは、とりもなおさずこのクマが人間に深い恨みを抱いている証拠でもあった。
「逃げましょう!」
クマが行動に移る前にと、クライスはくるりと背を向ける。
「ああん、待ってよ、クライス!」
叫ぶのと一緒に、マルローネも脱兎のごとく駆け出した。
だが、クマは待ってくれる気はない。振り上げた前足を下ろし、四つ足の姿勢になった。これで追いかけられたら、人間の足では逃げ切れない。
巨体を揺らし、やぶを踏み分け、クマは猛然と追ってくる。
「ああん、だめだわ、追いつかれちゃう!」
「そんな――!」
「仕方ないわね!」
叫ぶと、マルローネはメガフラムを取り出し、振り返った。
「マルローネさん! 爆弾を使ってはいけません! 森の生態系に影響が――」
「生態系より、自分の命よ!」
クライスに言い返し、追ってくるクマに爆弾を投げつける。
「いっけえ〜!!」
壮大な火柱が立ち、轟音が森を揺るがす。
煙が晴れた後は、爆心地の木が数本、黒焦げになった無残な姿をさらしているばかりだ。クマの姿は跡形もない。逃げ出したのか、吹き飛ばされたのか、それとも焼き尽くされてしまったのか――。
「やれやれ・・・。相変わらず、無茶をしますね」
クライスは、あたりをうかがいながら、くすぶっている下生えの炎を踏み消していく。山火事を引き起こす危険は冒さない。
「でも、まあ、助かりました」
「あはは、ひとつ、教訓が得られたわね」
「おや、あなたにしては珍しいですね」
「カナーラント王国では、むやみに木を蹴ってはいけません(*8)――っと」
「日曜学校の子供の約束事みたいですね」
「いいじゃない、別に」
すまして言うと、マルローネは木々の間から斜面の下方を透かし見た。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
木々の間から、これまで森の中で目にしたことがない色合いがちらちらと見える。葉の緑とも、土の茶色とも違う、人工的な色彩だ。
「もしかして、村じゃない?」

森のはずれから見下ろすと、それは確かに小さな村だった。丸太を組み合わせて作られたと思われる平屋の家々が十数軒、こじんまりとかたまっている。
村の片隅に、なにやら金網で囲われた大きな木と小屋が建っている他は、目立つ特徴もなく、ごく普通の田舎の村に見える。牛の鳴く声が、のんびりと聞こえてくる。
「ねえ、早く行こうよ。酒場や宿屋もあるだろうし」
マルローネがせかす。早くも、熱い風呂とうまい酒と肴に心は飛んでいるようだ。
「そうですね。いろいろと情報を仕入れないといけませんし。でも、その前に――」
クライスは、落ち着き払った動作で乳鉢を取り出すと、先ほどマルローネが爆弾を炸裂させた現場から拾ってきた炭を砕き始める。
「何やってるの、クライス?」
目を丸くするマルローネに答えることなく、粉になった炭に今度は油を注いでいく。
「念には念を入れないといけませんからね」
「へ?」
作業を終えたクライスは、乳鉢に溜まった、どろりとした黒い液体を示した。
「即製の染料です。さあ、マルローネさんもこれで髪の毛を染めてください」
「何ですって!? いったいどうして?」
「変装のためですよ」
クライスは言って、眼鏡をはずしてポケットに収め、手を炭の液にひたして髪に塗りつけ始める。
「いいですか、私たちは、カナーラント王国が大切に管理している遺跡を破壊してしまったのです。しかも、騎士隊の人に顔を見られている・・・。犯罪者として手配書が回っていたとしても、私は驚きませんね」
「あはは、まさか。考えすぎだよ」
「私もそう思います。ですが、ここは異国ですからね。用心に越したことはありませんよ」
「でも、どうして髪を染めなきゃならないのよ?」
「もし手配書が書かれるとすれば、人相風体はこうなるでしょうね。――長い金髪で派手な服を着た女と、銀髪で眼鏡をかけた男・・・と。ですから、特徴となる部分を変えるのですよ。私は眼鏡をはずしますし、髪の色を変えます。できれば、あの村で別の服を手に入れたいところですね」
「あたしは、いやよ」
マルローネは腕組みして、つんと横を向いた。
「そんな、犯罪者みたいにこそこそしたくないもん」
「犯罪者じゃないですか」
「それにね、そんなすすくさくて油くさい代物を髪に塗るなんて、絶対にいやなの!」
「おかしな人ですね。いつも調合に失敗して爆発を起こして、すすまみれになっているじゃありませんか」
「それとこれとは、違うのよ!」
「そうですか・・・。まあ、無理強いはできませんが。その代わり、あなただけが捕まることになっても、恨まないでください」
自分の分の作業を終えたクライスは、マルローネを振り返る。
「どうですか?」
返って来たのは、マルローネの大笑いだった。
「ぷっ――、あはははは、黒い髪のクライスって、変!! まるで、なんか、ひねたエンデルク様の弟みたい。あははは――それに、眼鏡かけてないと、なんか、間が抜けて見えるし・・・。ひいい、助けて、笑いすぎて、お腹が苦しいよ」
確かにシグザール王国では、黒い髪の持ち主は珍しい。有名どころでは、王室騎士隊長のエンデルクくらいだろうか。(*9)
「そ――そんなに変ですか?」
鏡があっても見るのはやめよう、とクライスは思った。


さりげない振りを装って、村に足を踏み入れる。
クライスは緊張気味だが、マルローネはいつも通りだ。クライスの方を見ないようにしているのは、見ると笑いが止まらなくなってしまうからだろう。
「こんにちは〜、ここって、何という村ですか?」
広場でのんびりひなたぼっこをしている老女に、マルローネは愛想よく声をかける。
「あれまあ、知らんで来たのかね? ここはホーニヒドルフだよ」
「ああ! ここがあの有名な――! ありがとうございます」
あっけらかんと驚いてみせるマルローネを、クライスがあきれたように見つめる。
「あ、それで、酒場かなにか、ありませんか?」
老女はマルローネの返事に満足したらしく、にこにこして広場の反対側を指差す。
そこには、『泉亭』という看板が風に揺れていた。
かすかにきしむ木の扉を押し開けると、窓から差し込む陽光に照らされた店内が目に入る。外から見た印象よりは広い店内で、丸木を組み上げた壁は山小屋風だ。丸テーブルがふたつ置かれた先の正面のカウンターから、ひげ面の男が値踏みするような鋭い視線を向けてくる。彼がこの店のマスターなのだろう。
「いらっしゃい。見かけない格好の客だな。観光か? それとも登山か?」
低い、凄みの効いた声で、男が言う。にこりともしないが、別に客を脅す趣味があるわけではないようだ。これが地声なのだろう。
「あ、あはは、ええとね、長旅の途中なんだけど、この村の噂を聞いて、寄ってみたのよ。ここが、あの有名なホーヒンドルフなんでしょ?」
「ホーニヒドルフだ」
無愛想にマスターが訂正する。
「あ、そうね、ホーニヒドルフ、あはは」
マルローネは笑ってごまかし、カウンターに身を乗り出す。クライスは、ここは酒場慣れしているマルローネに任せることにして、隅の方に引っ込んでいる。
「ねえ、この村の名物のお酒ってないの?」
マルローネの言葉に、マスターはにやりと笑って棚からびんを取り出す。
「あんた、飲めるのか? なら、これを試してみな。名物のハチミツ酒だ」
「へ? ハチミツ?」
「ああ、この村のハチミツは王国一だ。ハーフェンでも高く売れているし、外国にも輸出されているんだぜ」
「あ、そうそう、ハーフェンよ!」
大事なことを思い出した、というように手を打ち鳴らして、マルローネが言う。
「ここからハーフェンには、どうやって行ったらいいの? どれくらいかかるの?」
「そうさな、一本道だが、くねくね曲がりくねっているから、おおむね10日はかかるだろうな」
「え、そんなに?」
マルローネはげんなりした声を出す。マスターはかすかに笑みを浮かべて、
「まあ、山道が続くから、かなりこたえるだろう。疲れているなら、一晩休んでいくんだな。今なら、2階のいい部屋が空いているぜ」
「ええ、お願いするわ」
ちらっとクライスを見やって、マルローネが言う。有無は言わせない視線だ。
「わかった。だが、部屋は夕方からしか入れないんだ。それまで、観光でもして来たらどうだ。名物の大バチの巣でも見てくるといい。土産話にできるぜ」
マスターは、窓から村の奥の方を指してみせた。
「うん、そうするわ」
マルローネは席を立つと、ひっそりと控えていたクライスをうながす。
「行こ、クライス」

ふたりが出て行ったのを見届けると、『泉亭』マスターのゼム・ローレンは、カウンターの下から一枚の紙を引っ張り出した。今朝、竜騎士隊ドラグーンの使いが来て、置いていったものだ。
紙を広げ、しげしげとながめる。
「ふん・・・。男の方はわからんが、女は間違いないようだな。金髪、腹を出した恥ずかしい格好――こんな女がカナーラント王国にふたりといるわけはない」
ゼムが目にしているのは、先日、国の重要遺跡を破壊したという悪質な爆弾魔の手配書だった。


「すごおい、何、これ?」
目を丸くし、口をあんぐりと開けて、マルローネはつぶやいた。クライスは何も言わない。実際のところ、変装のために眼鏡をかけていないので、目の前にあるものがよく見えないのだ。彼の目からは、大木から何やら大きな薄茶色のかたまりがぶら下がっているようにしか見えない。
そこは、先ほど森から見下ろした時にも目に付いた、村はずれにある金網に囲まれた場所だった。
樹齢何百年にも及ぶかという大木が立っており、その周囲にかなりの空間をおいて金網が張り巡らされている。そして、頭上、水平に伸びた大枝から下がっているのは、得体の知れない球形をした薄茶色のかたまりだった。その周囲を、激しい羽音をたてて、褐色やオレンジ色の大きな昆虫が飛び交っている。
金網の傍らで、直立不動で立っていた青年が声をかけてきた。
「君たちは、これを見るのは初めてか?」
「あ、はい」
こののどかな村には不似合いなほどきちんと服を着こなした青年は、グレゴールと名乗った。服装に似つかわしい堅苦しい口調で説明する。
「これは、キュクロスバチの巣だ。王国でただひとつ、人間の手で管理されている。この巣からは非常に良質のハチミツが採れる。おかげで、ホーニヒドルフはハチミツの街としてカナーラント中に知られているのだ」
「ふうん・・・」
「それと、200コール払えば、誰でも金網の中へ入って、蜂の巣を採取することができる。もっとも、キュクロスバチも激しく抵抗するから、へたをすると痛い目に遭う。だから、お勧めはしないがね」
「本当!?」
マルローネは目を輝かす。クライスは顔をしかめる。
「マルローネさん!」
「いいじゃない、やろうよ、クライス!」
マルローネは、勇んでかごの中をかき回す。
「ええと、200コールよね。200コール、200コールと・・・あれ?」
マルローネはきょとんとして、グレゴールを見た。
「あはは、ごめん、この国の通貨がないや(*10)。ええと、この銀貨じゃだめ?」
シグザール王国やケントニスで流通している銀貨を差し出す。
「ふむ、外国のお金か・・・」(*11)
グレゴールは受け取った銀貨をしげしげとながめ、手のひらに載せて重さを量り、コインの端をかじった。
「いいだろう。では、一瞬だけ、ドアを開けるぞ」
グレゴールは大きな鍵を取り出して、金網の一画に作りつけられた扉の錠をはずす。
「よし、行け」
「よおし、行っくよ〜!」
「やれやれ、仕方ありませんね」
わずかに開いた隙間から、マルローネとクライスは金網の中に滑り込んだ。
たちまち、気配を察知した蜂の群れが巣から飛び出してくる。ぶんぶんと激しい羽音が重低音の響きとなって、頭上に充満する。
「いっけえ〜!」
マルローネが振り下ろす杖から無数の火の玉が飛び、迫り来る蜂のひと群れを粉砕する。クライスも杖から雷光を放ち、マルローネの背後を守る。
「やったあ、隙あり!」
マルローネの頭上に密集していた蜂の群れがまばらになった。その隙に、マルローネはしゃがみこんで、地面に落ちている蜂の巣のかけらを次々と拾って、かごに投げ込んでいく。
「よし、この辺でいいか」
「た、助けて――、マ、マルローネさん・・・」
背後から、クライスが情けない声をあげる。
「へ? クライス?」
振り返ったマルローネの目に、蜂の集中攻撃を受けているクライスの姿が飛び込んでくる。親指ほどもある大きな蜂がクライスの周囲に群がり、威嚇的な羽音をたてて飛び回る。クライスは必死に杖を振り回しているが、何ヶ所か刺されているようだ。
「クライス、伏せて!」
叫ぶと、クライスが伏せるのも待たず『星と月のソナタ』を放つ。火球で蜂が追い散らされた隙をついて、ふらふらのクライスを引きずるようにしてドアから飛び出す。
「はあ、はあ・・・」
グレゴールがドアに錠を下ろすと、マルローネは大きく息をついた。クライスは、うずくまったまま、立ち上がれない。
「ひ、ひどい目に遭いました・・・。やはり、マルローネさんといると、命がいくつあっても足りませんね」
早くも、クライスの額やあごが、赤く腫れ始めている。
「塗っておけ。特効薬だ。刺されたのが初めてならば、効くだろう。私には、もう大して効き目はないが・・・」
グレゴールがポケットからガラスびんを出して差し出す。
「な、なぜなんですか・・・。あの蜂は、私ばかりに襲いかかって来たのですが・・・」
「そりゃそうよ、だって、日ごろの行いが違うもんね」
「説得力がありません」
「理由ははっきりしている」
グレゴールが冷静な口調で言い、マルローネの豊かな波打つ金髪と、クライスの黒く染めた髪を見比べる。
「蜂には、黒いものを襲う性質がある(*12)。ひとりが金髪、ひとりが黒髪なら、黒髪の方が集中的に襲われるのは明らかだ」
「へえ、そうなんだ」
マルローネがにんまりと笑みを浮かべて、へたに変装なんかするからよ、だから言ったじゃないというようにクライスを見る。クライスは薬を塗りながらせき払いして、グレゴールをにらむ。
「だったら、最初に忠告してくれてもいいではないですか」
「すまない。忘れていた」
大真面目な顔でグレゴールが謝る。
薬が刺し傷にしみるのか、うめき声をあげているクライスを顧みることなく、マルローネは金網の中で怒り狂って飛び回っている蜂の群れを見つめ、なにやら考え込んでいる。やがて、空色の瞳が輝き、笑みを浮かべて大きくうなずいた。
その時、家並みの方から小柄な人影がとことこと現れた。
「ちょっと、グレゴール!」
ピンク色のかわいらしいワンピースを着て、髪を同じ色のリボンで束ねた童顔の若い女性は、腰を手を当てて早口でまくしたてる。
「今日の分の蜂の巣が、まだ庫入されてないわよ! それに、在庫整理も手伝ってくれるって言ってたじゃないの! 早くしてよね!」
「あ・・・、ルディ、わかったよ。今、行く」(*13)
グレゴールは背筋をしゃんとさせて答えると、クライスとマルローネに一礼して、すたすたと歩み去るルディの後を追って小走りに去った。
「あらら、尻に敷かれてるわねえ」
マルローネが無遠慮に言う。グレゴールの後姿を見送るクライスの眼差しは、同志に無言の応援を送っているかのようだった。

その夜は、『泉亭』でゼムの心づくしの料理を堪能し、芳醇なハチミツ酒にすっかりいい気分になって、マルローネとクライスは寝室に引き取った。
ゼムが食後に「おごりだ」と言って飲ませてくれたワインがだめ押しになったようで、クライスもマルローネも睡魔に襲われ、ベッドに倒れこむとそのまま寝入ってしまう。
狭い宿なので、寝室はそれぞれ個室というわけにはいかなかったが、ベッドはついたてで隔てられている。もっとも、クライスには不埒なことをしようという意図も度胸もなかったし、マルローネはそのようなことは考えもしなかったから、たとえベッドが並んでいたとしても、問題はなかったかも知れない。
翌朝、小鳥がさえずる声が耳に届いて、マルローネは目を覚ました。
(あれ、どうしたんだろう・・・? 身体が動かない――)
マルローネは、異変を感じてぱっと目を開く。
「何よ、これ――!?」
両手は後ろ手に縛られ、脚も膝と足首のところでしっかり紐でくくられている。
「まさか――、クライス!?」
クライスが変な考えを起こして、寝ている間に彼女の身体の自由を奪ったのでは――!?
それ以上のことは、想像したくない。
だが――。
ベッドを隔てるついたての向こうから、クライスの怒りを含んだ声が聞こえてくる。
「マルローネさん! あなたの仕業ですか? 寝ている間にひとを縛り上げるなんて、変ないたずらは――」
「クライス? あんたもなの?」
「ふふふ、お目覚めかね?」
戸口のところから、聞き覚えのある声がした。口調からは満足の響きが感じられる。
「その声は――?」
首を曲げて見上げると、竜騎士のいでたちをしたたくましい姿が見えた。
その後ろに、マスターのゼムも立っている。
「マスター、通報ならびに協力に感謝する」
ローラントが言った。
「さては――!? マスター、お酒に一服盛りましたね?」
クライスがいまいましそうに言う。
「ふん、俺の店でもめごとはごめんだからな。それだけだ」
ゼムはくるりと背を向けて、階下へ下りていった。
「さて・・・」
ローラントは、笑みを浮かべて捕われ人を見下ろす。
「ついに見つけたぞ、爆弾魔め! おまえたちの杖や荷物は、既に没収させてもらった。抵抗しようとしても、無駄だからな」
「こんな格好で、抵抗できるわけないじゃないの!」
「まあ、念には念を入れろということだ。爆発物不法所持ならびに重要文化財損壊の容疑で、逮捕する」
「ああん、もう! なんでこんなことになっちゃうのよ!」
くやしがるマルローネに、クライスが冷ややかに言った。
「だから言ったじゃないですか」


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