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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第12章 その果てにあるものは(*1)

『ユーディットが飼っていたオウムの名は?』――『フィンク』
当事者以外には意味がわからない謎の問答によって、ヘルミーナは身元確認されたようだった。
シュルツェ一家の“私設平和維持部隊”(*2)――と、リーダー格の男は名乗った――にエスコートされて、ヘルミーナ、アイゼル、ヴィオラート、カタリーナ、パウルの一行は、『萌芽の森』の迷路のような木立の間を抜けて、アルテノルトの街へ向かう。
「街道にはフィンデン騎士団の連中がうろついてるから、こっちを行けば安全だ。この森の中の道なら、やつらに知られずに行き来できるってわけだ。あいつらの目は節穴だからな」
案内しながら、男は言った。
「あの・・・、シュルツェ一家って?」
歩きながら、アイゼルは先ほどから心に引っかかっていた質問をヘルミーナにぶつけた。
「ああ、あなたが知ってるわけはないわね、ふふふ。シュルツェ一家は、アルテノルトを根城にしている名の通った盗賊一家よ。フィンデン王国の裏社会の元締めといったところかしら? ふふふ、少なくとも、あたしが旅していた頃はそうだったわ」
ヴィオラートも、興味しんしんといった様子で耳を傾けている。
「はあ・・・。それで、クリスタさんというのは?」
「シュルツェ一家の一人娘よ――と言っても、あたしと歳は変わらないけど(*3)。あの頃、グラムナートで冒険していたお仲間のひとりというわけね。彼女は“盗賊の娘”という色眼鏡で他人から見られるのを嫌がってね。そりゃあそうさ、地元のアルテノルトでは王女様扱い、他の街へ行けばならず者として後ろ指をさされる(*4)。あの娘自身は、まっとうな人間だったからね。家を出てクリスタ個人として人生を切り拓いていきたいって言ってた(*5)。それが、どこをどう間違って、大姉御なんて呼ばれるようになったんだか――」
「言っとくが、大姉御はまっとうなお方だぞ」(*6)
先頭にいたリーダー格の男が振り返って言った。
「先代が病気で倒れられた後、シュルツェ一家はつぶれそうになったそうだ。だが、旅から戻って来て家を継ぐと(*7)、大姉御はシュルツェ一家を1年で立て直しちまった。それも、いい方向にな。あくどい手段で私腹を肥やしていた子分どもはみんな追い出して、ちゃんとした連中だけを残した。――まあ、ちゃんとした盗賊ってのも妙な言い方だけどよ」
「クリスタなら、当然そうしただろうね、ふふふ」
「ああ、それ以来、シュルツェ一家は変わった。襲うのは、あこぎなやり口で庶民の命金を吸い上げてる商人どもや悪徳高利貸しだけだ。悪質な盗賊や魔物の討伐もやってる。頼まれれば市民の護衛もするしな」
「ふふふふ、義賊ってわけね」
「呼び方は関係ねえよ。そんなふうな渡世を送ってたところへ、今回の騒ぎだ。相手が王様だろうが騎士だろうが、世の中の平和を乱すやつは放っておくわけにはいかねえ。シュルツェ一家の出番ってわけだ。知らない奴らは俺たちのことを盗賊一家と呼ぶさ。だがな――」
男は胸を張る。
「俺は今、心底シュルツェ一家に入って良かったと思ってるぜ」

アルテノルトの街は、フィンデン王国の北東部にある。周囲を山と森に囲まれ、街自体も山の斜面にへばりつくように建っている。
街の名前からもわかるように、アルテノルトは女神アルテナ信仰の中心地でもあり、街の奥の広場には石造りの巨大なアルテナ像が立っている。フィンデン王国の各地や異国の街からも、敬虔なアルテナ信者が老若男女を問わず巡礼に訪れる。アルテノルトが「聖地」と呼ばれる所以である。
一方、街の西にそびえるファクトア山には広大な古代遺跡(*8)があるため、そこで宝物を掘り当てて一攫千金を目指そうという冒険者やトレジャーハンターも全国から集まって来る。かれらを目当ての酒場や武器屋、宝物を買い取る怪しげな骨董屋なども多く、街への人の出入りは激しい。行き来する冒険者には気性の激しい連中も多く、いさかいが絶えない。
だが、今のアルテノルトは行き来する人もまばらで、普段のにぎわいからは想像できないほど静まり返っている。
原因は、街角や広場のそこここに立ってにらみを効かせている青い鎧に身を包んだ騎士たちだった。フィンデン王国神聖騎士団の4個分隊が、アルテノルトの街に駐屯している。かれらは市民の行動をこと細かに監視し、些細なことでも厳しく取り締まって、治安を守っている――と本人たちは主張している。その結果、住民はすべて家に閉じこもり、必要な時以外は外に出歩こうとしない。
だが、アルテノルト市民はメッテルブルグの住人に比べれば、まだ恵まれていると言えた。
騎士の横暴を恐れて外に出られず、食べ物がなくて困っている母子家庭には、朝になると必ず戸口の外に差し入れが置かれている。市民を理不尽ないじめに遭わせた騎士は、後で必ず何者かに袋叩きにされ、騎士隊の必死の捜査にもかかわらず犯人は決して捕まらない。
少なくともアルテノルトでは、シュルツェ一家の方が騎士団よりも一枚も二枚も上手なのだった。
シュルツェ一家の屋敷は街外れの奥まった場所にあり、森に囲まれてひっそりと建っている。敷地の広さといい、建物の大きさといい、屋根や壁、庭を飾る装飾といい、メッテルブルグの大貴族の邸宅と比べても遜色がない。
そのシュルツェ一家の屋敷の裏手の森から、ヴィオラートたちは地下に掘られた通路を伝って屋敷内に招じ入れられた。土を掘り抜かれた地下通路はしっかり板で支えられ、ところどころに吊るされたランプで照らされている。空気抜きの穴も作られているようだ。
「この秘密の通路も、やつらにゃバレてねえ。元はと言えば、先代が急な手入れに備えて掘った脱出用の抜け穴だったらしいが」
説明するリーダーに、ヴィオラートが尋ねる。
「でも、バレちゃったらどうするんですか?」
「そんときゃ別の通路を使うまでよ。まさか抜け穴がこれひとつだと思ってるわけじゃないだろ?」
リーダーはこともなげに答えた。
「はあ・・・」
「ふふふ、まるで要塞だね」
「本当ね。これなら大人数で攻め込まれても、手練れの戦士が何人かいれば防ぐことができるわ」
カタリーナが剣士らしい感想をもらす。
屋敷の地下倉庫に作られた隠し扉を抜ける。一行が通ってしまうと、すぐに扉は穀物の袋やわら束でふさがれた。
階段をいくつも上り、風景画や人物画で壁が飾られた長い廊下を抜け、しゃれた小部屋へ通された。壁には高級そうなドレスを着た女性の等身大の肖像画がかかり、暖炉には大きな薪がくべられてぱちぱちと炎を上げている。
テーブルにはティーセットが用意されている。ヴィオラートと同い年くらいのメイドがカップにハーブティを注いで一礼して去ると、部屋にはヘルミーナたちだけになった。
「ふふふ、とりあえず一服しようじゃないの」
テーブルの周囲に置かれた大きめの椅子にゆったりと腰を下ろす。
「ふう・・・。こういう上等なお茶は久しぶりだわ。カロッテ村のお茶は、なんとなくにんじん臭くって」
アイゼルが上品にお茶をすする。ヴィオラートは、
「どうしてですか、アイゼルさん。にんじん茶(*9)って、おいしいじゃないですか」
とぶつぶつ言いながらカップに口をつける。
「なんかスパっとしない飲み物だなあ。シャリオミルクをたっぷり入れなきゃ、ナウなヤングにはウケないぜ」
パウルはかん高い声で言いながら、両手でカップを抱え込んで息を吹きかけて冷ましつつ、ちびちび飲んでいる。
「風味は全然違うけれど、このお茶もおいしいし、カロッテ村のお茶もおいしいわ。大地は清水をはぐくみ、人はそれを命の糧とする・・・(*10)。その時その時、口にできるものそのまま受け入れて感謝を捧げれば、何でもおいしいと感じることができるわ」
落ち着き払ったカタリーナは、左手でカップを持ち、椅子には浅く半身で腰掛けている。
不意に、カタリーナの目が光った。
「そこ!」
椅子が倒れる音と共に、閃光のようにカタリーナの剣が鞘走り、壁の肖像画に突きつけられる。
「どうしたんですか!?」
ヴィオラートがすっとんきょうな声を上げる。アイゼルも杖に手を伸ばした。ヘルミーナは相変わらずゆったりとお茶をすすっている。パウルは驚いて椅子から転がり落ち、カップのお茶を頭からかぶって目を白黒させている。
「ははは、悪い悪い。剣は引っ込めてくれて大丈夫だよ」
肖像画の後ろの壁から、くぐもった声が響く。
「わ、肖像画がしゃべった!?」
ヴィオラートが目を丸くする。
「ばかね、そんなわけないでしょ」
事情を察したアイゼルがたしなめる。カタリーナは剣を引いたが、油断のない構えは崩さない。
バタン、と音がして絵が壁ごと回転し、その影からひとりの小柄な女性が姿を現した。すらりとした身体にぴったりついた活動的な衣服を身を包み、短く切り揃えた髪は少年のようだ。顔つきは若々しく、大きな瞳に面白がっているような表情を浮かべている。
「脅かしちゃって、ごめんよ。だけど、あの質問の答えを聞いても、自分の目で確かめるまで信じられなかったものだからね」
カタリーナを見やり、
「あなた、プロだね。あたしの気配に気付くなんて、大したもんだよ。それに、お茶を飲んでいても、すぐに動ける姿勢を崩さず、いつでも剣を抜けるように右手を空けていた。うちに来る気があるなら、歓迎するよ。うちはいつも人材不足なんだ」
カタリーナは軽く一礼して、剣を収める。
そして女性は腰に手を当て、ぐるりと室内を見回す。
「あたしが、ここの主、クリスタ・シュルツェだ。シュルツェ一家にようこそ」
「ふふふ、相変わらずだね。しかし、あんたが大姉御とはね」
ヘルミーナが立ち上がる。上から下までしげしげとながめたクリスタがつぶやく。
「ヘルミーナ・・・あなた、変わらないね」
「ふふふふ、相変わらず美しいって?」
「違うよ。20年以上経ったっていうのに、怪しさ不気味さは変わらないってこと。いえ、ますます磨きがかかったと言ってもいいわね」
ヘルミーナの後ろで、アイゼルがうんうんとうなずく。
「でも、会えて嬉しいよ。こんな時でなければ、街を上げて大歓迎してあげるところなんだけどね」
「いいや、こんな時でなければ、わざわざグラムナートくんだりまで来ようとは思わなかっただろうね」
クリスタが顔をくもらす。
「そうか・・・。やっぱりね。でも、ということは、あなたの国までフィンデン王国の噂が流れているってことかい?」
「それはちょっと違うね、ふふふ」
ヘルミーナは、連れを簡単に紹介していく。
「あたしの弟子のアイゼル。あたしをここに呼び寄せた張本人よ」
「アイゼル・ワイマールです。よろしくお願いします」
アイゼルは、優雅に一礼した。クリスタも完璧な貴族の礼で返す。
「ふうん、貴族の出の錬金術士もいるんだね。それにしても、ヘルミーナの弟子だなんて・・・あなた、いい度胸だね」
「ええ・・・まあ・・・」
ヘルミーナににらまれ、アイゼルは言葉を濁した。
「後はよく知らないから、名前だけにしとくよ。ヴィオラートにカタリーナだ。それと、おまけがひとり――」
まだ床にぺたんと座り込んでいるパウルを見やる。
「オイラ、強かっこかわいい妖精最強の戦士パウルさ、よろしくな!」
しゃんと立ったパウルが、ぺたぺたとクリスタに歩み寄り、ふんぞり返って言う。クリスタはぷっと口に手を当て、
「あはは、この近くのファクトア神殿にも妖精さんがいる(*11)けど、この妖精さんは違うみたいね。ほんとに――」
「あ、言っちゃだめです!」
ヴィオラートの警告は、今度も間に合わない。
「変な妖精さんだね」
「うわああああああ〜ん!」
泣きながら部屋を飛び出して行ったパウルを探すのに、屋敷中の使用人がかり出されることになったのだった。


「そうか・・・。ラステルは無事だったんだね。よかった」
アイゼルから、ラステルとアデルベルトに出会った顛末を聞き終わると、クリスタはほっとしたような表情を浮かべた。
「彼女をアルテノルトに避難させようと、メッテルブルグにうちの連中を送り込んだんだが、その前に姿を消しちゃってたんで、やつらに捕まったんじゃないかと心配してたんだ」
部屋の隅では、まだ丸くなっていじけているパウルをヴィオラートがなだめている。
「ふふふふ、それじゃ、そろそろ、フィンデン王国がどうなっているのか聞かせてもらおうじゃないの」
腕組みをしてヘルミーナが言う。うなずいたクリスタは、
「うん、あなたがうちへ来たのは正解だよ。自慢じゃないが、シュルツェ一家の情報網は王国一だからね。王室と騎士団がおかしくなったという知らせが入るとすぐ、あたしは配下をフィンデン王国の主だった街に送り込んだんだ。昔のコネもいろいろあるしね」
と意味ありげにヘルミーナを見やる。
「なるほどね、ふふふ」
クリスタが言うコネクションとは、その昔、一緒にフィンデン王国中を旅して回っていた頃に知り合った冒険者たちのことだとヘルミーナにはわかっている。
暖炉に歩み寄ると、クリスタは傍らのマントルピースに置かれたベルを鳴らした。
間をおかず、大きな丸めた紙を抱えた男が現れる。『萌芽の森』から一行を連れて来た、あのリーダー格の若者だ。
クリスタの指示で、紙をテーブルに広げる。それはフィンデン王国の地図だった。ヘルミーナが持参してきたものよりも、はるかに細かく地勢が描かれている。
地図の四方に重しを置き、出て行こうとする男をクリスタが呼び止める。
「ちょっと待ちな」
ヘルミーナを振り向き、
「正式な紹介はまだだったろう。ボーラー・クヴェレ・ユーニア(*12)だ」
男は黙って一礼した。ヘルミーナが眉を上げる。
「なるほど・・・。道理でどこかで見たような顔だと思ったよ」
「一人前の男になるよう鍛えてくれと、親父のボーラーに頼まれてね。何年か前から預かっているんだ。なかなか頼りになるやつだよ」
ボーラー・クヴェレはボッカム山の中腹にある鉱山と鍛冶の街プロスタークで、溶鉱炉の管理人をしていた男だ。付近に出没する魔物退治や商人たちの護衛もしていたため、ヘルミーナも何度か一緒に旅をしたことがある。今、目の前にいる若者は、その息子だというのだ。(*13)
「他にも引き合わせたいやつは何人かいるけど、すぐにはここへ来られないようなんでね」
ボーラーの二代目が出て行くと、クリスタは地図の前にどっかと座り込んだ。
「さて、それじゃ、現在の状況を説明するとしようか」
ヘルミーナ、アイゼル、カタリーナ、そしてパウルを抱いたヴィオラートもテーブルを囲む。
「王都メッテルブルグは、完全に王室と騎士団の支配下にある。商工ギルドも金融ギルドも、その他の中小ギルドも全部、資産を差し押さえられて骨抜きだ。ギルドの幹部も軒並み王室の息のかかった連中にすげ替えられてるしね。警戒が厳しいんで、うちの連中もまともな情報は仕入れられないでいる。貴重な情報提供者が潜伏していたんだけど、ここ半月ほど連絡が途絶えてる。騎士団に捕まって、城の地下牢にぶち込まれた可能性が高いね」
「誰だい、その情報提供者ってのは?」
「ヴィトスよ」
「ふうん、あの高利貸し(*14)、まだ生きてたのかい。あこぎな商売をやってたから、とっくの昔にくたばったかと思ってたよ」
「ふふ、あれはあれで、けっこう義理と人情に弱いところがあったからね(*15)。金融ギルドの裏情報もくれたし。ちょっと心配だよ」
「なるほど。他の街は?」
この辺の会話には、他のメンバーは口を挟む余地はない。ただクリスタとヘルミーナの言葉を追うばかりだ。
「表立って抵抗しているのは、リサだけだね。あそこは王国のはずれだし、占領してもあまりうまみもないから、半分放っておかれてるんだろう。最初に村の資産を接収に行った騎士隊が、散々な目に遭って撤退したらしいしね。騎士隊二個分隊が『小麦街道』を閉鎖していて、リサの連中と小競り合いを繰り返しているようだけれど、それ以上攻め込もうとはしてない。メルが村人をよくまとめて、健闘しているよ」
「ふふふ、“リサの女神”健在ってわけだね」
「プロスタークの鍛冶ギルドは、表向きは王室に帰順して、鉱山も溶鉱炉(*16)も騎士隊の支配下に置かれている。だけど、腹の中は別さ。ギルドマスターがボーラーだからね、けっこう“事故”が起こってる。鉱山に見回りに入った騎士隊が落盤に遭ったり、騎士隊がいる時に限って溶鉱炉が謎の爆発を起こしたりね」
「あんたのところの連中の仕業かい?」
「みんなボーラーの発案さ。うちの連中は手を貸してるだけよ。まあ、あまり長引けば、ボーラーも別のやり方を考えなきゃならなくなるだろうけどね」
「ふふふ、その時が楽しみだね。それから?」
「アルテノルトは、見ての通りだ。見かけ上は、フィンデン騎士団の支配下にある。とりあえず完全に無抵抗を貫いて、お天道様が出てる間は、やつらに好き勝手させている。うちの屋敷にも出入り自由で、酒や料理もたらふく振舞ってやっているしね。ただ、なぜか夜になると原因不明のけがをする騎士が多いんだけど」
クリスタは意味ありげに笑った。ヘルミーナも不気味に微笑む。
「ふふふ、人が悪いね、あんたも」
「まあ、こんなのは序の口。いずれ、やつらも思い知ることになるさ」
「ヴェルンは?」
「あそこは、すぐに落ちた。もともと、学問ギルドは戦う能力なんかないし、抵抗する度胸もない。大図書館も今は閉鎖状態だ。図書館長だけは、うまく脱出してきて、今はうちでかくまっているけどね」
「図書館長?」
クリスタが答える前に、ドアにノックの音がした。
「噂をすれば影だね。たぶん、ヴェルンの図書館長さまのお出ましだ」
ドアが開いて、本を小脇に抱えた銀髪の男が入って来る。年恰好は、ヘルミーナやクリスタよりもやや上というところだろうか。
「ふふふ、なるほど、あんたが図書館長かい。氷室の管理人から、ずいぶんと出世したものね」
「やあ、相変わらず怪しげな雰囲気をかもし出しているな。時の経過も、人間の本質を変えるまでには至らないと見える」
オヴァール・アイスベルクは、冷静な口調でヘルミーナに挨拶すると、テーブルに並んだ一行を見回す。
「ふむ、それにしても、一度に錬金術士が3人とは、非常に興味深い旅の一行だな。いろいろと珍しい話を聞かせてもらえるとありがたい」
オヴァールは空いていた椅子に腰を下ろす。ヘルミーナがフィンデン王国を旅していた頃、オヴァールはアルテノルトの街の一画にある氷室の管理人をしていた。氷室という設備は不思議な効力を持っており、そこに貯蔵された品物は、どんなに腐りやすいものであっても時の経過による影響を受けず、何年でも保存が効くのだった。学究肌であるオヴァールは、当時から氷室の原理を探求することに興味を持っており、ヴェルンの図書館にもよく足を運んでいた(*17)。そんなオヴァールが長じて図書館長になったのも、自然な成り行きと言えるだろう。
ヘルミーナはオヴァールをじろりと見やって、
「ふふふ、悪いけどね、今はあんたの無駄話に付き合っている暇はないのよ。錬金術の話が聞きたいなら、後でアイゼルに相手をさせるわ」
「ヘルミーナ先生! 勝手に決めないでください!」
アイゼルの声を無視して、ヘルミーナはクリスタに向き直る。
「王国内の騎士隊の配置はどうなっているのかしら?」
カタリーナも身を乗り出す。クリスタは少し考えて、
「最新の情報では、北東のマッセン国境に重点的に配置されているようだね」
「やっぱり・・・」
カタリーナがうなずき、ヴィオラートと顔を見合わせた。
「万一の事態に備えて国境警備を強めているだけだなんて発表されてるけど、ひと目見ればわかる」
クリスタは肩をすくめた。
「あれは、どう見ても侵略部隊だよ。命令が下れば、一気にマッセンへ攻め込むつもりだろうね」
「マッセンの人は、そのことを知っているんですか?」
ヴィオラートの問いに、クリスタは首を横に振った。
「わからない。少なくとも、フィンデンとの国境が封鎖されていることは知ってるだろうけど、それ以上のことは、どうかね。なにしろ、平和主義で軍隊も持たないお国柄だから」
「やっぱり、知らせに行かなくちゃ!」
ヴィオラートが叫ぶ。
「さっきも話は聞いたけれど、あなたたち、どうしてもマッセンへ行くつもりなんだね?」
クリスタの言葉に、ヴィオラートとカタリーナはうなずく。
「そうか・・・」
しばらく考え込んでいたクリスタは、顔を上げた。
「事情が事情だし、止めるわけにはいかないね。だけど、北東の国境はだめだ。騎士隊の数が多すぎるよ。行くなら、遠回りだけど、このルートを使うしかないね」
地図の上で指を動かす。ヴィオラートとカタリーナは目で追う。
「リサ経由でボッカム山の北側を回っていくルートだ。少人数なら目立たないし、見つかる確率も低い」
「でも、こんな遠回りじゃ、時間がかかりすぎて、間に合わないかも――」
「あわてないで」
心配そうな声をあげるヴィオラートをカタリーナが制する。
「時間も大切だけど、あたしたちが無事にマッセンにたどり着く方がもっと大切よ」
「でも――」
「心配しないで。足の速い馬と、案内人をつけてあげるよ」
クリスタが言う。
「それにしても、フィンデン王国にはどうしてこんなにたくさんの騎士がいるんですか。シグザール王国と比べて、国の大きさとか人口とか、あまり変わりないのに」
アイゼルが尋ねる。
「もともと、こんなに多かったわけじゃないよ」
クリスタが答える。
「ああ、デュオニース王が即位後に軍備縮小を断行して以来、フィンデン騎士団は五個分隊50名で推移してきた」
オヴァールが付け加える。クリスタが引き取って、
「だが、この2ヶ月で、フィンデン騎士団は20倍近い人数にふくれあがった。どうしてそうなったと思う?」
「少なくとも、まっとうな手段で募集したわけじゃないようだね」
ヘルミーナの言葉に、クリスタはうなずく。
「あくどい盗賊どもをかき集めてきて、鎧を着せて剣を持たせただけだよ。しかも、名前まで『神聖騎士団』なんてご大層なものに変えてしまった」
「古来から、『神聖』と名乗った連中が実際に神聖なことを行ったためしはない」
講義口調でオヴァールが言う。
「とにかく、このまま放っておいたら、フィンデン王国は――、いや、グラムナート全土がとんでもないことになってしまう。たくさんの人が不幸になり、失われなくてもいい人の命が失われてしまうんだ!」
クリスタはこぶしを握りしめて、テーブルにたたきつけた。
「ふん、だんだんわかってきたよ。だけど、まだ肝心なことを聞いていないね」
ヘルミーナが鋭い視線を向ける。
「フィンデン国王や騎士団がこんなことをやり始めた原因は、何なんだい? それを取り除けば、すべて丸く収まるはずだろう?」
「それはそうだよ。だけど――」
クリスタは無念そうに首を振る。
「肝心なそこが、つかめないんだ。シュルツェ一家の情報網をもってしてもね」
ヘルミーナは無言で腕を組んだ。クリスタは続ける。
「もしかしたら、ヴィトスがなにか探り出したかも知れないけれど・・・。何といっても、謎のお膝元のメッテルブルグで活動していたわけだからね」
「ふふふ、そうか」
ヘルミーナはにやりと笑みを浮かべた。
「なら、ヴィトスに聞いてみるしかないね」
カタリーナとヴィオラートに顔を向ける。
「あなたたちは、先にマッセンへ向かいなさい」
「へ?」
ヴィオラートがきょとんとする。
「あたしはちょいと、メッテルブルグへ行って、謎解きをすることにするわ、ふふふ」
ヘルミーナはアイゼルを見やる。
「あなたも付き合いなさい、アイゼル」
「は、はあ・・・」
「ええ? アイゼルさんはついて来てくれないんですか?」
ヴィオラートが情けない声を出す。
「大丈夫よ。あなたは錬金術士としてはともかく、冒険者としては一人前ですもの」
「なんか、ほめられてるように思えないんですけど・・・」
「あら、あたしでは、頼りにならない?」
カタリーナの落ち着いた口調に、ヴィオラートの気も静まったようだ。
「ねえねえ、オイラは?」
「あら、いたの?」
かん高い声で尋ねるパウルに、ヘルミーナは冷たく答える。
「どっちでも、あんたの好きなようにするといいわ」
「えええ?」
「いてもいなくても、特に影響はなさそうだしね、ふふふふ」
「そんなあ――。よおし、決めた。オイラ、おばさんについていくよ!」
「誰がおばさんだって?」
「パ、パウルったら・・・」
ヴィオラートがはらはらして見守る。
「一緒に行って、オイラのすごさをおばさんに見せてやるぜ! びっくりしてひっくり返るなよ、ベイベ!」
「ネーベルディック!」
パウルは吹っ飛ばされた。
「学習能力がないのかしら」
アイゼルが静かにつぶやいた。


翌朝。
豪華な食事とふかふかのベッドでもてなされ、久しぶりに熟睡した一同は、旅支度を整えて前日と同じ部屋に集まった。
新顔がひとり加わっている。
「リサまでは、俺が案内する。よろしくな」
皮鎧に剣という典型的な冒険者姿の男は、本職はトレジャーハンターのコンラッド・イオだ。明るい褐色の髪を短く切り揃え、ぜい肉のない身体は年齢を感じさせない(*18)。昨日までアルテノルト周辺で騎士隊向けのトラップを仕掛けていたが(*19)、クリスタの指示で呼び戻されたのだという。
結局、リサ経由でマッセンへ向かうのは、カタリーナとヴィオラートのふたりとなった。リサまでは護衛と道案内を兼ねてコンラッドが付き添うことになる。
「でも、いったん旅に出てしまったら、お互いに連絡が取れませんよね。マッセンに無事に着いても、そのことを知らせられないし」
ヴィオラートが不安そうに言う。
「仕方がないわよ。現実は素直に受け入れましょう」
カタリーナはいつも通り平静だ。
「そのことなら、任せてくれ。こいつが氷室にあるのを思い出して、取って来たんだ」
遅れてやって来たオヴァールが、四角い小さな箱を差し出した。
「何ですか、これ?」
「ずっと前から氷室に保存されていた、不思議な箱なんだ(*20)。この箱の中に入れた物は、なぜか氷室に送られてしまうんだ。どんなに遠くからでも、効果に変わりはない。なぜそんなことになるのか、原理はわからないがね」
オヴァールは肩をすくめた。
「だから、この箱を持ち歩いて、旅先から状況を書いた手紙を入れてくれれば、その手紙は自動的に氷室へ届く。こちらから箱へ物を送ることはできないので、連絡は一方通行になるが、何もできないよりはましだろう」
「そいつはいい考えね。頭の固いあんたにしちゃ上出来じゃないの、ふふふ」
「僕のどこが頭が固いというんだ? 柔軟な思考こそ、学者に必要なものなんだぞ」
「ほら、けんかはやめなよ」
クリスタが割り込む。
「さあ、あなたたちは一刻を争うんだろ? 馬は森の中に用意してあるから、出発したらどうだい」
「そうね、行きましょう」
カタリーナはあっさりとドアへ向かう。
「気をつけてね。謎を解いたら、すぐに後を追うわ」
「はい、わかりました。それじゃ・・・」
アイゼルの言葉に、ヴィオラートはうなずいてカタリーナを追って部屋を出る。

「さて、と」
ヘルミーナがアイゼルを振り向く。
「あたしたちも出かけるとしようかね。『空飛ぶじゅうたん』で行けば、メッテルブルグはそう遠くない。2、3日で着けるだろう」
「でも、メッテルブルグへ行ったからって、どうやってヴィトスを助け出そうというんだい?」
クリスタが尋ねる。
「城の地下牢は厳重に警戒されているんだよ。警備の騎士隊をうまくごまかしても、牢への通路は幾重にも鍵をかけられた鉄扉でふさがれてるはずだ。錠前破りなどお手の物のうちの連中だって、入り込むことができなかったんだよ。いくら錬金術を使うと言っても、あなたたちふたりでどうこうできるとは思えないんだけどね」
言うまでもないことだが、パウルの存在は無視されている。
「ふたりだけで行くとは言ってないよ、ふふふ」
ヘルミーナが意味ありげに笑みを浮かべて言う。
「外から開けられないなら、誰かを中に入れて、中から開けてもらえばいいのさ」
「でも、どうやって――?」
「壁だろうが、鉄の扉だろうが、自由に通り抜けられる協力者がいればいいんだよ、ふふふ」
ヘルミーナは、クリスタを見やる。クリスタはいぶかしげに、
「そんな、壁を自由にすり抜けられるなんて、まるで幽霊みたいな・・・。あ――!!」
クリスタが絶句し、大きく目を見開く。アイゼルはわけがわからずふたりの顔を見比べている。
「わかったようだね、ふふふふ」
ヘルミーナは自信ありげに念を押した。
「パメラは、まだメッテルブルグにいるんだろう?」


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