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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第18章 あたし達の日常(*1)

ルイーゼ・ローレンシウムは、朝からカウンターの中で本を読みふけっていた。
ルイーゼがザールブルグ・アカデミーのショップ店員になってから、もう7、8年になる。彼女が2年留年した末にアカデミーをようやく卒業にこぎつけた時、その頃のショップ店員だったアウラが婚約を機に退職することになったため、その後任としてルイーゼに白羽の矢が立ったのだった(*2)。ルイーゼは実験が苦手だったために留年してしまったのだが、錬金術の知識は豊富だったので、多様なアイテムや参考書を扱うショップの仕事にはうってつけと思われたのだろう。
美人でおっとりした性格のルイーゼは生徒にも人気が高く、ショップは繁盛していた。ただ、目が悪いのに眼鏡をかけたがらないため、お釣りをよく間違えることだけがアカデミーにとっては誤算だったかも知れない(*3)
朝のうちは授業が行われているため、ショップを訪れる生徒は少ない。読書好きのルイーゼは、空いた時間を使って今日も本に没頭していた。カウンターの奥はあまり明るくなく、ますます目が悪くなるのではないかと思われるが、ルイーゼは頓着しない。
ふと、ドアが開く音にルイーゼは顔を上げた。
アカデミーの筆頭講師のイングリドが、オレンジ色の錬金術服を着た小柄な姿を従え、つかつかと歩いて来る。イングリドの後についているのは、アカデミーの卒業生で今は工房を開いているエリーだ。ルイーゼが店員に就任した時には新入生だったが、その後はめきめきと腕を上げてマイスターランクまで卒業し、今は長期出張中のヘルミーナの代役として臨時講師を務めている。ルイーゼは首をかしげた。いつもにこやかなエリーが、いつになく真面目な顔をしている。
「おはようございます」
挨拶をしたルイーゼだったが、イングリドの顔を見て昨日の夕方のことを思い出し、くすっと笑ってしまった。
目ざとく気付いたイングリドが、険しい目を向ける。
「どうしたの? なにか面白いことでも?」
「あ、いえ、何でもないんです」
あわててルイーゼは答えた。

昨日も、アカデミーのロビーは、いつもの夕方と変わらず混雑していた。
授業を終えた生徒たちが一斉に教室から現れ、図書室へ向かったり街へ出て行ったり、寮の自室へ戻ったり研究室へ講師に質問をしに行ったり、ごった返す。ロビーのソファに座って議論を続ける生徒や、ショップへ立ち寄って調合材料や参考書を買う者もいる。
そんな中、エリーに連れられてひとりの妖精がロビーに姿を現したのだった。
ぼんやりと物思いにふけっていたルイーゼは、すぐ目の前に来るまで妖精に気付かなかった。突然、足元からかん高い声が聞こえてきたので、あわてて目を向けたのだった。
「なんだ、ここもあんまりスパッとしないお店だね! もっとアヤシさ大爆発の品物を置かないと(*4)、繁盛しないよ、お姉さん!(*5)
「はあ?」
きょとんとして、ルイーゼは緑色の服を着た、その妖精を見つめた。
背中に剣を差した妖精は、太い眉毛をつり上げて、得意げに胸を張った。
「オイラはパウルだよ! お姉さんは、何て名前なの?」
ルイーゼはくすっと笑った。
「変な妖精さんね。あたしの名前は――」
パウルの表情が急に変わったのに驚いて、ルイーゼは言葉を飲み込んだ。
「ど、どうしたの?」
「オイラが、変・・・」
「待って、パウル!」
後ろにいたエリーが止めようとしたが、遅かった。
「うわああああああ〜ん!!」
パウルは生徒たちの足元を縫って、泣き叫びながらロビーを駆け抜けていった。
生徒たちの視線が集まる。
そしてパウルは、研究棟へ通じるドアから出てきた人影にぶつかり、一回転して床に座り込んだ。
「何なのですか、この騒ぎは?」
イングリドは険しい目でパウルを見下ろした。そして、追いかけてきたエリーに気付き、
「エルフィール! あなたのところの妖精なの? 妖精を雇うのは結構ですが、管理をきちんとしないと――」
「いえ、違うんです、イングリド先生。この妖精さん、ヘルミーナ先生からの手紙を届けに来たって――」
「何ですって!?」
あらためてイングリドは妖精を見下ろした。確かにそこいらにいる妖精とは違うようだ。
エリーに慰められたパウルは、涙をふいて起き上がった。
「パウル、こちらがイングリド先生だよ」
エリーが紹介すると、パウルは胸を張ってイングリドを見上げた。
「やあ、おばさんドングリさんかい? オイラは妖精最強の戦士パウルさ! ヘンナ先生に頼まれて、はるばるグラムナートから手紙を届けに来たんだ」
「おばさん・・・? ドングリ・・・?」
イングリドの頬がひくひくと引きつる。色が異なる左右の瞳に、剣呑な光が宿った。
「パ、パウルったら――。違うでしょ、ドングリじゃなくてイングリド先生だって、さっき教えたじゃない」
あわててエリーが割り込む。イングリドを振り向き、
「あ、あの、パウルも悪気があるわけじゃないんですよ、きっと――」
「あなたは黙っていなさい」
氷のような一瞥でエリーを黙らせると、イングリドは不自然に優しげな声でパウルに語りかけた。
「そう、ご苦労様。それじゃ、わたくしの部屋でゆっくり、お話しましょうか。その手紙というのも見せてもらいたいしね」
「お、なかなか気が利くね、おばさん。オイラ、お腹がぺったんこになりそうなんだ。ごちそうしてよ!」
「ええ、ごほうびでもごちそうでも、とびっきりのを差し上げるわ、ほほほほほ」
イングリドに手を引かれ、パウルは嬉しそうに研究棟のドアへと消えた。
しばらく経って、イングリドの研究室で激しい雷鳴がとどろくのが聞こえた(*6)という話もあるが、あくまで噂の域を出ない。

「これを掲示しておいてちょうだい」
イングリドの言葉に、ルイーゼは昨日の回想から現実に引き戻された。
目の前に差し出された紙をながめる。
「はあ・・・。休講――ですか?」
「そうよ」
イングリドはエリーを振り返る。
「今日から4日ほど、わたくしとエルフィールは急用で出かけることになったの。ですから、わたくしたちが予定していた講義は、残念ながら休講ということね」
「はい・・・」
「それでは、お願いしましたよ」
イングリドはそのまま、つかつかと正面扉へ向かう。エリーも一礼して、その後を追った。
「なにか、あったのかしら?」
だが、ルイーゼはそれ以上思いわずらうことはせず、休講の告知を掲示板に張ると、カウンターへ戻って、先ほどまで読んでいた本を取り上げた。
本のタイトルは、『魔界と精霊とドラゴン伝説』というものだった。


「おーい、どうだったあ!?」
「おう、大漁だぜ! そっちはどうだ?」
「あたぼうよ、潮も船も腕も最高なんだからな! 大漁じゃないわけがないだろう!」
ストウ大陸の西岸にあるカスターニェの港は、活気にあふれていた。
早朝から沖合いに出ていた漁船が、喫水線ぎりぎりまで魚を満載して、次々に埠頭へ戻って来る。
まだぴちぴちと跳ねている魚がいっぱいに詰まった木箱やたるが桟橋へ下ろされ、荷車で市場へと運ばれて行く。市場に並べられた魚介類は、半分はカスターニェの街で消費されるが、残りは荷馬車でザールブルグや近隣の街や村へと運ばれる。10年ほど前に始まったオットー雑貨屋の宅配サービス(*7)を使えば、新鮮なまま遠くまで送ることができるのだ。
「ふう・・・」
作業が一段落したユーリカ・イェーダは、目の前に広がる海原をながめやって息をついた。ユーリカは女性ながら、小さい頃から父親を手伝って漁に出、父親が亡くなってからは一人前の漁師として家族を養っている。荒くれ男が多い漁師仲間からも、一目も二目も置かれていた。
「どうした、ばてたのか、ユーリカ」
「あん?」
振り向いたユーリカの目に、釣竿とびくをかついで埠頭をぶらぶらと歩いてきた男の姿が映った。
「冗談でしょ。あんたとは鍛え方が違うんだよ、オットー」
「聞き捨てならねえな。俺とお前と、どう鍛え方が違うってんだ?」
「ふん、あんたみたいに雑貨屋と漁師とどっちつかずのコウモリと違って、こちとら漁師一本に命をかけてるんだ。一緒にしてもらいたくないね!」
「けっ、こきやがれ」
激しい言葉を浴びせあっているようだが、ふたりとも笑いを浮かべている。この程度のやり取りは挨拶代わりだ。
ユーリカが言う通り、オットー・ホルバインはカスターニェで雑貨屋を営むかたわら、船を持っていて漁にも出ている。もともとは漁師が本業だったのだが、親から引き継いだ雑貨屋が忙しくなり、宅配サービスを始めてからはますます漁に出る機会が少なくなっていた。オットー本人は、それがいたく不満らしい。
「まあ、いいや、『船首像』で一杯やろうぜ」
「昼間っからかい?」
「いいじゃねえか。ボルトの兄貴も漁の話を聞きたいだろうぜ」
「ああ、そうだね」
カスターニェで一番大きな宿屋兼酒場『船首像』の店主であるボルト・ルクスは元船乗りで、オットーとは一緒の船に乗り組んでいたこともある。だが、ボルトはこの近海に出現した海竜フラウ・シュトライトに襲われて大けがをしてしまい、海に出ることを諦めざるを得なくなった。以来、『船首像』を開店して漁師や海へ出て行く者たちへの兄貴分的存在になっている。当の海竜は、数年前にユーリカらと一緒に立ち向かった錬金術士のエリーによって倒されたのだった(*8)
砂混じりの石畳の道を街の中心部に向かったユーリカとオットーは、馬車乗り場で顔見知りの男と出会った。
「よお」
「あれ、シュマックの旦那、お出かけかい?」
カスターニェで唯一の武器屋を営むシュマック・ホルテンはひげ面をほころばせた。
「ああ、ちょいと里帰りだ。グラッケンブルグへ行って、新しい武器を仕入れて来るよ」
「そんな遠くへかい?」
ユーリカがあきれたように言う。グラッケンブルグは南にあるドムハイト王国の首都で、馬車で数週間はかかる。シュマックは若い頃、ドムハイトからカスターニェへ流れ着いて、趣味の武器集めが高じて武器屋としてこの街に腰をすえたのだと聞いたことがある。
「そうだ。実は、ザールブルグの昔馴染みから誘いがあってな」
シュマックは街道をながめ渡す。
「今日、ドムハイトへ向かうキャラバンがここを通るそうなんだ」
「キャラバン? 珍しいね、この時期に」
確かにユーリカが言うように、こんな秋の終わりにキャラバンがカスターニェにやって来るのは、そうあることではない。夏祭りの頃には、南や北から多くのキャラバンが集まって、異国の特産品を売ったり大道芸を見せたり、祭りに彩りを添えてくれるのだが。
「ああ、だけど、もうすぐグラッケンブルグではドムハイトのフリッツ・シュタット王の即位30周年の式典が開かれる。キャラバンのヴァルター一座はそこへ向かうそうなんだ。俺の昔馴染みも、それに同乗している。ひとりじゃ退屈だが、仲間がいれば長旅も楽しいものさ」
「ふうん、でも、ドムハイトって内陸だろ? 海がないんじゃ、あたしは落ち着かないなあ(*9)
「ははは、まあ、人それぞれってことだ。お――」
シュマックは再び東を見やった。
遠くアーペント山脈のふもと、かすかな砂煙が舞い上がっているのが見える。
「来たみたいだな」


「うっわ〜、田舎ね〜! グランビル村よりもすごいかも!(*10)
馬車の窓から外をながめたマルローネが、大声で言う。
「失礼ですよ、マルローネさん。そういうことは思っても口に出すものではありません」(*11)
ゆったりとクッションが効いた馬車の座席にもたれたクライスが、眼鏡に手をやりながらたしなめる。
「だって、田舎は田舎じゃない! 本当のことを言って、何が悪いのよ」
確かに、周囲に広がるのは延々と続く草原と、ぽつりぽつりと現れる畑ばかりだ。民家も見えず、街道も道とは名ばかりで、草はぼうぼう、地面の凹凸に合わせて馬車がぐらぐらと揺れる。
「まあ、仕方がありませんわ。田舎は田舎ですもの」
上品にハンカチで口を押さえ、ブリギットはすまして言った。
「いや、それでも以前に比べれば、カロッテ村はにぎやかになって来ていますよ。ヴィオのお店や、みんなの努力のおかげですね」
御者席からロードフリードが振り向いて言う。
「ロードフリード様! なぜヴィオラートだけ名前を出しますの? 別にあの娘が特別というわけではありませんでしょう!?」
ブリギットの口調がきつくなる。
マルローネがクライスを見て、目をぐるりと回して見せた。自分に関しては鈍感なくせに、こういうことには目ざといらしい。
ブリギットは軽くせき払いして目をそらすと、窓の外を見やった。
「それにしても、ひどい道ですわね。せっかく、実家から足の速い馬と高級な馬車を出させましたのに、こんなに揺れては痛んでしまいますわ」
馬車は『失意の森』を抜ける悪路を突破し、カロッテ村までもう少しのところに来ている。『失意の森』ではクマや巨大な猛禽類、好戦的なエルフなどに襲われ、立派だった馬車の装飾はぼろぼろになっている。その被害のいくぶんかは、マルローネが至近距離で爆発させた爆弾によるものだが。少なくとも、マルローネの爆弾とロードフリードの剣技のおかげで、一行が窮地に陥ることはなかった。

王都ハーフェンでローラントと共に、竜騎士隊を乗っ取ろうとしていた謎の仮面の騎士を追い払ったマルローネたちは、竜騎士隊ドラグーンの隊長ゲオルグを含めて善後策を協議した。
ロードフリードの情報から、謎の核心はフィンデン王国にあると確信したマルローネは、さっそくフィンデンへ向かおうと主張し、慎重派のクライスと真っ向から衝突した。
「どうしてよ! クサイ臭いは元から絶たなきゃダメって言うじゃない!」
「では、あなたの研究室を真っ先に閉鎖しないといけませんね」
「それは関係ないでしょ!?」
「アイゼルさんがヘルミーナ先生に手紙を送ったというのでしょう? ヘルミーナ先生のことですから、必ずご自分でやって来ると思います。あちらは、あのふたりに任せておけばよいのではないですか」
「だって――」
「それに、あなたが行ったら、事態を余計に紛糾させるだけではないかと思うのですが・・・」
「何でよ!? ――あ、ローラントさん、今うなずいたわね!?」
「い、いや、私は別に――」
「このカナーラント王国が、再び狙われるという心配もありますし」
あのエイスという騎士が再び戻ってくるのではないかというクライスの懸念ももっともだ。
「でも、フィンデン王国にも同じやつがいるとすれば、大変だよ。あいつが魔界から来たんだとしたら、とっても強いよ。アイゼルとヘルミーナ先生だけじゃ、心配だよ」
錬兵場での戦いの際、マルローネはあの仮面の騎士から魔界の気配を感じたのだ。それは、かつてマルローネがエアフォルクの塔で戦い、倒した魔人ファーレンを思い出させるものだった。
「ああ、確かに、やつは途方もなく強い。しかも、一度は確かに焼け焦げて息絶えたはずなのに、よみがえってしまった。この目でしっかと見ていても、いまだに信じられぬ」
ローラントは厳しい表情のままだ。
「俺たちは、とりあえずカロッテ村へ戻ります」
ロードフリードが言った。
「ヴィオやアイゼルさんから連絡が入るとすれば、それはカロッテ村です。いったん戻って、なにか連絡が届いていないか確かめて来ようと思います」
かたわらでブリギットもうなずく。
「実家に言って、馬車を用意させます。あんな田舎村へ戻りたくはありませんが、わがままも言っていられませんもの」
「じゃあ、あたしたちもとりあえずカロッテ村へ行こうよ」
マルローネが言う。
「ですが、私たちは遺跡破壊の罪で竜騎士隊に逮捕されている身ですよ。勝手な移動は許されないのではないですか」
クライスが反論する。
「あ、そっか・・・」
マルローネは上目遣いにローラントを見て、
「ねえ、行ってもいいよね?」
「それは――」
口ごもるローラントに、それまで黙って目を閉じていたゲオルグが口を開く。
「爆弾を使用して遺跡を破壊した罪だが・・・。この人たちは、ドラグーン壊滅の危機を救ってくれた。この功績は、罪を償うに十分だったと思うのだが、どうかね」
「はっ! 隊長がそうおっしゃるならば」
「ええ? じゃあ、無罪放免ってこと!?」
マルローネが歓声をあげる。ローラントはじろりとにらんで、
「だが、再びむやみに爆弾を使って破壊活動を行うようなことがあったら――」
「あ、わかってる、わかってるって」
「私も、謎を解く鍵はフィンデン王国にあると思う。だが、現状ではドラグーンの部隊に国境を越えさせるわけにはいかん」
「外交問題になりますからね」
ローラントがうなずく。ゲオルグはクライスとマルローネを見やる。
「あなた方は、フィンデン王国へ行かれるのが現状では最善の選択と思う。あの仮面の騎士が戻ってくる可能性はあるが、やつの手口はわかっている。王室や竜騎士の全員に徹底すれば、再びつけ込まれることもあるまい」
「ほらね、さすが隊長さん!」
得意げに顔を向けるマルローネに、クライスはため息をつく。
「仕方がありませんね。マルローネさんをまた犯罪者にするわけには行きませんから、はなはだ不本意ですが同行することにしましょう」
「何よ、その言い方。いやなら、船に乗ってひとりでシグザールへ帰ってくれてもいいのよ」
「そういうわけにはいきません。あなたを野放しにして帰ったりしたら、アカデミー当局から責任を追及されてしまいますからね」
「どんな責任なのよ!?」(*12)
むくれたマルローネだが、すぐににんまりと笑みを浮かべる。
「まあ、荷物持ちと下働きがいないと、旅も大変だしね」
「誰が下働きですか」
クライスの文句を無視して、ロードフリードを見やる。
「ねえ、カロッテ村には、ええと――ヴィオラートだっけ? その錬金術士の工房があるのよね」
「はい」
「よぉし! それじゃ、村に着いたら工房を借りて、一仕事ね」
「何をやらかそうというのですか、マルローネさん?」
「決まってるでしょ」
と、マルローネがささやきかけた言葉に、クライスは大きくうなずいたのだった。

そんなわけで、一行は無事にカロッテ村に到着した。
フィンデン王国からマッセンへ向かっているはずのヴィオラートからは、何も連絡は届いていなかった。
「あいつのこった、なにかに夢中になって、連絡のことなんか忘れてるに違いないぜ」
大あくびをしながらバルトロメウスが言う。
「本当に、村に残っている人がどれほど心配しているか、あの娘にはわからないのかしら。ひとことぐらい言ってよこせばいいのですわ」
「おや、ブリギットもいろいろ言う割には、ヴィオのことが心配なんだね」
「ち――違いますわ! わたしは一般論を言っているだけです。誰が、あんな田舎者のことなんか・・・」
ぷいと顔をそむけるブリギットを見て、ロードフリードは微笑した。
「でも、ほら、便りがないのはいい便りって言うじゃない。きっとヴィオは元気で旅を続けているはずよ」
クラーラがお茶をみんなに配りながら言う。
「あ、クラーラさん、そんなこと、俺がやります!」
「気がつくのが遅いぞ、バルテル」
「うるせーな」
バルトロメウスとロードフリードの言い合いに背を向け、クラーラは作業台に取り付いている新来のふたりを見やった。
「あの・・・。おふたりも、お茶が入りましたので休憩されてはいかがですか?」
「あ、ごめ〜ん、今、手が放せないの。そこに置いといて!」
「マルローネさん、失礼ですよ」
「じゃあ、あんた、この反応がむだになってもいいって言うの? 材料だって乏しいんだからね!」
「それはまあ、そうですが」
ヴィオラーデンへ着いたマルローネとクライスは、挨拶もそこそこに調合作業にかかったのだった。
「放っておけばいいですよ、クラーラさん」
バルトロメウスが手を振って言う。
「ヴィオのやつも、いったん調合を始めると、飯も食わないし、2、3日の徹夜も平気だったじゃないですか。無理にやめさせようとすると怒り出すし」
「それは、そうですけれど・・・」
クラーラは作業台を見やった。
とたんに、小さな爆発音が響き、煙が吹き上がる。
「あっちゃあ、またやっちゃった」
「マルローネさん! だから最終段階は細心の注意を払うように言ったでしょう!」
「クライスがそばでごちゃごちゃ言うから、手元が狂っちゃったのよ!」
「ひとのせいにしないでください」
カロッテ村の面々は、あきれてながめている。
「ねえ・・・。ヴィオも錬金術を続けていると、あんなふうになっちゃうのかしら?」
クラーラが心配そうに言う。
「それはわからないが・・・」
ロードフリードが肩をすくめ、言い争うマルローネとクライスを見やる。
「あのふたり、ほとんどヴィオとバルテルの兄妹げんかと同レベルだな」(*13)
額に手を当てて、ブリギットが立ち上がる。
「ああ、あのふたりを見ていたら、頭痛がしてきましたわ。家に帰って休むことにします」
「お送りしましょう」
「すみません。お言葉に甘えさせていただきますわ」
ふたりが出て行った後しばらくして、言い合いに飽きたマルローネが店のカウンターへやって来た。
「ねえ、この辺に、竹が採れるところってない? あ、あとぷにぷにが集団で出るところも」
「へ? ああ、『近くの森』へ行けば、竹も生えてるし、ぷにぷにも出ると思いますけど」
「やった! どう行けばいいの?」
バルトロメウスが行き方を教えると、マルローネはにんまりしてクライスを見やった。
「ね、失敗したって、また材料を手に入れればいいのよ。さ、行きましょ」
「いったい、何を作ろうっていうんですか?」
バルトロメウスが尋ねると、マルローネはあっさり答えた。
「『空飛ぶホウキ』(*14)よ。隣の国は遠いってのに、馬や歩きでとろとろ行くわけにはいかないからね。ぴゅうっと一気に飛んで行かなきゃ」
「はあ・・・」
「あ、思い出した!」
マルローネは手を叩いた。
「その森では、蜂の巣も採れるかしら?」
「ええ、奥の方へ行けば、あったと思いますよ」
ヴィオラートを護衛した時のことを思い出して、バルトロメウスは答えた。
「よし、これで完璧ね。行こ、クライス」
その時、ベルが鳴ってドアが開いた。
「ただいま。やっと着いたわ。変わったことはない?」
気遣わしげに言いながら、ピンク色の錬金術服とローブに身を包んだ女性が入って来る。
「アイゼル!」
マルローネが叫ぶ。アイゼルがグラムナートに来ていることはロードフリードから聞いていたから、ここで出会ってもそれほど驚きはしない。
だが、アイゼルにはまったく予想外のことだった。
大先輩ふたりの姿が目に入ると、アイゼルはエメラルド色の目を呆然と見開いた。
「マ――マルローネさん? クライスさん? どうしてここに・・・」
立ちすくんだアイゼルを見やって、マルローネは言った。
「久しぶりだね。あ、でも・・・、アイゼル、ちょっと太った?」


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