第19章 歪曲空間へようこそ!(*1)
「よし、行くぞ」
乗って来た馬を立ち木につないだダグラスは、背後に立つふたりを振り返ってあごをしゃくった。
「だが、中は魔物の巣だ。俺の後ろにぴったりくっついて、はぐれるんじゃねえぞ」
シグザール王国聖騎士の青く輝く鎧で身を包み、聖騎士の剣を腰に差したダグラスは、いつになく精悍に見える。騎士隊長代行に任ぜられたという責任もあるのだろう。しかし、それよりも、久しぶりに剣の腕を思う存分振るえる機会にめぐり会えたことの方が大きいようだ。
「ごめんね、ダグラス。わざわざ護衛までさせちゃって」
「よろしくお願いしますよ」
杖を手にしたエリーとイングリドが、ダグラスの声に応える。ふたりは馬ではなく『空飛ぶホウキ』に乗ってザールブルグからへーベル湖(*2)を越え、ここヘウレンの森(*3)の南端までやって来たのだ。
森の真ん中にぽっかりと開けた円形の広場の中央に、古びた石造りの塔がそびえている。徐々に先細りになる各階の小さな窓からはコウモリの黒い影が出入りし、どこかまがまがしい雰囲気が漂っている。
シグザール王国の建国以前より存在していた神秘の建造物――それは、『エアフォルクの塔』と呼ばれている。
最上階には魔界への入口があると言われ、塔の内部には魔界からさまよい出た魔物が無数に徘徊しているという。財宝が埋もれているという噂が流れているため、一攫千金をもくろんで塔へ入り込む冒険者や盗賊が後を絶たない。だが、ほとんどの侵入者には悲惨な運命が待ち受けている。身の凍るような思いをしてほうほうの体で逃げ帰ってくるのはまだ幸運な方で、運がなかった者は魔物の群れに襲われて塔内にかばねをさらすことになってしまうのだ。
そのため、王室騎士隊も何度となくふれを出して、塔へ立ち入らないよう強く呼びかけている。年に2回実施される騎士隊による魔物討伐でも、『エアフォルクの塔』は避けて通るのが通例だ。
「まあ、ちょうどいい気晴らしにはなるからな。――ったく、隊長の仕事ってのがあんなに書類仕事ばかりだとは思わなかったぜ。頭が痛くならぁ」
ダグラスのぼやきを聞いて、エリーはくすっと笑った。確かに、机で書類に目を通しているダグラスの姿など想像できない。もっとも、本当に重要な書類はウルリッヒが処理しているので、ダグラスの手元に回ってくるのは本来の量の半分以下なのだが。
「でも、今は一応、隊長さんなんでしょ? 留守にしちゃっても良かったの?」
極秘任務で国外に派遣されたエンデルクが帰還するまでの措置として、ダグラスはシグザール王室騎士隊長代行を務めている。代行とはいえ、隊長たる者がこのような単独行動をしていいものか、エリーは腑に落ちなかった。
質問をぶつけられたダグラスは、あきれたように答える。
「あん? お前、知らねえのか。こいつは国王陛下からじきじきに命令された任務なんだぜ」
「えっ、そうだったの」
エリーはきょとんとした。
「ああ、今朝いちばんに、ゲマイナーのおっさんに呼び出されてな」
ダグラスにあっては、秘密情報部長官もおっさん扱いである。
身支度を整えるのもそこそこに謁見室に出頭したダグラスは、シグザール王国第9代国王ブレドルフから次のように命ぜられたのだ。
『ザールブルグ・アカデミー講師のイングリド他1名を護衛して、万難を排して『エアフォルクの塔』へ赴くこと』
前日の深夜にイングリドがゲマイナーを訪れ、ヘルミーナからの手紙を見せて状況を説明し、騎士隊の協力を要請したことまでは、ダグラスには知らされなかった。
「なんでえ、またお守り役かよ」
“他1名”がエリーのことだと知った時、ダグラスは憎まれ口を叩いたものだ。
塔のふもとにたどり着いた今も、口の悪さは止まらない。
「命令だから従うけどよ、いったいまた、何だってこんな酔狂をやらかすことになったんだ? 新しい錬金術の実験か何かか?」
「う〜ん、あたしも詳しくは知らないんだよ。遠い東の国で戦争が起きそうになってて、ヘルミーナ先生とアイゼルがそこに行ってて、妖精さんがヘルミーナ先生からの手紙を届けて来て・・・」
「お前の言ってること、さっぱりわからねえぞ」
「だって・・・」
エリー自身、朝早くにイングリドからアカデミーへ呼び出され、パウルが届けて来たヘルミーナからの手紙を見せられて、『エアフォルクの塔』へ同行するよう言われたばかりだった。パウルがぼろぼろに焼け焦げた服のまま、部屋の隅で寝込んでいた理由(*4)はわからない。そして、言われるままに休講の告知をルイーゼに頼んで、ふたりで城へ向かったのだった。
「わたくしだって、好きこのんでこんなところへ来たわけではないのよ」
不機嫌な顔つきで、イングリドが言う。
「だけれど、ヘルミーナがあれだけ真剣に頼んで来たのだから、応えてやらないわけにはいかないじゃない。グラムナートの大勢の人たちの運命がかかっているというのですもの」
「そんなおおごとだったのか。道理でゲマイナーのおっさんが一枚かんでたわけだ」
ダグラスが納得顔でうなずく。だがすぐに首をかしげ、
「でもよ、その遠くの国と『エアフォルクの塔』と、どう関係して来るんだ?」
「魔界よ」
イングリドはぽつりと言った。
「ああ!? 魔界だって?」
「そう・・・。ヘルミーナは、フィンデン王国で起こっている異変に、魔界の何者かが関係していると推測しています。ですが、状況から言って、あちらからは魔界を調査することはできません。そこで、わたくしの方に、魔界と接触して情報を得られるかどうか調べてほしいと依頼してきたというわけなのです」
「でも、魔界と接触するって言っても、あてはあるんですか?」
エリーが尋ねる。イングリドは肩をすくめ、
「こういうことは、マルローネが得意なのですけれどね。あの娘がいてくれれば、あなた方に無理を言ってついて来てもらう必要はなかったのですが」
ため息をつく。
「ケントニスで行方不明になっているなんて、本当にいつまでたってもふらふらと落ち着かないんだから――」
マルローネとクライスを呼び戻そうとケントニスに手紙を送ったが、ふたりともどこかへ旅に出てしまっているという知らせは、イングリドのもとに届いている。
「マルローネが以前に言っていました。あの娘がこの塔の魔人を倒した時、ある女騎士と一緒だったと。そして、その女騎士は生まれ故郷である魔界へ帰って行ったと。『エアフォルクの塔』の最上階へ行けば、その女性に会えると、わたくしは思っています。過去にも同じようなことがありましたしね(*5)」
イングリドは、陰鬱な気配をたたえて頭上にそびえる『エアフォルクの塔』を振り仰いだ。
「行きましょう、“紅薔薇の騎士”に会いに――」
最初のフロアに足を踏み込んだ時、ダグラスはエリーにささやきかけた。
「なあ、あの先生、大丈夫なのか? 魔物に出会って取り乱したり、悲鳴をあげて騒いだりしねえだろうな? 素人は足手まといになるからな」
「う〜ん、よくわかんないけど・・・」
イングリドと街の外へ出るのは初めてのエリーも、首をかしげた。
だが、フロアの中央に歩み入って、四方八方からぷにぷにの集団が押し寄せてくると、ふたりの心配は杞憂だとわかった。
ダグラスが剣を抜き、エリーが杖を構える前に、最後尾にいたイングリドが杖を振り下ろしたのだ。
「シュタイフブリーゼ(*6)!!」
無数の閃光が走り、雷鳴がこだまして石の壁を揺るがす。
吹き上がった埃のもやが晴れた時、魔物の群れは消え失せ、壁に飛び散ったまだらな染みが残っているばかりだった。
「おいおい・・・」
ダグラスはあきれたように、エリーを見た。
「あの先生、護衛なんか要らねえんじゃねえのか?」(*7)
「さ――、逆らわないようにしよう・・・」
目を丸くしてエリーがつぶやいた。
「さあ、急ぎましょう」
顔色ひとつ変えずに、イングリドは言った。
そして――。
一行は無事に『エアフォルクの塔』の最上階にたどり着いた。
ヤクトウォルフの集団を追い散らしたり、好戦的なエルフが支配するフロアを突破したり、四方から襲うクノッヘンマンを焼き尽くしたり、アポステルの群れを根絶やしにしたり――このパーティは、ほとんどけがをすることもなく、塔の中で待ち受ける数々の危険を突破したのだった。
塔の最上階は、だだっ広い石造りのがらんとした広間だった。
ここまで通り抜けてきたフロアと異なり、魔物の気配はない。それだけに、かえってここが地上から隔絶された異質な空間であることを感じさせる。
ランプの明りが、広間のそこここに転がっている瓦礫や、床や壁に残るおぼろげなまだら模様の染みを照らし出す。
「本当にあるのかい、魔界の入口ってやつは? そんなもの、どこにも見えねえぞ」
前方を見すかすダグラスの声が、天井にこだまする。
「しっ!」
進もうとするダグラスを、イングリドが押しとどめた。
「誰か、います」
その言葉に呼び出されたかのように、広間の奥の暗がりにぼうっとした人影が浮かび上がる。
「出たな、魔物め!」
「待って、ダグラス!」
血の気の多いダグラスが剣を抜こうとするのをエリーが止める。
現れた人影は、すぐに長身の女性騎士の姿となった。
銀の戦鎧に濃紺のマントをまとい、レイピアを手挟んでいる。真紅の長い髪が流れるように肩当てにかかり、整った高貴な顔立ちの中で鋭い目と真紅のくちびるが目立つ。
「ここより先は、魔界の領域――。生身の人間が踏み込むことはまかりならぬ」
真紅の髪の女騎士は、氷のような眼差しと口調で言い放った。
「おい、待てよ! 偉そうなこと言いやがって! 俺たちは魔界に用があるから来たんだぞ」
ダグラスは早くもけんか腰だ。
「フフフ・・・。弱い犬ほど、よく吠える――」
流し目をくれ、女騎士が言う。
「な、何だと!? もう一度言ってみやがれ!」
「ダ、ダグラスったら――」
エリーが必死になだめる。
イングリドが落ち着いた口調で、話しかける。
「わたくしたちは、決して魔界に入り込もうなどという意図は持っておりません。ここへ来たのは、情報を求めるためです」
「情報?」
女騎士の目が細まる。イングリドがうなずく。
「あなたならば、遠いグラムナートで起こっている異変について、なにかご存知ではないかと思ったのです。あなたは“紅薔薇の騎士”(*8)、キルエリッヒ・ファグナーですね?」
「だったら、どうだというのだ? 人間界のことなど、わたしは何の関心もない」
キルエリッヒは冷たく言った。
「いいえ、そうではないはずです」
イングリドの口調に力がこもる。
「あなたがかつて、マルローネとの間に結んだ友情を思い出してください(*9)。マルローネはわたくしの弟子です。そして、ここにいるエルフィールにとっては先輩でもあり命の恩人でもあります。できれば、マルローネ本人を使いによこしたかったのですが・・・」
「マルローネの知り合いか・・・。ならば、彼女に免じて話くらいは聞いてやろう。だが、さっきも言ったように、あの時以来、わたしは人間界とは縁を切っている。役に立てるとは思えないが――」
「フレイムという仮面の騎士に心当たりはありませんか?」
イングリドは単刀直入に尋ねた。ヘルミーナからの手紙に書いてあった名前だ。
キルエリッヒが眉を上げた。
「フレイム――? あの厄介者が、人間界にちょっかいを出していると言うのか?」
「ご存知なのですね!」
イングリドを見やって、キルエリッヒはうなずいた。
「よかろう・・・。だが、少し長い話になるぞ。来るがよい」
キルエリッヒにうながされて、一行は広間の中央に向かった。女騎士が手を一振りした瞬間、3人はもやに包まれ、気がつくと魔界の玉座の間(*10)に立っていた。
そこは、シグザール城の謁見室に似ていた。
一段高い玉座に向かって床に真紅のじゅうたんが敷かれている。だが、聖騎士の代わりに脇に控えているのは、黒ずくめの甲冑をまとった騎士や獣のような顔をした男、額に角を生やし鋭い爪のついた手足を持つ老人などだ。壁に飾られたレリーフや肖像画には悪魔としかいいようのない姿が描かれている。
「おいおい、とんでもねえところに来ちまったみたいだな」
ダグラスがささやく。エリーも居心地が悪そうだ。落ち着いているのはイングリドだけだが、これも年の功と言うべきか。
堂々とした所作のキルエリッヒに、魔界の住人がうやうやしく挨拶を送る。
キルエリッヒは一行を玉座の裏の小部屋へ導いた。
「玉座の前で話すのでは、堅苦しかろう」
キルエリッヒの指示で、コウモリのような顔をした小男がせかせかと人数分の椅子とティーセットを用意する。
「他に御用はございませんか、女王様?」
男の言葉に、ダグラスが目をむいた。
「女王だと!? あんた、魔界の女王様なのかよ」
「ふん、気にするな。わたしがこの城の主であるという、ただそれだけのことだ」
キルエリッヒは平然と言う。
「自分を魔界の王や女王だと称するやからは、魔界にはいくらでもいる。あいにくだが、わたしはそのような愚か者ではない。魔人ファーレンが滅びたので、不本意ながらわたしが城の管理を引き継いだ。それだけだ」
この話題はもう終わりだというように、軽く手を振った。
「本題に入りましょう」
イングリドがせかすように言う。
「ああ、そうだな、こんなところでいつまでものんびりしているわけにはいかねえ」
「あはは、ダグラス、怖いんでしょ。だから早く帰りたいんじゃないの」
「ばかやろう! 俺は、隊長代行としてだな、そう長く城を空けるわけにはいかねえってことを――」
エリーとダグラスのやり取りに、キルエリッヒは笑みを浮かべた。
「ふふふ、心配は無用だ。魔界と人間界では、時の流れが異なる。ここで何週間も過ごしたところで、お前たちの時間では数刻も経過してはいまい」
「まずは、これをご覧いただいた方が早いでしょう」
イングリドが、ヘルミーナから届いた手紙を差し出す。そこには、ヘルミーナが見聞きしたフィンデン王国の状況が書かれている。特に、ヴィトスを救出するためにメッテルブルグの王城に乗り込んだ時に遭遇した仮面の騎士のことが詳しく書いてある。目を見ることで相手の心を支配し、炎属性の強力な魔法で攻撃してくる騎士と戦った妖精パウルは、妖精だけが持つ独特の感覚で相手が魔界の存在だと感じ取ったのだ。
「ふん、国家を陰で支配し、人間同士を戦わせ、動乱の種をまく・・・やつらがやりそうなことだ」
一読したキルエリッヒは平然と言った。イングリドが眉をひそめる。
「“やつら”・・・? 今、“やつら”と言いましたね。仮面の騎士は、ひとりではないのですか?」
「ああ、フレイムは魔界の精霊騎士三兄弟(*11)のひとりだ。やつらは、たいていの場合、つるんで行動している。いずれ、ドナーとエイスもその近辺にいるのだろう」
「精霊騎士? なんだ、そりゃ?」
「三兄弟――?」
ダグラスとエリーからも声が上がる。
キルエリッヒは、背後を振り向いた。
いつの間にか、そこには黒ずくめの騎士が立っている(*12)。
「ひえっ!」
びっくりしたエリーが小さく叫んだ。
「やつらの最近の動向を調べて」
キルエリッヒは手短に黒騎士に指示を与えた。
「では、最初から話すことにしよう。精霊騎士とはいかなる存在なのか――」
キルエリッヒは、テーブルに置いた手を組んで、低い声で話し始めた。
「魔界には、様々な霊気や精気が色濃く渦巻いている。人間界とは比べ物にならないほど濃密だ。邪霊や魔霊、悪霊の類もいるが、もっともありふれているのは四大精霊(*13)だな」
「水・地・火・風ですね」
アカデミーで習ったことを思い出して、エリーがうなずく。
「ええと、ウンディーネ、ノーム、サラマンダー、シルフ・・・でしたっけ? 魔界には、本当にそういう姿をした精霊がいるんですか?」
「いるとも、いないとも言える。なぜなら、精気に満ちた魔界とは言えど、かれら精霊が具体的な肉体を顕現できるような条件が揃うことはめったにないからだ」
キルエリッヒは遠くを見るような目で続ける。
「それは、六つの惑星が合を成す(*14)という、数千年に一度の星回りの日だったそうだ。霊力が劇的に強まり、普段は希薄にたゆたっているだけの精霊が、魔界の奥深くの沼地に凝集し、形をとり始めていた。そこへ、次元の亀裂から巨竜が一頭、迷い込んできたのだ」
「竜が――?」
「沼地に集っていたのは、雷の精霊、炎の精霊、氷の精霊だった。そして、かりそめの肉体を具象化していた精霊たちは、本能と欲望の赴くまま、竜と契ったのだ。竜はほどなく、再び次元の果てに消えたが、そのひと時の邂逅から、竜の肉体と精霊の魔力を持った三体の存在が産み落とされた。やつらは、竜のごとく強靭にして邪悪、精霊のごとく移り気で節操がない。それが、精霊騎士三兄弟――ドナー、フレイム、エイスだ(*15)」
「竜と精霊のあいのこってわけかい!?」
ダグラスがあきれたように言う。
「でも、それならば、なぜ仮面の騎士の姿をしているのかしら?」
「人間界へ、魔物の姿で現れるわけにはいかないだろう? やつらの半分は、実体を持たぬ精霊だ。どのような姿をとることもできる。そのフィンデン王国とやらで暗躍しやすい格好を選んだのだろう」
キルエリッヒは言葉を切る。
「先ほど、おっしゃいましたね。他のふたりも、その近辺にいると――」
イングリドが尋ねた。キルエリッヒが静かに答える。
「ああ、やつらは悪戯を競い合うことが多いからな」
「悪戯ですって!?」
「そう、魔界でもしょっちゅうやっていたが、今度は人間界をおもちゃにすることを考え付いたのだろうよ」
「お、おい、ちょっと待てよ、人間界をおもちゃにするって、どういうことだよ!?」
ダグラスが目をむく。
「戦争を仕掛け、国土を荒廃させ、人々の幸福を奪う――。誰がいちばん上手にやってのけられるか、競っているのだろう」
「何だって!?」
「あるいは、どれだけ長く、人間を食いものにして楽しめるかの腕比べかも知れぬ」
「じょ、冗談じゃねえぞ! ガキの遊びじゃねえんだ!」
「そうか?」
キルエリッヒは冷ややかな目でダグラスを見やる。
「人間の子供も、罪の意識もなくアリの巣を壊したり小鳥の巣から卵を盗んだりするだろう。軽い気持ちで行ったことでも、当のアリや小鳥にとっては天変地異に等しいではないか。それと同じことだ」
「な――!?」
「あやつらは、言ってみれば魔界の悪戯小僧なのだ。いささか強大すぎる力を持ってしまっているが」
キルエリッヒは肩をすくめた。
「気まぐれなやつらのことだ、しばらく放っておけば、おもちゃにも飽きるだろう」
「しばらくって、どれくらいなんだよ!?」
「そうだな・・・。お前たちの暦で、数十年か、数百年か――」
「そんな――!?」
エリーが悲鳴に近い声をあげる。
「そんなに放っておいたら、国が滅んじゃいますよ!」
「そうね。それに、ひとつの国が滅んだら、別の国に手を出すかも知れないわ」
イングリドが言う。平静な口調だが、目には不安が宿っている。
「それじゃ、グラムナートだけじゃなくて、シグザールにも?」
「それだけじゃねえ。ドムハイトやカリエル(*16)だって、狙われるかも知れねえぞ」
ダグラスがこぶしをテーブルに打ちつける。キルエリッヒをにらみ、
「いいか、お前ら魔界の連中にとってはほんのわずかな時間かも知れねえがな、俺たち人間にとっては、一生に値するんだよ! みんな、数十年の人生を精一杯生きてるんだ! そんなとんでもない連中に好き勝手やられてたまるか!」
言いつのろうとするダグラスを制して、腕組みをしたイングリドが言う。
「ですけれど、わたくしたちは悪戯をした子供にはお仕置きをして、言って聞かせます。魔界では、そんな基本的なしつけもできないというのかしら?」
「わかっておらぬようだな。魔界の掟は、殺すか殺されるかだ。言って聞かせるなどという甘いことはせぬ。殺し合ってもけりがつかぬ場合は、無視して放っておく」
キルエリッヒの赤い瞳とイングリドの色が異なる瞳が険しい視線をぶつけ合う。空中に火花が散るかに見えた。
先に目をそらしたのはキルエリッヒだった。
「わたしも、一度はやつらをしとめようとしたさ。この城と、わたしの命を狙ってきたものでな」
「勝てなかったんですか」
エリーの問いに、真紅の髪をかき上げ、微笑む。
「勝ったさ。確かに騎士を名乗るだけあって、やつらの剣の腕はかなりのものだ。それに、フレイムとエイスの場合は、目を見るとこちらの心がかき乱されてしまうしな」
「ヘルミーナが書いてきた、マインド・コントロールの能力ね」
「そうだ。ドナーにはその能力はないが、その分、魔物どもを操ることができるから厄介だ(*17)。だが、1対1なら、やつらもわたしの敵ではない。わたしは何度となくやつらと戦って、いやというほど叩きのめし、倒した」
「え? あれ――?」
エリーがきょとんとする。
「倒したのに、どうして三騎士はグラムナートにぴんぴんしているんですか?」
キルエリッヒは鋭い目で3人を見渡した。
「そこが、あの三兄弟の強みだ・・・。やつらは、不死なのだ」
「不死・・・」
しばらくの間、イングリドもエリーもダグラスも、声が出せないでいた。
不意に背後に現れた黒騎士がキルエリッヒに歩み寄り、耳元に口を寄せてささやきかける。
うなずきながら、かなり長く耳を傾けていたキルエリッヒは、3人に向き直った。
「精霊騎士どもが人間界へ――それもグラムナートを選んで入り込んだ事情がわかった」
キルエリッヒが指を鳴らすと、これまで何もなかった壁面に見たこともない地図が浮かび上がった。
「魔界の地図だ」
短く言うと、その一部を指し示す。
「魔界と人間界とは、何箇所かでつながっている。そのひとつが、お前たちが入って来た『エアフォルクの塔』だ。そしてもうひとつ、魔界とつながっている『マイバウムの塔』(*18)がグラムナートにある」
「何ですって!?」
「グラムナートにも、魔界の入口があったのかよ!」
「通常、それらの出入り口は固く守られている。魔界と人間界が必要以上に混じり合うようなことがあったら、因果律に致命的な歪みが生じないとも限らないからな。『エアフォルクの塔』は、かつて魔人ファーレンが支配していた。そして、今はわたしが守護者の役割を果たしている。人間界にも協力者はいる(*19)が――」
キルエリッヒは落ち着いた口調で続ける。
「『マイバウムの塔』にも、同じように守護者がいた。名を魔王ザウゼン(*20)という。だが、お前たちの歴史で20年ほど前、ザウゼンは人間の冒険者に倒されてしまった(*21)。それ以来、『マイバウムの塔』には、魔界と人間界の行き来を防ぐ守護者はいない。精霊騎士は、それをいいことに人間界へ入り込んだのだ。人間の子供が塀に空いた穴をくぐるようにな。しかも――」
耳を傾ける3人からは、しわぶきひとつもれない。ダグラスですら、話の内容に圧倒されているようだ。
「グラムナートの北方には、魔力の源がある。やつらは、それに引き寄せられたのかも知れぬ」
「何なのです、それは?」
「はるかな昔に、倒された竜の体内からもたらされた宝石だ。今は北の小国で祀られているという。それを手に入れたら、やつらの魔力はさらに強まるだろう」
キルエリッヒは言葉を切った。沈黙が広がる。
「なぜ、魔界の騎士たちがグラムナートへ現れたという事情はわかりました。ですが、わたくしたちは、この事態を放っておくことはできません」
イングリドが、意を決したようにきっぱりと言った。
「先ほど、あなたは三騎士は不死だと言った・・・。あれはどういうことなのですか?」
「ふん、納得できぬというなら、説明してやろう」
キルエリッヒは椅子に座り直した。
「さっきも言ったように、やつらは精霊と竜の結びつきから生まれた。雷の精霊から生まれたドナー、炎を精霊を親に持つフレイム、氷の精霊の息吹を宿すエイス――やつらは、互いに結びついている。ひとことで言えば、三位一体なのだ」
「どういうこと・・・?」
「精霊騎士の絆は、生命の絆だ。しかも、竜の血を受け継いでいるから、生命力も強い。仮に、わたしがドナーと戦って、息の根を止めたとしよう。だが、一刻も経たぬうちに、やつはよみがえる。他の兄弟から空間を越えて生命力の供給を受けてな」
「そんな――」
「嘘だろ!?」
「精霊とは、そういうものだ。互いに依存し合い、生き続ける。その命の循環を断ち切るのは、不可能に近い」
これでわかったろう、というように、キルエリッヒは肩をすくめた。
「戦っても戦ってもよみがえってくるやつらを相手にするなど、時間と体力の浪費というものだ。いつかはこちらの生命が尽きてしまう。やつらには関わらないのがいちばんなのだ」
「それでは、このまま手をこまねいていろ――と?」
左右の色が異なるイングリドの瞳に、剣呑な光が宿る。
「わたしとて、好きこのんでこんなことを言っているわけではない」
キルエリッヒは真紅の髪をかき上げ、ため息をついた。
「だが、今も言ったように、あやつらは倒しても、倒しても、よみがえる・・・」
言葉を切り、イングリドを真っ向から見すえる。
「あやつらは、事実上、不死身なのだぞ」
再び、沈黙が落ちた。
それを打ち破ろうとするかのように、ダグラスが叫ぶ。
「冗談じゃねえ、相手が不死身だろうと何だろうと、放っておけるかってんだ!!」
「ふふふ、いかにも人間らしいな。思い込んだら、てこでも動かぬ」
キルエリッヒは席を立った。
「帰りは黒騎士に送らせよう。わたしに手助けできるのは、ここまでだ。あとは、お前たちの問題だ・・・」