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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第14章 暗闇を小走りで(*1)

あたしは、待っている。
これまでも、そしてこれからも、ずっと。きっとね。
何を待ってるのか、よくわかんないけど。たぶん、何か楽しいことが起きるのを、だと思う。
いつからここにいるのか、どうしてここに住み憑く(*2)ことになったのか、全然覚えてない。
もう、何十年になるのかしら? ううん、100年以上かも。
でも、時間なんて、あたしには何の意味もない。だって、幽霊だもん。
この宿屋も、ご主人が何人も入れ替わって、屋号も変わった。今は『幽霊亭』で、その前は『黒猫亭』(*3)。そのまた前は――忘れちゃった。
今は、お客さんが泊まると化けて出て脅かしてあげるのが、あたしのお仕事。何でも『出なかったらお代は半分』(*4)らしいわ。
でも、人によって、あたしが見える人と見えない人がいるみたい。自分は霊能力があるって思い込んでる人に限って、そうじゃないことが多いらしいの。そんな人は、翌朝、「出なかったじゃないか! 金返せ!」ってぷりぷりして出て行く。失礼しちゃうわ。あたしはちゃんと出てるのに。
あたしのことが見える人も、最近は怖がってくれないのよね。面白がって喜ぶばかりで。ふう、もっと迫力のある演出を考えた方がいいのかしら?
あ、言っとくけど、あたしは地縛霊(*5)じゃないわよ。他の土地へ行ってもいいんだけど、つまらないしね。ここは居心地がいいから、いるだけ。少し前に、この宿屋で工房を開いていたユーディットさんとお友達だった頃は、彼女と一緒にあちこちの街へ遊びに行ったりもしたわ。あたしって、こう見えてもけっこう人気者なのよ。行った先の街や村でも、きゃあきゃあ言われたし。(*6)
でも、ユーディットさんは、帰って行っちゃった。
あの頃がなつかしいな。なんか、面白いことないかしら?
今は、お泊りのお客さんもいなくて、2階の部屋はがらんとしてる。
あ〜あ、退屈。
なんか、最近お客さんが急に少なくなったみたいなのよね。
それとは逆に、窓から見ていると、外をさまようお仲間たちが増えてるような気がする。それも、首のない人とか、身体じゅう刀傷だらけの人とか。お年寄りばかりじゃなくて、若い人も多いわね。なにかあったのかしら?
お友達になりたいなと思っても、みんなすぐに成仏しちゃうから、つまんない。
この前、宿の接客係のアレクサンドラさんがぼやいてたわ。
「急に税金が高くなって、このままじゃやっていけないわ。騎士団の人は、飲み代を全部ツケにして、踏み倒していくし。旅行禁止令が出てるから、他の街からのお客さんは来ないし。でも、宿を閉めて逃げ出そうとすると、ひどい目に遭うっていうし。どうしたらいいのかしら・・・」
あたしに聞かれても、困っちゃうわよね。
あら――?
誰かが階段を上ってくる。メイドさんがお掃除に来る時間じゃないと思うけど。
もしかしたら、久しぶりのお客さん?
よぉし、それじゃあ、とびっきりの歓迎をしてあげなくちゃ。
あ、幽霊は夜に出るものだと思ってるきみ、それは間違いよ。幽霊には、昼も夜も関係ないの。幽霊はお日様に弱いっていうのも、迷信ですからね。夜の方が雰囲気が出るし、相手もそれを期待しているから、合わせてあげているだけ。
「こちらの部屋です」
アレクサンドラさんの声が聞こえて、ドアが開く。
最初に入って来たのは、ピンク色の服とローブを着た若い女の人。どことなくユーディットさんに雰囲気が似ているわ。
「こ、怖くない・・・怖くないわ」(*7)
目をきょろきょろさせて、つぶやいてる。
「先に部屋へ行っていろだなんて、先生ったら・・・。ううう、幽霊なんて、怖くない。いないと思えば、出ないのよ」
自分に一生懸命、言い聞かせているみたい。うふふ、嬉しいわ、この人、怖がってくれてる。それじゃあ、ご期待に応えてあげなくちゃね。
「何だい、スパッとしない部屋だね」
続いて入って来たのは、緑色の服を着た小さな男の子――ううん、違う、妖精さんだわ。ファクトア神殿から来たのかしら? でも、ちょっと毛色が違うみたい。
「くんくん・・・。感じる、感じるぜ。ここは、霊気がフィーバーするバリバリの心霊スポットだね!」
わあ、わかってるじゃない、この妖精さん!――ちょっと変な格好してるけど。
よぉし、パメラの怪奇劇場、開始よ!
ムード音楽がほしいところだけど、贅沢は言えないわね。
まずは大気中のエネルギー勾配を偏らせて、部屋の温度を急激に下げてぞっとさせる。これは基本中の基本。それから、ラップ音を出すもよし、風を吹かせてカーテンをまき上げるのもよし。夜ならランプの灯りを明るくしたり暗くしたりするのも効果的ね。
「あわわ・・・、わたし、こういうの苦手なのよ」
青ざめた顔で、ピンクの服の女性が言う。わーい、もっと脅かしちゃお!
「うふふふふふ」
姿を見せずに、笑い声だけ聞かせてあげるの。音だけの幽霊って、けっこう多いのよ。
「きゃあ! もうイヤ!」
あららら、耳をふさいでうずくまっちゃった。ちょっとやりすぎたかしら?
「お姉さん、お姉さん、怖がらなくていいよ。悪い霊じゃないからさ」
妖精さんが慰めてる。妖精さんとあたしたちって、けっこう共通点があるのよね。
そろそろ、終わりにしようかな。
最後にベッドのシーツを吹き上げて、正面の壁を背にすうっと姿を現す。
そして、とびきりの笑顔で、決め台詞。
「いらっしゃいませ〜、『幽霊亭』へようこそ〜。うふ」(*8)
「ふふふふふ、ずいぶんと演出に凝るようになったじゃないの。これも時代の流れなのかしら?」
落ち着いた声が、ドアのところから聞こえた。やだ、この人、全然怖がってない。
服装はピンクの人と似てるけど、色は全然違う。黒い服と濃紺のローブ。ちょっと不気味だわ。
笑みを浮かべて、あたしの方をじっと見てる。左右の色が違う瞳で――って、あら?
こういう瞳って、20年くらい前に、見たことがある。ユーディットさんと一緒に怪しい術を使ってた、遠い国から来た錬金術士。ええと、名前は――?
「久しぶりだねえ、パメラ。あんたは全然変わってないね。まあ、幽霊だから、当然か、ふふふ」
そうだわ、名前は――。
「ヘルミーナ――さん?」
でも、ずいぶんおばさんになっちゃったわね・・・。
「ちょいと、手伝ってほしいことがあるんだけどねえ。どうせ、暇なんでしょう、ふふふふ」
やった! 錬金術士さんが現れると、いつも面白いことになるのよね。
「わあ、楽しそう! 何をすればいいのかしら? うふふ」


アルテノルトを出発したヘルミーナの一行は、『空飛ぶじゅうたん』に乗って一路メッテルブルグを目指した。アイゼルとパウルの他、クリスタから補佐役兼連絡係を命じられたボーラー・ジュニア(*9)も同行している。ちなみに『空飛ぶじゅうたん』の定員は3名である。パウルは体重が軽いので、員数外だ。
『萌芽の森』の上空を突っ切り、リーゼネーゼの山を一気に越える。昼間は目立つので森の中で休憩をとり、夜闇に紛れて宙を駆けた。
メッテルブルグ近くの森へ降り立つと、ジュニアの案内で、森の奥に作られたシュルツェ一家の秘密のアジトへ立ち寄る。そこには、シュルツェ一家の工作員がメッテルブルグに入り込むための偽の鑑札が揃っていた。ここで偽の身分をこしらえて、騎士の目をごまかすことにする。夜陰に乗じて『空飛ぶじゅうたん』で城壁を越えるという手段も検討されたが、夜間も騎士団の監視が厳しいということで断念された。ヘルミーナは、メッテルブルグにいる病身の夫を見舞うために騎士団の特別許可を受けてアルテノルトからはるばるやって来た薬師に扮することになった。アイゼルはその娘で、パウルは孫という設定だ。
当然ながら、この設定には異議が続出した。
「オイラ、子供じゃないぞ!」
「わたしだって、子持ちになんかなりたくないわ」
手を振り回すパウルに、アイゼルも憮然とした顔で答える。
「ふふふ、あたしだっておばあちゃんになるなんて、願い下げだけどね。仕方がないだろう。でも――」
ヘルミーナはアイゼルをじろりと見やる。
「このことをイングリドに言ったりしたら・・・わかってるだろうね」
「は、はい!」
縮み上がってアイゼルは答えた。
そんなわけで、メッテルブルグの外門を守る騎士は、その日の午後、いっぷう変わった家族連れの旅人を迎えることになったのだった。
旅に疲れていらいらしているのか、ピンクの服を着た若い母親は不機嫌で、緑色の服の男の子はふてくされている。だが、年長の女性が鑑札を差し出す時に、相場よりもかなり多めの銀貨を手甲の隙間に滑り込ませたため、盗賊上がりの騎士はにやりと笑って文句なく通したのだった。
一行は、あわてず急がず中央広場を横切って、ヘルミーナが覚えていた『黒猫亭』――今は『幽霊亭』へ到着した。無許可の旅行禁止令のあおりで、幽霊が出ると評判の部屋はもちろん空いていた。
「あなたたち、先に部屋へ上がってなさい」
そう言うと、ヘルミーナは広場の片隅にある雑貨屋へ足を向けた。
なにか情報を得ようと思ったのか、アイゼルに怖い思いをさせようと考えたのか、ヘルミーナの真意はわからない。
実は、ヘルミーナは雑貨屋の童顔の店主(*10)に頼み込んで、店の倉庫の奥に20年以上も前に仕入れた薬品の在庫(*11)があるかどうか確認していたのだ。
ともかく、一行は無事に幽霊のパメラ・イービスに会うことができ、ヴィトス奪還作戦の第一段階は首尾よく完了したのだった。

「ふうん・・・。なんだかよくわからないけど、大変なのねえ」
一通りの話を聞き終わると、パメラはのんびりした声で言った。緊張感のかけらもない。
「ええ、ほんとに大変なのよ」
とげとげしい口調でアイゼルが言う。初対面であれだけ怖い思いをさせられたのを恨んでいるのか、怖がってしまった自分が情けないのか。おそらく両方の気持ちが混じり合っているのだろう。
「そういうわけで、王室も騎士団もおかしくなってしまったのだけれど、原因がわからないのよ。ヴィトスなら、なにか知ってるかも知れないのでね、とりあえず城の地下牢から助け出そうというわけなの、ふふふふ」
「そうね。あの金貸しさんって、いろんなことを知ってるものね。『情報は金になるからな』って言ってたのを聞いたことがあるわ」
「もちろん、地下牢に捕えられているという確かな証拠があるわけではないのよ」
アイゼルが言い添える。
「可能性が高いというだけでね」 「ふふふふ、だけど、やってみる価値はあるはずよ」
「どうでもいいから、早く行こうよ、おばあちゃん!」
パウルがせかす。ヘルミーナの瞳に剣呑きわまりない光が走った。パウルの名誉のために言っておけば、今回は自分の役どころを忠実に演じていただけなのだが。
「ネーベルディック!」
吹っ飛ばされて部屋の隅に転がったパウルをアイゼルが介抱している間に、ヘルミーナとパメラは手はずを話し合う。
パメラはベッドに座ったヘルミーナの正面にふわりと浮いている。ゆったりしたクラシックな服装は、彼女が生身であった頃に流行していたものなのだろう。くすんだ色のドレスにショールをまとい、たたんだ日傘を手にしている。髪は長く、くりくりした大きな瞳と左の目もとの泣きぼくろが目立つ。もっとも、身体を通して後ろの風景が透けて見えるなど、微妙に実体感が欠けているが。
「それで、あたしは何をすればいいのかしら?」
「以前、ユーディットと一緒にアルテノルトの雑貨屋にいた時に、押し入ってきた強盗を撃退したことがあったわよね、ふふふ」
「ああ、あの時ね。楽しかったわ、うふふ」
その時、パメラは雑貨屋の店内に飾ってあった鎧を動かして強盗に襲いかかり、肝をつぶした強盗は何も盗らずに逃げ去ったのだった。(*12)
「あれは、あなたが鎧に憑依して動かしたわけよね」
「う〜ん、ちょっと違うかな? 生き物なら取り憑くことができるけど、無生物を動かす場合は、アストラル体を放射して霊的エネルギーを一時的に注入して、それで――」
ヘルミーナは手を振ってさえぎる。
「難しい話は今度にしよう。とにかく、また同じことがやれるんだね?」
「ええ、もちろんよ、うふふ」
そして、ヘルミーナはなすべきことをパメラに指示した。


日は西の彼方に沈み、メッテルブルグの王城前の広場(*13)には、あちこちにかがり火が焚かれている。白亜の城はかがり火に照らし出され、城壁の上にも弓矢をたずさえた騎士が何人も見張りに立っているのが見える。
広場には、鎧に身を包みすぐに剣を抜けるように身構えた騎士が行き交い、城門を固めている。
ヘルミーナ、アイゼル、パウル、パメラの4人は、身を隠して城壁に沿って回り込み、城の裏門へ出た。自由に姿を消すことができるパメラ以外の3人は、『ルフトリング』を装備している。『幽霊亭』を出て城へ近づくのを見とがめられないためだ。裏門へ着く頃には効力が切れてしまうだろうが、それは計算の上だ。
裏門では、ふたりの騎士が警備についていた。風上に立ったヘルミーナが、粉末状のねむり薬を撒く。あっという間に騎士はぐっすりと眠り込んでしまった。
壁に張り付くようにして、『ルフトリング』をはずしたヘルミーナたちが姿を現す。この角度なら、城壁の上から見つかる心配はない。一行は、すでに宿を引き払って来ている。ヴィトスを救出したら、そのまま一気に『空飛ぶじゅうたん』でメッテルブルグを脱出する予定だ。丸めた『空飛ぶじゅうたん』を持たされたアイゼルはぶつぶつ言っているが、これは仕方がない。来る時に同行していたボーラー・ジュニアはそのままメッテルブルグ近辺に潜伏して情報を探った後、馬でアルテノルトへ戻ることになっている。
裏門は、頑丈な南京錠で施錠されていた。見張りの騎士の身体を探って、合鍵を見つけ出す。南京錠はあっさりはずすことができたが、扉は開かない。
「ふん、やっぱりね。内側からもかんぬきがかかっているようだね。ご丁寧なことだわ、ふふふ」
振り返ったヘルミーナが言う。
「さあ、頼んだよ、パメラ」
「は〜い」
ぼうっとした姿のパメラは、そのまますうっと石の壁に溶け込むように消えた。アイゼルがぶるっと身体を震わせる。やはり幽霊は苦手らしい。
しばらく待つと、ガチャリと音がして、内側から鉄扉が引き開けられた。
「きゃっ!」
アイゼルが小さな悲鳴を上げる。大きな黒い鎧が扉の奥に立っていたからだ。しかも、鎧は空っぽだった。にもかかわらず、手甲がぴくぴく動く。
「は〜い、お化け屋敷へようこそ〜」
パメラの楽しそうな声が響く。
実体のないパメラは、物理的に鍵をいじって開けることはできない。しかし、城内に置いてあった鎧を動かして道具として使うことで、かんぬきを開けることができたのだった。
「もう! 変なこと言わないでよね」
ぶつぶつ言いながら、アイゼルが身を滑り込ませる。
「ふふふふ、うまくいったじゃないの」
ヘルミーナは余裕を感じさせる笑みを浮かべながら続く。
「よぉし、いよいよ大冒険の始まりだ! 腕がチリンチリン鳴るぜ!」
パウルは張り切って城内の暗がりへ飛び込んで行った。

ところどころにロウソクやランプが灯っているだけの薄暗い通廊を、一列になって進む。パメラが先行して偵察し、どちらへ進むべきかを指示する。
ついに、地下へ通じると思われる狭い階段に出た。石の壁や天井はじめじめと湿り、水の染みとカビでまだら模様になっている。周囲の灯りは少なく、闇がじわじわと迫ってくるようだ。
先にすうっと下りていったパメラが、戻ってきて言う。
「見張りは誰もいないみたいよ、うふふ」
「よし、行くよ。アイゼルはここに残って、見回りの騎士が来ないかどうか見張っていなさい」
「ええっ、ひとりでですか?」
アイゼルが情けない声を出す。ヴィオラートが聞いたら驚くだろう。もっとも、ヴィオラートの前ではこんな声は出さないだろうが。
「ふふふ、怖いのかい?」
「い、いえ、そんな――」
もちろん、騎士が怖いのではない。
「よし、じゃあ、オイラがついててあげるよ! かよわい乙女を守るのは、勇者の使命さ!」
「誰が、かよわいのよ!」
アイゼルは言ったが、ありがたくパウルの申し出を受けることにした。
ヘルミーナは、ゆっくりと階段を下りていく。
下り立った先には、さびついた鉄格子が行く手をふさいでいた。その向こうの暗がりの中に通廊が伸び、左右に石の扉が並んでいるのが見える。ひとつひとつが、罪人を閉じ込める牢獄になっているのだろう。
「パメラ!」
「は〜い」
パメラは鉄格子をものともせず、すり抜けていった。左の石壁の向こうへ消えたかと思うと、すうっと現れ、今度は右の壁へ溶け込んでいく。
「あ、いたわ、ここよ」
右奥の壁からパメラの上半身が突き出る。
「よし」
ヘルミーナはクラフトを取り出すと、鉄格子の鍵穴にたたきつけた。
鈍い音がして、鍵の部分だけが破壊される(*14)。扉を押し開けると、ヘルミーナはつかつかと奥へ進み、パメラがいる扉の正面に立った。頑丈そうな南京錠で外側から施錠されている。これでは、閉じこめられたら内部から扉を開けるすべはないだろう。天井近くに鉄格子のはまった小さな窓があるのと、食べ物を入れるためと思われる穴が床近くに作られているだけで、内部の様子は見えない。
「ふふふふ、生きてたかい?」
「う〜ん、よくわかんない」
パメラは上目遣いに首をかしげた。
「あ、でも、幽霊になってたらとっくに抜け出して来てるはずだから、きっと生きてるのよね、うふふ」
「それじゃ、さっさと片付けるとしようかね。けがをしないように、どいていなさい」
「あら、心配ご無用よ」
パメラは言ったが、素直に壁を抜け出して背後に退く。
ヘルミーナも数歩下がると、青白い半透明の球を取り出す。球の内部は、紫色の炎が燃えているかのように輝いている。
「それ!」
ヘルミーナが投げつけると、『精霊の光球』(*15)は光の尾を引いて南京錠に命中した。雷属性の魔力が解放され、錠がはずれて弾け飛ぶ。
「やったあ、ヘルミーナさん、すごーい!」
パメラが歓声を上げる。
「ふふふふ、まあこんなものね」
ヘルミーナは重い扉を引き開けた。
狭い地下牢は、寝転ぶほどの広さもなく、すえた臭いが漂っていた。壁にもたれるようにして、ぼろぼろのマントで身をくるみ、男ががっくりと首を垂れている。
ヘルミーナがかがみこむと、男はかすかに身じろぎし、かすれた声で言った。
「また・・・か・・・。何度、来ても・・・同じだ。僕は・・・何も知らない。何も、しゃべらない・・・ぞ・・・」
「ほら! しゃんとしな!」
「しゃべる・・・くらい・・・なら、舌をかんで・・・死んで・・・やる」
どうやらヘルミーナのことを、尋問に来た騎士と勘違いしているらしい。
「仕方がないねえ」
ヘルミーナはヴィトスの耳に口をつけると、ゆっくりとささやきかけた。
「死んだら、ユーディットに貸し付けた5万コールが取り立てられなくなってしまうのではないかしら?(*16) それでもいいのかい? ふふふふ」
ヴィトスがはっと顔を上げる。
「誰だ・・・。なぜ、そのこと・・・を・・・」
「昔のお仲間だからさ」
ヘルミーナは栄養剤のびんをヴィトスのくちびるに押し付け、無理やり注ぎ込む。
せき込んだヴィトスは、まだ焦点が定まらない目で、覗き込んだヘルミーナを見た。その目が大きく見開かれる。
「まさか・・・!? あんたは、たしか、ヘル――」
「そんな話は後でいい。脱出するよ」
だが、ずっと牢獄に閉じこめられていたヴィトスは体力を激しく消耗しており、立ち上がることもままならない。
「パメラ! ぼさっと見てないで、あなたも手伝いなさい!」
「無理よ。だって幽霊だもん」(*17)
パメラはしれっと言う。
「じゃあ、アイゼルを呼んで来なさい」
「は〜い」
パメラが行こうとした時、階段の上から男の叫びが聞こえた。がちゃがちゃと剣と鎧が触れ合う音や、多数の足音も響いてくる。
「どうやら見つかったようだね」
ヘルミーナが舌打ちした。
ヴィトスがうめきながら、かすれた声で言う。
「か・・・仮面の騎士・・・」
「ん? 何だい?」
「仮面の・・・騎士に会ったら・・・目を、見ては・・・いけない・・・」
「そうか、わかった」
何のことを言っているのかはわからなかったが、重要な情報だとヘルミーナは直感した。
ヴィトスのぐにゃりとした身体を支え、牢の外へ出る。
「ロートブリッツ!」
アイゼルの叫びが階段から聞こえ、パウルが転がり落ちて来た。
「あ、おばさん、悪い騎士がたくさん来たよ! 大勢で来るなんて、ヒキョウだよね!」
むっくり起き上がったパウルは、剣を抜いて言う。
「ふん、卑怯も何も・・・やるしかなさそうだね、ふふふ」
ヴィトスを壁にもたれかけると、杖を握り、ローブの裏に仕込んだ魔法アイテムの数々を探る。
アイゼルが上をうかがいながら階段を下りてきた。
「すみません、見回りの騎士が来たとたん、パウルが向かって行ってしまったので――」
「だって、敵に背を向けるなんて、勇者のすることじゃないぜ!」
「時と場合を考えなさい!」
「アイゼル!」
ヘルミーナが叫ぶ。
「この兄さんに、『グラビ結晶』を装着しておきな!」
「はい!」
荷物扱いだが、この際は仕方がない。
早くも階段からは、青い鎧の騎士たちが怒号を上げながら下りて来る。
「眠りな!」
ヘルミーナは、ローブのかくしから取り出した『暗黒水』のびんを投げつける。びんが砕け、中身の黒い液体を浴びた騎士は、そのまま気を失って倒れる。
「えぇ〜い!」
パメラが日傘を振りかざして突っ込む。
「うわ! 化け物だぁっ!」
精神に衝撃を受けた騎士はへなへなと座り込む。立ち上がる気力も、戦う気力も失われている。
「くそ!」
「怪しい術を使うぞ、気をつけろ!」
後続の騎士は、階段の上で立ち止まった。
「装着、終わりました!」
杖を構えて、アイゼルが戦線に復帰する。
「よし、じゃ、一気に突破するよ」
「はい!」
だが、階上の騎士にざわめきが走った。
「フレイム殿!」
畏怖に満ちた声が、騎士の間を伝わる。
そして、騎士の青い鎧をかき分け、漆黒の鎧に身を固めた巨体がうっそりと姿を現した。どの騎士よりも一回りは大きな体格に、一太刀でまっぷたつにされてしまいそうな剛剣を持ち、何をも恐れる風情なく、堂々と身をさらしている。ざんばらの長髪は肩当てや胸当てにまとわりつき、顔はすべて真紅の金属の仮面におおわれている。
「曲者どもめ・・・」
仮面の下から、くぐもった声が響く。感情というものがまったく感じられない、ぞっとするような響きだ。
ヘルミーナは階段を下りようとする仮面の騎士の足先を見すえ、鋭い声で言った。
「みんな! 目を見るんじゃないよ!」
「どうしてですか?」
アイゼルがささやく。
「どうしてもよ」
言いざま、ヘルミーナは『暗黒水』のびんを投げる。
狙いたがわず、ガラスのびんは騎士フレイムの仮面に当たって砕けた。だが、中身を浴びても、仮面の騎士の動きに変化はない。
「クックック・・・」
不気味な忍び笑いをもらしつつ、異様な圧迫感を伴って迫ってくる。
「ヘルミーナ先生の毒薬が、効かないなんて!?」(*18)
アイゼルが茫然とつぶやく。
騎士は階段の途中で、大きく剣を振りかぶった。剣先が、真っ赤に染まる。
「アイゼル! 炎が来るよ!」
ヘルミーナの声に、アイゼルは杖を振り下ろした。ヘルミーナも合わせる。
「ネーベルディック!」
同時に、騎士の剣から灼熱の炎が尾を引いて走り、ふたりの錬金術士が放った水流と空中でぶつかってはじける。炎属性の魔法と水属性の魔法は、互いに打ち消しあって消えた。
「クックック。なかなかやるな・・・。こうでなければ、面白くない」
再び、仮面の騎士はゆっくりと前進する。
今度は、パメラが動いた。
「あたってぇ〜!」
「フッ」
騎士は無造作に空中に剣を突き出す。
「きゃあっ!」
パメラが悲鳴を上げた。騎士の剛剣は、宙に浮かんだパメラの身体を貫き、パメラの身体はピンで留められたかのように動きが取れない。
「だめ・・・、力が抜ける・・・。このままじゃ、あたし、存在できなく・・・」
パメラの身体の輪郭がぼんやりとし、見る間におぼろげになっていく。(*19)
「お姉ちゃん!」
パウルが叫ぶ。
「くっ!」
ヘルミーナは、琥珀色の液体が入ったガラスびんを取り出し、パメラに向かって投げる。
空中で砕けたガラスびんから、『琥珀湯』(*20)が飛び散り、それを吸収したパメラの身体に実体感が戻ってくる。先ほど、万一に備えて雑貨屋から仕入れておいたものだ。
「ロートブリッツ!」
アイゼルが雷撃を叩きつけ、騎士の剣先がそれた隙に、パメラは呪縛を脱して後ろに逃れる。
「ふう・・・。もうちょっとで成仏しちゃうところだったわ」(*21)
「パメラ!」
ヘルミーナが叫ぶ。
「その壁の向こうは、どうなってる!? 調べて!」
「わかったわ」
パメラは壁をすり抜けて消えた。
仮面の騎士は、階段の最下部に下り立とうとしている。
「化け物め! 妖精最強の戦士、パウル様が相手だぁ!」
剣を抜き放ったパウルが突進した。
「あ、パウル、無茶よ!」
アイゼルの叫びも聞こえていない。
「邪魔だ」
騎士は冷たく言い放つと、剛剣をなぎ払った。
「たあぁ!」
パウルが剣で受け止める。妖精が使っている剣は、騎士の剣と比べれば小刀のようなものだ。
思わずアイゼルは目をそらした。弾き飛ばされるか、騎士の剛剣に両断されてしまうか、パウルの運命はふたつにひとつだろう。
鋭い金属音が響き、虹色の火花が散った。
「うそ・・・」
目を戻したアイゼルは、息をのんだ。
パウルの剣は、その10倍はあろうかという仮面の騎士の剣をしっかと受け止めている。
「ク・・・、なぜだ!?」
騎士の声に、初めて狼狽の色が見えた。
パウルはかん高い声を張り上げた。
「どうだ! オイラの剣は、妖精の鍛冶屋が鍛えた剣だぞ! 妖精の剣は、魔剣なんかには負けないのさ!」
パメラがヘルミーナの後ろの石壁から顔を覗かせる。
「あっち側の上半分は、海辺よ。岩がごろごろしてて、すぐに海になってる。ちょうど、港の裏側みたいね」
「よし、全員、壁際に伏せな!」
言い放つと、ヘルミーナはかくしから取り出したギガフラムをパメラのいる天井近くの壁に向かって投げつけた。
「きゃ、危ない」
パメラが引っ込み、アイゼルとヘルミーナがヴィトスの横たわっている壁際に身を隠すと同時に、大爆発が起こり、地下牢を爆風が吹き荒れた。海岸に面して作られていた外壁の上半分が吹き飛び、大穴が開く。
土ぼこりが舞う中、崩れたがれきをよじ登り、ヘルミーナは『グラビ結晶』を装着して軽くなったヴィトスの身体を引きずり上げる。
アイゼルは、目を回しているパウルと、丸めた『空飛ぶじゅうたん』を拾い上げて、這い出してきた。
仮面の騎士フレイムの身体は、がれきに埋もれ、見えない。だが、あの生命力からすれば、すぐにも起き上がって来るだろう。
「よし、脱出だよ!」
ごろごろした岩の上に『空飛ぶじゅうたん』を広げると、ヴィトスの身体を乗せ、ヘルミーナが乗り込む。アイゼルも、気絶したパウルを抱えて飛び乗った。
あっという間に、『空飛ぶじゅうたん』は暗い夜空へ舞い上がる。
街の上空を避け、港から海上へ出ると、ヘルミーナは大きく息をついた。
「ふう・・・。まずまずの首尾だったね」
「どこが・・・まずまずなんですか」
息も絶え絶えのアイゼルが言う。髪はくしゃくしゃ、服もローブも染みや引っかき傷でぼろぼろだ。
「これじゃ、調合に失敗した時のエルフィールみたいだわ」
「ねえ、これからどうするの?」
パメラが尋ねた。ふわふわ浮いて、空中をついて来ている。
「そうね・・・。とりあえず、一休みしてアルテノルトへ帰るよ」
「そう・・・。あたしは、どうしようかなあ」
「好きにするといいわ。こっちの用事は済んだしね(*22)。助かったよ、ふふふ」
パメラはしばらく考え込んでいたが、
「じゃあ、やっぱり『幽霊亭』へ戻ることにするわね。あたしがいなくて、つぶれちゃったら困るし。楽しかったわ、うふふ。また誘ってね」
そして、そのまま夜闇に溶け込むように消え去った。
幽霊嫌いのアイゼルは、ほっと安堵のため息をもらしたのだった。


「すべては、あのフレイムという仮面の騎士のせいだ・・・。やつが王室へ入り込み、国王や側近、騎士団の幹部を根こそぎ洗脳してしまったんだ」
メッテルブルグの南東、リーゼル河(*23)に沿った森の中で、ヴィトスは語った。
夜通し海上を飛行してできる限りメッテルブルグから離れ、夜明け前に着陸して森の奥に隠れて、半日ほど交代で休んだ後のことだ。
ヘルミーナが飲ませた栄養剤が効いたのか、ヴィトスもやや元気を取り戻していた。まだ歩くのは無理だが、意識ははっきりしている。
アイゼルが作った薬草入りのスープをすすりつつ、ヴィトスは語る。
「金融ギルドに騎士団が乗り込んでくるとすぐ、僕は身を隠した。きなくさい臭いを感じたものでね。そうこうしているうちに、金融ギルドのマスターは行方不明になり、他のギルドも資産を没収されて次々と骨抜きにされていった。そこで、潜伏したままシュルツェ一家と連絡を取った。クリスタが抵抗運動を組織するのは明らかだったからな。そして、定期的にアルテノルトへメッテルブルグの情報を送っていたんだが――」
ヴィトスは肩をすくめた。もともと細身だが(*24)、獄中生活で頬はこけ、やせ細っている。
「僕としたことが、へまをしたものさ。最後まで抵抗していた港湾ギルドの幹部が王室に呼び出しをくったと聞いたので、謁見の様子を覗いてやろうと思って、城へ忍び込んだ。金融ギルドだけが知っている秘密の通路があるからな。そうしたら、国王の脇に、妙な男がいるじゃないか」
「あのフレイムとかいう仮面の騎士だね」
「そうだ。港湾ギルドのマスターは、年を食ってはいるが頑固一徹の親父で、相手が国王だろうと筋を曲げる男じゃない。王室の要求の理不尽さを、堂々と述べ立てていたよ。まったく正論で、拍手を送りたいくらいだった。ところが、あの騎士に顔を覗き込まれたとたん、あっさり前言をひるがえして王室の大義をほめたたえ、嬉々として資産の接収を認めてしまった。一瞬のうちに、マインドコントロールされてしまったのさ」
ヘルミーナが腕組みをしてうなずく。
「僕はうまく隠れていたつもりだったが、なぜかフレイムにはお見通しだったようだ。抜け出して隠れ家へ戻ろうとしたら、出口に騎士の連中が待ち構えていた。そのまま捕まって、地下牢にぶち込まれたというわけだ」
ヴィトスは言葉を切り、ヘルミーナを見やる。
「それにしても、まさかあんたが助けに来てくれるとはな。地獄に仏――いや、地獄に魔女というところか」
「ふふふ、言ってるがいいさ。しかし――」
ヘルミーナは肩をすくめる。
「黒幕はわかったけれど、そいつの正体は相変わらず闇の中か・・・」
「いいえ、そんなことないわ。手がかりはあります」
アイゼルが言った。エメラルド色の瞳が光る。
「どういうことだい?」
「まず、確かめないと」
と、焚き火の脇で昼寝をしているパウルを揺り起こす。
「ふああああ〜、何だい、もう朝かい?」
目をこするパウルを覗き込んで、アイゼルは、
「ねえ、パウル。昨夜、あの仮面の騎士と剣を交えた時、あなた、たしか言ってたわよね。『妖精の剣は、魔剣なんかには負けない』って。あれは、どういうこと?」
ヘルミーナが眉を上げた。色が異なる左右の瞳に好奇心がきらめき、パウルを見つめる。
「なんだ、そんなことか」
パウルはあっさり答える。
「妖精の剣は、人間が作る剣とは違って、ミスリル(*25)とかオリハルコン(*26)とか、聖なる魔法の金属を混ぜ込んで鍛えてあるからね。イケてるスーパーマジカルパワーで、魔界の剣なんてちょちょいのちょい(*27)なのさ!」
「ええと、そうじゃなくて。どうして相手の剣が魔剣だとわかったの?」
「だって、アイツ、魔界のニオイがしたもん。オイラにはわかるんだ」
「魔界ですって?」
アイゼルの声が震えた。
「魔界・・・そうか、ふふふふ、だんだんわかってきたよ」
ヘルミーナは立ち上がった。木々をすかし、西の方角を見やる。
「いまいましいけれど、あの女に協力してもらわなければならないようだね・・・」
「ヘルミーナ先生?」
ヘルミーナはアイゼルを差し招いた。近寄ったアイゼルの耳元で何事かささやく。アイゼルの瞳が大きく見開かれる。
「でも、そんなこと――」
「やってみなくちゃ、わからないだろう?」
「それは、そうですけど・・・」
しばらくささやき交わしていたふたりは、焚き火のところへ戻って来る。
「パウル、ちょっと・・・」
アイゼルが身をかがめてパウルを呼び寄せる。
「何だい、お姉さん、オイラに用事?」(*28)
「ねえ、パウル。あなたを、妖精最強の戦士と見込んで、お願いがあるんだけど」
「うんうん、お姉さんもようやくオイラの実力がわかったようだね。泥舟に乗ったつもりで、何でもオイラに任せてくれよ!」
「泥舟じゃなくて、大船でしょ?――まあ、それはどうでもいいわ」
アイゼルは続ける。
「妖精さんは、遠くまで一瞬で移動することができるのよね。わたしが暮らしていた国の妖精さんは、そうだったけれど」
「当ったり前さ! グラムナートのどこへだって行っちゃうぜ、ベイベ!」
「う〜ん、実は、もう少し遠いところなのよね。あなたには、ちょっと無理かなあ・・・。まあ無理だったら、仕方ないけれど」
「バカにするな! 強かっこかわいいパウル様に不可能はないぜ!」
「そう・・・。じゃあ、安心だわ」
アイゼルは、にっこり笑った。
「ヘルミーナ先生のお手紙を、ザールブルグ・アカデミーのイングリド先生のところへ届けてほしいのよ。どう、簡単なことでしょ?」


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