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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第22章 伝承詩「坑道連歌」(*1)

プロスタークは、鍛冶の街である。
フィンデン王国の北部にそびえるボッカム火山は、昔から様々な鉱石の産地として知られていた。いつの頃からか、ボッカム山の中腹にはいくつもの坑道がうがたれ、宝石の原石や武具の原料になる硬質の鉱石が掘り出されるようになった。坑道の周囲に、鉱夫の住居や鉱石を精製する溶鉱炉、武器工房や生活用品を商う雑貨屋などが建ち並び、ただの集落はいつしかそれなりの規模の街となっていた。
街の北に建つ大きな石造りの建物には、“ケルツェ”(*2)と呼ばれる巨大溶鉱炉が2階をぶち抜いて鎮座している。鉱山から掘り出された鉱石はここで熔かされ、精製されて金属のかたまり――インゴットとなり、さらには武具となって、商人の手でフィンデン王国各地に運ばれている。
坑道の掘削から武具の出荷に至るまでの流れを管理しているのが、鍛冶ギルドだ。
メッテルブルグの商工ギルドや金融ギルドと並ぶ有力ギルドだが、他のギルドと同じく今は王室に接収され、フィンデン神聖騎士団の支配下に置かれている。少なくとも、公式には――。
“ケルツェ”に隣接したプロスタークの役場の一室では、鍛冶ギルドのマスターであるボーラー・クヴェレが数人の騎士隊員の訪問を受けていた。
ボーラーは、かつては“ケルツェ”の管理責任者として辣腕を振るい、その傍らプロスターク周囲の魔物退治や旅人の護衛など、忙しい日々を過ごしていた。先代のギルドマスターが引退した時、実力と人望をかわれて後任に推され、それ以来、街の発展と住民の幸福に心を砕いてきた。
坑道の奥から掘り出してきたばかりの鉱石を思わせるごつい風貌は、年をとるにつれ円熟味を増してきたが、いまだにこわもての顔役としての存在感を保っている(*3)。ボーラーが現れれば酒場で酔っ払って暴れている荒くれ男たちもおとなしくなるほどだ。
ボーラーは今、大きな一枚板のテーブルを挟んで、プロスターク駐屯のフィンデン騎士隊の幹部と対峙している。
「で――? 今日は何のご用ですかな?」
騎士隊の用件はわかりきっていたが、ボーラーはわざととぼけた。
「聞かずともわかるだろう! 昨日の溶鉱炉での事故のことだ」
フィンデン騎士団第9分隊長と名乗った男がかみつくように言う。
「わが隊の優秀な部下が、3名も重傷を負ったのだぞ! この責任をどう取るつもりだ」
「誤解されているようですな」
ボーラーは穏やかに言う。
「あれは、そちらの騎士が知識もないのに勝手に“ケルツェ”をいじろうとしたために、起こったことです。あのバルブを不用意に回せば、熔けた金属が漏れてくるのは当然です。溶鉱炉は素人に扱えるものではない。そのことは、最初に申し上げていたはずですぞ」
実際には、“ケルツェ”の作業を見張っていた騎士が通りかかる場所に、どろどろに熱せられた金属が噴き出すような仕掛けが作られていたのだが、もちろん証拠は消し去られている。
「そればかりではない。街の外でも何人もの騎士が魔物に襲われて大けがをしている。この街の治安はどうなっているのだ!?」
もうひとりの騎士が怒鳴る。ボーラーは涼しい顔で、
「街の治安を守るのは、騎士隊の役割ではなかったですかな?」
ボーラー腹心の鉱夫たちがシュルツェ一家の若い者と一緒に、外をひとりでふらついている騎士を闇に紛れて袋叩きにしているわけだが、魔物が襲ったように見せかけ、証拠を残さないよう十分に言い含めてある。
「さらに、由々しいことがある。最近、鉱石の産出量が減っておるし、品質も良くない。直ちに改善を要求するぞ。このままでは、騎士隊への武器の供給にも支障を来たしてしまう」
「そうはおっしゃいますが・・・」
心底から困ったような表情を浮かべてみせる。
「文句は、山に言ってもらいませんとな。これまで掘ってきた坑道では、そろそろ鉱脈が途切れてきたようなのです。新たな鉱脈を探すべく、人間を投入していますが、そう簡単には――」
ボーラーの元に入って来る情報によれば、フィンデン騎士団はごろつきどもを採用しては規模の拡大を図っているらしい。武具を装備させるために、プロスタークの鉱石と溶鉱炉が大車輪で働くことを要求してきている。だが、掘り出される鉱石はクズ石ばかりで、精製されるインゴットも質は悪い。
実際には、鉱石は坑道を出る前に選別され、良質のものは騎士団の目の届かない洞窟に隠されている。そこにはひそかに小規模の溶鉱炉が作られており、こっそりとインゴットや武具に加工される。そして、夜陰に乗じてシュルツェ一家の手でリサやアルテノルトへ運ばれているのだ。
結局、ボーラーはのらりくらりと追及をかわし、騎士隊の幹部はむだに毒づいたあげく、
「また来るぞ!」
と捨て台詞を残して引き揚げて行った。
ボーラーは窓辺に歩み寄り、街の背後にそびえるボッカム山を見上げた。
かつて、ボッカム山は定期的に噴火を繰り返していた。しかし、10年ほど前に噴火はぱったりと止まり、火山は息をひそめているように見える。地底深くから“ケルツェ”の真下へ伸びて来ている溶岩(*4)の勢いも、往時に比べて弱まってきたように感じられる。
(このままでは・・・。このままボッカム山が死の山となってしまったら、その時には――)
ボーラーは心の中でつぶやき、青い空を背景に褐色の岩肌を見せるボッカム山を見つめる。
(ボッカム山が死ねば、プロスタークも死ぬ・・・)
ボーラーは首を振ってその考えをはねのけると、机に戻って次のサボタージュの計画を練り始めた。


「そろそろ、マルローネさんたちがボッカム山へ着く頃ですね」
部屋に入って採取かごを下ろすと、アイゼルはヘルミーナに話しかけた。
「ふふふふ、あのふたりがグラムナートに飛ばされて来ていたとは、もっけの幸いだったね」
ヘルミーナは早くも自分のかごから収穫を取り出し、並べ始めている。
ふたりは爆弾や魔法アイテムの材料を求めて、ファクトア神殿に潜っていたのだ。『竜の角』や『ペンデローク』、『世界霊魂』など、普通では手に入らないような材料を中心に拾い集め、ついさっき戻って来たところだった。クリスタが屋敷の一室を工房として提供してくれたので、これから調合にかかり、できるだけ多くのアイテムを調合しなければならない。何しろ、『ボッカム風穴』へ向かうマルローネたちが、ヘルミーナがザールブルグから携えてきたアイテムをあらかた持って行ってしまったのだ。
200年前の錬金術士ユーディットが隠したと年代記に記された“魔を封じる秘法”を求め、マルローネとクライスは“炎渦巻く竜の巣”と異名をとる『ボッカム風穴』へ向かっている。
「でも、どうしてあのふたりにヴィオラートを同行させたんですか?」
調合器具を取り揃えながら、アイゼルが尋ねる。
「マルローネさんたちの足手まといにならなければいいのですけど」
「ふふふふ、まあ、支点の役割というところかね」
ヘルミーナは笑みを浮かべて答える。
「支点・・・?」
「梃子の原理だよ。クライスという力を加えてやれば、マルローネは尋常でない力を発揮する。ただ、正しい方向に作用させるには、バランスが必要だ(*5)。それがないと、あらぬ方向へ暴走してしまうからね。そのための支点が、あの若い娘さ。わかるかい、ふふふ」
「なんとなく、わかりますけれど・・・」
アイゼルは釈然としない表情だ。
「それに、あの娘も錬金術士を目指すなら、いろいろなタイプの錬金術士を見ておかないとね」
「はあ・・・」
確かに、アイゼルは200人以上の生徒と共に、様々な先輩や講師に学び、錬金術の修行を積んできた。しかし、考えてみればヴィオラートはこれまでほとんど独学だったのだ。アイゼル自身、ヴィオラートが自分で考えることを重視し、手取り足取り熱心に指導してきたわけではない。
「でも、マルローネさんとクライスさんと一緒では――」
言葉を選ぶ。
「ええと、刺激が強すぎませんか?」
素直なヴィオラートが、妙な影響を受けてしまうのではないだろうか。
「ふふふふふ、大丈夫だろう。反面教師ということもあるしね」
「まあ、そうですけど・・・」
アイゼルはあいまいに答えた。自分とヘルミーナの関係を思いめぐらせば、確かにうなずける。
「まあね、泳ぎを覚えさせるなら、水に投げ込むのが一番さ、ふふふ」
これがヘルミーナ流の指導法ということなのだろう。少なくとも、師がヴィオラートのことを認めてくれているらしいと感じて、アイゼルは嬉しかった。
その時だ。
壁際にぼうっと虹色の光がわき出し、まばゆく広がる。
そして、光の中から緑色の服の妖精が転がり落ち、床にぺたんと座った。
「パウル!?」
アイゼルの叫びに、パウルは立ち上がるとにっこり笑った。
「やあやあ、帰って来たぜ! 妖精最強の戦士パウル、ザルブルドッグからリベンジ(*6)だ!」
よちよちとヘルミーナに歩み寄る。
「やあ、ヘンナ先生! ドングリさんから手紙を預かってきたよ! でも、ドングリさんもヘンナ先生に負けないくらい、怖いおばさんだったね!」
「ヘンナ――? おばさん――?」
ヘルミーナの瞳に剣呑な光が宿る。アイゼルは正視できなくなって目をそらした。
「ネーベルディック!」
「わあっ!」
パウルがくるくると部屋の隅まで吹っ飛ばされる。
「ああ・・・、ほんとにもう、学習能力がないんだから――」
天を仰いでアイゼルはつぶやいた。


プロスタークの西側に当たるボッカム山のふもとにほど近い森の中では、3人の錬金術士が打合せを行っていた。
「この森を抜けて岩山を少し登れば、目的地の『ボッカム風穴』の入口ですね」
コンラッドが渡してくれた古い地図を見ながら、クライスが言う。
「よぉし! いよいよ冒険の始まりね! せっかくヘルミーナ先生が、あたしにしかできないって言ってくれたんだもん、張り切って行くわよ〜!!」
立ったままのマルローネが腕をぶんぶん振り回す。
「やれやれ、とんだ人選ミスでなければいいのですが・・・」
「クライス!? なんか言った!?」
「いいえ、別に。ただ、十分に注意をしなければいけないということを言いたかっただけですよ」
「当ったり前じゃない! そっちのあなたも――ええと、ヴィオランテだっけ?(*7)
「ヴィオラートです・・・」(*8)
「そうそう、ヴィオラートね。がんばって、お宝をゲットしようね!」
「マルローネさん、断っておきますが、私たちが手に入れようとしているのはお宝ではありません。古の錬金術士が書き残したという魔法書を探索に行くのですからね。そのことをお忘れなく」
「わかってるわよ! でも、途中でなにか見つけたら、それを放っておく手はないわよね。ねえ、ヴィオランテ」
「ヴィオラートです・・・」
ヘルミーナの指示でアルテノルトを出発して以来、ヴィオラートは異国から来た錬金術士に圧倒されっ放しだった。
『空飛ぶホウキ』で飛びながらも、マルローネとクライスの口論はやむことがなかった。ホウキは2本しかなかったので、ヴィオラートはマルローネのホウキに同乗したのだが、結果としてクライスは大量の荷物をすべて背負い込むことになった。
「まったく・・・。どういう理由があって、こんな大荷物を持って来なくてはならなかったのですか。今回の作戦は、迅速さが大事なのでしょう? こんなかごを背負っていたのでは、いざという時に素早い行動が取れませんよ」
「ああ、文句言わない。今回のリーダーはあたしなんですからね。名付けて『目指せ、探せ、集めろ、捕まえろ、どきどき宝探し大作戦!』(*9)よ!」
「勝手な名前をつけないでください。常識を疑われますよ。ヴィオラートさんだって、開いた口がふさがらないという顔をしているではないですか」
「そんなことないよね〜。ええと――、ヴィオランテだっけ?」
「ヴィオラートです・・・」
「それにしても、ペースが遅れていますよ。あなたのホウキは、重荷に耐えかねているのではないですか?」
「むっか〜っ! 何よ、それ? あたしたちの体重が重いってこと?」
「いえ、純粋に、加重が速度に及ぼす物理的影響を問題にしているだけです」
「同じことじゃない!」
マルローネは後ろに乗っているヴィオラートを振り返り、
「ヴィオランテ、あんた、体重はどれくらいあるの?」
「ええと・・・46キロくらいです。それと、名前は、ヴィオラートです・・・」
「ほらみなさい、軽いじゃない!」
「マルローネさんの体重(*10)が抜けているようですが」
「何よ、女の子に体重を聞くなんて、サイテーね!」(*11)
「誰が女の子ですか・・・」
こんな具合である。アイゼルが卒業した錬金術学校では、マルローネは伝説に残る卒業生だという話だったが、どのような伝説なのか、聞くのが怖いような気がした。
とにかく、今はふたりの大先輩について行き、少しでも手助けをしよう。ヴィオラートはクライスの話に耳を傾けた。
「『ボッカム風穴』の内部に関しては、私たちの手元にはこの古地図しかありません。何人もの冒険者の証言を元に長年にわたって書き加えられてきたというものですが、どこまで正確なのか――」
「いいじゃない。頼りはそれしかないんだから、行けるとこまで行くしかないわよ」
「最深部については、ほとんど記されていません。まさに空白地帯です。よほど注意して進まないと――」
「そんなこと、行ってみればわかるって」
「それから、特にマルローネさん、コンラッドさんが言っていた注意はしっかり守っていただかないと困りますからね」
「ええと、何だっけ?」
クライスはあきれたようににらむ。
「洞窟内での爆弾の使用は最小限にとどめるということです。ボッカム山一帯は、昔からの度重なる噴火のせいで、地盤が脆弱になっているとのことです。衝撃を与えすぎれば、崩壊する危険があります。魔法書にたどり着くまでに洞窟を崩壊させでもしたら、取り返しがつきませんからね」
「ああ、そうだったわね」
マルローネは素直にうなずいた。だがその後、
「つまんないの」
と、小さな声でつぶやいたのをヴィオラートは聞き逃さなかった。
「ですから、洞窟内で魔物の気配があっても、できる限りやり過ごして、戦いは最小限にとどめることです。ただし、戦闘が避けられなくなった場合は、物理攻撃を避けて迅速に終わらせる――これに尽きます。特に、ヴィオラートさん――」
クライスはヴィオラートを振り向き、
「死霊系の魔物に遭遇した時は、あなたが戦いの主力です。その時のために、魔力を無駄遣いしないようにしてください」
「わかりました」
物理攻撃が効かない死霊を攻撃する技は、ヴィオラートしか持っていない。同じ効果を持つアイテムも持って来てはいるが、数は少なく、浪費するわけにはいかない。
「ねえ、そろそろ行こうよ。いつまでもああだこうだ言ってても、しょうがないよ」
マルローネがせかす。
「やれやれ、それではそろそろ出発するとしますか」
クライスが地図をたたむ。マルローネは爆弾やアイテムが入ったかごを手に取り、
「よぉし、出発〜!! あなたもしっかりね、ええと・・・」
「ヴィオラートです・・・」
上目遣いにちょっと考え込んだマルローネが、ぱっと顔を輝かせてヴィオラートを見やる。
「そうだ! あなたのこと、ヴィオって呼んでもいいかな? なんか、本名で呼ぶの、めんどくさいし」
「覚えられないだけでしょう」
クライスが冷ややかに言うが、ヴィオラートは大きくうなずいた。これで、名前を間違って呼ばれて居心地の悪い思いをすることもない。
「はい! マルローネさん」
「あ、あたしのこともマリーでいいよ」
「え? でも・・・」
先輩のクライスがちゃんと呼んでいるのに、自分だけ愛称で呼ぶのはばつが悪い。
そのことを言うと、マルローネは笑って、
「あ、気にしなくていいのよ。こいつは特別だから」
「へ? 特別・・・?」
クライスはせき払いをして、そっぽを向いてしまった。
(どう、特別なんだろう・・・?)(*12)
聞かない方がいいんだろうな・・・と、ヴィオラートは口をつぐんだ。

『ボッカム風穴』の内部は、『大貫洞』とよく似ていた。とはいえ、『大貫洞』を通ったことがあるのはヴィオラートだけだったが。
天井や壁面は比較的滑らかで、発光するコケが大量に繁茂しており、ランプが不要なほど明るい。ところどころに、崩れた岩くずや小石が転がっているが、それ以外は地面も平坦で歩きやすい。ただ、狭いのでふたり並んで歩くことも難しかった。
洞窟はくねくねと曲がりくねり、徐々に下っていく。分かれ道もあったが、コンラッドの古地図に沿って行けば、本道をはずれることはなさそうだった。
「クライス! もっとさっさと歩きなさいよ! 日が暮れちゃうじゃないの」
マルローネがせかす。先頭を行くクライスは、振り向かずに言い返す。
「前方に何が待っているかわからないのですよ。あなたのように突っ走って行ったら、いきなりどんな魔物に出くわすことになるかわかったものではありません」
最後尾のヴィオラートはうなずいた。クライスの布陣は正しい。
何が出るかわからない洞窟なのだから、注意深いクライスが先頭に立ち、前方を探りつつ進むのがいい。魔物の不意打ちに遭う可能性も低くなる。そして、戦闘力の高いマルローネが続き、いざ戦闘という時にはクライスに代わって最前線に躍り出る。かごを背負ったヴィオラートは背後を警戒しつつ、戦闘時にはクライスと共にアイテムを使い、援護をすることになる。

「止まって!」
立ち止まったクライスが制する。
「どうしたのよ!?」
「しっ! 前方に、ぷにぷにの群れです」
「じゃあ、さっさとやっつけようよ」
「私たちは気付かれていません。それに、群れは別の方向へ向かっているようです。ここはやり過ごしましょう」
「どうしてよ!? メガフラム一発で吹っ飛ばせるのに」
「洞窟を傷める危険を冒すわけにはいきません」
「ふん、わかったわよ!」
ふくれたマルローネだが、黙って従う。
いらいらした待機が続く中、ぷにぷには上の方へ向かう枝道へ消えていった。

次の魔物との遭遇は、避けることはできなかった。
前方を塞ぐ岩壁のように見えていた大トカゲが、いきなり突進してくる。
「ヴィオラートさん!」
「はい!」
クライスの叫びに、かごから黒いガラスびんを取り出し、マルローネに手渡す。
「いっけえ〜っ!!」
マルローネが投げつけた『暗黒水』が頭部に当たって砕け、毒薬を浴びたパザルトドラゴンは麻痺して動けなくなる。
「さっすが――。ヘルミーナ先生の毒薬って、効くわね〜」
「感心している時間はありません。行きますよ」
麻痺したドラゴンの脇を器用にすりぬけ、クライスはさっさと歩き出した。

「まずいですね・・・」
岩陰に身を隠して前方をうかがうクライスが言う。
「どうしたの?」
マルローネがささやきかける。
「死霊の群れ――だと思います。この先で通路は広くなっているのですが、そこら中にうろついています。紺のローブと金のローブが半々というところですか・・・」
「やるしかないわね」
マルローネの決断は早い。
「ヴィオ――!」
「はい!」
ヴィオラートはかごをまさぐると、ぞんざいな装丁の書物を取り出して、クライスとマルローネに渡す。ヴィオラーデンの在庫からありったけを持って来た『ラアウェの写本』(*13)だ。
「よし――。一気に行きますよ」
「了解!」
「まかせといて!」
クライスの合図で、3人は一斉に飛び出す。
ローブの陰から、死霊の不気味などくろの顔がのぞくが、ひるむことはない。
「エンゲルスピリット!」
ヴィオラートの精神攻撃の直撃に、紺のローブの死霊――リッチが消滅する。
「いっけえぇ!」
「くらえ!」
『ラアウェの写本』からページを破りとって、黄金色のローブに身を包んだ死霊――ワイトに投げつける。ワイトはぐらつき、輪郭がぼやける。
「きゃあ!」
別の死霊が振りかざした杖からの妖しい光(*14)を浴びたマルローネが悲鳴をあげる。
「マルローネさん!」
「――なんてね」
マルローネはさらに勢いよく『ラアウェの写本』をぶつける。死霊は宙に溶け込むように消え去った。
「あたしの魔法防御は、そんなにやわじゃないわよ」
ヴィオラートは次から次へと精神攻撃を浴びせ、ついに死霊の集団は通路から消滅した。
「死霊の舞踏会(*15)、終宴――っと!」
マルローネが勝利を宣言した。

地下深くに潜るにつれ、さらに魔物は強大となり、攻撃も激しくなる。
通路を塞ぐようにデーモンの巨体が現れた時には、とうとうクライスも非常手段を取るしかなかった。
「やむを得ません。マルローネさん!」
「ほい来た、待ってました! ヴィオ、あれ出して!」
ヴィオラートから、無数の水晶が岩から生え出たような宝石を受け取る。ヘルミーナがザールブルグから持参した『神々のいかずち』(*16)だ。
「一発でしとめてくださいよ!」
「まっかせといて!」
クライスを押しのけて前方に進み出ると、青光りする肌のデーモン(*17)に思い切り投げつける。
「いっけええ〜っ!」
目もくらむばかりの閃光が走り、雷鳴がとどろく。洞窟が大きく揺れた。
「エーヴィヒズィーガー!!」
「グリューネブリッツ!!」
ぐらりとよろめいたデーモンに、クライスとヴィオラートの魔法攻撃が炸裂する。
ついに、デーモンは地響きを立てて倒れ、地面に溶け込むように消えていった。
「ふう・・・。なんとか、倒せましたね」
「洞窟は――? 大丈夫ですか?」
ヴィオラートがそっとあたりをうかがう。
しばらく、息を殺して立ちすくんでいたが、洞窟は静まり返ったまま、崩壊するような気配はない。
「もう、ふたりとも心配性ね。だいじょぶだってば!」
マルローネは杖を握り直して、さらに下っていく洞窟を見やる。
「さあ、行こ。きっと魔法書が眠っている場所はもうすぐだよ」
「あの・・・」
歩き出す前に、ヴィオラートはクライスにささやきかけた。
「錬金術士って、マリーさんみたいに強くならないとだめなんですか?」
「マルローネさんは例外です。真似をしようと思っても、できるものではありません」
クライスはあっさり答える。
「あんな人がふたりも3人もいたら、とんでもないことになりますよ」
「はあ・・・」
ちょっぴり安心したような、がっかりしたような声のヴィオラートだった。

確かに、『ボッカム風穴』も終わりに近づいているようだった。
内部の気温が上がり、ところどころの亀裂から、時おり熱い蒸気が噴き出してくる。
大きな裂け目に地下水が湧き出したと思われる水溜りは、湯気を立てていた。
「わ、すごい! 温泉だよ、これ」
指先をお湯に浸したマルローネが叫んだ。
「ねえ、ちょっと入って行かない? 気持ち良さそうだよ」
「ば――ばかなことを言わないでください!」(*18)
真っ赤になってクライスが怒鳴る。
「ちぇっ、ケチ」
「そういう問題ではありません!」

そして、ついに――。
いや、唐突に、洞窟の旅は終わりを迎えた。
「何よ、これ・・・」
「困りましたね・・・」
「せっかく、ここまで来たのに――」
3人は顔を見合わせた。
一行の前方の通路は、巨大な岩で塞がれていた。
「まだ、新しいですね」
クライスがつぶやく。
洞窟の天井部分が大きく崩れ、大岩となって通路を塞いだらしい。
壁や天井との間には、わずかな隙間があるが、もちろん人は通り抜けられない。
「ああん! やっと着いたと思ったら、何なのよ!」
マルローネの叫びにも、岩は知らん振りだ。ただ冷たくそこに鎮座している。
「ちょっと待ってください!」
壁と岩とのやや広い隙間に顔をすりつけるようにして、向こうを覗いていたヴィオラートが叫ぶ。
「岩のすぐ向こうに、なにか見えます! 金属の箱みたいな――」
「何ですって!?」
「きっと魔法書だわ!」
クライスが眼鏡を位置を整え、
「その可能性が高いですね。このような場所に保管する以上、湿気や熱を避けるために金属の箱を使うでしょう。いや、それ以上の結界が張ってあるかも知れませんね」
「だけど、こんな岩があっては、手も足も出ませんよ・・・」
ヴィオラートが情けない声で言う。
「岩をすり抜けられるような魔法の道具って、ないんですか?」
「あったら苦労しませんよ。錬金術と言っても、全能ではないのです。――もっとも、それは私たちの努力と認識が足りないだけなのかも知れませんが」
「ねえ・・・」
マルローネがクライスににじり寄る。
「爆破しちゃおか」
「言うと思いましたよ・・・」
クライスは額に手を当て、天を仰いだ。
「だって、他に方法はないじゃない」
「それは、そうですが――」
クライスは大岩を見やる。
「この岩を破壊するほどの爆弾を使ったら、洞窟が崩壊する可能性は大きいのですよ」
「しないかも知れないじゃない!」
「危険を冒すわけにはいきません」
「だって、この魔法書が手に入らなかったら、あの仮面の騎士は倒せないかも知れないのよ」
マルローネたちがハーフェンで戦った相手と同じ、魔界から来たと思われる仮面の騎士が、メッテルブルグとマッセンにも現れたことは、アルテノルトでヘルミーナやメルから聞いている。時間はなかった。
「あなたはどう思う、ヴィオ?」
マルローネがヴィオラートに目を向けた。
「あたしですか?」
ヴィオラートは目を伏せて考え込んだが、やがて決然と顔を上げた。
「やってみるべきだと思います。少しでも可能性があるなら、諦めずに試みるべきです。錬金術は可能性の学問だ――って、アイゼルさんから、そう教わりました」
「へええ、アイゼルもいいこと言うじゃない」
マルローネがにんまりとクライスを振り向く。
「決まりね。これで2対1よ」
クライスは諦めたように肩をすくめた。
「やれやれ・・・。女性というのは、なぜすぐにこういう風に団結するのでしょうね」
「じゃあ、さっさと準備にかかろう!」
準備といっても、さほどすることはない。
かごの中からマルローネが適当な爆弾を選び出し、クライスとヴィオラートは少し離れた岩のくぼみに伏せる。
「それじゃ、いくよ」
あっさり言うと、マルローネはメガフラムを握った右手を振りかぶった。
「いっけええええぇ〜!!」
投げると同時に背後に身を躍らせ、あらかじめ見定めておいたくぼみに身を隠す。
次の瞬間、爆弾が炸裂し、強烈な爆風が洞窟を吹き抜けた。ローブで顔と頭をおおい、伏せているクライスたちの上を熱風が通り過ぎる。爆発音が響き、周囲の空間が引き裂かれたかのように揺れる。
粉塵が漂う中、おそるおそる顔を上げると、大岩が真っ二つに裂け、人が通り抜けられるほどの亀裂がぱっくりと口を開けている。
「やったあ!」
マルローネが叫び、亀裂を抜けていく。すぐにクライスとヴィオラートも続いた。
「これよ! 間違いないわ!」
マルローネが歓声を上げて、金属の箱を差し上げる。その表面にはルーン文字が刻まれ、六芒星のしるし(*19)が記されている。錬金術材料の六つの属性(*20)のシンボルだ。
「やりましたね」
クライスがほっと息をつく。だが、すぐに目をひそめた。
「どうしたんですか?」
ヴィオラートがきょとんとして尋ねる。
「感じませんか・・・?」
かすれた声でクライスがつぶやく。同時に、ヴィオラートも感じた。
かすかな振動が、遠い天井の情報から伝わってくる。そして、振動は徐々に大きくなってくる。
「危ない、マルローネさん、早く脱出しましょう!」
「わかった!」
先を争うように、大岩の亀裂を抜ける。振動はますます強まり、洞窟の空気がびりびりと震える。
「きゃあっ!」
「伏せて!」
不意に、前方の天井が崩れ、砕けた岩が降り注いだ。ボッカム山そのものが、頭上に崩れ落ちてきたかのようだ。
轟音と振動が治まるのを待って、そっと顔を上げる。
上へつながる通路は、がれきと岩くずですっかり塞がれていた。
「だめですね」
前方をうかがったクライスが、あっさりと言った。
「この先、何メートルにもわたって、落盤が起こったようです。八方ふさがりですね」
「どうしてよ!? また爆破して突破すればいいじゃない」
「そうやって、さらに大きな落盤を引き起こそうというのですか? 自殺行為ですよ」
「でも――、それじゃあ、どうやって脱出すればいいんですか?」
「さて・・・? それは、少し考えてみないと――」
クライスは自分を強いて落ち着いた声を出した。事態は絶望的だが、パニックに陥ってはならない。
「悪いけど、そんな考えてる時間はないみたいよ」
大きく目を見開いたマルローネが言う。
「どういうことですか?」
「これ・・・」
マルローネは、足元の岩の床を指差した。
先ほどの落盤の時に天井から伝わってきた数倍の振動が、足元から響いてくる。轟々と重低音の地鳴りがとどろき、壁も天井もぎしぎしと不気味なきしみをたてる。
「どうやら、さっきの爆発が、致命的な結果を引き起こしてしまったようですね。ボッカム火山を怒らせてしまったのです。もうまもなく、この場所にも溶岩が押し寄せて来ることでしょう」
平板な口調で、クライスは言った。
「そんな――!?」
ヴィオラートが悲鳴を上げた。
「どうにかならないんですか!?」
「残念ですが、もうどうにも・・・」
「なるわよ!」
マルローネが叫んだ。かごをひっくり返し、中身を床にぶちまける。
「マルローネさん! いったい何を――?」
「これよ!」
マルローネが引っ張り出したのは、かごの底に押し込んであった薄汚れた布だった。
「まさか――!?」
クライスの声がひっくり返る。
「そう、『フェーリングじゅうたん』よ!」
「何ですか、それ?」
「悪魔の発明ですよ」
きょとんとするヴィオラートに、クライスが答える。
クライスとマルローネがグラムナートへ飛ばされる原因となった、マルローネのオリジナルアイテムだ。
マルローネはじゅうたんを床に広げると、地面に転がったガラスびんの中から黄色っぽい液体が入ったものを選び出す。
「待ってください、マルローネさん、それは危険すぎます! どこへ送られるかわからないのですよ!」
「ばかなこと言わないで!」
マルローネは『黄金ドリンク』のびんのふたを取る。
「いい? ここにいたら、確実に死んでしまうのよ! でも、これを使えば助かるかも知れないの! 選択の余地はないでしょう!?」
「可能性があれば、賭けてみる・・・それが錬金術ですね!」
ヴィオラートも腹を決めたようだ。
「まったく・・・あなたといると、命がいくらあっても足りませんよ」
マルローネは慎重にびんの中身をたらす。
「今度は、触媒を使いすぎないようにしないとね」
洞窟を包む振動はますます強まり、轟音は耳を聾するばかりになっている。
「ヴィオ、あなたが先に行って!」
魔法書の箱を持たせると、『フェーリングじゅうたん』に浮かび上がった模様の渦に押しやる。
「はい、それじゃ」
ヴィオラートはためらいなく、渦へ飛び込んだ。虹色の光が散る。
「さあ、クライス!」
クライスは意を決したようにマルローネを振り向いた。
「助かるかどうかもわからないところへ飛び込む前に――あなたに言っておきたいことがあります」
「何よ!」
「私は、マルロ――」(*21)
大地がぐらりと揺れた。
「ああ、間に合わなくなっちゃう! ごたくは後でいくらでも聞いてあげるから!」
マルローネはクライスを突き飛ばすようにして渦へ押しやり、自分も続いて飛び込む。
「わあっ!」
ふたりはもつれ合うように次元の渦に消えたが、マルローネは最後にじゅうたんの端をつかみ、一緒に巻き込むのを忘れなかった。
閃光が走り、すべてが消え去ると同時に、岩壁と床が割れ、どろどろした真っ赤な溶岩が洞窟にあふれた。大地の底から噴き上げた奔流は、岩盤の弱い部分を見つけ、猛烈な勢いで解放されるべき場所を目指して上昇していった。


ボーラーは、ギルドマスター室の椅子にどっかと腰をすえたまま、暗鬱な気分でひとり思いをめぐらしていた。
「ん? 何だ・・・?」
いぶかしげに顔を上げる。
床が、壁が、天井が――かすかに震えている。
「地震か?」
火山地帯のプロスタークには、地震は珍しくない。だが、いつにない胸騒ぎを覚え、ボーラーは立ち上がった。
とたんに、腹の底に響くような振動が襲う。ここ10年ほど、感じたことのない揺れだ。
「まさか――!?」
弾かれたように部屋を飛び出す。ドアを押し開け、建物の外に出た。
酒場や雑貨屋からも、次々に人が飛び出してくる。
全員が、街の背後にそびえる山を見上げた。
地鳴りと轟音が大気を震わせ、大地が揺らぐ。
そして――。
暮れ行こうとする空に、壮大な花火が上がった。
「おお――!!」
声にならない声がもれる。
これまで地底に押し込められ、鬱積した思いを吐き出すかのように――。
ボッカム火山の火口から、真っ赤な炎が上がり、噴煙がもくもくと立ち昇る。
噴き上げられた赤熱した岩が、ゆっくりと宙を舞って、岩肌にめり込む。
(ボッカム山が――目覚めた・・・。俺たちの山は、死んではいなかった・・・)
ボーラーは、こぶしを握りしめた。溶岩にも負けぬ熱い涙が、頬を伝っていた。


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