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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第23章 魔法のお城の舞踏会(*1)

ドムハイト王国の首都、グラッケンブルグ――。(*2)
シグザール王国の南に隣接するドムハイトは、シグザールに匹敵する古い歴史を持つ大国(*3)である。国の北方はシグザールとの国境をなす高原が連なり、その南には広大な草原が広がる。一方、国土の西と南は広大な砂漠におおわれ、住む人も少ない。王都グラッケンブルグは国のほぼ中央に位置し、巨大な淡水湖ドーベン湖(*4)の西岸に建設された城塞都市だ。
かつて、シグザールとドムハイト両国の間には長い紛争の歴史があった。シグザール王国歴273年に国境付近で発見された銀鉱脈の帰属をめぐり、以降20年あまり、両国の兵士が断続的に国境付近で小競り合いを繰り返した(*5)。時には北部に侵攻したドムハイト軍によって、シグザール領内の村が焼き払われたこともある(*6)。家を失い家族と生き別れになってしまった人々もいた。シグザール国王ヴィントとドムハイト国王フリッツ・シュタットはいずれも若く攻撃的で、国益を求めるあまりに、戦火に巻き込まれる人民の境遇にまで思いが及んでいなかったのだ。
しかし、内政重視の平和路線に変更したヴィントに合わせるように、フリッツ・シュタット王も国内の安定に力を注ぎ始め、ここ十数年、両国の関係は対立から友好へと変わってきている。
そんな中、グラッケンブルグではフリッツ王の即位30周年(*7)を祝う式典が大々的に開催されようとしていた。
砂漠の彼方、オアシス(*8)の方向に沈んでいく大きな夕日に照らされ、グラッケンブルグの街路や広場には人々があふれていた。グラッケンブルグの市民はもちろん、近隣の村や町から訪れた農民や木こりたち、草原地帯からやって来た遊牧民、はるか南の国出身の旅芸人や楽師、異国の品を売りさばくためにはるばる馬車の隊列を組んで来た旅商人たち――。街路の両側に隙間なく並んだ屋台に人々が群がり、子供たちが歓声を上げて駆け回る。仕事から解放された市民たちは、王の祝賀にあやかろうと昼間のうちから酒を酌み交わし、酒場からはすっかりできあがった男たちの歌声や笑い声がやかましく響く。
その中の1軒、グラッケンブルグの下町でも平均的な酒場のひとつ『黒熊亭』でも、テーブル席やカウンターのすべてが埋まっていた。
カウンターの隅では、旅装束の男がふたり、グラスを前に静かに語り合っていた。ふたりとも、数日前に西の海岸地方からやって来たキャラバンで着いたばかりだ。
「それで――? あんたの方は、掘り出し物が手に入ったのかい?」
シュマックが言う。
「ん? ・・・ああ、俺の方は、ぼちぼちだ」
相手の男はにこりともせず、グラスを口に運びながら無愛想に言う。
「ははは、相変わらずだな、ヴェルナーのだんな。あんたがそういう顔をするのは、いいことがあった時だぜ」
「ふん、そうか?」
ぶすっとした顔で、ザールブルグ出身のヴェルナー・グレーデンタールは酒をすすった。若い頃から珍品や掘り出し物を求めて諸国を経巡り、今もザールブルグの『職人通り』にある自分の店は家族に任せて(*9)、あちこちを放浪している。カスターニェでシュマックと知り合ったのも、10年ほど前の旅の途上だった(*10)。ヴェルナーはつり上がった褐色の目を細め、シュマックに流し目をくれる。
「そういうあんたは、どうなんだ?」
尋ねられたシュマックは、ひげにおおわれた丸顔をほころばせた。
「ああ、聞いてくれ――」
「もういい、わかった」
ヴェルナーがさえぎる。
「あんたのその顔を見りゃ、聞かなくてもわかる」
「ちぇっ、せっかくいい鉱石をたっぷりせしめた自慢話をしようと思ったのによ」
港町カスターニェで武器屋を営むシュマックは、自分で武具の製造もする。ドムハイト北西の高台では珍しい鉱石を露天掘りできる鉱床(*11)があり、グラッケンブルグの市場ではシグザールで手に入らない様々な鉱石が取引されているのだ。
手柄話を話しそこなったシュマックは、カウンターの奥に叫んだ。
「姉さん、酒のお代わりだ」
「は〜い!」
薄紅色の長い髪をまとめ、質素な服装をした女性がエプロンで手を拭いながらにこやかに歩み寄る。
空になったシュマックのグラスを取り、ヴェルナーを見やる。
「ヴェルナーさんは、お代わりはよろしいですか?」
「ああ、俺はまだいいよ、フレアちゃん」
シュマックは目を見張った。女性が去った後で、
「おいおい、ヴェルナーのだんなも隅に置けないな。ずいぶんと仲がいいじゃないか。グラッケンブルグへ来て間もないのに、もう口説いちまったのかい?」
「ばか」
ヴェルナーは横目でにらむ。
「彼女は知り合いの娘さんだよ。俺と同じザールブルグの出身でな」
「なんだ、そういうことか。道理でおかしいと思ったよ」
戻ってきたフレアは、シュマックに新しいグラスを渡すと、再び奥へ消えようとする。
ヴェルナーはそっぽを向いたまま、シュマックに話しかける。
「ああ、そうだ。ザールブルグに『飛翔亭』という酒場があってな・・・」
フレアの足が止まった。
「その店には、マスター自慢の看板娘がいた。一人娘で、マスターはそりゃあ可愛がっていた。ところが、娘は好きな男と一緒に街を出て行っちまったんだ」(*12)
「何だい、やぶからぼうに?」
シュマックがいぶかしげな表情を浮かべる。構わずヴェルナーは続けた。
「今は、マスターと弟が酒場を切り回している。ふたりとも元気だ。だが、マスターは娘の身を心配して、しきりに会いたがっているという話だ」
「何のことやら、さっぱりわからんぞ」
「わからなくていいんだよ。俺のひとりごとだ」
首をひねるシュマックに、ヴェルナーはにやりと笑って見せた。
かすかに肩を震わせたフレアは、そのまま奥へ早足で戻って行こうとする。
その時、店の扉が開いて、皮鎧に赤いマントをまとった大柄な男が飛び込んで来た。
「おーい、フレア!」
酔っ払いでごった返す店内をかき分けるようにしてカウンターに近づく。
「ああ、お帰りなさい」
「どうしたんだ、フレア?」
涙でうるんだフレアの目を見たハレッシュ・スレイマンは、心配そうな表情を浮かべた。
「ううん、何でもないのよ」
指で目頭をぬぐい、笑顔を浮かべる。
「それより、どうだったの、武闘大会?」
「ああ、5位入賞だ」
ハレッシュは胸を張った。
「ふん、要するに準々決勝敗退ってことだな」
そっけなくヴェルナーが言う。グラッケンブルグの王城に隣接した闘技場(*13)では、式典記念の武闘大会が開催されており、ハレッシュも出場していたのだ。
「ひどいな。そうはっきり言わなくてもいいじゃないか」
ハレッシュが情けない声で言う。
「俺は本当のことしか言わねえ」
ヴェルナーは一気にグラスを干すと、カウンターに置いた。
「ちょっと街をぶらついてくる」
くるりと背を向けると、ヴェルナーは混み合う人波を器用に抜けて扉へ向かう。細身の影が宵闇が垂れ込めつつある外へ消えるまで、フレアは感謝をこめた瞳で見送っていた。

その夜遅く、店を閉めた後で、フレアとハレッシュは長いこと話し合った。
ふたりがザールブルグへの里帰りを決めたのは、その晩のことである。(*14)


日が暮れ、グラッケンブルグへ夜の帳が下りると共に、王城の大広間には、大勢の人々がつめかけていた。式典の最後を飾る盛大なパーティーが深夜まで続くのだ。
即位30周年を迎えたフリッツ・シュタット王をはじめ、エリスフェルト王妃にリューネ王女、皇族や側近たち、ドムハイト騎士隊の幹部、貴族や名家、地方領主、グラッケンブルグの豪商、周辺各国から祝いに訪れた大使や公使――。
豪華なタペストリーを背に王族が座り、周囲に外国の使節や有力貴族が席を占める。広間のそこここには料理が盛られた大皿や色とりどりのワインが並ぶテーブルが置かれ、誰でも好きに取ることができるようになっている。もちろん脇に控えているメイドに頼めば、席まで持ってきてもらうこともできる。 広間の中央のダンスフロアでは、今は何も行われていないため、招待客たちは好みの酒のグラスを取り、人の輪を作っては思い思いに語り合っている。
「リューネ様、本日はおめでとうございます」
フリッツ王の一人娘、リューネ王女は、声をかけてきた女性に気付くと、微笑を浮かべた。
「ありがとうございます、シスカ様」
「リューネ様にも、神の祝福がありますよう」
グラスを掲げて一礼したのは、青い瞳に緑がかった黒髪を伸ばし、飾り気はないが上品なパーティドレスに身を包んだ女性だった。グラッケンブルグ駐在のシグザール王国全権大使シスカ・ヴィラである。
「本来ならば、このような栄えある式典、わが主君自ら出席せねばならぬところ、わたくしのような者が代理を務めます無礼をお許しください」
「とんでもございませんわ」
リューネはシスカの瞳をまっすぐ見つめて、きっぱりと言う。
「ストウ大陸の歴史始まって以来、ただお一方の女性聖騎士(*15)をお迎えすることができて、喜びにたえません」
「そんな大仰な言いようをなさらないでください。昔のことですわ」
はにかむような表情を浮かべて、シスカが言う。
「それに――、これから、シグザール王室のしきたりなどを、いろいろと教えていただかなければなりませんもの」
やや顔を赤らめて、リューネは言った。
シグザール国王ブレドルフとドムハイトの王女リューネとの婚礼は、ほぼ本決まりとなっている(*16)。シスカが長期にわたってグラッケンブルグに滞在しているのも、水面下で地ならしを行うためだった。

ファンファーレが鳴り、ふれ役の大声が広間に響く。
「これより、ヴァルター一座による余興を行います。演目は、踊り、軽業、そして占いです! ご参集の皆様は、席へお戻りください!」
ダンスフロアに散っていた客たちは、ざわめきながらグラスを手に自分の席へ戻る。
人々が席に落ち着き、ざわめきが徐々に収まって期待に満ちた静寂が広がると、待っていたかのようにひとりの女性がフロア中央へ進み出た。キャラバンのリーダーである。
南国風の衣装に身を包み、頭に巻いたターバンの陰から長い黒髪が流れ出ている。王族のいる上座に向かって深々と礼をし、朗々と口上を述べ立て始める。
「本日は、フリッツ・シュタット陛下のご即位30周年、まことにおめでとうございます。われら一座、この栄えある祝賀の宴にて、日ごろ鍛えたる至高の芸をご披露申し上げられること、これに勝る栄誉はございません。願わくば、われらの出し物が皆様にとりまして、ひと時の慰みとならんことを――」
最後に客席をざっと見渡す。一瞬、シスカの視線をとらえると、かすかに微笑んで見せた。
女性が引っ込むと、直ちに楽団がにぎやかな調べを奏で始める。それと共に、肌もあらわな衣装を身にまとった踊り子が舞台に登場し、軽やかなステップを踏んで舞い始めた。霞のような薄物と長い銀髪が浅黒い肌にからみ、人々は吸い込まれるように踊り子の動きを追う。
「まあ、素敵・・・。初めて聞く曲だわ」
うっとりと見つめるリューネに、シスカはささやく。
「『さすらい雲』(*17)といいます。ザールブルグでは人気のある曲ですね」
さらに何曲かが演奏され、そのたびに踊り子は曲に合わせて様々な舞を披露して見せた。ある時には恋の切なさを訴え、ある時には戦いに赴く兵士をたたえ、その死を悼む。流れる川のように、ある時は激しく泡立ち、渦巻き、直後にはゆるやかにたゆたう。
踊り子が何度もお辞儀をしながら引っ込むと、客席からは万雷の拍手が注がれた。
さらに、軽快な音楽に乗せて玉乗りや綱渡り、ジャグラーや蛇使いといった芸が続き、客たちはうっとりと引き込まれていた。
「最後の出し物です。占い師イルマによる、タロット占い!」
ふれ役の声と共に、最初に口上を述べた女性が優雅な仕草で進み出る。大きなカードの束を手にした筋骨隆々の男が付き従っている。
「それでは、全身全霊をかけて、シュタット陛下ならびにドムハイト王国の未来を、このカードに映し出してご覧に入れます!」
両手で抱えなければならないほどのタロットカードの束を差し出され、フリッツ王は男の手助けを受けながら切り揃えた。受け取ったイルマは祈りを捧げた後、客席に見えるようにゆっくりとカードを開いていく。
「『太陽』・・・。『皇帝』・・・。『運命の輪』・・・。そして『女帝』・・・」
よく通る声でイルマは語る。
「かつては不幸な出来事もありましたが、陛下のご努力により、国家は暖かな光に包まれています。そして、近い将来、国の未来を左右するような大きな出来事が起こります・・・。しかし、それは輝かしいことであり、陛下のご英断により素晴らしい結果をもたらすことになりましょう。その結果、優しく聡明なる女性の下、国ははるかな未来にわたって栄えることでございましょう」
固唾を呑んで見守っていた人々の間から、どよめきが起きる。フリッツ王もエリスフェルト王妃も満足げにうなずいている。
「これにて、ヴァルター一座による余興を終了します!」
ふれ役の声も、ざわめきの中に埋もれがちだった。

再び、人々は食べ物や飲み物を取りに行ったり、思い思いに席を立っておしゃべりの輪を作り始める。
「ところで――」
声をひそめ、シスカはリューネにささやきかけた。
「あの件は、シュタット陛下には――?」
「ええ、昨夜のうちにお話しいたしました。二つ返事――とは申し上げられませんけれど、納得はしたようです。後は、シスカ様から正式に申し入れをしていただければ――」
シスカの耳元に口を寄せ、楽しそうな笑みを浮かべながらリューネが答える。
「そうですか」
シスカは声を上げて笑った。はたから見れば、女性同士が他愛のない噂話に興じているとしか思えないだろう。リューネ姫は、鍛えれば優秀な間諜になれる。シスカは心の中で微笑んだ。ゲマイナーの見立ては的確だったと言える。
シスカは、前日、さる人物を介して秘密情報部長官ゲマイナーから届けられた親書をリューネに託したのだ。ブレドルフ国王からフリッツ・シュタット王へ宛てた親書である。
親書自体の中身は見ていないが、添えられていたシスカ宛の指示を読めば、だいたいの内容は見当がつく。
大陸の反対側で、きなくさい動きが起こっている。シグザール騎士隊が現地へ急行せねばならない事態に備え、ドムハイト騎士団の一部をシグザール警護のために派遣することを検討してほしい、というものだった。
どの国で、具体的にどのような変事が起こっているのかまでは、シスカは知らない。だが、シグザール騎士隊が出撃するとなれば、その間、王国内部の治安維持や警備が手薄になってしまう。そのような事態を防ぐために、ゲマイナーが打った手がこれだったのだ(*18)
かつてシグザールに攻め込んだことのある軍隊を、今度は援軍として受け入れる大胆な策だ。ドムハイト騎士団は、完全に信用できるのだろうか?
だが、常に先を読んで手を打つのがゲマイナーのやり方だ。そのことに関しても、なにか腹づもりがあるに違いない。シスカはそのことをよく心得ている。
「それで、どのくらいの規模ですか?」
相変わらずくすくす笑いながら、シスカはささやいた。密談は、衆人環視の中でするのが安全だ。これもゲマイナーの教えである。負けずに笑いながら、リューネが口を寄せる。罪のない内緒話をする少女のように。
「騎士隊3個分隊なら、すぐに出発できるそうです。名目は、ザールブルグを表敬訪問するわたしの警護ということになります。それなら、他の国も疑いを持たないでしょう」
「なるほど」
リューネ王女のザールブルグ訪問(*19)は、すでに公式日程に入っており、一般市民にも周知されている。先乗り隊としてドムハイトの騎士隊がシグザールへ入国しても、不自然ではない。
「ですが、リューネ様のご訪問は、まだ少し先では――?」
「お父様に、わがままを申しましたの」
リューネはくすくす笑った。これは見せかけではなく心からの笑みだった。
「ブレドルフ様に一日も早くお目にかかりたいので、日程を繰り上げてほしい――って」
「まあ・・・」
シスカはますます、この聡明な王女に好感を持った。両国の未来は明るいだろう。
その時、シスカははっと思い当たった。あわててワインを口に含み、動揺を隠す。
(まさか――!?)
万一、派遣されるドムハイト騎士団がよからぬ意図を持っていたとしても、リューネ王女がシグザール城に滞在している限り、かれらはことを起こすことはできない。見方を変えれば、リューネ姫は人質ということになるのだ。シグザールの安全を担保するための――。
(あの人は――、ここまで計算していたのね。怖ろしい人・・・)
眼鏡の奥の瞳を光らせ、にんまりと笑みを浮かべるゲマイナーの顔が、シスカの脳裏にくっきりと浮かんでいた。


深夜近く、パーティも潮時と見てシスカは会場を辞し、宿舎に戻った。
シスカが全権大使として着任した時、王城の一室を提供するという申し出もあったのだが、あまり好意に甘えるわけにはいかないと丁重に断り、グラッケンブルグの屋敷町のはずれに部屋を借りていた。
玄関を入ると、紺色の服と帽子を身に着けた小さな姿が気取った調子で出迎える。連絡係として秘密情報部から派遣されている紺妖精のピエールだ。(*20)
「オゥ、お帰り、マイレイディ。飲み過ぎて酔っ払ったりしなかったかい?」
「ふふふ、平気よ、ピエール。わたしを誰だと思っているの?」
シスカの酒豪ぶりは、若い頃からザールブルグで語り草になっている(*21)。年を取って(*22)分別もつき、無茶はしなくなったが、今でも酒場へ行けば誰にも負けない自信があった。
「オゥ、キミにはかなわないな」
ピエールは気取って肩をすくめる。
「お客さんが来てるよ、マイレイディ」
「わかっているわ」
客間では、3人の男女が待っていた。深夜なのに、まだ戸外では祭りにうかれる人々の喧騒が響いている。
「よう、先にやらせてもらってるぜ」
だらしなくソファにもたれたヴェルナーが、グラスを片手に言う。
「ええ、どうぞ。これじゃあ、わたしの酒蔵は空っぽにされてしまいそうね」
シスカが微笑む。ヴェルナーはテーブルを示し、
「手土産があるぜ。ザールブルグ名産のケシパンだ。モーンマイヤー農場でこの秋に収穫したケシの実を原料に、テオのやつが自分のかまどで焼いた特製のパンだぞ」(*23)
「あら、懐かしいじゃない」
シスカが空いていた椅子に腰を下ろす。
「もっとも、イルマとロマージュが半分以上、食っちまったがな」
「いやね、そんなことないわよ!」
「さんざん踊ってお腹が空いたけれど、そんなにがっついてはいないわ。うふふ」
パーティでタロット占いを披露したイルマ・ヴァルターと、艶やかな踊りで観客を魅了した踊り子のロマージュ・ブレーマーが異口同音にヴェルナーに文句を言う。
イルマもヴェルナーも、かつて錬金術士のリリーがアカデミーを建設するために奮闘していた頃、シスカと共にシグザール各地で冒険を重ねた仲である。南国出身のロマージュがザールブルグへ流れて来たのはかなり後のことだが、彼女もやはり錬金術との縁は深い。(*24)
「それで、俺が持って来た親書とやらは、ちゃんと渡せたのか?」
興味のかけらもないという口調でヴェルナーがぽつりと言う。
「ええ、おかげさまでね。人目につくこともなかったし。騎士や早馬が手紙を届けて来たりしたら、余計な詮索をされることになってしまうもの」
旅の商人ならば、どのような時にどのような場所を訪れても不思議はない。ゲマイナーの深謀遠慮だった。
「ふん、めんどくせえもんだな、政治ってやつはよ」
ヴェルナーは大あくびをし、頭をぼりぼりかく。
「ところで、街の様子は?」
シスカが尋ねる。
「ああ、おおむね良好だぜ。リューネ姫婚礼の噂は、順調に広がってるみたいだ」
「しかも、町の人たちはみんな好意的に受け止めてるみたいよ」
あちこちの酒場へ入り込んでは噂話を聞き込んでいるロマージュが言う。
「そう・・・」
シスカが微笑む。イルマはにっこり笑って、
「ふふ、キャラバンが移動するたびに、噂は広がっていくわ。任せといて」
「やれやれ、お忙しいこった」
ヴェルナーはふと顔を上げ、
「そういえば、イルマは王様の前で占いをやって見せたんだってな」
「ええ、大成功だったわ」
「だけどよ、悪い卦が出ちまったら、どうするつもりだったんだ?」
「あら、そんな心配はないわよ」
イルマは微笑んだ。
「あのカードは、いい結果しか出ないように細工がしてあったんだから」
「何だと?」
ヴェルナーは座り直した。
「時と場合を考えて、占いにも演出が必要ということよね、うふふ」
ロマージュも笑みを浮かべる。
「けっ、そういうことかい。油断も隙もあったもんじゃねえな。これからは、間違っても占いなんかに銭を払わねえようにするぜ」
ボトルから自分のグラスに酒を注いだヴェルナーだが、はっと顔を上げ、まじまじとシスカを見る。
「おい、まさか、それもゲマイナーのおっさんの差し金か?」
「ふふふふ、どうかしらね。でも、国と国の友好関係を作り上げるためには、どんな機会でも利用するに越したことはないわね」
シスカが意味ありげに笑い、グラスを傾ける。
「それが、政治っていうものでしょ?」


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