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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第28章 風のフォルトーネ(*1)

馬車が森を抜けると、あたりの風景が開けた。
さわやかな風が窓から吹き込んでくる。風はみずみずしい香りがした。
「わあ・・・」
あたしは身を乗り出すようにして、馬車の右手に広がるリーゼトレーネの景色をながめる。青い空を映す水面は、わずかにさざ波がたつばかりだ。白い鳥が何羽も、やかましく鳴きながら、水面ぎりぎりまで舞い降りては魚を獲っている。あの鳥は、どこから渡ってきたのだろう。(*2)
湖の中央には、大きな緑の島がある。草木におおわれてひっそりと静まり返っており、誰も住んではいない。
でも、あたしは知っている。200年後には、あそこに街ができているのだ。大きな図書館が建設されて、たくさんの学者がフィンデン王国の全土から集まってくる。ヴェルンという名の、学術都市――。 こんなこと、誰に言っても信じてもらえないと思う。この風景を見ていると、あたし自身、とても信じられない。でも、あたしは確かにあの街にいたのだ。
きらきらと陽光を反射する湖面を見晴るかすと、その向こうにリーゼナーゼの岩山が見え、さらに遠く、ボッカム山の雄姿が望める。今の時代、ボッカム山はおとなしく、死火山だと思われている(*3)。でも、それも違う。あたしは、ボッカム山が定期的に噴火するのをこの目で見てきた。
馬車は、リーゼトレーネの南岸を走り続ける。ライフ村と首都メッテルブルグを結ぶ定期便だが、乗るのは数年ぶりだ。後ろの方には荷物が山と積まれていて、あたしたち乗客は、前の方の狭い空間に押し込められている。他のお客さんは、旅の商人や冒険者たち。あたしのような錬金術士は見当たらない。
ふと、左肩が寂しいのを思い出す。今回の旅には、オウムのフィンクは連れて来なかった。フィンクはおしゃべりで、いつもやかましくがなりたてている。気が沈んでいても引き立たせてくれるし、にぎやかなのはいいのだが、落ち着いて考え事をするには向かない。だから、エサに眠り薬を混ぜて、眠った隙に出発してしまったのだ。少し静かな時を過ごして、いろいろなことを考えたかったから・・・。
考えなければならないことは、たくさんあった。多すぎた。
あの時――。ヴェルン郊外の森の中のストーンサークルで、あたしは『竜の砂時計』を使った。元の時代に帰り、何事もなかったようにやり直す・・・それが正しい道だと思ったから。
あたしを取り巻いた光の壁の向こうで、涙を浮かべたラステルが叫んでいた。
でも、次の瞬間、あたしはライフ村の自分の工房にいた。若い冒険者から依頼された『竜の砂時計』を量産しようとして、材料を大釜に入れた直後のようだった。どうやら、調合は成功したらしい。
外から見れば、何事も起こっていない日常風景だったろう。錬金術士のユーディットが、いつも通り調合を行っている、ただそれだけのことだ。
だけど、そこにいるあたしは、調合開始前のあたしとは、まったく違っていた。
200年後の世界で過ごした数年間の記憶と、ちょっぴり成長した身体を持ったあたしが、そこにいた。
何が起こったのかは、よくわからない。その直前、調合に失敗したあたしは爆発に巻き込まれ、フィンクと一緒に200年後の世界へ飛ばされてしまったのだ。何年も苦労して、向こうの世界で知り合ったたくさんの人たちに協力してもらって、過去へ戻る手立てを探した。そして、やっとのことで元の世界へ戻ってくることができたのだ。
ご近所やお客さんの誰にも、その話はしなかった。話したって、信じてもらえるわけがない。だって、この世界のライフ村では、あたしが行方不明になっていたなんていう事実はないのだから。
お隣のおばさんからは、こんなことを言われた。
「あらあら、ユーディーちゃん、いつの間にか大人っぽくなったわねえ。見違えちゃったわよ」
お客さんたちからは、
「いやあ、仕事は早くなったし、アイテムの品質も見違えるくらい良くなったね。短い時間にこんなに上達するなんて、大したもんだ」
と感心されたりしたけれど、それは当たり前。みんなが知らないところで何年も必死になって錬金術をやってきたのだから、腕が上がっているのも当然よ。
まあ、そんなこんなで、あたしの工房の評判は上がり、仕事の依頼も驚くほど増えた。あたしの錬金術がたくさんの人の役に立つのが嬉しくて、忙しい日々を過ごしていたけれど、どこか心に引っかかるものがあった。
本当に、戻って来たのは正しかったのだろうか。向こうの世界に残るという選択肢はなかったのだろうか。なんか、逃げるようにこちらへ帰って来てしまったのだけれど・・・。
だから、あたしは村を離れて、気持ちを整理してみることにした。
あたしにとって懐かしい街、メッテルブルグへ行って――。まあ、あたしが知っているのは200年後のメッテルブルグなのだけれど。

風景が変わった。リーゼトレーネが背後に消え、馬車はリーゼル河に沿って一路、西へ向かう。
あたしはもう一度、思いにひたる。
そういえば、ヴィトスからの借金も返済していない。
いいえ、決して踏み倒そうなんて思ってたわけじゃないのよ。200年後へ飛ばされて、廃墟になったライフ村で途方にくれていた時、ヴィトスは親切にヴェルンの街へ連れて行ってくれて工房を開く手伝いもしてくれた。気前よく1万コールも貸してくれたしね。でも利子込みで5万コール返せっていうのは暴利じゃないの? 何度も何度も、どの街に引っ越してもしつこく返済を迫りに来て(*4)、その度に貴重なアイテムを利子代わりに持って行ってしまうし(*5)。あたしも半分意地で「絶対返すもんか」とか思ってしまっていた。で、『竜の砂時計』ができたのが嬉しくて、ヴィトスには挨拶もせず過去へ旅立ってしまった。
だって、へたをすると、『竜の砂時計』だって差し押さえされかねないもの。(*6)
ふう・・・。悪いこと、しちゃったな。
他にも、たくさんの人の顔が浮かぶ。
あたしの親友ラステル。彼女にはいくら感謝しても感謝しきれない。
ヘルミーナさんには、錬金術についていろいろと教わった。相変わらず妖しい術を研究しているのだろうか。
ポストさんにもオヴァールにも、本当にお世話になった。このふたりの知識がなかったら、過去へ帰るすべは見つからなかっただろう。
クリスタは、望みがかなって旅に出ることができたのかな?
コンラッドは今もダンジョンに潜って宝探しをしているのだろうか。
エスメラルダさんに、マルティン、ボーラー、パルクさん・・・みんな、元気かな。
それから、もうひとりいたよね・・・。いつも雨に降られたり、まがい物をつかまされたりしてた冒険者――。ええと、なんて名前だったっけ?(*7)
でも、メッテルブルグへ行っても、そこには知り合いは誰もいない。ビハウゼン家は存在しているだろうけれど、ラステルが生まれるのは、今から180年以上も先なのだ。
馬車は快調に進み、景色が流れるように通り過ぎていく。数日でメッテルブルグへ着くだろう。

メッテルブルグへ到着し、馬車を下りると、あたしは当てもなく街の中を歩き回った。
この時代のメッテルブルグへは何度か来たことがあるが、あまり印象はない。記憶にある町並みは、200年後の風景ばかりだ。こうしてながめていると、懐かしいような、新鮮なような、変な気持ちがする。城門や催し物広場は、ほとんど変わっていない。いや、そうじゃなくて、200年後もほとんどこのままということだ。考えると混乱してしまう。
ぶらぶら商店街を歩いていると、劇場の看板が目にとまった。
呼び込みが、やかましく口上を述べ立てている。
「さあさあ、『アマリリス座』の秋季公演『オルフィウス悲恋の物語』(*8)、絶賛上演中だよ! 主役を演じるのは名優ゲオルギウス! 夜の部は鍵の刻に開演だ、まだ当日券も若干残っているよ、さあ、いらっしゃい!」
その時、心の中で、声が聞こえた。
(ゲオルギウスさんって、素敵よねぇ・・・)
あたしは思わず息をのんだ。
「パメラ――!」
ここへ来る間ずっと、みんな200年後の存在で、誰にも会えないと思い込んでいた。
でも、200年後の世界で出会った知り合いの中で、たったひとり例外がいる。
あたしがメッテルブルグで工房を構えていた宿屋『黒猫亭』の部屋に住み着いていた幽霊――それがパメラだ。
パメラは言っていた。生前、『アマリリス座』の美少年俳優、ゲオルギウスさんのファンだったと。
今の時代、ゲオルギウスさんはもはや少年ではない。
ということは、この時代、パメラは既に幽霊となって、メッテルブルグのどこかの宿屋にいるはずなのだ。
いてもたってもいられなくなった。
パメラに会おう。会って、いろんなことを話そう。
あたしは駆け出した。200年後に『黒猫亭』が建っていたあたりを探し回る。
でも、それらしい宿屋は見つからない。酒場で尋ねてみても、幽霊が出る噂などないという話だった。
「ああ、もう!」
さんざん探し回ったあげく、何の手がかりも得られずに、あたしはへたりこんでしまった。
少し休んで気持ちを落ち着けようと、カフェでお茶を飲むことにした。
木漏れ日を浴びながら、若い男女や芸術家らしい青年がのんびりとくつろいでいる。
こういうカフェで、よくエスメラルダさんが本を読んでいたっけ・・・。ううん、違う。それは200年後だ。
砂糖をたっぷり入れた紅茶を飲むうちに、高ぶっていた気持ちが落ち着いてくる。
ふと、当たり前のことに思い当たった。
もし、今ここでパメラに会えたとしても、パメラにはあたしと過ごした記憶があるはずがない。パメラがあたしと出会うのは、200年後のことなのだから。パメラにとって、今のあたしは見知らぬ訪問者に過ぎない。会っても、話はかみ合わないだろう。
やっぱり、パメラを探すのは諦めよう・・・。
でも――。
あたしはカフェを出たが、少し考えて、花屋に立ち寄った。花束を買うついでに、街のはずれにある墓地の場所を教えてもらう。
王都メッテルブルグらしく、墓地もきれいに整えられていた。
入口の管理小屋で、墓守に記録を調べてもらう。
「ああ・・・あったよ。そのお墓なら、あのあたりだ」
親切な墓守のおじいさんは、指差して教えてくれた。
ゆっくりと、その場所へ近づく。
奥の方は貴族や豪商の立派な墓が立ち並んでいるが、その一画は一般庶民のささやかな墓石が並んでいる。どの墓もきれいに掃除が行き届いていた。
しばらく探し回って、あたしはその墓石を見つけた。
ここだ。

パメラ・イービス 享年――。

刻まれた墓碑銘をゆっくりとながめ、指でなぞる。そして、頭を垂れ、感謝をこめて祈ると、花束を墓前に捧げた。
しばらくその場にたたずんだ後、あたしはきびすを返した。
なにかが吹っ切れたような気がした。
この世界で、一生懸命、生きて行こう。あたしの錬金術が、ささやかでも誰かの役に立つように。そして、それが200年後の世界の、あの懐かしい人たちの幸せに少しでもつながるように――。


「はあああ、帰って来たよ、あたしのライフ村!」
メッテルブルグから揺られて来た馬車を下りると、あたしは大きく伸びをした。
200年前から帰還した時よりも、帰って来たという気持ちが強い。のどかなライフ村の風景が、いとおしく、懐かしく感じられる。
工房の入口のところには、留守中に依頼に来てくれたお客さんが伝言を残してくれるようノートを置いておいた。きっと、依頼がたまっていることだろう。さあ、ばりばり働かなくちゃ!
工房へ近づくと、妙なことに気付いた。出かける時には閉めておいたドアが半開きになっている。
変ね。フィンクは窓から出入りするはずだし。
もっとも、ライフ村には泥棒なんていないから、鍵はかけていない。誰かお客さんが来て、ドアをちゃんと閉めずに帰ってしまったのだろうか。
あたしの足音を聞きつけたのか、半開きのドアからフィンクが飛び出して来た。緑色の翼を広げ、大きなくちばしをぱくつかせ、かん高い声でわめく。
「ユーディット! ユーディット! オキャクサンダ! オキャクサンダヨ!」
「どうしたのよ、フィンク?」
なんか変だ。いつもやかましいオウムだけど、今日はやけにあわてているように見える。
「ハヤク! ハヤク!」
フィンクにせかされるようにして、工房へ入る。
まぶしい屋外から中へ入ったので、暗がりで何もかもがぼやけて見える。
でも、作業台の手前に、ふたりの人影がいるのはわかった。この村の人ではないみたい。
「あ、いらっしゃいませ。・・・ええと、錬金術のご用ですか?」
「ずいぶんと遅かったな。また逃げられたのかと思ったよ」
ひとりが進み出た。男の人だ。声にすごく迫力がある。
「ふふふ、そう、錬金術に――いいえ、錬金術士に用があるんだよ。あんたにね、ふふふふ」
もうひとりは女の人だった。ふくみ笑いが、どことなく怖い。
「あ、あの・・・」
思わず後ずさる。逆に訪問客は一歩前に出て、窓からの日差しに照らされた。
ふたりとも、あたしよりかなり年上だ。でも、どこかで見たような・・・。
「ええと・・・。どちらさまでしょう?」
「わからないのかい? それとも、時間を遡ったせいで記憶までなくしてしまったのかしら、ふふふふ」
女性の目が光った。その瞳は、左が褐色、右が青だ。左右の色が違うのって、とっても珍しい。まるでヘルミーナさんみたいな――。
・・・・・・。
――まさか!?
あたしは口もきけず、目の前の、黒の錬金術服と濃紺のローブ姿の女性を見つめていた。
「わかったかい、ふふふ」
「ヘ――ヘルミーナ・・・さん?」
あたしのつぶやきを聞いた女性は、勝ち誇った様子で隣の男の人を振り返った。
「あたしの勝ちだね、ふふふ」
「ちっ」
男性は舌打ちして、コインをヘルミーナさんに投げた。
「ユーディットがどっちに先に気付くかなんて賭け、するんじゃなかったよ。まったく、僕ともあろう者が」
その声で、思い出した。
「ヴィ、ヴィトス――?」
思わずアイテム倉庫に目を向けてしまった。また大切なアイテムを取られちゃうよ!(*9)
あたしが覚えているヴィトスより、20は年を取っているみたいだけど、間違いなくヴィトスだ。
「ふん、言っただろう」
ヴィトスはポケットから紙切れを取り出すと、気取った調子であたしに突きつけた。
見慣れた自分の筆跡。200年後の世界でうんざりするほど目にしてきた書類。5万コールの借用書だ。
「僕は、貸した金は必ず取り立てる。たとえ、相手が時空の果てに逃げたとしてもね」
「あ・・・あ・・・あ・・・」
「20年分の利息と遅延損害金を合わせれば、請求額は200万コールを越えるところだが、残念ながら君の時間では20年は過ぎていないようだ。元利合計5万コールで勘弁してやろう」
あたしは腰が砕けて、座り込んでしまった。
「ふふふふ、これであんたも気が済んだだろう?」
ヘルミーナさんがヴィトスに言う。
「借金はともかく、もう一度ユーディットに会えたんだからね」
「な――!?」
ヴィトスは度を失ったみたいに、暗がりへ引っ込んだ。ちらっと見えた顔が赤かったような気もするけれど、見間違いだったかも知れない。
「まあ、借金返済については、後でゆっくり話し合ってもらうとして――」
ヘルミーナさんは座り込んだままのあたしに手を差し伸べた。
「あたしたちは、あんたを迎えに来たんだよ。ちょっと手伝ってほしいことがあってね」
「へ・・・? 迎え・・・?」
「椅子はないのかねえ。座れるならベッドでもいいけれど。ちょいと長い話になるものでね、ふふふ」

本当に長い話だった。
話が終わる頃には、あたしはもう一度、200年後へ行くことを心に決めていた。


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