第26章 伝説の鳥を求めて(*1)
「よう、調子はどうだい?」
扉を開け放って広間へ入って来るなり、クリスタは呼びかけた。
「まあ、順調というところかね、ふふふふ」
自分の作業台から離れ、クリスタに向き直ったヘルミーナが答える。
先日、関係者全員が集まって会議を行ったシュルツェ家の広間は、すっかり様変わりしていた。
大テーブルは運び出され、部屋の中央には急ごしらえのかまどがすえられて、大釜の中ではなにやら正体不明の液体がぐつぐつと煮詰まり、湯気を上げている。周囲には作業台が並び、乳鉢や天秤、ランプにトンカチといった錬金術の調合用具が所狭しと置かれている。きちんと整理されている机もあれば、乱雑で足の踏み場もないような机もある(*2)。そして、色とりどりの錬金術服とローブに身を包んだ錬金術士たちが、忙しげに歩き回り、言葉を交わし、薬品を混ぜ合わせ、フラスコを振る。部屋には何とも言えない異臭も漂っていた。
床に敷いた高級織物のじゅうたんが焼け焦げや薬品の染みでまだらになっているのに気付いて、クリスタはため息をついた。壁や天井にもすすがこびりついている。汚れは、特に広間の一箇所に集中しているようだが。
突然、汚れが目立つ一画で爆発音が響き、白い煙が立ち昇る。
「ああん、もう! またやっちゃったよぉ!」
すすにまみれた金髪を振り乱したマルローネが、頭をかかえて叫ぶ。
離れた作業台に張り付いて調合しているアイゼルとヴィオラートは、ちらりと目を向けただけで、黙々と自分の作業を続ける。アイゼルは経験を生かして、高度な技術を要する魔法の装飾品を手がけ(*3)、ヴィオラートはレシピに従って調合材料の分配や、基礎的なアイテムの調合にあたっている。
「騒がしい人ですね。他の人の迷惑というものも考えてください」
隣の作業台で鉱石を熔かす作業をしていたクライスが、けわしい目で言う。
「一度の失敗が、どれだけの前工程をむだにすると思っているのですか」
「わかってるわよ! でも、このレシピ、不完全なんだもん。調合割合も正確に書かれてないし、同じカテゴリーに属する材料が何種類もあるのよ! 見当と勘でいろいろ試してみるしかないじゃない!」
「それは承知しています。だからこそ、ラフ調合に慣れているマルローネさんに最終段階をお任せしているのではないですか」
「うん、わかってる――わかってるんだけど・・・」
マルローネはもどかしげにくちびるをかむ。クライスは、やや穏やかな口調になって、
「少し、休憩して気分転換をされてはどうですか」
「そうだね・・・。よぉし!」
うなずくと、マルローネは腕まくりをして天秤と乳鉢を引き寄せた。クライスが目を丸くする。
「どうしたのです? 休憩するのではなかったのですか?」
「うん、気分転換に、新型の爆弾の調合を試してみようと思ってさ」
にっこりしてマルローネは言う。
「息抜きには、爆弾作りがいちばんなのよ」
「やれやれ、あなたにはかないませんね」
クライスは肩をすくめると、熔けてどろどろになった鉱石を型に入れ、すりつぶした『ぷにぷに玉』を加えながら冷やし始めた(*4)。
「ちょっと・・・。本当に順調なのかい?」
声をひそめ、不安げにクリスタが尋ねる。
「ああ、おおむね予想した範囲内で進んでいるよ。なにしろ『竜の砂時計』は、調合するにはやっかいな代物だからね」
ヘルミーナは働いている仲間たちを見やった。
「本来、『竜の砂時計』そのものの材料は4種類だけだ。『世界霊魂』に『竜の角』、『うつろふ指輪』(*5)と『七連円環』(*6)・・・。だけど、後のふたつが曲者でね」
うんざりした表情を浮かべる。
「『うつろふ指輪』を作るには、材料として『フレアトルク』(*7)と『クラウムバングル』(*8)を揃えなきゃいけない。でも『フレアトルク』を作るためには『神丹』(*9)が、『神丹』を作るには『ネクタル』を作らなきゃいけない。『クラウムバングル』も『七連円環』も同様だ。いくつもの複雑な工程を踏まないと、最終段階にたどり着かない。マイスターレベルの錬金術士が何人も揃っていて良かったよ」(*10)
クリスタは圧倒されて耳を傾けていた。錬金術の細かなことを説明されてもよくわからないが、ヘルミーナたちが大変な作業に取り組んでいることだけはわかる。
ヘルミーナは難しい表情を崩さずに続ける。
「それだけなら、時間と労力さえかければ大丈夫なのだけれどね。もっと大きな課題が残ってるのさ」
「どういうことだい?」
「ユーディットの魔法書を読むと、通常の『竜の砂時計』のレシピに5種類目の材料が追加されているのさ(*11)。ただ、どうやら記述が不完全らしくてね。“属性”というカテゴリー名(*12)だけが記されていて、具体的な材料の名が載っていないんだ」
「それじゃ、作れないんじゃないのかい?」
「そんなことはないさ、ふふふ。カテゴリーから類推して、適合性の高い材料を選別し、試してみている。ラフ調合の技術を身につけているやつがいて、よかったよ」(*13)
ヘルミーナは、乳鉢にかがみこんで木炭をすりつぶしているマルローネに目をやった。
「もともと、ラフ調合の技術は古いものでね。カテゴリー分類は全部で57種類あり、ひとつのアイテムでも最大6種類のカテゴリーが――」(*14)
「ああ、もういい、大変なのは、よくわかったよ」
クリスタは手を振ってさえぎる。錬金術の講義を受ける気はない。
「それで――? 期日までには揃えられるんだろうね?」
「ふふふふ、なんとかするさ。他にも問題はいろいろあるけどね。ユーディットの魔法書には、“六芒星封魔陣”を発動させるためには改良型の『竜の砂時計』が六個必要だと書かれているんだ。錬金術に不可能はないよ」
「そうか・・・。とにかく、次の竜の月、竜の日までには戦力を整えてマッセンハイムへ乗り込まなくちゃならないんだからね」
「それで・・・? 仕掛けの方はどんな具合なんだい?」
「ああ、順調だ」
クリスタはにやりと笑う。
「うちの連中は噂のばらまき方を心得てるからね。今はメッテルブルグでもヴェルンでも、竜の月、竜の日、竜の刻にマッセンハイムの“竜の心臓”を奪いに魔界から“紅薔薇の騎士”がやって来るという噂でもちきりさ。マッセンにも吟遊詩人の格好をさせて何人か送り込んでおいたし、マッセンハイムに噂が届くのも時間の問題だろうね」
「そうかい、ふふふふふ」
ヘルミーナは不気味な笑みを浮かべる。
「イングリドが聞いてきたことが正しければ、精霊騎士の思考回路は悪戯小僧と同じだそうだからね。大切なおもちゃを取り上げられそうだとなれば、必ず動く。しかも、やつらひとりひとりではかなわないほどの強敵(*15)が来るとなれば、やむを得ず集まって力を合わせるだろう。そこが付け目さ。ふふふふ」
「なるほどね。ところで――」
クリスタは大きな瞳に興味しんしんという光を浮かべて言う。
「“紅薔薇の騎士”って、実在するのかい? まさか、本当に魔界から乗り込んできたりはしないんだろうね?」
「さあ、どうだかね。ふふふ」
ヘルミーナは楽しそうに笑った。クリスタは肩をすくめ、
「まあ、いいや。それはそうと、迎えの準備も整ったよ。予定の期日に『マイバウムの塔』へ着くように手配した」
「フィンデンの騎士団に気取られたりはしないだろうね?」
「その辺はぬかりない。パルメラント平原(*16)の南の森を抜けた海岸に小船と馬を隠しておいた。小船を使ってメッテルブルグ港を大きく迂回し、南から『マイバウムの塔』へ漕ぎつける(*17)。塔から出てきたシグザールからの援軍を海辺まで運んだら、後は馬で一気にアルテノルトへ連れて来るって寸法だ」
「頼んだよ、ふふふ」
「ああ、まかせてくれ。それより、魔を封じる秘法の方を頼むよ。錬金術に関しては、あたしらじゃどうにもならないからね」
「わかっているさ。精霊騎士をマッセンハイムにおびき寄せて一箇所に集め、“六芒星封魔陣”で魔力を封じて動きを止め、手錬れの剣士が3人がかりで一斉に息の根を止める――すべてがうまくいけばね、ふふふ。少なくとも、やつらには単純な魔法は効かない。『時の石版』や『暗黒水』では無理だ(*18)。いずれにせよ、高度な魔法と優れた剣の両方が必要だね」
「手錬れの剣士が3人――か」
「そうだ。できれば剣聖クラスがいいね」
「3人も剣聖クラスが揃うかな。メルとカタリーナは計算できるけど、あとひとりはフィンデンには見当たらないよ」
不安げなクリスタに、ヘルミーナは笑みを返す。
「心当たりは、十分過ぎるほどあるさ、ふふふふ」
「まあ、あんたが言うなら間違いないだろう。それじゃ、よろしく頼んだよ」
ヘルミーナがうなずく。クリスタが出て行こうとした時、背後でマルローネが歓声を上げた。
「やったね! 新型爆弾、2種類完成! さあ、量産するわよ〜!!」
「マルローネさん! 気分転換が終わったのなら、本来の仕事に戻ってください」
クライスがとげとげしく言う。
「はいはい、わかったわよ」
マルローネの返事を背に、クリスタはドアを引き開ける。とたんに、大きなかごを手にしたコンラッドとぶつかりそうになった。
「おっと、ごめんよ」
広間に入ったコンラッドはずっしりと重そうなかごをどさりと下ろすと、ヘルミーナに声をかけた。
「さあ、ご注文の材料の追加分をかき集めて来たぞ。鉱石類や宝石は、こんなもんでいいだろう。『月晶石』は氷室に入れといたから、使う時に出して来てくれ。それから、ゼッテルに布、油に調味料――このあたりは、リーゼロッテ(*19)の店の在庫をかっさらって来た。彼女、ぶーぶー言ってたから、後で珍しいアイテムでも差し入れしてやってくれ。おっと、忘れちゃいけない、『ぷにぷに玉』に『ペンデローク』もあるぜ」
そして――。
睡眠時間と気力と体力を削った悪戦苦闘の数日間が過ぎ(*20)、巨大な錬金工房と化した広間は、静寂に包まれていた。
きれいに片付けられた作業台の上には、6個の『竜の砂時計』が置かれ、疲れ果てた顔つきの錬金術士たちが台の周囲を取り巻いている。金属の輪を組み合わせた球形の枠の中に、3分の1ほど砂の入ったガラスの球が並んで収まり、ガラス球同士はわずかな隙間でつながっている。枠の上下には安定させるための金属板が取り付けられている。少なくとも、ユーディットが残した魔法書に描かれている図と寸分たがわない。
「これが、『竜の砂時計』――」
ヴィオラートが放心したようにつぶやく。気遣うようにアイゼルが尋ねる。
「どうしたの、ぼんやりしちゃって?」
「い、いえ・・・。すごいなあ――って思って。ただ、それだけです」
「そう・・・。無理もないわね。こんなに複雑で高度な調合をしたのは、初めてでしょう?」
「はい。錬金術って、やっぱりすごいです」
クライスが、せき払いをして口を開く。
「それにしても、ちゃんと発動するのでしょうか。その“六芒星封魔陣”というのは――」
「当ったり前じゃない! あんた、あたしが最終調合したアイテムが、そんなに信用できないわけ!?」
マルローネがかみつく。髪はくしゃくしゃ、顔はすすだらけ、ローブは焼け焦げと薬品の染みだらけだが、空色の瞳はらんらんと輝いている。思わずクライスは、その瞳から目が離せなくなる。
「何、見てんのよ、クライス!?」
「い、いえ、何でもありません」
あわててクライスは目をそらした。
「ただ、ちょっとだけ気になるんですよね」
マルローネはヘルミーナを見やる。
「“属性”というカテゴリーのアイテム、とりあえずいろんな種類の中和剤を作って試してみたんですけど、いつもと違って自分でも思い切りが悪くて・・・」
「試してみればわかることさ、ふふふふふ」
ヘルミーナは笑みを浮かべて、『竜の砂時計』をひとつ取り上げる。
「よし、とりあえず3個でやってみよう。ユーディットの魔法書では、6個集まれば最強の効果を発揮すると書いてあるけれど、ここには錬金術士は5人しかいない。不完全でも、やってみるしかないね」
「そうですね・・・」
アイゼルも手に取った。
「それで・・・。実験って、どうやってやるんですか?」
マルローネが尋ねる。ヘルミーナは意味ありげに笑って、
「ふふふふふ、簡単さ。そうね、あなたに実験台になってもらおうかねえ」
「へ? あたしですか?」
目を丸くするマルローネに流し目をくれ、ヘルミーナは一同に向き直る。
「“六芒星封魔陣”とは、『竜の砂時計』が持っている時間停止の効果を応用して、相手の魔力を封じ込める技らしい。らしい――としか言えないのは、ユーディットもこの方法を理論として編み出しただけで、実際に試したことはないようだからね、ふふふ。方法は簡単だ。各自が『竜の砂時計』を掲げて、敵に向かって砂時計の魔力を解放する。そうすると複数の結界が生じて、対象となった相手の魔力の発動が制限される――。砂時計の数が多いほど、結界も強くなるという理屈だ」
ヘルミーナはマルローネを見やる。
「たぶん、この中でいちばん魔力が強いのはマルローネだ(*21)。彼女の魔力を封じ込めることができれば――」
「なるほど、そうなれば、実験は成功ということですね」
クライスがうなずく。
「じゃあ、マルローネはそこに立ちなさい。あなたたちは、それぞれ『竜の砂時計』を持って、マルローネを囲むように立って」
「ヘルミーナ先生は、どうされるのですか?」
「ふふふ、あたしは冷静に観察させてもらうよ」
「はあ」
マルローネが『星と月の杖』を手に、広間の中央に立つ。そして、マルローネを中心に等距離をおいて正三角形の頂点を形作るように、クライス、アイゼル、ヴィオラートが『竜の砂時計』を手に身構えた。
「よし、はじめ!」
ヘルミーナの合図で、3人は一斉に砂時計を差し上げ、それを焦点に自らの魔力を集中する。
「え〜いっ!」
「くらいなさい!」
「これでどうだ!」
ぼうっとしたかすかな霧のような光が、マルローネの周囲にたちこめた。
ヘルミーナが尋ねる。
「どうだい、マルローネ? なにか感じるかい?」
「ええと、特には何も・・・。あ、ちょっとくすぐったいかな?」
「よし、それじゃ、あなたの必殺技を思い切りぶちかましてごらん」
“六芒星封魔陣”が効果を発揮しているのなら、マルローネの必殺技は発動しないか、威力が大きく減ずるはずである。
「では、行きます」
マルローネは大きく息を吸い込むと、杖を振り上げた。
「『星と月のソナタ』!! いっけえええぇ〜っ!」
窓の方へ向けて、思い切り振り下ろす。さすがに、人に向けるのは避けたようだ。
『星と月の杖』から無数の火の玉が宙に舞い、うなりを上げて窓に殺到する。盛大な音を立てて窓が吹き飛び、ガラスの破片がシュルツェ屋敷の内庭に飛び散った。周囲の壁や天井も焼け焦げ、きなくさい臭気がたちこめる。
「何事だ!?」
「敵襲か!?」
クリスタをはじめ、シュルツェ一家の若い衆が駆け込んで来る。
「え、あの・・・。あれえ――?」
マルローネは目を白黒させ、立ちすくんでいた。ヘルミーナは腕組みをして、目をひそめている。残りの3人は『竜の砂時計』を持った手をだらりと下げ、壊れた窓と焼け焦げた壁を茫然と見つめていた。
「失敗だったようだね」
ヘルミーナがぽつりと言った。
クリスタの提案で半日ほど休憩をとることにした。身も心も疲れ切っていた錬金術士たちは、ぐっすり眠った後、夕刻になって再び集合した。広間は補修作業が追いつかず、隙間風が吹き込むため、別の部屋が用意された。5人の錬金術士の他、クリスタとオヴァールが同席している。
丸テーブルの周囲に並んだ錬金術士の表情は暗い。特にヴィオラートの落ち込みが激しいようだ。アイゼルはくちびるをかみ、クライスは神経質に眼鏡を何度もぬぐっている。マルローネは上目遣いでなにかをしきりに考え、ヘルミーナは無表情に腕組みをしたままだ。
テーブルには、ユーディットの魔法書が広げられ、周囲はヘルミーナやクライスが調合作業の過程を克明に記したメモで埋め尽くされている。
「君たちが眠っている間に、僕なりにいろいろ考えてみた」
ユーディットの魔法書をめくりながら、オヴァールが口を開く。
「“六芒星封魔陣”の実験が失敗した原因は、いろいろと考えられる。順番に挙げてみよう」
一同を見回し、指を折り始める。
「まずは、調合した『竜の砂時計』が不良品だった場合。次に、『竜の砂時計』は正しく完成したが“六芒星封魔陣”の実行方法が正しくなかった場合。3番目は、アイテムも実行方法も間違っていないが、魔法を実施する側の能力に問題がある場合。最後に――」
魔法書に目を落とす。
「――ここに書かれたユーディットの記述そのものが、間違いだった場合だ」
しばらく沈黙が続く。やがて、ヴィオラートが消え入るようにつぶやいた。
「やっぱり、あたしの力が未熟だったから・・・。能力が足りなかったから・・・」
「そんなことはないわ。自分を卑下するのはおよしなさい」
隣でアイゼルがきつい口調で言う。
「その通りです、ヴィオラートさん。少なくとも、あなたの攻撃魔法の威力は私より上ですよ」
慰めるクライスに、マルローネがいやみたらしく言う。
「ああ、やっぱり。失敗したのは魔力が弱いクライスのせいだったのね」
「決め付けないでください!」
「いやね、冗談だってば。ほら、よく言うじゃない、『親しき仲にも礼儀あり』って」
「何を言っているのかわかりません」
「あれ? 違ったかな・・・。――あ、そうだ、『笑う門には福来る』だ」
「全然違うじゃないですか」
「ふふふふふ、じゃれ合うのもそのくらいにしておきなさい」
ヘルミーナの声に、はっとマルローネとクライスは真顔になる。だが、今の一幕でお通夜のような雰囲気が明るくなったのは確かだ。
「話を戻そう」
オヴァールが口を開く。
「4番目の仮説は、とりあえず除外することにしよう。これでは最初から話にならないからな」
「そうだね、ふふふ」
ヘルミーナは腕組みをしたまま笑みを浮かべる。
「3番目も、確かめるのは簡単だね。実行役を魔力の強い3人に入れ替えて、もう一度やってみればいい」
その言葉はすぐに実行に移された。修復中の広間に場所を移し、マルローネ、ヘルミーナ、アイゼルが『竜の砂時計』を持ち、クライスを実験台にして、再び“六芒星封魔陣”を発動する。
だが、クライスの必殺技はしっかり威力を発揮し、修理中の窓が再び打ち砕かれてしまった。
「ふうん・・・。とりあえず、この仮説は封印としよう。これが正しいとすれば、今の魔力では誰もこの魔法を発動することはできないことになるからね」
部屋へ戻った一同は、気を取り直して再び検討に入った。
「あの・・・。あたし、思うんですけど、やっぱり“属性”というカテゴリーをもう一度考え直した方がいいんじゃないかと――」
マルローネが口を開いた。
「マルローネさんにしては、いいところに着目しましたね」
クライスが眼鏡に手を添えて言う。
「錬金術の六つの属性を表すのが“六芒星”です。これを書いた人がわざわざ秘法の名前に“六芒星封魔陣”と冠したのには、深い意味があるのではないかと思うのですが」
「そうだよ! あたし、『竜の砂時計』を最終調合する時、爆発させるのが怖くて弱い属性しか与えなかったんだ。もっと属性が顕著に現れる材料を使って、6個の砂時計にそれぞれ個別の属性を与えてやったらどうかな?」
「なるほど、複数の魔法属性の強力な放射――相異なる位相の結界が重複することで、結界はより強力になり、理論的にはどのような魔力も封じることが可能になりますね」(*22)
「その通りだよ、クライス! 意外に頭いいじゃない」
「ふ、当然のことです。あなたにわかることが、私にわからないはずがありません」
「え、ええと・・・、あの――。それって、どういう意味――?」
高度な会話についていけないヴィオラートが、目を白黒させている。
「大丈夫。あなたもいずれ、理解できるようになるわ」
アイゼルが、元気付けるようにヴィオラートの肩に手を置く。
「わたしだって、すべてを理解できているわけではないもの」
「ふふふふ、なかなかいい考えだと思うね」
ヘルミーナはマルローネとクライスにうなずいてみせる。
「さっそく『竜の砂時計』の改良にかかるとしよう」
「まかせといて!」
マルローネが飛び出して行こうとする。
「あわてないでください、マルローネさん。まだ会議は終わってはいませんよ」
「だって、『せいてはことを仕損じる』って言うじゃない」
「また、間違えていますね。それを言うなら『善は急げ』でしょう」
「あ、そうそう、『善は急げ』よ」
「しかし――」
ヘルミーナがふたりに目を向ける。
「ふふふふ、かまわないよ。時間がないんだ。あんたたちは先に作業にかかっていなさい」
「やったぁ! ヘルミーナ先生、話がわかる!」
その時、ドアがノックされ、ボーラー・ジュニアが入って来た。
「報告いたします! 先乗りの早馬が知らせを持って来ました! シグザール王国の騎士隊ほか十数名が『マイバウムの塔』に到着、現在アルテノルトへ向けて移動中とのことです!」
「そうか! 予定通りだね」
クリスタの顔がぱっと明るくなった。ヘルミーナも笑う。
「ふふふ、だんだんと駒が揃ってきたようだね」
ジュニアが続ける。
「指揮官は、シグザール王室騎士隊長代行ダグラス・マクレインと名乗っているそうです」
「まあ、ダグラスが――」
アイゼルの口から言葉が漏れ、ヘルミーナは眉を上げた。
「あれ? ダグラスが隊長代行って、エンデルク様はどうしたんだろう?」
マルローネの言葉に、クライスがうんざりしたように答える。
「あなたも常識がわからない人ですね。王室騎士隊長といえば、シグザール王国を守る要です。国の防備をおろそかにして、騎士隊長その人がこのような遠方まで自ら赴いてくるわけがないではないですか。おそらく、エンデルク隊長は遠征隊の指揮権をダグラスさんに委ね、隊長代行の任務を与えたのでしょう」(*23)
「ふん、非常識で悪かったわね! とっとと行くわよ、クライス!」
マルローネはふくれて、さっさと部屋を出て行く。一礼して、クライスが続いた。
「あ、あの・・・。あたしも、お手伝いして来ます」
ヴィオラートが席を立った。勇気付けるようにアイゼルがうなずく。
「ええ、お願いね。あなたの力が必要なのよ」
「はい!」
元気を取り戻して、ヴィオラートが飛び出していく。
「見事な先生っぷりだね、ふふふふ」
「ヘルミーナ先生! からかわないでください!」
アイゼルは師をにらみつけたが、すぐに真顔に戻る。
「さっきは言い忘れていたのですが、わたしは“六”という数字がとても気になっているんです」
「ふふふふ、どういうことだい? 言ってごらん」
「マルローネさんが言っていたように、『竜の砂時計』に個別の属性を与えるということは有効でしょう。でも、“六芒星封魔陣”が、錬金術の6種類の属性すべての魔力が解放された時にはじめて威力を発揮するものだとしたら――」
アイゼルの目が不安そうに見開かれる。厳しい表情でヘルミーナがうなずき、言葉を継ぐ。
「属性ひとつを解放するのに、錬金術士がひとり要る。――つまり、6人の錬金術士が必要だということだね」
「そんな――!?」
クリスタが息をのむ。
「だって、グラムナートには、錬金術士はここにいる5人しかいないんだよ!」
ヘルミーナはきっとボーラー・ジュニアを見すえる。その視線の鋭さは、豪胆なジュニアも思わず後ずさるほどだ。
「『マイバウムの塔』に現れた中に、錬金術士はいなかったのかい?」
「は、はい――。報告によれば、騎士と冒険者だけで、錬金術士はいないと――」
「イングリドのやつ――!! ほんとに、肝心な時に、気が利かないんだから!!」
ヘルミーナは目をつり上げ、傍らの杖を取り上げるとテーブルに叩きつけた。木製の杖はまっぷたつに折れ、木片が飛び散る。
「へ、ヘルミーナ先生!」
アイゼルの声に、ヘルミーナははっと顔を上げ、唖然として見つめているクリスタやジュニアに気付く。
「ふん・・・。ちょっと風に当たってくるよ」
言い捨てると、折れた杖を放り出し、ヘルミーナはつかつかと出て行ってしまった。
「驚いたね・・・。ヘルミーナも癇癪を起こすことがあるんだ。あんなの初めて見たよ」
クリスタがつぶやいた。アイゼルも毒気を抜かれたようにうなずく。
「わたしもです・・・」
アイゼルはドアに歩み寄る。
「ちょっと・・・、先生の様子を見て来ます」
アイゼルが出て行くと、黙って成り行きを見守っていたオヴァールが、冷静な口調で言った。
「どうやら、結論が出たようだな」
クリスタを見つめ、首を横に振る。
「“六芒星封魔陣”を有効に発動させるためには、6人の錬金術士が必要だ。然るに、このグラムナートには錬金術士は5人しかいない。シグザールからの援軍の中にも、錬金術士はいなかった・・・。――残念だが、“六芒星封魔陣”は実現不可能ということだな」
「くそっ! こんなことってあるかよ!?」
クリスタの叫びが、部屋にこだました。
すでに日は沈み、空には星がまたたき始めていた。
シュルツェ屋敷の裏手の森に面したテラスへ出ると、アイゼルは師の姿を探した。
ヘルミーナは、テラスの端にもたれ、ぼんやりと森を見つめている。
アイゼルはそっと近づいた。
「アイゼルかい・・・」
顔を森に向けたまま、静かな口調でヘルミーナは言った。
何と言葉をかけていいかわからず、アイゼルは黙りこくったまま、並んでテラスにもたれる。
「ふふふふふ。教え子が困ってるのを放っておくわけにはいかない――なんて、かっこよく啖呵を切って、グラムナートまで出向いてきたあげくが、このざまだ・・・」
言葉を切り、小さな声で続ける。
「悪かったね、アイゼル――」
「そんな――! 先生!!」
アイゼルは叫んだ。
「そんなこと言わないでください! 先生がいらしてくださらなかったら、わたしたちはアルテノルトにさえたどり着けなかったでしょう。それに、“六芒星封魔陣”のことだって、先生が悪いわけじゃありません・・・」
アイゼルは涙声だ。
「ふふふふふ、そうだね」
ヘルミーナは自嘲気味の笑みを浮かべる。
「悪いのは、援軍の中に錬金術士を含めなかった、イングリドのやつだ」
アイゼルは、はっと顔を上げる。
「もう一度、パウルをザールブルグへ送って、誰か来てくれるように頼んだら――」
「だめだね・・・。作戦決行の当日――竜の月、竜の日には間に合わないよ」
「そう・・・ですね・・・」
ヘルミーナとアイゼルは、揃って夜空を見上げた。無数の星が、宝石を散らしたようにまたたき、互いの美を競っている。この空は、ザールブルグへもつながっている。今、懐かしい人たちが、同じ空、同じ星を見上げているかも知れない。
期せずして、ヘルミーナとアイゼルの口から、似たようなつぶやきがもれた。
「イングリドがいてくれたら・・・」
「エルフィールがいてくれたら・・・」(*24)
はっとして、ふたりは顔を見合わせた。互いに笑みが浮かぶ。
「ふうん、いつもどんくさいだの何だの言っていたくせに、やっぱり認めてるんじゃないか」
「先生こそ――。ライバルなんて言っても、やっぱりイングリド先生が好きなんですね」
「ふん、冗談じゃない。ちょっとした気の迷いさ」
「わたしだって――」
再び、星々を見上げる。
「遠いですね、ザールブルグは・・・」
アイゼルがつぶやいた。
「ああ、いくら錬金術でも、空間を一瞬で越えることはできないからね・・・。マルローネのあのじゅうたんも、目的地が定まらないんじゃ、危なっかしくて使えたものではないし」
しばらく沈黙が続く。
意を決したように、アイゼルが口を開いた。
「でも、まだ負けると決まったわけではありません。シグザールから応援が来てくれたのですし」
「ふふふふ、そうだね」
「冷えてきました。このままじゃ、風邪を引いてしまうわ。戻って、作戦を練り直しましょう。時間は大切に使わないと――」
アイゼルがうながそうとした時――。
「時間・・・? ――そうか!!」
ヘルミーナが、がばっと顔を上げた。
左右の色が異なる瞳が、屋内からのランプの明りに照らされ、妖しく輝いている。
「ど、どうしたんですか、ヘルミーナ先生!?」
ヘルミーナはたじろぐアイゼルの両肩を抱き、乱暴に揺すぶる。アイゼルはあっけにとられて、なすがままにされている。
「ふふふふふ、あたしも焼きが回ったものだね。どうして、こんなことに気付かなかったんだろう?」
「せ、先生・・・?」
「時間だよ・・・。時間」
ヘルミーナはくるりと背を向け、暗い森を見やった。ゆっくりと、しかし力強い言葉がもれてくる。
「そうさ、空間は越えられなくても、時間なら一瞬で越えられる――。ふふふふ、たったひとりだけ、すぐにこの場に連れて来られる錬金術士がいたよ・・・」
振り向いた瞳が、再び妖しく光った。
「――200年前のフィンデン王国にね」