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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第17章 打倒!極悪同盟(*1)

森は、静かに夕闇に沈んでいた。
昼間は小鳥がさえずり、リスやウサギなどの小動物が草むらやこずえを走り回り、にぎやかだった森も、今は下生えからかすかに虫の音が聞こえてくる他は、ひっそりとしている。
王国全土を支配下に置こうとしているフィンデン神聖騎士団も、このボッカム山の北側にまでは勢力を伸ばせないでいるようだ。リサから森の中をくねくねと抜けていく狭い道には、騎士隊がいる気配すらない。マッセンへ向かうためには、アルテノルトから北へ伸びる最短の街道を避け、遠回りのこちらのルートを使えというクリスタの助言は正しかったと言える。何よりも、リサの村に立ち寄ったことで、歴戦の勇士であるメルが一行に加わったのが最大の収穫だった。ヴィオラートとカタリーナをリサまで案内したコンラッドは、本来の活躍の場であるアルテノルトへ引き返している。
簡単な夕食を終えた旅人たちは、焚き火の傍らでそれぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
ヴィオラートは、昼間、森の中で集めたニューズの実をまとめて袋に詰め、爆弾の『クラフト』を作っていた。メルは木陰で剣を振っている。カタリーナは、剣帯に下げていた彫りかけの木彫りの人形に小刀で手を加えていた。
作業がひと段落したヴィオラートが、カタリーナの手元を覗き込む。
「わあ、けっこうできてきましたね、“マッセンの騎士”」
カタリーナが幼い頃から憧れ、探し続けている伝説の勇者“マッセンの騎士”の人形だ。
四肢と顔の区分がはっきりとし、背中のマントのひだが刻み込まれ始めている。髪の毛は流れるような長髪だ。胸当てや手甲、剣の柄、膝当ての下書きも描き込まれている。
「ふふふ、そうね。でも、顔のイメージがなかなか思い浮かばないのよ」
確かに、顔の輪郭はできているが、その表面は空白のままだ。
「どうやら、顔まで完成させるのは、実物に対面するまでお預けになるかもね」
「でも、本当に会えるんですかね?」
“マッセンの騎士”が実在するかどうかについては疑っているヴィオラートが尋ねる。
「きっと、会えるわ」
カタリーナは木の間に星がまたたく夜空を見上げてつぶやいた。
「さっき、空を見たら、宵のひとつ星が熊猫座(*2)からローレライ座へ移っていたのよ。占星術でいけば、これは吉兆よ。『待ち人来る、失せ物顕わる』ってね」
「はあ・・・」
ヴィオラートは苦笑した。カタリーナの自己流の占星術では、いいことしか起こらないのだ(*3)。だが、それが彼女の前向きな生き方につながっているとすれば、一面では認めるべきなのだろう。
「それにしても、静かね・・・」
剣を手に戻ってきたメルが、火の脇に腰を下ろした。
「これだけボッカム山に近いと、噴火した時には炎が盛大に夜空に映えるはずなのに、残念だわ」
「え、ボッカム山って、火山なんですか?」
ヴィオラートが言った。カナーラント王国の南西部にも火山地帯がある。温泉が湧き出す広大な湿地や、溶岩の池に囲まれた遺跡があると酒場の噂で耳にしたこともある。
「ええ、そうよ」
メルは微笑んだ。
「昔から、ボッカム山は定期的に噴火を繰り返すことで有名でね。いつも噴火を合図にメッテルブルグで盛大なお祭り――王国祭が開かれていたわ(*4)。わたしも、ボッカム山の中腹で修行に励んでいたから、よく間近で噴煙をながめていたものよ。でも――」
南に黒々とそびえる鋭い山影を透かし見る。
「ここ10年ほど、噴火が止まってしまってね(*5)。それ以来、フィンデン王国そのものの発展も停滞してしまったのかも知れない・・・。今回の騒動も、もしかしたらその延長線上にあるのではないか、なんて思ったりもしてしまうのよ。ボッカム山が再び噴火するようになれば、何もかも丸く収まるかも知れない、とか。ふふふ、非科学的よね」
メルはまじめな顔つきに戻り、カタリーナに向き直る。
「明日はいよいよマッセンに入ることになるわね。計画を聞かせてちょうだい」
「う〜ん、計画と言うほどのものはないんだけど」
カタリーナはあっさり答える。
「まず、国境に近い村で話を聞いて、変わったことがなければ一気にマッセンハイムへ入るというところかしら。それで、司祭様に知らせる、と」(*6)
「司祭様?」
「王様じゃないんですか?」
「マッセンには王様はいないのよ」(*7)
カタリーナは言う。
「昔は国王がいたらしいんだけど。寒くて厳しい気候(*8)だし、金や宝石が産出されるわけでもないし、治めてもあまりいいことはないから、いつの間にか国王や領主がいなくなってしまったのね。だから、今は司祭様を中心に有力者が評議会を作って、国を治めているのよ」
「司祭様――というと、やっぱりアルテナ様を祀っているのかしら」
メルが尋ねる。リサにも女神アルテナを祀る由緒ある立派な教会が建っている。
「ううん、そうじゃなくて、マッセンの守護神を祀っているのよ。アルテナ様みたいに人の姿はしていないけど」
「ふうん、どんな?」
「あたしも実際に見たことはないんだけど、虹のように輝く、丸くて大きな宝石だそうよ。“竜の心臓”と呼ばれているの。何でも、大昔にこのあたりを荒らし回っていた悪い竜を、マッセン出身の勇者が倒した時に手に入れたもので、ずっとマッセンの守護神としてマッセンハイムの中央広場にある祠に収められているのよ」(*9)
「“竜の心臓”・・・」
ヴィオラートがつぶやいた。もしかしたら錬金術の調合に使えるかも知れない(*10)、という不謹慎な考えが心をよぎったが、口には出さずにおいた。
「もしかして――」
メルは、最初に騎士団がリサにやって来た前夜に見た悪夢を思い起こした。あの時、見知らぬ街の中央広場で、黒い霧におおわれた中、助けを求めるように輝いていた光はなにかを暗示していたのではないか。
「どうかしたんですか、エスメラルダさん?」
ヴィオラートがいぶかしげな目を向けたが、メルは首を振った。
「ううん、何でもないのよ」
同じような夢をカタリーナも繰り返し見ていたことを知っていれば、メルも言葉にしていたかも知れない。そうすれば、この後の展開も多少は変わっていただろう。
「もう、休みましょう。夜明け前には起きて、出発しなくちゃね。今夜の最初の見張りは、わたしがするわ」
メルの言葉に、ヴィオラートもカタリーナも、翌日の行動に思いをはせながら眠りに就いた。


「な、何ですってえ!?」
カタリーナはすっとんきょうな声をあげた。
国境近くの小さな村の、村でただひとつの酒場だった。粗末だが手入れの行き届いた服を着た純朴そうな村人が、石造りの暖炉の周囲に集まって暖を取っている。
針葉樹の森を抜けて国境を越え、最初に目に入った村に、情報収集をしようと立ち寄ったのだった。
村は平和な雰囲気で、南の隣国で起こっている異変のことなどまったく気付いていないように見える。
「それ、本当なの!?」
酒場の主人の胸ぐらをつかまんばかりの勢いで、カタリーナは叫ぶ。
「ちょっと、カタリーナさん、落ち着いてください!」
ヴィオラートがなだめる。いつも落ち着いているカタリーナがこんなに取り乱すのを見たことがない。
「ああ、本当だとも、もっぱらの噂だよ」
見知らぬ女剣士の勢いにたじたじとなりながらも、酒場の主人が言う。
「“マッセンの騎士”が、帰って来たんだ」
「そんな――!?」
カタリーナはすっかり頭に血が上っている様子だった。ヴィオラートが無理やりカウンターから引き離す。
「もっと詳しく聞かせてくれない?」
メルが代わりに冷静な口調で尋ねた。ヴィオラートはカタリーナを椅子に座らせて、水を飲ませている。
「ああ、半月ほど前のことだ。突然、マッセンハイムに立派な身なりをしたたくましい騎士が現れた。初めは、誰もそうだとわからなかったらしいんだが、その騎士は恐ろしい魔物でさえ従わせるすごい力を持っているそうでな。“竜の心臓”をお守りする司祭様が、彼こそ正真正銘の“マッセンの騎士”だと認めたんだそうだ」
「魔物を従わせる?」
メルが眉をひそめる。
「ああ、その頃、見たこともない強い魔物がマッセンハイムの周辺に出没していたらしいんだが、騎士は魔物を剣で殺すんじゃなくて、眼力だけで改心させてしまったという話だ。もうマッセンハイムでは、英雄のご帰還でお祭り騒ぎだという話だぜ」
「ふうん・・・」
メルは考え込んだ。主人はさらに続ける。
「“マッセンの騎士”は、国を豊かにし、マッセンの国民を幸せにするために戻ってきてくださったのだそうだ。マッセンハイムの周辺を平和にした後、騎士は国中の町や村を回って、わしらが幸せになる方法を広めているという。この村にも、遠からず来てくださるんじゃないかな」
「本当!? 本当に、この村にも“マッセンの騎士”が来るの!?」
話を聞きつけたカタリーナが叫んだ。
「ああ、村じゅうで、首を長くして待っているところさ」
主人がにこにこして言う。カタリーナはうっとりと目を閉じる。
「とうとう・・・とうとう会えるのね。ああ、夢みたい」
「カタリーナさんったら」
ヴィオラートは苦笑するしかない。
メルは相変わらず真顔だ。
「ねえ、さっき『マッセンハイムの周辺を平和にした』って言ったわよね。“マッセンの騎士”は、どうやって平和にすることができたの?」
「そいつが、たまげるじゃないか」
主人は上機嫌で答える。
「改心させた魔物たちに命じて、外門や街道を警護させているんだそうだ。おっかなくて強い魔物が大勢で守っているんだから、盗賊も野獣もかなわないよ」
「そう・・・」
メルは礼を言ってカウンターを離れ、カタリーナとヴィオラートのテーブルへ戻る。
「気になるわね」
抑えた低い声でメルは言った。
「“マッセンの騎士”・・・。本で読んだイメージと、なんとなく違うのよ。魔物を従えているなんて、どうもしっくり来ないわ。カタリーナ、あなたはどう思う?」
「え、何が?」
カタリーナはまだ舞い上がっているようだ。メルは肩をすくめ、ヴィオラートを見る。
「もう少し、情報を集めた方がいいと思うわ。マッセンハイムにいるご両親のことは心配だと思うけれど」
「大丈夫です」
ヴィオラートは答えた。
「だって、さっき酒場のご主人が『マッセンハイム周辺は平和になった』って言ってたじゃないですか。“マッセンの騎士”に会って、フィンデン騎士団のことを知らせれば、きっと何もかもうまくいきますよ」
「だといいのだけれど」
メルはテーブルに目を落とした。
「今の“マッセンの騎士”が、昔の“マッセンの騎士”と同じ人物だと証明できれば、まだすっきりするのにね」
「わしなら、できる」
背後のテーブルから、声が聞こえた。
はっと振り向くと、丈の長い灰色のローブに身を包んだ老人がひとりで座っている。
「わしは、何十年か前の、あの事件の時に“マッセンの騎士”の姿を見ている。顔を見れば、今でも見分けがつくさ」
鋭い眼光を向け、老人はとつとつと語った。
「あなたは?」
「わしはプレストと申す(*11)。“竜の心臓”をお守りする司祭補のひとりじゃ――いや、司祭補じゃったと言うべきかな。半年ほど前に引退して、故郷のこの村で隠居を決め込んだのじゃ」
「すごい・・・。“マッセンの騎士”をじかに見たことがある人なんて、初めてよ!」
カタリーナが目をきらきらさせて言う。老人は微笑んだ。
「お望みなら、いくらでも話して進ぜよう。あの頃のことをな」
「わあ、ほんとに?」
「もっともなことじゃが、後に“マッセンの騎士”と呼ばれた少年は、その頃は別の名前を持っておった。そもそも、彼の名は――」(*12)
「あ、あの、カタリーナさん・・・?」
ヴィオラートがマントを引っ張るが、カタリーナは既に老人のテーブルにどっかと腰を下ろしている。
メルはヴィオラートを振り返った。
「面白そうじゃない。聞かせてもらいましょうよ」
その時、酒場のドアが大きく開き、村人のひとりが飛び込んで来て、叫んだ。
「たいへんだ! “マッセンの騎士”様が今朝、隣村を発たれたらしい! 午後遅くには、この村に到着されるぞ!」


その日の夕方――。
村の全員が、広場に集まっていた。
小さな村のことなので、全員と言っても、30人あまりに過ぎない。
老人から働き盛りの男女、赤ん坊を抱いた若夫婦まで、畑で仕事をしていた者や森に木を伐りに行っていた者まで全員が呼び戻されていた。
国の英雄である“マッセンの騎士”が、じきじきに言葉をかけに来てくれるというのだ。村人たちが何もかも投げ出して集まって来たのは当然のことだろう。
メル、カタリーナ、ヴィオラートも、村人たちに混じって広場の隅にたたずんでいる。
広場には、不思議な緊張感と高揚感がみなぎっていた。
落ち着かない沈黙が続く。ささやきかわす声がもれると、誰かが「しっ!」と黙らせる。
「来られたぞ!」
村の外門まで見に行っていた若者が顔を紅潮させて戻って来た。
さらに緊張が高まる。
やがて、西日を背に受けて、たくましい馬にまたがった巨漢がゆっくりと姿を現す。
村人たちの間から、かすかなどよめきが起こる。
村に入ると、騎士は馬から降り立ち、手綱を引いて歩き出した。
「・・・・・・!」
カタリーナは息をのみ、目を凝らした。思わず、剣帯から下げた製作途中の木彫りの人形を握りしめる。
彼女からは逆光になっており、相手は黒いシルエットにしか見えない。
しかし、夕日を背景に長髪を風になびかせてすっくと立つたくましいその姿は、彼女がこれまでの探索の旅の途上で、ずっとイメージし続けていたものと寸分たがわなかった。
「あれが・・・、“マッセンの騎士”・・・!?」
かすれ声で、カタリーナはつぶやいた。
「すごく、強そう・・・」
ヴィオラートも思わず正直な感想をもらす。
メルは黙ったまま、剣士の目で“マッセンの騎士”を値踏みした。
黒ずくめの鎧で、全身をおおっている。胸当て、肩当て、手甲、胴回り、腰回り、腿当て、膝当てからブーツに至るまで、黒々と磨き上げられ、よく手入れがなされているようだ。その下に鍛えられた強靭な肉体が隠されていることも疑いがない。だが、その顔は――。
逆光で陰になっている騎士の表情を見極めようと、メルは目を凝らした。騎士が進むにつれ、その顔があらわになる。
「これは――!?」
メルは息をのんだ。カタリーナも茫然と目を見開いている。
“マッセンの騎士”の顔は、鎧と同じような漆黒の仮面で覆われていたのだ。目、鼻、口の部分にはぽっかりと穴が空いており、鮮やかな黄金色でくまどられている。その奥は闇に包まれ、素顔をうかがい知ることはできない。
騎士が広場へ近づくと、その圧倒的な存在感に気おされたように、村人たちが数歩後ずさり、結果的には半円形に“マッセンの騎士”を取り巻く形となった。
広場の中央に進んだ騎士は、村人たちをひとわたりながめ渡すと、腰に差した剛剣の柄に手をかけ、おもむろに話し出した。
「誇るべきマッセンの民よ! 我は戻り来たり。マッセンの民に平和と安寧と幸福をもたらすために。我は“マッセンの騎士”なり」
とどろくような声が、広場に響き渡る。
騎士は言葉を切り、再び村人たちを見渡す。
「き――騎士様、ばんざい!」
ひとりの若者が、感極まって叫んだ。
それが合図となったように、村人ひとりひとりが歓声をあげ、万歳を叫ぶ。涙を流し、伏し拝む老人もいる。
しばらく間をおき、村人の熱狂が収まると、騎士は再び口を開いた。
「我、マッセンの民に告ぐ。わがマッセンは、北の小国なり。ひとたび大国の侵攻あらば、抗することあたわず。いかにせば、国家の安泰なるや。いかにせば、民の幸福なるや――」
騎士は、答えを求めるように人々を見回した。
答える者はない。
“マッセンの騎士”は、さらに大音声を張り上げる。
「なれば、マッセンの進むべき道はひとつなり。そは、大国との強固なる同盟なり。南のはらから、神聖なる王国フィンデンこそ、マッセンが頼るべき大樹なり。フィンデンとの同盟こそ、正しき道なり。我、ここに、マッセンの民に道を示すものなり。我に従わば、マッセンの民は未来永劫、大いに栄え、幸福な天寿を全うするであろう!」
騎士の言葉が、広場に木霊した。大気そのものが震えているかのようだ。
村人たちは凍りついたように、しわぶきひとつもれない。騎士の口から出た言葉に、どう反応してよいのかわからないのだろう。
「そんな――」
カタリーナがつぶやく。
「ええと、あれ、どういうことですか?」
ヴィオラートがメルにささやく。
「フィンデン王国と同盟を組めと言っているのよ。でも、両方の国の現状を考えれば、同盟を組むというのは無条件降伏と同じね。フィンデン王国にしてみれば、戦わずにマッセンが手に入るのだから、攻め込むよりもよほど楽でしょうけれど」
「それじゃ、あの騎士はフィンデンの回し者だってことですか?」
「それはわからない。でも、少なくとも、マッセンの人たちのことを思いやっているわけではないようね」
「嘘だよ・・・」
メルとヴィオラートははっと顔を上げた。カタリーナが表情をこわばらせ、つぶやいている。
「あんなの、“マッセンの騎士”じゃない。あたしが探していた“マッセンの騎士”は、あんなことは言わない・・・。国を売り渡したりはしない・・・」
「カタリーナさん・・・」
カタリーナの頬を、涙がひと筋つたった。
その時、村人の間から、ひとりの老人が進み出た。もと司祭補だと名乗ったプレストという老人だ。杖にすがりつつも、堂々と騎士に歩み寄る。
「異議あり!」
プレストの声に、騎士は顔を向けた。
「そなたが真の“マッセンの騎士”ならば、何故に仮面で顔を隠しているか。わしはかつての“マッセンの騎士”を知っている。顔を見れば、必ずやそれとわかる。仮面を取り、わしに顔を見せよ」
プレスト老人は年にそぐわぬ張りのある声で述べ立てた。長年、司祭補を務めていた賜物だろう。
「我、旅の途上にて顔に醜い傷を負いたり。以来、他人に傷をさらすことあたわず」
「わしも、戦場にいたことがある。どのような醜い傷を見ても動じるものではない」
「汝、我を信じぬか」
「このままでは」
「フ・・・、そうか」
騎士はプレストに向き直った。
「我が意を疑う者、劫罰を受けるべし!」
「まずい!」
メルが叫んだ。
「行くよ!」
剣に手をかけ、飛び出すと同時に、剛剣を抜き放った騎士が叫んだ。
「出でよ、我がしもべたちよ!」
そのとたん、あたりの空間が揺らいだ。
ゆらゆらと揺れながら、恐るべき姿の魔物が姿を現す。
灰色の厚い鱗に覆われたトカゲのような巨体に、コウモリのような翼、額に2本の角を生やし、赤い瞳には凶悪な光が宿っている。四肢には鋭い鉤爪が光り、口からはすべてを切り裂いてしまいそうな牙がのぞく。
「レッサーデーモン(*13)!」
思わず足を止め、メルが叫ぶ。
「気をつけて! 手ごわいわよ」
カタリーナは円月刀を抜き、プレストに駆け寄っていた。老人は腰を抜かしてくずおれている。
現れたレッサーデーモンは、4匹いた。2匹がプレストに襲いかかろうとし、残りの2匹は宙を飛び、威嚇するように鋭い鳴き声をあげながら他の村人に近づいていく。
「みんな、逃げるのよ! 建物に入って、鍵をかけて!」
メルが叫ぶ。
「ヴィオラートは、そっちの人たちをお願い!」
「はい!」
ヴィオラートは、すぐに近くにいた村人をもっとも近い酒場の建物へ誘導する。
「邪魔だ。天誅を受けよ!」
騎士が剣を振りかざした。
突然、晴れた空から雷鳴がとどろき、雷撃に打たれた村人が弾き飛ばされる。
「くっ」
メルは村人から離れ、広場の中央にいる騎士に立ち向かった。とにかく、騎士の注意を村人から引き離さねば。レッサーデーモンは、ヴィオラートとカタリーナに任せるしかない。
「お前の相手はわたしだ!」
両手で握りしめた剣を上段に構え、騎士と対峙する。
「フ、面白い。我に刃向かうというか」
騎士はおもむろに打ちかかる。メルは正面から受けた。衝撃に、思わず膝を突きそうになったが、メルは耐えた。渾身の力をこめて押し返す。
すっと剣が引かれ、両者は間合いを取った。
背後では、カタリーナがプレスト老人をかばいながら2匹のレッサーデーモンに立ち向かっている。素早い足運びで魔物が吐き出すブレス(*14)を避けつつ、太刀を浴びせる。が、硬い鱗にはじき返され、深手を負わせることも難しい。
「きゃあっ!」
小屋へ逃げ込もうとした母子連れが、足をもつれさせて転んだ。
そこへ1匹のレッサーデーモンが迫る。
「え〜い!」
ヴィオラートは作ったばかりの『クラフト』を投げたが、ほとんど効き目はない。だが、少なくとも魔物の注意を自分の方へ引きつけることはできたようだ。
2匹の魔物が、左右からヴィオラートに迫って来た。
「やだ、どうしよう!?」
このような強力な魔物と戦った経験は少ない。しかも、その時には強い冒険者が一緒だった。だが今はメルもカタリーナも、自分の戦いで精一杯だ。ヴィオラートは、ついに広場の反対側に追いつめられる。鈍く光る牙が、目の前に迫る。
「もうだめ!」
ヴィオラートは地面に身を投げ出し、両手で頭をかばった。
頭上を影がおおう。
(やられる!)
だが、鋭く空気を切り裂く音に続いて、鈍い音がし、どさりと大きなかたまりが大地に落ちるのを感じた。
おそるおそる目を開くと、うつろな目を見開いたレッサーデーモンの頭と対面することになった。
「きゃっ!」
魔物の頭部には、胴体がつながっていなかった。すぐそばに、同様の姿になったもう1匹がむくろをさらしている。
(な――何がどうなってるの?)
気配を感じて、顔を上げる。
たくましい姿の男が、覗き込んでいた。
すべてが黒いシルエットになっており、顔は見えない。
「いやっ!」
“マッセンの騎士”自身が、襲いかかって来たと思い、ヴィオラートは身を縮めた。
「けがはないか・・・」
男の低い声が聞こえた。声音は穏やかで、先ほど耳にした仮面の騎士の声とは似ても似つかない。
「ふむ、あれが“マッセンの騎士”か・・・。面白い・・・」
つぶやくように言うと、男の影はヴィオラートの頭上から消え去った。
「へ・・・?」
ヴィオラートは杖にすがって立ち上がり、きょろきょろとあたりを見回す。どこにも男の姿はない。(*15)
村人たちは、ほとんどがどこかの建物に逃げ込めたようだ。
「ヴェクター!!」(*16)
鋭く響いた声に目を向けると、カタリーナの円月刀が大きく弧を描いてレッサーデーモンの下腹に食い込むところだった。血と体液をしたたらせ、魔物が地面に落ちてひくひくと震える。もう1匹の魔物も、ずたずたになって転がっている。カタリーナの皮鎧もマントも、顔や髪の毛までが返り血を浴びてまだらになっていた。間違いなく、本人の血も混じっているだろう。
「エスメラルダさんは――!?」
剣が交わる鋭い響きが、耳に届いた。
傲然と立つ仮面の騎士と、肩で大きく息をしているメルの姿が、夕日に照らされ、シルエットとなって視界に浮かび上がる。
「エスメラルダさん!」
駆け寄ろうとするヴィオラートの肩を、カタリーナがつかんで止める。今、飛び込んでいっても、メルの集中を乱すだけだ。
メルは息を整え、目を閉じて、今は亡き師のミューレンの言葉を思い起こした。
(剣の道・・・それは心の道・・・(*17)。五感を超えた六感で敵を捉え、心眼で斬れ――)
もはや、あれを使うしかない。
「参る!」
気合いをこめて、仮面の騎士に突進する。
タイミングを計り、大きく地を蹴った。
「アイン――!」
騎士がかざす剛剣をかいくぐり、重力を味方につけて鋭い太刀筋で斬り下ろす。
「ツェル――!」
沈めた身が跳ね返る瞬間、振り下ろした剣をひねり、全身のばねを効かせてなぎ上げる。
「――カンプ!!」
後方に身を投げ出したメルは、一回転して起き直った。
仮面の騎士の手から、剛剣がぽろりと落ちる。
カタリーナとヴィオラートの目からは、騎士の鎧がVの字の形に見事に切り裂かれているのが見えた。
やや時をおいて、漆黒の鎧に包まれた巨体が地面を震わせて倒れる。
「やった!」
ヴィオラートが歓声を上げた。
「す――ごい・・・」
カタリーナは、目の当たりにしたメルの究極剣技に我を忘れて見惚れていた。
メルは大きく息をはき、剣をぬぐうと鞘に収める。
そして、大地に伏しぴくりとも動かない仮面の騎士を見やる。手応えは確かだった。
「エスメラルダさん!」
ヴィオラートが駆け寄ってくる。
「すごいです! あんな技、初めて見ました!」
メルは力なく微笑む。
「できれば、使いたくはなかったのよ。あの騎士を生きたまま捕えて、口を割らせたかったから。でも、あいつは強かった・・・。倒さなければ、こっちが倒されていたわ」
「あ、あんた、何者じゃ・・・」
杖にすがって立ち上がったプレスト老人がメルを見つめ、わなわなと震えながら尋ねた。
「今、あんたが使った剣は、真の“マッセンの騎士”が得意にしていた技と同じじゃ」
「何ですって?」
カタリーナが老人を見つめる。
老人は記憶をたどるように語った。
「伝説は語る・・・。かつて邪悪なる竜を倒した剣聖グレイデルグ――。彼が生涯をかけて編み出せし究極の剣技、それは――」
「待って!」
メルが鋭い声でさえぎった。
「うそ!?」
ヴィオラートが大きく目を見開く。カタリーナは円月刀を抜き放った。
仮面の騎士のむくろが、ぼんやりとした光におおわれている。
光は、騎士の身体に吸い込まれるように消え、そして――。
騎士が、ぴくりと動いた。
「生き・・・返った・・・?」
騎士は両手を突いて上体を起こす。顔を上げ、メルたちを見すえた。仮面の陰から、くぐもった笑い声がもれる。
「クックック・・・。我、よみがえりたり。我は、不死なり・・・」
「くっ!」
メルが剣の柄に手をかける。
「再び、我に会いたくば、マッセンハイムへ来たれ。だが、さこそ、汝が屍をさらす時なり・・・」
仮面がゆがみ、騎士がにっと笑ったように見えた。
次の瞬間、漆黒の鎧やマントと共に、騎士の姿は空気に溶け込むように薄れ、消え去った。
「消えた・・・」
「なんで――?」
ヴィオラートとカタリーナは顔を見合わせる。
「どうやら、容易ならぬ相手のようね」
厳しい顔でメルが言った。
「こうなったら、早くマッセンハイムへ行かないと! お父さんやお母さんや、他の人たちを助けなきゃ――」
ヴィオラートは我を忘れてまくしたてる。だがメルは首を横に振った。
「わたしは、反対よ。あなたの気持ちはわかるけれど」
「そんな!? どうしてですか!?」
ヴィオラートは全身を震わせて叫んだ。
メルはその身体を両腕で抱いた。背中をさすり、母親のように言い聞かせる。
「いいこと、あの騎士はとてつもなく強いわ。剣を交えたわたしにはわかる。そして、あいつには何匹もの魔物が付き従っている。わたしたち3人だけで今すぐマッセンハイムへ乗り込んでも、勝てるチャンスは少ない。それでは、あなたのご両親や他の人たちを救うことはできないわ。でも――」
目を上げ、見守っているカタリーナと視線を合わせる。カタリーナは、こくりとうなずいた。
「今、いったん退けば、また戻ってくることができる・・・」
ヴィオラートは肩を震わせ、メルの胸を涙でぬらしていた。
メルは、プレスト老人を見やった。
「あなたたちも、避難した方がいい。あの仮面の騎士が、自分の正体を知った村人たちを放っておくはずがないわ。わたしの村は少し遠いけれど、あなたたちを受け入れることはできる」
「感謝しますぞ」
少し考えて、プレストは答えた。
「すぐに、村の衆を説得して、支度させましょう。じゃが、わしは残ります」
「どうして――?」
「わしは、老い先短い身じゃ。命など惜しくない。それに――」
広場を見回す。周囲の建物から、村人たちが恐る恐る顔を出している。
「村を捨てるわけにはいかん。誰かが残って、村を手入れしておかなければならんじゃろう。再び、平穏な日々が訪れた時のためにな。ここは、小さくともわしらの故郷なのじゃから」
「わかりました」
メルはカタリーナと見交わし、万感の思いをこめてうなずいた。
「わたしたちは、必ず戻ってきます。マッセンは、わたしたちにとっても故郷なのですから」


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