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〜4周年&100000HIT達成謝恩企画〜

この青い空の下


第29章 叶えられた願い(*1)

「ああ、ユーディー!! ユーディーなのね、ほんとにユーディーなのね!!」
部屋へ飛び込んで来るなり、ラステルは赤い錬金術服の懐かしい姿に駆け寄った。
「会いたかった――。この20年間、ユーディーのことを思い出さない日はなかったのよ。いつかまた会えるのではないかって、朝も晩も神様にお祈りして・・・。ああ、わたしの願いが聞き届けられたんだわ!」
顔をくしゃくしゃにして抱きつき、肩に顔をうずめて涙にむせぶ。
「あ・・・。ええと、うん・・・」
ユーディットは茫然と立ち尽くすばかりだ。どんな言葉をかければ良いのかわからない。
無理もない。ユーディットにとってはラステルと別れてからまだ数ヶ月しか経っていないのだ。なのに、ここで出会ったラステルは、ヘルミーナやヴィトスと同じく、長い歳月が身体や表情に刻み付けられている。自分の母親と言ってもおかしくないかつての親友の姿を目の当たりにして、ユーディットはとまどうばかりだった。
ヘルミーナとヴィトスと共に、ヴェルンの魔法陣へ戻ったのは明け方だった(*2)。ストーンサークルは、ユーディットの知らない冒険者たちが守っていた。ヘルミーナの故郷、遠いシグザール王国から応援に駆けつけてくれた人たちだという。
早馬で半日走ってアルテノルトへ到着するなり、ユーディットはひとり、シュルツェ屋敷の小部屋へ通された。いきなり大勢と顔合わせをしたのでは混乱してしまうだろうというクリスタのはからいだった。そして、最初の訪問者としてラステルがやって来たのだった。
「ああ、ユーディー、ユーディー・・・」
「ラステル・・・」
「あ、ごめんなさい・・・」
ラステルは、顔を上げると身を放した。でも、両手はユーディットの肩に置いたままだ。
右手で涙をぬぐうと、恥ずかしげに微笑む。
「ユーディー、全然変わってないのね」
「ええ、まあ・・・」
ユーディットは苦笑するしかない。なにしろ、自分にしてみれば、あの別れの時からそう時間は経っていないのだ。
「ありがとう、助けに来てくれて・・・。やっぱり、ユーディーって、王子様みたい」
ラステルは少女のようにうっとりと言う。その瞳は、ユーディットの記憶にあるのと同じものだった。
「そんな・・・、言い過ぎだよ、えへへ」
「ねえ、今度はずっといてくれるんでしょう? もう帰ったりしないよね」
「え、それは――」
ユーディットは口ごもった。どう答えてよいのかわからない。ヘルミーナからグラムナートが危機に陥っていることを聞かされ、どうしても自分の助力が必要だと頼まれて、取るものもとりあえずやって来たのだ。その先のことなど考えていない。
「ええと・・・」
「ふふふ、それはちょっと無理のようだね」
開け放しになっていたドアからヘルミーナが入って来る。手には古ぼけた書物を抱えている。
「感動の再会は終わったかい? ふふふ」
テーブルに、書物をどさりと置いた。
「悪いけど、時間がないものでね。これからの作戦について打合せをさせてもらうよ」
「ねえ・・・。“それは無理”だって、どういうこと?」
ラステルがヘルミーナに詰め寄る。おもちゃを取り上げられそうになった子供のように、目を不安そうに見開いている。
「ユーディーが、また帰って行ってしまうってことなの?」
「残念ながら、それは避けられない運命のようね」
「そんな――!?」
見る見るうちにラステルの瞳に涙があふれる。
「あ、でも、あたし、まだこれからのことなんて全然決めてないし――」
とりなすように言うユーディットの言葉に、ヘルミーナは肩をすくめた。
「悪いけど、証拠があるのよ、ここにね、ふふふ」
テーブルの書物を示す。
「これはね、ユーディット――。あんたが何十年後かに書いて、ボッカム山の洞窟に隠すはずの魔法書さ」
「これを、あたしが・・・」
ユーディットは書物を開き、しげしげとながめる。確かに、見覚えがある筆跡で、自分のものだと言われればそのような気もする。しかし、書かれている内容は高度で、今の自分には理解できない部分もあるようだ。
「ふふふふ、その通り。この書物が遺されていたということは、ユーディットが再び過去へ戻って行った証拠なのよ。過去へ戻らずにこのまま今の時代で暮らしていたら、この本は書けないはずだからね」
うつむくラステルを見やり、
「まあ、今から別れの時のことを嘆いても仕方がないだろう。これから大仕事が待っているんだからね」
「そう・・・よね。ごめんなさい、わたし、自分のことしか考えていなかったわ」
ラステルは顔を上げ、笑みを浮かべる。
「でも、本当に勝てるのかしら」
「ふふふ、必ず勝てるはずだよ。証拠もある」
「証拠・・・?」
「これさ」
ヘルミーナは魔法書の末尾を開いた。
「さっきアイゼルから聞いたのだけれどね。ふふふ。“六芒星封魔陣”を発動させるキーアイテムとなる『竜の砂時計』のレシピは、これまで不完全だった。ところが、あたしたちが200年前に出かけている間に、詳細なレシピがいつの間にか書き加えられているのがわかった。まるで最初から書き記してあったかのようにね」
「ええと、それって・・・?」
ユーディットはぽかんとする。
「あたしはこう思う。当初の歴史の中では、ユーディットは“六芒星封魔陣”を理論的には考えたが、それは推論の域を出ず、記述も不正確なものにせざるを得なかった。しかし、歴史が変わったんだ――」
鋭い視線でユーディットと魔法書を見渡す。
「ユーディット・・・。あなたは再びこの時代へ呼ばれて来て、“六芒星封魔陣”を実際に経験することになるのさ、これからね、ふふふふ。そして、元の時代へ戻って、新たに得た知識と体験に基づいて、より詳しく優れた魔法書を書くことになるというわけさ。つまり、“六芒星封魔陣”は成功し、あなたは無事に過去へ帰れる・・・。書き換えられた魔法書が、何よりの証拠だよ、ふふふ(*3)。もっとも――」
ヘルミーナは腕組みをして笑みを浮かべた。
「もし、誰かがへまをしでかしたら、また歴史は変わってしまうかも知れないけれどね、ふふふ」


そして――。
マッセンハイムは竜の月、竜の日を迎えようとしていた。
冷たい風が北から吹きつけ、街道脇の針葉樹を揺らす。明け初める朝日に照らされた森の中では、アルテノルトからやって来た遠征隊が集結し、最後の準備を整えているところだった。
主要なメンバーは次の通り。(*4)
シグザール王室騎士隊――隊長代行兼第1分隊長ダグラス、第2分隊長アウグスト以下、総勢12名。
ザールブルグからの冒険者――ルーウェン、シュワルベ、ミュー、ナタリエ、計4名。
錬金術士――ヘルミーナ、マルローネ、クライス、アイゼル、ユーディット、ヴィオラート、計6名。
グラムナートの冒険者――メル、カタリーナ、計2名。
シュルツェ一家“私設平和維持部隊”――ボーラー・ジュニア以下、十数名。
おまけ――自称、妖精最強の戦士パウル。
クリスタをはじめコンラッド、ヴィトス、アデルベルトらはフィンデン王国内へ散り、作戦実行後の国内の混乱に備える構えだ。
アルテノルトで装備を整え、属性強化した『竜の砂時計』の調合を完了した一行は、一路マッセンハイムを目指した。
先日ヴィオラートらが進んだ迂回路は、今回は時間がかかるので選択外とし、最短のルートを選んだ。アルテノルト北方のマッセンとの国境はフィンデン神聖騎士団5個分隊が封鎖していたが、そこを強行突破することにしたのだった。
ここでもヴェルンの遺跡と同様、マルローネの新型爆弾が威力を発揮した。
『空飛ぶじゅうたん』で頭上に忍び寄ったマルローネが『蜂クラフト』をばら撒いて、騎士隊が大混乱に陥った隙に、一気に駆け抜ける。フィンデン騎士団が秩序を取り戻した頃には、一行は国境を越え、はるか北へと去っていた。
「いいかい、もう一度、おさらいするよ」
ヘルミーナが『竜の砂時計』を示す。6個の砂時計は外観は同じだが、ガラスの中に封じ込まれた砂の色が明らかに異なっていた。それぞれ、赤、青、緑、白、灰色、金色に分かれ、ほのかな光を放っている。
「あたしたち錬金術士は、ひとつずつ『竜の砂時計』を持って、マッセンハイムの中央広場へ向かう。クリスタがばらまいた、“紅薔薇の騎士”が“竜の心臓”を奪いに来るという噂を信じた精霊騎士三兄弟は、一緒になって待ち構えていることだろう。やつらを取り囲んだら、一斉に各属性の魔力を解放するんだ。“六芒星封魔陣”を発動すれば、必ずやつらの魔力は封じられる。たとえわずかな時間でもね、ふふふ」
錬金術士たちはいつになく真剣な表情で耳を傾けている。マルローネでさえ、普段の軽口を叩かない。
「そのわずかな時間がありゃあ十分だ」
背後で聞いていたダグラスが言った。
「俺たち3人で、精霊騎士とやらの息の根を止めてやるぜ。同時にな」
傍らの女剣士ふたりを見やる。メルとカタリーナがうなずく。
「頼んだよ、ふふふ。空振りでもされた日には、すべてがぶち壊しだからね」
「おっと、信用してくれよ」
アルテノルトで何度か立ち合ってみて、ダグラスもメルとカタリーナの実力は認めていた。
「ずるいぞ! オイラにも戦わせてくれよ!」
かん高い声でパウルが叫ぶ。
「パウル、あなたもいやというほど戦えるわよ。町には精霊騎士が操る魔物がうようよしているんだから」
ヴィオラートがなぐさめる。だが、その表情はどこか沈みがちだ。
「そうかな?」
「当たり前よ。魔物から町の人を守るのは、強かっこかわいいパウルにしかできなんだから」
「そうだね! とうとうオイラの必殺技が火を噴くぜ、イェ〜!!」
パウルは待ちきれないように、大木に向かって剣を振り始めた。
「ふふふ、それじゃ、各自、もっとも自分に適した属性の『竜の砂時計』を取ってもらおうかね。あたしは――これだね。『水の砂時計』だ」
ヘルミーナは青い砂が入った砂時計を選んだ。
「なるほど、ヘルミーナ先生の得意技は水属性の“ネーベルディック”ですもんね。じゃあ、あたしは当然、これっと」
マルローネは赤い砂時計に手を伸ばした。ヘルミーナはさえぎる。
「あんたはそれじゃないよ」
「ええっ? どうしてですか?」
アイゼルやクライスもいぶかしげだ。“火の玉マリー”の異名をとるマルローネこそ、『火の砂時計』を扱うにふさわしいと思えるのだが。
「ふふふ、あんたはこっちさ」
ヘルミーナは灰色の砂が入った砂時計を示す。
「ええ!? 『灰の砂時計』って――」
マルローネは泣きそうな顔をしてみせる。
「これは、あんたが作ったんだろう?」
「そ、それはまあ・・・。えりすぐりの産廃(*5)を封じ込めましたけど――でも、なんで・・・?」
「ふふふ、イングリドから聞いているよ。あんたは、ザールブルグ・アカデミーで唯一、灰色の記章を付けていた生徒じゃないか(*6)。しかも、そのどん底から見事に這い上がって大成した。あんた以外に、この属性を使いこなせる人材がいるとは思えないけどねえ、ふふふ」
「あ、なるほど!」
マルローネは顔を輝かせた。
「そりゃあそうですよね! あたししかいない! うん、その通り!」
「本当に丸め込まれやすい人ですね」
クライスが肩をすくめる。
「『地の砂時計』は、ヴィオラート、あんただ」
ヘルミーナは緑の砂時計をヴィオラートに渡す。アイゼルがうなずく。
「そうね。ヴィオラートほど、大地の恵みを大切にしている錬金術士はいないものね」
「は、はい・・・」
ヴィオラートは受け取ったが、不安そうな表情を浮かべたままだ。アイゼルは眉をひそめた。
ヘルミーナは気付かず続ける。
「消去法で悪いけどね、赤はアイゼル、白はクライスにまかせるよ。あんたたちなら問題ないだろう」
クライスはうなずき、『風の砂時計』を手に取る。
「わかりました。わたしの実力をもってすれば、どんな属性でも――」
「そういうのを『器用貧乏』っていうのよね」(*7)
「マルローネさん! 余計なことは言わないでください!」
「あら? そうすると、金は――」
『火の砂時計』を取ったアイゼルが、最後に残った砂時計を見やる。金色の砂が入ったそれは、ひときわ輝いているように見えた。
「へ? あ、あたし――!?」
ユーディットが自分を指差して、あっけにとられたように叫んだ。ヘルミーナが笑みを浮かべる。
「そう、『金の砂時計』はあんたに託すよ。“六芒星封魔陣”の要だからね」
「ええっ、でも・・・。そんな重要な役割、あたしには――」
「自分が考え出した“魔を封じる秘法”が信じられないのかい?」
「ええと、そうじゃなくて・・・。今のあたしは、まだその秘法を考え出してないわけですし――。皆さんに比べたら、まだまだ未熟だし」
「いや、そんなことはないよ。あんたの得意分野は“時”だろう、ふふふ」
「あ、そうか!」
マルローネが手を叩いた。
「『時は金なり』っていうもんね」
「意味が違うでしょう」
クライスがあきれたように言った。

「お〜い、飯にしようぜ!」
森の奥の空き地からルーウェンが呼んだ。いくつもの火が焚かれ、大鍋がかかって湯気を上げている。
「おう、わかった」
ダグラスが応え、腰を上げる。
「さあ、決戦前の腹ごしらえだ。たんと食っとかねえと、ばてちまうからな」
「食べ過ぎても、動きが鈍くなるのではないですか」
「けっ、そんなこたあわかってるよ。こちとら、ちゃんと限度はわきまえてるって」
シュルツェ一家の若い衆が見張りに立つ中、一同は言葉すくなにシチューを口に運ぶ。静かな緊張感が、あたりにたちこめていた。
つと、ヴィオラートは食べかけの器を置くと立ち上がった。
「ヴィオラート?」
アイゼルがいぶかしげに声をかけたが、ヴィオラートは気にしないでくれというように手を振って、森へ入っていった。
大きな木の幹に手をかけ、頭上を仰ぎ見る。枝をすかして、朝焼け空が次第に青く染まっていくのが見える。目を閉じ、なにかを振り払うかのように激しく首を振った。心の中では嵐が吹き荒れている。
「よう、どうした?」
声をかけられ、目を開いて振り向く。バンダナを巻いた冒険者姿の男が、人懐こそうな笑みを浮かべている。ザールブルグから来たという冒険者のひとりだ。
「え、ええと・・・」
「ルーウェン。ルーウェン・フィルニールだ。あんたは、たしかヴィオラートだったよな」
ルーウェンはにっこり笑った。温かみのある笑みを見ていると、なぜか心が安らぐように感じられる。
「いよいよ決戦だな・・・。俺たちはここへ来てからまだ間がないが、あんたたちにとっては、長かったんだろ?」
「はい・・・」
「どうした、元気出せよ。大丈夫、何もかもうまく行くさ」
「ええ、でも――」
ヴィオラートはうつむいた。
「なにか心配事がありそうだな。俺でよかったら、話してみなよ。余計なことを心に溜め込むのは身体に悪いぜ。それに、そういうことが重しになってると、力を十分に発揮できないしな」
しばらく黙り込んでいたが、ヴィオラートはぽつりと口を開いた。
「お父さんとお母さんのことなんです」
「ああ、聞いたよ。マッセンハイムにいるんだってな。でも、大丈夫さ。精霊騎士をやっつければ、平和が戻る。すぐに会えるよ」
「でも、マッセンハイムには魔物がたくさんいるそうです。もしかしたら、エスメラルダさんみたいに――」
ヴィオラートは、旅の途中でメルから聞いた話を語った。メルはかつて魔物に襲われたリサの村を守り抜いたが、自分の家族を守ることはできなかったのだ。
「あたし、怖くて――。ううん、戦うことが怖いんじゃありません。でも、もしあたしが戦ってる間に、お父さんたちにもしものことがあったら――。それが怖いんです。本当は、マッセンハイムに入ったら、すぐにお父さんたちを探して、守ってあげたい。そう考えると、いてもたってもいられなくて。だけど、あたしだけが勝手な行動を取るわけにはいかない。あたしがいなければ――錬金術士が6人いなければ、“六芒星封魔陣”を発動できませんから。でも、本当にお父さんたちのことを後回しにしなければいけないのか、飛んで行っちゃいけないのかって、考えてしまって――。・・・これって、わがままですよね」
一気にしゃべったヴィオラートは、ひとつため息をついた。
ルーウェンがゆっくりと語りかける。
「いや、決してわがままじゃないさ。自分の親のことを一番に考えるのは、当然のことだぜ。――それに、みんなもあんたのことはちゃんとわかってるんじゃないのかな」
「へ?」
ルーウェンは焚き火の方を振り返る。
「あんたのご両親のお店は、“プラターネ商会”(*8)とか言うんじゃないのかい?」
「え? どうしてそれを――?」
「やっぱりか」
ルーウェンはうなずいた。ヴィオラートはきょとんとしている。
「いやね、ゆうべ、アイゼルがダグラスに何度もつっかかっているのを小耳に挟んだだけなんだが――。その中で“プラターネ商会”って名前が出ていたものだからね」
「ええと・・・。どういうことでしょう。アイゼルさんが――?」
「あんたが気にすることじゃないさ。でも、大丈夫だ。安心していいよ。俺が保証する。俺からはこれだけしか言えないけどな」
ルーウェンはもう一度、あの安心させるような笑みを浮かべると、ヴィオラートの肩を叩いて去って行く。ルーウェンが何を言おうとしたのか、ヴィオラートにはよくわからなかった。しかし、ヴィオラートの心は先ほどまでの不安感や焦燥感に代わって、不思議に穏やかな安心感で満たされていた。

キャンプをたたんだ一行は、街道を避け、森の中を進んだ。
一国の首都とは言っても、マッセンハイムはザールブルグやメッテルブルグとは比べ物にならないほど小さい。敵を防ぐ城壁もなく、ただ家々が平野の真ん中に集まっているだけだ。
東西と南北、2本の街道が街を貫き、中央で交差する。その広場の中心に小さな祠が建てられ、そこに昔から伝わる“竜の心臓”という宝石が、国の守護神として祀られている。
そのようなマッセンハイムに関する知識は、カタリーナから全員に伝えられていた。もっとも、カタリーナも何年も帰っていなかったから、最新の情報とは言いがたい。
「でも、あたしが育った十何年の間、何の変化もなかった街なんだから、今も変わっていないはずよ」
カタリーナは言った。
すでに、木々の隙間からマッセンハイムの家並みが見えるところまで近づいている。
「やけに静かだな・・・」
ダグラスがつぶやいた。
「どうも、気に入らねえ」
背後のメルとカタリーナを振り返る。
「マッセンハイムには、精霊騎士が操る魔物がうようよしてるって話じゃなかったのか?」
「なにか、街中が息をひそめて、何かを待ち受けているような感じね」
前方を見やるカタリーナの表情はいつも通り、落ち着いている。
「もしかしたら、“竜の心臓”を守るために、魔物を全部、中央広場に集中させているのかも知れないわ」
メルの顔は凛々しく、戦いを前に引き締まっている。
「なるほどな」
ダグラスは考え込んだ。すぐに顔を上げる。
「確かに敵が多いとなると厄介だが、考えようによっちゃ、ありがたいぜ。街の連中を守るにはその方が楽だ」
立ち上がると、背後に控えた冒険者や騎士を見渡す。
「よし、手はずは変えねえ。錬金術士と護衛役、それに俺たち3人は、一気に中央広場へ突っ込む。他の連中は、それぞれ割り当てた区域の市民に外へ出ないように呼びかけて、保護するんだ。魔物が隠れているかも知れねえから、油断するんじゃねえぞ」
「了解!」
押し殺してはいるが、気合いのこもった返事が返る。
「よっしゃ、行動開始だ!」
「しっ! 待って!」
メルが鋭く言った。先頭を切って森から飛び出そうとしたダグラスが、足を止める。
「どうした?」
「誰か、来る・・・」
「何だと、敵か?」
「いや、違う」
カタリーナが言った。
「あの人は――」
「プレストさん!」
メルが叫んだ。
見れば、灰色のローブに身を包み、杖を突いた老人がマッセンハイムへ向かってゆっくりと歩を進めている。メルやカタリーナが先に訪れた国境の村で出会ったプレスト老人に間違いない。
名前を呼ばれたのに気付いたのか、老人は足を止め、きょろきょろとあたりを見回している。
「あたしが行く!」
カタリーナが飛び出す。驚いて立ちすくんだプレスト老人を抱きかかえ、引きずるように森へ連れ込んだ。
「あ、あんたは・・・」
目を白黒させていたプレストは、メルとカタリーナに気付くと目に喜びの色を浮かべた。
「その節は、世話になったのう。あんたたちは、村を救ってくれた恩人じゃ。本当に、感謝していますぞ」
「プレストさん、どうしてここに?」
「噂を聞いたからじゃよ。竜の月、竜の日、竜の刻に、マッセンハイムの守護神様“竜の心臓”を奪いに魔界の女王がやって来る――。真偽のほどはわからんが、先だっての村での出来事から考えても、根も葉もない噂話ではなさそうじゃ。わしも引退したとはいえ、“竜の心臓”をお守りしていた司祭補のひとり――何が起きるにせよ、見届けなければ気が済まぬ。そう思いましてな。老骨に鞭打って、ようやく間に合うようにたどり着いたというわけじゃ。しかしまた、あんたがたはどうしてここに――」
老人は、はっとしたように言葉を切った。
「もしや、あの噂は――?」
「ふふふふ、察しのいいご老人だね」
ヘルミーナが進み出た。
「あの噂は、あたしたちがばらまいたんだ。精霊騎士をおびき寄せて、一網打尽にするためにね」
「なんと――!?」
「ですから、ご安心ください。“竜の心臓”は奪われたりしません。わたしたちが精霊騎士を追い払い、必ず守ってみせます」
メルが言葉を継いだ。
「おお・・・!」
プレスト老人の両目から涙があふれ、しわだらけの頬を伝う。
「ありがたい! これこそ神のお導きじゃ!」
「神様でもお導きでもいいけどよ、時間がねえんだ。話はその辺にしといて、突っ込むぞ」
ダグラスの言葉に、メルはうなずく。
「プレストさんは、ここに隠れて待っていてください」
「いや、そうは行かん」
プレストは決然と言った。
「そこまで聞いた以上、のうのうと安全な場所にとどまっていることはできません。わしも参ります。ことの行く末を、最後まで見届けさせていただきますぞ!」
「そんな――?」
「危険です!」
だが、老人の決意は揺らぎそうにない。しびれを切らしたダグラスが言う。
「ちっ、仕方ねえな。こんなところで言い争ってる暇はねえんだ。ついて来るのはかまわねえが、後ろに下がって、戦いの邪魔にならねえようにするんだぞ」
そして、ボーラー・ジュニアに、
「おい、悪いが、このじいさんに護衛をふたりばかりつけてやってくれ」
ジュニアはうなずき、親指を立ててみせた。すぐにシュルツェ一家の屈強な若者が進み出る。
「よし、今度こそ行くぞ!」
ダグラスは剣を抜き放つと、大きく振りかぶり、叫んだ。
「突入!」


ダグラスの合図と共に、騎士も冒険者も、錬金術士も盗賊一家の若者も、一斉に森から飛び出す。
街の各所へ散って行こうとする騎士隊員に向かって、ダグラスはどなった。
「お前ら、俺がさっき言った指示を忘れるんじゃねえぞ!」
騎士のひとりが振り返り、
「わかってますよ! 『“プラターネ商会”という店を見つけて、そこの住人を最優先で保護せよ』でしょう! まかせといてください!」
「しくじったなんて言ったら、承知しねえからな!」
「ご安心を!」
手を振り、騎士たちはシュルツェ一家の若い衆を従えて、家並みの中へ消えた。
ヴィオラートは、茫然とそのやりとりを聞いていた。
「あ、あの・・・」
ダグラスが振り返り、にやりと笑う。
「本来なら、騎士は市民を平等に扱い、えこひいきなんかしちゃいけねえんだがな。ま、今回は例外ってとこだな」
「あ――ありがとうございます」
ヴィオラートは信じられない気持ちで言った。声が震えている。
「おっと、礼ならアイゼルに言ってくれ。ゆうべっから、うるせえのなんの、あれだけぎゃあぎゃあ何度もわめかれちゃたまらねえ。さすがの俺も根負けしちまったぜ」
「え――?」
先ほど森の中でルーウェンから聞いた話がよみがえる。両親のことを気に病むヴィオラートに、安心するように言ってくれたルーウェンの言葉の意味は、これだったのだ。
「どうした、ぼんやりしてると、出遅れちまうぞ」
既に、ヘルミーナやマルローネ、冒険者たちは中央広場へ向かっている。
「はい!」
大きな声で叫ぶと、杖を振りかざし、ヴィオラートは走り出した。
途中でアイゼルに追いつく。
「アイゼルさん!」
「あら、どうしたの、ヴィオラート?」
「あの・・・あたし・・・」
感謝の思いを伝えたくても、なかなか言葉にならない。アイゼルは微笑んだ。
「いいのよ、何も言わなくて。わたしは、あなたが言えないことを代わりに言ってあげただけ」
「アイゼルさん・・・」
「さあ、今は他にすることがあるでしょう?」
「はい!」

マッセンハイムの中央広場へ通じる道へ突入してまもなく――。
街路を塞ぐようにして、その巨体は立っていた。
「くっ!」
先頭にいたカタリーナが足を止め、身構える。
「何よ、こいつ!?」
マルローネがあっけにとられて叫ぶ。
「こんなやつ、見たことないぜ!」
「ん〜、まずそうだよね〜」
「あんたはそればっかりだね」
口々に声がもれる中、メルが叫んだ。
「アークデーモン!」
身の丈は普通人の倍以上あり、黒光りする皮膚は鋼のように硬そうだ。手足には大きな鉤爪、背中にコウモリのような漆黒の翼を生やし、家をも叩き切ってしまいそうな巨大な剣を振りかざしている。角を生やした顔は凶悪にゆがみ、両眼は吸い込まれそうな妖しい光をたたえている。(*9)
「まずいわね。こいつには弱点がないはず」
メルがくちびるをかむ。
「めんどくさいから、爆弾で吹っ飛ばしちゃおうよ」
「やめなさい! 魔力を無駄使いしてはだめ」
「は〜い」
ヘルミーナにたしなめられたマルローネは不満そうだが、“六芒星封魔陣”発動のためには最高魔力を保持しておかねばならない。
「化け物め! パウル様が相手だ〜!!」
パウルが剣を振りかざし、ちょこちょこと突進する。
「パウル! 無茶よ!」
「よし、ここは俺たちに任せろ!」
ルーウェンの声に合わせ、ナタリエとシュワルベが身軽に建物の屋根に上り、左右からアークデーモンに迫る。
「行っくよ〜!!」
ミューの声にも気合いがこもる。
「よし! 俺も行くぜ!」
「待って!」
突進しようとするダグラスをメルが止める。
「何だよ、邪魔するな!」
「わたしたちの出番は、まだ先なの。精霊騎士を一撃でしとめるには、この場で軽々しく体力を使うわけにはいかないわ。けがでもしたら、最終的な目的を果たせなくなるのよ」
「くっそぉ!」
アークデーモンは大気が震えるような咆哮を上げ、両眼からまばゆい光を放った。(*10)
「くっ」
光をまともに浴びたルーウェンがくずおれる。ナタリエも屋根から転げ落ちた。
「だめよ、強すぎる! よぉし、こうなったら!」
マルローネがメガフラムを握った手を振りかざす。
「いけません!」
クライスが止める。
「参ったわね。こんなやつまで配下に置いていたとは・・・」
ヘルミーナがつぶやいた。マルローネがいらだって叫ぶ。
「どうするの!? このままじゃ進めないよ!」
アークデーモンは勝ち誇ったように巨体をそびやかし、哄笑した。
誰もが最悪の事態を覚悟した、その時――。
背後の屋根から現れたひとつの影が、悪魔の巨体に向かって身を躍らせる。銀色の閃光が走り、腕と一体になったかのような剛剣が、背中からアークデーモンの心臓を刺し貫いた。
悪魔の哄笑が途切れ、目から光が消える。胸から突き出した剣の切っ先をつかもうとするように左手を差し上げたが、力が抜け、だらりと下がる。
そして、がくりと膝を突き、前のめりに崩れ落ちると、地響きをたてて街路に倒れ込んだ。
「あ――」
ダグラスがあんぐりと口を開ける。
アークデーモンの亡骸に足をかけ、すっくと立つたくましい剣士――。
黒く長い髪とマントとなびかせ、鋭い漆黒の瞳で冒険者たちを見渡す。
「フ・・・、感謝する。こやつの注意をそらしてくれたおかげで、一撃でしとめることができた・・・」
「た――隊長!?」
唖然としてダグラスが叫んだ。ザールブルグからやって来た冒険者や錬金術士の間からもざわめきが起こる。落ち着き払っているのは、ヘルミーナだけだ。
「やっとお出ましかい。遅かったじゃないの、ふふふふ」
「フ・・・、済まぬ。あちこち移動して、忙しかったものでな」
エンデルクは剣を引き抜くと、マントでぬぐい、ヘルミーナに向き直る。
「要点だけ教えてくれ。私は何をすればよいのだ?」
「ああ、そうだったね」
ヘルミーナが口を開こうとした時、
「お・・・おお・・・」
背後から、老人の声が聞こえた。
「プレストさん!」
ヴィオラートが叫ぶ。
杖を突いて、よろよろと歩み寄ってくるプレスト老人の視線は、エンデルクに注がれていた。
いぶかしげにエンデルクが老人を見やる。
「おお・・・わしは、忘れぬ・・・。目は老いぼれたが、心の目が、しっかと覚えておる・・・」
老人は左手で杖を支え、右手を差し伸べる。
「姿形は変われど、その髪、その瞳、その声音・・・。見たがえはしない・・・。かつてマッセンを魔物から救ってくださったお方を、わしは忘れはせぬ・・・」
ついに、老人は杖を投げ出し、地にひれ伏した。みな、言葉もなくその様を見つめている。
「おお・・・、戻ってきてくださった・・・。再びその姿を目にすることができ申した・・・。この命、今尽き果てようとも、悔いはありませぬ・・・」
プレスト老人は顔を上げた。伏し仰ぐようにエンデルクを見つめる。涙があふれ、両の瞳は喜びと誇りに輝いている。
「あなたこそ、救国の英雄グレイデルグの正統なる血を継ぎし者・・・。まことの“マッセンの騎士”――!!
一陣の風が、吹き過ぎた。
誰も、身動きひとつできずに見つめる中、エンデルクはひざまずき、プレスト老人を抱き起こす。
老人の両肩に手を置く。しっかと目を見つめて優しく笑みを浮かべ、エンデルクは言った。
「帰って――参りました」
再び、沈黙が落ちる。
「ほんとに?」
ぽかんと口を開け、ぽつりとカタリーナがつぶやいた。


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