第24章 夢見る君への招待状(*1)
傾きかけた夕日が、荒れ果てた岩場を照らし出していた。
激しく動き回り、剣を交えるふたりの長い影が、乾ききった吹きさらしの岩床に踊る。
「とぉっ!!」
「まだまだ! もっと踏み込んで! 手首の返しも素早く!」
「はい!」
剣を握りしめたカタリーナは、数歩下がって間合いを取った。
首にかかる程度に短く切り揃えた褐色の髪が、汗にまみれてべっとりと貼りついている。皮鎧もマントも、砂埃にまみれてがさがさだ。だが、瞳は炯々と輝き、固く引き結んだ口元は並々ならぬ決意を示している。
「もう少しよ! 前へではなく、上へ飛ぶことを意識して」
一方、メルは息を乱すこともなく、剣を手にカタリーナの打ち込みをさばいている。千回の素振りを日課にしているメルにしてみれば、半日、相手をしていても疲れることはない。
アルテノルト郊外の、ファクトア神殿へ連なる人気のない岩場だ。マッセンからリサを経由してアルテノルトに到着して以来、カタリーナとメルは連日、この場所へ来て特訓を行っていた。
マッセン国境の村で、仮面の騎士を相手にメルが見せた究極の剣技――アインツェルカンプに魅せられたカタリーナは、ぜひ自分も会得したいとメルに頼み込んだのだった。メルも、戦いの中でこの若い女剣士の素質は認めていた。150年前に錬金術士ユーディットが残したと思われる魔を封じる秘法を取りに行ったマルローネの一行が戻るまでは、動きようがない。亡き師匠ミューレンから教わったすべてをカタリーナに託そうと、喜んで修行に付き合うことにしたのだった。
師匠を持たず、すべてが自己流だったカタリーナは、ここ数日の指導で目に見えるほど腕を上げ、究極の技を会得するのにあと一歩のところまで来ていた。
今、カタリーナが手にしているのは、使い慣れた円月刀ではなく、まっすぐな刀身の『竜殺し』(*2)と呼ばれる剣だった。はるか昔にプロスタークで鍛えられ、シュルツェ家の武器庫にしまわれていたものを、クリスタが提供したのだった。
「相手が竜の血を引いてるっていうなら、こいつが効くだろう」
妖精のパウルがザールブルグからもたらした知らせを聞いたクリスタは、すぐに部下に武器庫を探させて『竜殺し』を見つけ出したのだ。
「アインツェルカンプッ!!」(*3)
剣を振りかぶり、突進して来たカタリーナが岩を蹴る。全体重を刃先にこめて切り下ろし、身をかがめて着地すると同時に反動で跳ね上がり、手首を返してなぎ上げる。
「くっ」
最初の一撃を受け流したメルだが、カタリーナの素早い返しに反応が一瞬遅れた。
鋭い金属音を立ててメルの手から剣が弾き飛ばされ、くるくると舞って岩にぶつかり、火花を散らす。
カタリーナの剣がかすめ、メルの長い黒髪がいく筋か、風に散る。
「そこまで!」
メルの鋭い声に、向き直ったカタリーナは剣を収め、大きく息をついた。
転がった自分の剣にゆっくりと歩み寄り、拾い上げると、メルは刀身をつぶさに見た。カタリーナの剣を受け止めた部分がわずかに欠けている。
「上出来だわ。もう、わたしが教えることはないみたい」
カタリーナを振り返り、微笑む。
「本当に?」
カタリーナは大きく目を見開き、つぶやくように言った。
「あとは、実戦の中で勘を養うことだわ。相手は常に動いている。間合いを確実に取って、隙を見逃さないこと。でも、あなたは素早いから――」
メルも剣を収める。この剣は鍛え直してもらわねばなるまい。
「ただ、長所はそのまま欠点にもなるのよ。自分の腕や素早さを過信しないこと。常に謙虚に自分を見つめていれば、大丈夫、どんな戦いでも生き延びることができるわ」
「はい・・・。ありがとうございました」
一歩下がってひざまずき、カタリーナが騎士の礼をする。見よう見まねでぎこちない礼だが、メル自身も正式に騎士隊に所属していたことはないから、特に気にはならない。
「さて・・・、シュルツェ屋敷に戻りましょうか」
カタリーナをうながし、きびすを返そうとする。
「待って!」
カタリーナが鋭く声を上げた。
前方の岩場に、不意にもやもやと虹色の渦が出現した。
「何なの?」
剣に手をかけ、カタリーナが身構える。
「油断しないで!」
メルも叫び、距離をおいて、渦巻く空間と対峙した。未知のものは、すべて危険である。ふたりは互いに間合いを取り、油断なく次に起こることを待ち受けた。
「きゃっ!」
宙に浮いた虹色の渦から、緑色の錬金術服を着た小柄な姿が現れ、岩場に落ちて尻もちをついた。両手になにやら金属の箱を抱えている。
「ヴィオラート・・・?」
カタリーナは目を丸くして、突然出現した顔なじみを見つめた。彼女は魔法書を求めて『ボッカム風穴』を探索しているはずではなかったか。
「あいたたた・・・、おしり、痛い・・・。あれ、ここ、どこ?(*4)」
片手で腰をさすりながら、まぶしそうに目をすがめて、ヴィオラートがきょろきょろと見回す。
「ヴィオラート、あなた、どうしたの?」
メルが駆け寄ろうとしたとたん、渦を包む虹色の光が強まり、ふたりの人影が相次いで吐き出された。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
飛び込んだ時の勢いのままに渦から弾き出されたクライスは前のめりに倒れ、杖と薄汚い布を引きずったマルローネがその上にどすんと落ちる。
次の瞬間、虹色の光は弱まり、渦巻きも宙に吸い込まれるように消え去った。
「あ、あはは、生きてるよ! どこだかわからないけど、どうやらうまく脱出できたみたいね」
クライスを下敷きにしたまま、マルローネはむっくりと起き上がる。金髪を払うと、こびりついた岩くずや小石がぱらぱらと落ちる。
「いいから・・・どいてください・・・」
クライスが弱々しくうめく。
「あ、あなたたち・・・?」
状況がのみこめないメルとカタリーナは、茫然と立ち尽くすばかりだ。
「あ、あれ・・・? お会いしたこと、ありますよね?」
マルローネも、きょとんとしてふたりの女剣士を見つめる。
メルとカタリーナが戻るとほぼ同時に、マルローネたちは『ボッカム風穴』に向かって出発した。シュルツェ屋敷で挨拶は交わしたものの、顔と名前が一致しないのも無理からぬことだ。
「マ、マルローネさん・・・。お、重いです」
クライスの声が空しく響く。
その時、足元の岩場がかすかに震えた。
「地震・・・?」
カタリーナがあたりを見回す。
とどろくような地鳴りが大地の奥底から響く。すぐに、さらに大きな揺れが襲った。
「これは――!? まさか・・・」
メルが北西の空に目をやる。そちらには、暮れ行く夕日にボッカム火山の姿が黒々と浮かび上がっている。地鳴りがさらに高まり、大地と共に大気もびりびりと震える。
轟音と共に、ボッカム山の中腹から巨大な火柱が上がった。
黒い噴煙がもくもくと吹き上がり、真っ赤に焼けた火山弾が四方へ飛び出すのが見える。
メルにとっては、10年ぶりに目にする光景だった。
「ボッカム山が――目覚めた・・・」
茫然とながめていたメルは、マルローネたちに質問するカタリーナの声に、ようやく振り返った。
「あなたたち、どうしてこんなところに――?」
「あ、いえ、話せば長くなるんですけど・・・」
まだ冷静さを取り戻していないヴィオラートが、しどろもどろに答える。
「それにしても、どうしてボッカム火山が・・・?」
メルの問いは、特に答えを求めて発せられたものではなかった。
だが、クライスの上に座り込んだままのマルローネはごまかし笑いをして頭をかき、答えた。
「え、ええと、あはは・・・。やっぱり、あたしたちのせいかな? えへへ」
その晩――。
シュルツェ屋敷の広間は、人であふれていた。
一家の幹部連が秘密裏に集会を開くために、屋敷の奥深くに作られた広間だ。一般の来客の目からは隠され、使用人もごく一部を除いて立ち入りを許されていない。
シャンデリアで明々と照らされた広間の中央には、大きな楕円形のテーブルが置かれている。テーブルの周囲には、今回のグラムナートの異変に少しでも関わりを持った男女が集まっていた。
奥の壁際の席には、ヘルミーナを中心にクライス、マルローネ、アイゼル、ヴィオラートと、5人の錬金術士が並ぶ。右側にはクリスタ、ラステル、メル、カタリーナの女性陣が席を占め、反対側にはコンラッド、アデルベルト、ヴィトス、オヴァールが座る。パウルだけは椅子に座ると背が届かないため、テーブルの端に直にぺたんと座っている。
ヘルミーナの前には、パウルが持って来たイングリドからの手紙と、マルローネたちが『ボッカム風穴』の最深部で発見した金属の箱が置かれている。
「じゃあ、始めるとしようか」
ヘルミーナがおもむろに口を開き、イングリドの手紙を取り上げた。既に何度も読み返し、内容はすっかりそらんじている。
イングリドが『エアフォルクの塔』で魔界の有力者であるキルエリッヒに会い、情報を得た顛末を、ヘルミーナは簡潔に語る。一同はしわぶきひとつ漏らさずに聞き入った。
「さて、問題の敵の正体だけど――」
ヘルミーナは淡々と続ける。
「やっぱり、あの仮面の騎士は魔界から来たそうだ。精霊騎士三兄弟と呼ばれている剣呑な連中らしい。動乱を起こしては、人々が右往左往して苦しむのを見て楽しむのが趣味という話だ。あたしたちにとっちゃ、いい迷惑だね」
「なんてやつらだ・・・。許すわけにはいかない」
アデルベルトが怒りに震える口調で言った。
「名前はエイス、フレイム、ドナー。あたしがザールブルグのイングリドに調査を頼んだ時には、メッテルブルグで出会ったやつしか知らなかったけれど、3人組らしいね。あたしらが遭遇したのがフレイム――炎の精霊から生まれたやつだ。その後、みんなから聞いた話を考え合わせると、カナーラントに現れたやつが氷の精霊を親に持つエイス、そしてマッセンに出没しているのが雷の精霊から生じたドナーだろう。こいつらは3人揃って、グラムナートを食いものにしようとしているわけだ」
「国王や騎士団も、その精霊騎士に洗脳されて、こういう非道を始めたってわけだね」
クリスタがつぶやく。
「だったら、そいつらを倒せば、みんな元に戻るってわけだ」
「それはおそらく正しいでしょう」
クライスが引き取る。
「私たちがハーフェンで、仮面の騎士エイスを追い払った時、カナーラントの竜騎士の面々は正気に戻りました。推測ですが、洗脳されて間がなかったため、回復も早かったのだと思われます。それに比べ、フィンデン王国の人たちはマインドコントロールされてからかなりの時間が経っていますから、正常に戻るのに時間がかかるでしょうね。しかし、魔界の騎士を排除すれば最終的には自分を取り戻すことでしょう」
「そうだよ、やっつけちゃおう!」
マルローネが叫ぶ。クライスが振り返ってにらみ、
「あなたは簡単に言いますが、どうやって倒すというのですか。ハーフェンの錬兵場を思い出してください。あれだけの攻撃を受けて致命傷を負ったはずなのに、あいつは復活したのですよ」
「そっか・・・。そうだよね」
マルローネは黙り込む。
「その通りだわ。マッセンにいた仮面の騎士も、生き返った・・・」
メルは真剣な顔で、国境の村での戦いを語った。
「そういうことだね。イングリドが調べたところでは、やつらは三位一体だという。精霊たちは互いに空間を越えて生命力のやり取りができるらしい。つまり、精霊騎士ひとりを倒したところで、すぐに他のふたりから生命力の供給を受けてよみがえってしまうというわけだ。むしってもむしっても生えてくる、雑草みたいなもんだね」
憮然とした表情で話すヘルミーナの横顔を、アイゼルは隣の席から盗み見た。いつものふくみ笑いが聞こえない。それだけ師も真剣なのだろう。
「処置なしか・・・」
クリスタが腕組みをして考え込む。沈黙がたれこめた。
「ところで――」
オヴァールが口を開いた。
「やつらは、なぜグラムナートにやって来たんだ? なにか、やつらを引きつける物があったのか?」
「理由はふたつありそうだね」
ヘルミーナが手紙を振って答える。
「ひとつは、グラムナートに魔界からの出口が開いていたってことだ。『マイバウムの塔』がね。シグザールにも『エアフォルクの塔』という魔界との通路があるけれど、そこはキルエリッヒがにらみを効かせて守っている。だが、『マイバウムの塔』には守護者がいない。昔、誰かさんが塔の主を倒してしまったから、魔界との行き来をさえぎる者がいなくなってしまったそうだ」
「そんな・・・」
メルとクリスタが目を見交わして、居心地悪そうに身じろぎした。ラステルも目を伏せる。20年前、ユーディットに『マイバウムの塔』へ入る道を開いたのはラステルだし(*5)、一緒に塔を探索してついには塔の主の魔王ザウゼンを倒してしまったのは、クリスタとメルだったからだ。
3人には構わずにヘルミーナは続ける。
「もうひとつは、グラムナートの北方にあるという魔力の源だ。精霊騎士は、それに引き寄せられたのかも知れない。何でも、はるか昔に倒された竜の体内から出てきた宝石だという話だけれどね」
カタリーナがはっと顔を上げた。思わず椅子を蹴って立ち上がる。
「“竜の心臓”のことね・・・」
大きく目を見開いて、カタリーナがつぶやく。マッセンへの旅の途上で“竜の心臓”の話を聞いていたメルとヴィオラートも、顔を見合わせた。
「話してくれないかい?」
ヘルミーナにうながされて、カタリーナはマッセンに伝わる『剣聖グレイデルグの竜退治』の伝説を語った。(*6)
「なるほど、わかってきたよ・・・。竜と精霊から生まれた精霊騎士三兄弟が、竜から出てきた魔力ある宝石をほしがるってのは、大いにありそうなことだ。それを持てば魔力が強まるともなれば、なおさらだね」
「だから、カナーラントよりも先に、マッセンを狙ったのね・・・」
「それと、カタリーナが旅先で見たという夢も、関係がありそうだね」
ヘルミーナが静かに言う。カタリーナはうなずき、
「確かに、マッセンハイムの街が魔物に襲われていた夢は、最後に中央広場で終わったわ。あの黒い霧の中でかすかに輝いていたのは、“竜の心臓”だったかも知れない・・・」
「何ですって!?」
メルが叫んだ。
「わたしも、同じ夢を見たのよ!」(*7)
今度はカタリーナが目を丸くする番だった。
メルは、リサで悪夢に襲われたことと、その時に感じた激しい胸騒ぎについて語った。カタリーナとふたり、悪夢の細かい部分をつき合わせる。
「ふたりが、同じ夢を見るなんて・・・」
メルとカタリーナは、改めて顔を見合わせた。
茫然と話を聞いていたアイゼルは、隣でヘルミーナが小さくつぶやくのを耳にした。
「ふたりだけじゃないよ・・・」(*8)
「え、どうしたんですか、ヘルミーナ先生?」
いぶかしげに目を向けたアイゼルだが、ヘルミーナは横目でにらんで黙殺した。こうなっては師の口を開かせることはできない。アイゼルは諦めて、目を戻した。
どうやら、ヘルミーナのつぶやきが聞こえたのはアイゼルだけだったようだ。
「もしかしたら、“竜の心臓”が、わたしたちにマッセンの危機を知らせようとしたんじゃないかしら」
メルの言葉に、カタリーナもうなずく。
「そうよね。あたしはマッセンハイムの生まれだし、エスメラルダさんのご両親もマッセン出身だもの。“竜の心臓”はマッセンの守護神なのだから、マッセンの血を引く者に呼びかけたとしても不思議ではないわ」
「じゃあ、なおさら、こんなことしてる場合じゃないよ!」
マルローネが立ち上がる。
「早いところ、その“竜の心臓”とかいう宝石が奪われる前に、精霊騎士をやっつけなきゃ!」
「わからない人ですね。やつらを倒す方法がわからないから、こうして話し合って知恵を出し合っているんじゃないですか。何度倒しても生き返ってくる連中が相手では、いくらあなたが爆弾を量産しても追いつかないでしょう」
クライスがたしなめる。
「だって――」
「確かに、1対1で戦えば、一度は倒すことができるわ」
メルは、ドナーと一戦交えた時の感触を思い出すように、こぶしを握った。
「でも、無限によみがえって来られたのでは、手がつけられない・・・。最後にはこっちの体力が尽きてしまうわね」
「だが、なにか方法はあるはずだ!」
コンラッドがこぶしをテーブルに叩きつけた。
「世の中に、滅びないものなどない――はずだ」
ヴィトスが静かに言う。
「だが、連中はこの世のものじゃない。お手上げだな」
「あ、あの・・・」
ヴィオラートがおずおずと手を上げた。(*9)
「わざわざ手を上げる必要はないわよ。言いたいことがあるなら、堂々と言いなさい」
アイゼルに勇気付けられ、ヴィオラートは口を開く。
「あたし、思ったんですけど――。ひとりひとりを個別に倒すのがだめなんだったら、一箇所に集めて、まとめていっぺんに倒しちゃえばいいんじゃないですか?」
テーブルを囲む全員が、あっけにとられて見つめる。ヴィオラートはどぎまぎしながら言葉を継ぐ。
「あたしの故郷のカロッテ村では、よくにんじん畑がウサギに荒らされます。うちのお兄ちゃんは、ウサギを見つけるとすぐに怒って追いかけ回すんです。でも、ウサギの方が頭が良くて、一匹がお兄ちゃんの注意を引き付けてる隙に、群れの他のウサギがにんじんを食い荒らしてしまうんです。それで、以前にロードフリードさんと一緒に考えた方法なんですけど――」
一同は黙って聞き入っている。ヴィオラートは続けた。
「畑の一箇所――大きな木が枝を伸ばしている下のところに、いちばん美味しいにんじんをわざと他から離して作っておくんです。ウサギが美味しいにんじんにつられて集まってきたら、上から網を落としてまとめて捕まえてしまいます。そうすれば――」
「まさに、一網打尽ね、ふふふふ」
ヘルミーナが今日はじめて笑みを浮かべた。
「気がつかなかったよ。お互いに生命力をやり取りできるのは、倒されたやつ以外の精霊騎士が元気でいるからだ。まとめて同時に攻撃して倒してしまえば、生命力の供給を受けることはできないということだね、ふふふ」
「なるほど、そういうことか!」
クリスタが手を叩いて叫ぶ。
「それなら、うまくいくかも知れないわね」
メルの表情も明るくなった。
みんなが一斉に、興奮してしゃべり始めた。クライスとオヴァールだけは、難しい表情を崩さない。
「ですが、どうやって一箇所に集めるというのですか?」
クライスが冷静に言う。オヴァールもうなずいた。
「これまでの話では、フレイムはメッテルブルグに居座っているし、エイスは行方知れず、そしてドナーはマッセンのあちこちをうろついているというのだろう? そんなやつらをひとつところに集めるなど、無理というものだ」
「もう! あんたはどうしてそう悲観的なことばかり言うのよ!」
同じ言葉を、クリスタはオヴァールに、マルローネがクライスにぶつける。
「一難さって、また一難か」
ヴィトスが難しい顔で腕を組む。
「手はあるよ、ふふふふ」
ヘルミーナが意味ありげな笑みを浮かべた。
「何だって?」
「ヴィオラートのウサギと一緒さ。罠を仕掛けて、おびき寄せる」
「でも、どうやって?」
「招待状を出してやればいいのさ、ふふふ」
そして、ヘルミーナは作戦を語った。(*10)
ヘルミーナの話を聞いて、クリスタは大きくうなずいた。
「なるほど、そいつはおもしろいや。待ってな、すぐに手配するよ」
クリスタは広間を飛び出して行った。
「でも、相手を一箇所に集められたとして、本当に勝てるの?」
ラステルが不安そうに言う。
「確かに。苦戦は免れないでしょうね。ドナーが操る魔物の群れもいるしね。一匹一匹がかなり手ごわいし、数が多い分、侮れないわ」
メルが顔を引き締める。
「ひとつ、いい知らせがあるよ」
ヘルミーナは、イングリドからの手紙の最後の部分を読み上げた。
「シグザール騎士隊の連中が、応援に来てくれるそうだ。到着まで、しばらくかかるかも知れないけれどね」
「そいつは心強いな!」
コンラッドがうなずく。ヴィトスは腕組みをしたままだ。
「だが、やつらの魔力は強い。本当に対抗できるのか?」
「大丈夫よ! そういう時のために、“魔を封じる秘法”を苦労して取って来たんだから!」
マルローネが、テーブルに置かれた金属の箱を指差す。
「本当に、死ぬかと思いましたよ。それだけの思いをした見返りがあればいいのですが」
クライスが眼鏡のフレームに手を添え、ルーン文字におおわれた箱を見やる。
「ふふふふ、さっそく中身を見てみようじゃないか」
ヘルミーナが箱を取り上げ、ためつすがめつする。しばらくながめた後、顔をしかめた。
「かなり厳重に封印されているようだね」
「鍵がかかっているんですか?」
アイゼルが尋ねる。
「いや、物理的な錠はないよ。どうやら、箱を開くにはなんらかの合言葉が必要なようだ。ふふふ」
「『開け、ゴマ』とか?」(*11)
「単純すぎますよ」
「何よ、あんたは小難しく考えすぎなのよ」
マルローネとクライスの言い合いを無視して、ヘルミーナは箱の表面に大きく描かれた六芒星のしるしを示した。
「これが、鍵になりそうだね」
見れば、円の中にふたつの正三角形が上下逆に組み合わされ、中央の六角形の各辺を一辺とする六つの小さな正三角形が作られている(*12)。そして、六芒星の周囲を囲うように、小さく言葉が書き込まれていた。
「ふうん・・・。『わが秘法を見出したくば、我にとりかけがえなき六文字を示すべし』か」
「ええ? そんな言葉が書いてあったんだ」
マルローネが目を丸くする。
「クライス、気付いてた?」
「いいえ、残念ながら。じっくりと観察している暇がなかったものですからね」
確かに、箱を見つけた瞬間から危機の連続で、脱出するのに必死だったのだから無理もない。
「たぶん、この六芒星の中の六つの三角形に、正しい文字を書き込めばいいと思うのだけどね」
ヘルミーナの言葉に、オヴァールは首をかしげる。
「だが、六文字の言葉など、星の数ほどあるぞ。いったいどうすれば、正しい言葉がわかるというんだ?」
「『我にとりかけがえなき六文字』――ヒントはこれだけよね? ユーディットにとってかけがえのないもの・・・それは何なのかしら?」
メルが言う。
「とりあえず、試してみよう」
ヘルミーナの言葉に、広間に戻って来ていたクリスタがインク壺と羽ペンを差し出す。
「待ってください。間違った言葉を書いたら爆発してしまうとか、そういう心配はないんですか?」
アイゼルが言うと、ヘルミーナは笑みを浮かべた。
「おそらく大丈夫だろう。マルローネだったら、わからないけれどね、ふふふ」
「どういう意味ですか、ヘルミーナ先生!?」
「マルローネさんだったら、正しい言葉を書いても爆発する恐れがありますね」
「クライス、うるさ〜い!」
「まず、思いつくのはこれだね。“ユーディット”(Judith)だ」
ヘルミーナは羽ペンでさらさらと書き込む。
しばらく待ってみたが、何も起こらない。やがて、六芒星内に書かれた文字はかき消されるように消えてしまった。
「だめですね」
アイゼルがため息をつく。
「ふうん、自分自身よりもかけがえのないものがあったということだね、ふふふふ」
ヘルミーナは一同を見回した。
「誰か、意見は――?」
「ユーディットにとって、かけがえのないもの・・・か」
「“錬金術”(Alchemie)は、文字数が違いますしね」
「生まれ故郷の村の名前は?」
「ご両親の名前・・・って、あたしたちは知らないものね」
「恋人の名前――なんて、これもわからないか、あはは」
しばらくの間、いろいろ試してみたが、どれもはずれだった。
ヴィトスがうんざりしたように言う。
「だいたい、僕たちはユーディットの人生のわずかな部分しか知らないんだぞ。彼女にとっての人生は長い。僕たちの知らない時代のなにかが鍵になっているのなら、わかるはずもないじゃないか」
「いや、そうは思わないね」
クリスタが反論する。
「ユーディットの人生の中で、あたしたちの時代に飛ばされたことは、いちばん重大な事件だったんじゃないのかい?」
「そうよ、だって、ユーディーは、200年前に帰る時、あたしたちの恩は一生忘れないって言ってくれたもの」
ユーディットと過ごした日々を思い出したのか、ラステルが涙ぐみながら言う。
「それにしては、僕への借金も返済せずに帰って行ってしまったが」
ヴィトスの言葉をラステルは無視する。
「あたしのことを、かけがえのない親友だって――」
「それだ!」
ヘルミーナが叫んだ。びっくりしてラステルが口をつぐむ。
羽ペンを取ると、ヘルミーナはラステルのところにつかつかと歩み寄り、箱と一緒に差し出す。
「これは、あなたが書くべきよ、ふふふ」
「え? どうしたの?」
ラステルは、事情が飲み込めていない。ヘルミーナは諭すように言う。
「あなたが今、言ったじゃないの。かけがえのない親友――つまり『我にとりかけがえなき六文字』ということさ」
「まさか――!?」
「さあ、書きなさい。――まさか、自分の名前を忘れちゃったなんてことはないでしょう? ふふふ」
ラステルは、震える手でペンを取り、六芒星の中に“ラステル”(Rastel)と書きつけた。(*13)
とたんに箱がぼうっと光を放つ。
そして、全員が見つめる中、金属の箱はぱっくりと口を開けた。
中には、ごく薄い仮綴じのノートが納まっていた。
「ユーディー・・・。あたしのこと、忘れないでいてくれた・・・」
「当たり前じゃないの。あたしたちが彼女を忘れないように、ユーディットだってずっと覚えていてくれたんだよ」
少女のように泣きじゃくるラステルの肩を、クリスタが優しく抱く。
それに構わず、ヘルミーナはノートを取り上げて、ぺらぺらとめくった。
「ふふふふ、あったよ」
マルローネやアイゼルが、好奇心もあらわに覗き込む。
「これだ・・・。“六芒星封魔陣”――。なんとも仰々しい名前(*14)をつけたものだね。ふうん、ポイントは『竜の砂時計』か」
「“六芒星封魔陣”・・・」
錬金術士たちを見渡して、ヘルミーナは命令を下した。
「さあ、さっさと始めようじゃないか。ここに書かれたレシピ通りに、必要なアイテムの調合にかかるんだよ」