第30章 勝利者のための協奏曲(*1)
マッセンハイムの街のその一画は、驚きに満ちた静かな興奮に包まれている。
エンデルクを知っているザールブルグからの冒険者や錬金術士は、思わぬ人物の出現に驚きながらも、強力な戦力が増えたことで士気はいや増している。また、“マッセンの騎士”の物語を覚えていたグラムナートの冒険者は、突如として伝説が現実のものとなったことを実感できず、ただ茫然とたたずんでいた。
遠くからは、各戸を回って住民の無事を確認し、警戒と注意を呼びかける騎士たちの声が聞こえてくるが、この場所にいるみなの耳には届いていないようだ。
感涙にむせぶプレスト老人を近くの民家の軒先で休ませた後、エンデルクはヘルミーナから手早く作戦の概要を聞いた。精霊騎士の正体と“六芒星封魔陣”について語った後、ヘルミーナは言葉を継いだ。
「・・・とまあ、“六芒星封魔陣”で精霊騎士の魔力を封じ込めた一瞬の隙をついて、3体を同時に仕留めようという寸法さ。剣聖クラスの腕前の持ち主3人でね、ふふふふ」
エンデルクはかすかに眉を上げる。
「その3人の剣士とは?」
「メル、カタリーナ、そしてダグラスさ。これまでの予定ではね、ふふふ」
ヘルミーナは意味ありげに笑った。
「カタリーナはマッセンハイムの出身だし、メルもマッセンの血を引いている。それに、聞いたところでは、ふたりとも、あなたと同じ夢を見ていたらしいからね、ふふふふ。この役割にふさわしいというべきだろう」
「なるほどな・・・。面白い」
エンデルクはあごに手をあて、しばし考え込んだ。
その背後では、カタリーナが相変わらず目を丸くして、エンデルクの挙措を魅入られたように見つめている。口からは、果てしなくつぶやきがもれる。
「あれが、“マッセンの騎士”・・・。あの人が、本当の“マッセンの騎士”・・・」
「ちょっと、しっかりしなさい!」
小気味よい音をたてて、カタリーナの頬が鳴った。メルに頬をはたかれたカタリーナは、夢からさめたようにメルを見る。メルは厳しい口調で、
「憧れの人に会えて感激しているのはわかるけれどね、今は浮かれている場合じゃないのよ。最後の戦いに備えて、精神を集中しないと」
「そうだったわ。ごめんなさい」
謝りながら、カタリーナは剣帯から下がった木片を握りしめる。“マッセンの騎士”を想像しながらこつこつと刻んできた木彫りの人形だ。
(これで、人形を完成させることができる・・・)
そのためにも、必ず精霊騎士を退治しなければ――と、カタリーナは決意を新たにした。
ヘルミーナとの話を終えたエンデルクは、きびすを返しダグラスに歩み寄ろうとする。
そこへ、ヴィオラートが飛び出して来た。
「あ、あの・・・」
「うむ?」
小柄なヴィオラートはエンデルクを見上げるようにしながら、必死に言葉をつむぎ出そうとした。あの時は影になって見えなかったが、今は厳しい中にも温かみを感じる騎士の表情が見える。
「先日は、ありがとうございました。あの国境の村で、危ないところを助けてくださって・・・」
「フ・・・。気にすることはない。魔物に襲われている者がいれば、それを助ける――騎士として当然のことだ・・・」
「はい、でも・・・」
「お前の感謝の気持ち、ありがたく受け取っておく。それに――」
「おーい、隊長!」
ダグラスの声が聞こえ、エンデルクは途中で言葉を切る。
エンデルクはヴィオラートに軽くうなずいて見せ、ダグラスの方へ向かう。その時、ヴィオラートはエンデルクのつぶやきの続きを耳にしたような気がした。
「それに――、似ていたのだ。お前は、あの娘に・・・」(*2)
一方、ヘルミーナにはアイゼルが詰め寄っていた。
「ヘルミーナ先生! 先生は、エンデルク様がマッセンへ来られていることをご存知だったのですか!?」
「ええ、そうよ、ふふふ」
ヘルミーナはあっさりとうなずく。
「さすがのあたしも、まさか彼が、噂の“マッセンの騎士”様その人だとまでは知らなかったけれどね」
マルローネも寄って来て、尋ねる。
「でも、どうして、知っていたんですか? エンデルク様がこっちへ来ているって。それに、エンデルク様はどうやって、こんな遠くまで――」
ヘルミーナは、笑みを浮かべた。
「簡単なことさ、ふふふ。だって、途中まで、あたしの『空飛ぶじゅうたん』に同乗して来たのだからね」(*3)
ヘルミーナはザールブルグを出発した日のことを思い出していた。
研究室で荷物を整えている時、突然、旅支度をしたエンデルクが訪ねて来て、一緒にグラムナートへ行くと申し出たのだった。アイゼルから届いた手紙をドルニエがシグザール王室に届けた際に同席し、その内容を聞いて決心したのだという。
「だけれど、なんでまた、あなたのような重要人物が?」
いぶかしく思ったヘルミーナの質問に、エンデルクは自分が見た夢のことを話し、簡潔に答えた。
「夢に出てきた街並みは、紛れもなくマッセンハイムだ。故郷が危機に陥っている。私は、それを救わねばならぬ」
「乗せてやるのはかまわないけどさ。王室騎士隊長ともあろうお方が、簡単にひとりで旅に出てしまってもいいのかい?」
エンデルクは、その質問にはかすかに悩ましい表情を浮かべた。
「私には、シグザール王国の平和と安寧を守る義務がある。だが、私の身体に流れる故郷の血が訴えているのだ。その訴えを無視することはできぬ・・・。守らねばならぬ大義がふたつあり、それらが相反するならば、私はより火急で重要な方を選ぶ・・・。ゲマイナー卿とモルゲン卿には、後事を託す手紙を残して来た。このことでシグザール王室から責任を問われれば、どのような処罰でも受ける覚悟はできている・・・。だが、私は今、マッセンへ行かねばならぬ」
そして、ヘルミーナはエンデルクを乗せてザールブルグを飛び立ち、グラムナートへ針路を取った。
フィンデン王国の上空へ達した時、エンデルクは『空飛ぶじゅうたん』を下り、単身マッセンへ向かったのだった。
「どうして、そんな重要なことをこれまで話してくださらなかったんですか!?」
「そうよね、黙っているなんて、ひどいわよね」
いきり立つアイゼルとふくれるマルローネに、ヘルミーナは落ち着き払って答えた。
「だって、誰もきかなかったじゃないの」
「隊長! そうかい、やっとわかったぜ! ウルリッヒのおっさんが言っていた、隊長の極秘任務ってのは、このことだったんだな」
ダグラスの言葉に、エンデルクは眉を上げた。
「モルゲン卿が、そんなことを――」
「ああ、そうさ。国王の重大な密命を帯びて国外へ行ったってな。突然のことで、びっくりしたけど、おかげで俺は隊長代行になれた。それにしても、ウルリッヒのおっさんもゲマイナーのおっさんも人が悪いぜ。こういうことなら、俺たちが出撃する時にちゃんと言っておいてくれりゃいいのによ」
「そうか・・・。国王の密命――か」
エンデルクは表情こそ変えなかったが、心の中でウルリッヒやゲマイナー、そしてブレドルフ王に感謝していた。自分の勝手な行動を理解し、黙認してくれたことに――。そして、何よりも自分のことを信頼してくれていることに――。
「ところで・・・。隊長が出張ってきちまった以上、俺の隊長代行の任務は終わりってことかな」
ダグラスが言う。いささか不満そうだ。
エンデルクはかすなか笑みを浮かべ、いつの間にか頼もしさを増した部下を見やった。
(なるほど・・・。地位が人を作るというのは事実のようだな・・・)
「いや・・・。私は今回、単独行動を取っている。遠征隊の指揮権は引き続きお前のものだ」
「本当かい!? ありがてえ!」
「だが、ひとつだけ――」
エンデルクはダグラスを見据えて、言った。その迫力に、ダグラスも気圧されたようになる。
「な、何だよ・・・いや、何ですか、隊長」
「精霊騎士を仕留める役割を、私に譲ってほしい」
「何だって!?」
ダグラスは叫んだ。青い瞳に怒りの炎が燃える。
「せっかく歯ごたえのある敵とやりあうチャンスだってのに、後からしゃしゃり出てきて、美味しいところを持ってっちまおうってんですか!? そりゃ横暴だ! いくら隊長命令だからって――」
「違う」
エンデルクは静かに言った。
「ダグラス・・・。これは、命令ではない。頼みだ・・・」
「頼み・・・?」
いきり立っていたダグラスが、毒気を抜かれたように言葉を返す。
「そうだ。わがままだということは承知している。だが、私はこの手で故郷のマッセンを守りたい・・・。武士の情けだ、譲ってくれ、ダグラス・・・」
エンデルクは頭を下げた。
「た、隊長・・・」
ダグラスはとまどったように口ごもった。エンデルクは黙って待っている。
やがて、ダグラスはさばさばした口調で答えた。
「ちっ、隊長にそこまでされちゃ、しょうがねえや。今回はひとつ貸しにしときますよ」
「感謝する」
「だけどね、隊長、その代わり、今度の武闘大会で――」
「うむ?」
眉を上げるエンデルクに、ダグラスはにやりと笑った。
「今度の武闘大会、このことのせいで手抜きなんかしたら、承知しませんからね!」
そして、ダグラスはくるりと背を向け、どなった。
「おい、アウグスト! お前は後ろへ引っ込んでろ! 俺が代役だ、隊長代行命令だぞ!」
そして、ついに――。
一行は、決戦の場と定めたマッセンハイムの中央広場へ突入した。
街と同様、広場もかなり古いらしく、敷かれた石畳はすっかりすり減ってなめらかになっている。中央には小さな祠が建てられており、周囲には街の人が供えた物だろうか、穀物や野菜、鉢植えの花などが置かれ、小銭も散らばっている。
がらんとした広場に、人の気配はない。噂を聞いた街の人々は、興味にかられて見物に来るよりは自宅にこもって危険を避けることを選んだのだろう。戦いを嫌い平穏を尊ぶマッセンの人々にふさわしい行動と言える。
広場に足を踏み入れた一行は、じりじりと祠を囲むように散開する。魔物の姿は見えないが、大気にはぴんと張り詰めた糸のような緊迫感が漂っている。
「むむむ、感じる、感じるぜ! 魔界のニオイがぷんぷんするぜ!」
突然、パウルがかん高く叫び、抜き身の剣を掲げて祠を指し示した。
「出て来い! 魔界の化け物め! 隠れてたって、オイラにはわかるんだ!」
「うむ、油断するな」
エンデルクが剣の柄に手をかける。
「ふふふ、いよいよお出ましのようだね」
ヘルミーナがつぶやくのと同時に、祠の前の空間が揺らいだ。
「クックック・・・」
押し殺した笑いが不気味に響く。
そして、靄めいた霧が湧いて出たかと思うと、霧は空中の3箇所に凝集し、人がたを形作った。
「出やがったな!」
ダグラスが叫ぶ。
次の瞬間、3体の騎士が、その場にいた。
まるで、三つ子のように体格や髪型は似通っており、それだけでは区別がつかない。顔全体をおおう仮面の色がそれぞれ鮮やかな赤、青、金色をしていることだけが、唯一の違いだった。
「出たわね! あの時は逃げられたけど、今度はそうはいかないわよ!」
マルローネが青い仮面の騎士――ハーフェンで出会ったエイスに叫ぶ。
「今こそ、決着をつけてあげるわ」
メルは静かな闘志をこめて、金の仮面の騎士ドナーを見据える。
「ふふふふ、あの時はいろいろと差し障りがあったので中座したけれどね、今度は本気だよ」
ヘルミーナは腕組みをして、赤い仮面の騎士フレイムの前に立つ。
精霊騎士たちからのいらえはない。
沈黙が続き、大気中の緊張感はさらに高まる。ほんのわずかなきっかけで、糸はぷつりと切れ、戦闘状態に突入するだろうと思われた。
その時、精霊騎士から声がもれた。誰から発せられたのかは定かでない。ひとりの声と聞こえたが、もしかしたら3人の言葉が空中でより合わされ、ひとつとなって耳に届いたのかも知れない。
「キルエリッヒは、どこだ・・・」
アイゼルがヴィオラートに目配せし、かすかにうなずく。やはり、目論見通り、精霊騎士はクリスタがばら撒いた噂を信じて、“竜の心臓”を奪いに来るという魔界の女王、“紅薔薇の騎士”ことキルエリッヒ・ファグナーに対抗するために、ここに集結したのだ。
「とりあえず、彼女は来ないよ、ふふふふ」
ヘルミーナは平然と答えた。
「何だと――?」
精霊騎士は一斉にヘルミーナに顔を向ける。ヘルミーナはマインドコントロールされるのを避けるために視線をそらしたまま、からかうような口調で続ける。
「あんたたちを倒して“竜の心臓”を手に入れるのに、わざわざ女王自身が出向くことはない。あたしたちだけで十分だとさ、ふふふ」
「クックック、小賢しい・・・。人間風情が、何を言うか・・・」
「ふふふふ、本当は、あたしだけでも十分なんだけどねえ。あんたたちのような、非力で愚かで臆病でひょろひょろのお子様相手にはね、ふふふふ」
「何――!? 今、何と言った?」
精霊騎士の口調ががらりと変わった。先ほどまでの余裕が消え、とまどいが感じられる。
「何度でも言ってやるよ。魔界のゴミ捨て場のクズ同然の小者が人間界でいきがったところで、所詮はその程度。痛い目に遭わないうちに、さっさと尻尾を丸めてお家へ帰るんだね、ふふふ。あ、そうか、丸める尻尾もないのか。沼地のトカゲにも劣るね。竜の血を引いているって言うのも、ただのこけおどしなんだろう? ふふふ」
挑発的で、ばかにしきったようなヘルミーナの言葉は続く。これも作戦通りだ。精霊騎士のうち、誰かひとりでもこの場から消えてしまったら、作戦は失敗してしまう。怒らせるだけ怒らせて、冷静な判断力を奪ってしまうのが目的だった。
「ねえ、ヘルミーナ先生って、すごいよね」
マルローネがクライスにささやきかける。
「ええ、よくあれだけ悪口のバリエーションがあるものです」
「きっと、さんざんイングリド先生とやりあったんだろうね」
「どうやらそのようですね」
妙なところで納得するふたりだった。
「許さぬ・・・。許さぬぞ!」
憎悪と怒りに満ちた声が、大気を揺るがした。金色の仮面の騎士ドナーが右手を振り上げる。
「出でよ、我がしもべたちよ! 人間どもを引き裂き、魔界の恐ろしさを思い知らせるのだ!」
とたんに、広場の周囲にまがまがしい気配が満ち、鱗におおわれ鋭い牙と鉤爪を持つ、コウモリのような羽を生やした大トカゲのような魔物が集団で姿を現した。
「出たな、レッサーデーモンめ!」
「クックック、我らに逆らったことを、地獄で悔やむがよい」
これが合図となった。
「よし、全員、位置につきな!」
ヘルミーナの声で、錬金術士は祠と精霊騎士を等距離で取り巻くように散る。右回りにアイゼル、ヘルミーナ、ヴィオラート、クライス、マルローネ、ユーディットという並びだ。レッサーデーモンの群れが、わらわらと迫って来る。
「護衛役、しっかり守れよ!」
ダグラスは指示を飛ばすと、ヴィオラートに駆け寄る。
“六芒星封魔陣”を発動するには、『竜の砂時計』に封じ込まれた各属性の魔力を解放しなければならない。そのためには、錬金術士は精神を集中せねばならず、外部からの攻撃には無防備となる。錬金術士を守るため、ひとりずつ冒険者が護衛としてつくことになっているのだ。エンデルクに主役の座を譲ったダグラスは、当初の護衛担当のアウグストに代わってヴィオラートの護衛役を引き受けることにしたのだった。
「シュベートストライク!」(*4)
行きがけの駄賃とばかりに、針路に立ちふさがった魔物を一撃で両断すると、ヴィオラートの背後で身構える。
「あんたは俺が守ってやる。安心して、魔法をぶちかましてやれ!」
「あ、ありがとうございます!」
ヴィオラートが『地の砂時計』を取り出しながら、答える。
「へへへ、いいってことよ。あんた、似てるんだ。俺の妹によ」(*5)
「そうなんですか」
「それから、もうひとり・・・似てるやつがザールブルグにいるな――てえっ!」
言いながらも剣は一閃し、魔物を貫く。
「あたしも、思いました。ダグラスさん、お兄ちゃんにちょっと似てます」(*6)
「そうかい、さぞかし、どうしようもねえ兄貴なんだろうな!――おっと」
さらに1匹、魔物が命を絶たれた。
「はい、だらしなくて、サボり魔で、口が悪くて――でも、最高のお兄ちゃんです!」
ヴィオラートがかざす砂時計の中の緑の砂は、光を強め始めていた。
アイゼルを守っているのは、ナタリエだった。
「遅いよ!」
素早い動きで飛び回り、アイゼルに近づく魔物を次々に接近戦で倒していく。
「くっ」
レッサーデーモンの爪がかすめ、小さなうめきがもれる。
「大丈夫ですか?」
『火の砂時計』を構えたアイゼルが気遣うように顔を向ける。
「ふふ、気にしない気にしない」
ナタリエは血のにじむ左腕をぺろりとなめた。すでに、マントも皮鎧も魔物の返り血でまだらに染まっている。
「あなたは、魔法を発動するのに全力を集中してればいい。魔物には指1本触れさせやしないからね!」
「はい! よろしくお願いします」
「この程度じゃ、まだまだ罪滅ぼしにはならないけどね・・・」
「は?」
ナタリエの小声のつぶやきに、アイゼルはいぶかしげな声をあげたが、すぐに砂時計に意識を集中した。
「よぉし、いっくよ〜!!」
『灰の砂時計』を取り出したマルローネは、気合いのこもった叫びを上げる。
その背後では、灰色の属性にふさわしいというべきか、灰色のターバンに灰色のマントをまとったシュワルベが、しびれ薬を塗った短剣を投げ、円月刀を駆使して魔物をほふっていた。
「さあ、いよいよ本番、あたしの極上の産廃の魔力が解放される時! 見てなさいよ〜!!」
「うるさいぞ。戦いに集中できん」
すっと近づいたシュワルベが冷たい口調で言う。
「いいじゃない、この方が気合いが入るんだから」
「相変わらずだな」
言い捨てると、円月刀を横ざまになぐ。
「それにしても、まだあいつとつるんでいたとはな・・・」
「え、何?」
「何でもない・・・」
マルローネの砂時計は、鈍く輝き始めていた。
「え〜い、南国うに〜!!」(*7)
ミューが投げつけたとげとげの実が、レッサーデーモンの鱗を切り裂く。
「ねえねえ、お腹すいちゃうから、早くやっつけちゃってよ〜」
のんきな口調に戻って、ミューがクライスに声をかける。
「わかっています。ですから話しかけないでください」
クライスは白い砂が入った『風の砂時計』をかざし、額にしわを寄せて集中している。
「あ、そうだ」
剣をけさがけに切り下ろし、弱っていた魔物にとどめを刺すと、ミューは思いついたように言った。
「ねえ、まだマリーとは結婚しないの〜?」
「な――!?」
思わず砂時計を取り落としそうになったクライスは、あわてて両手で持ち直す。集中が途切れたせいか、砂時計を包んでいた白い光が弱まる。
「こんな時に、何を言い出すのですか!?」
「ん〜、なんとなく〜」
「今は非常時です。余計なことは言わないでください」
クライスは砂時計に集中しようとする。
「ん〜、わかったよ」
ミューは新たに迫って来る魔物に向き直る。
「後で、マリーに聞いてみることにするね〜」
「や、やめてください!」
強さを取り戻していた砂時計の輝きが、再び弱まった。
「あんたは俺が守る。背後は任せてくれ」
「お願いします」
ルーウェンに言われたユーディットは、軽く頭を下げた。
『金の砂時計』を掲げ、精神を集中しようとする。だが、自信がない。“六芒星封魔陣”は自分が編み出す秘法だとしても、それは遠い将来の話だ。今の自分に、それを発動するだけの実力があるのだろうか。
「頼むぜ、あんたたちが頼りだ」
つぶやくように言ったルーウェンの剣がうなり、魔物の首をはねる。
「なあ、あんたの故郷にも、子供はいるんだろ?」
ルーウェンの声が背後で聞こえる。
「え、ええ」
「そうか、子供はいいよな。だが、戦争はそんな子供たちの幸せを奪っちまう・・・。今、それを防げるのは、あんたたちの魔法だけだ」
「・・・・・・」
「子供たちの未来を守るためなら、俺は命でも何でもかけてやる。だから、あんたも頼むぜ」
「は――はい!」
ユーディットは200年前のライフ村で遊ぶ子供たちの姿を思い浮かべた。平和な風景だ。だが、この時代では、精霊騎士のためにその平和が奪われようとしている。
(やらなくちゃ!)
思いをこめて、砂時計をかざす。金色の砂は、まばゆい光を発し始めた。
「やるぜやるぜ〜! 魔物どもめ、妖精最強の戦士パウル様が相手だ〜!!」
パウルはヘルミーナの背後で剣を振り回す。
「ふふふふふ、口だけじゃなく、しっかり頼んだよ」
ヘルミーナの声に、パウルはふと顔を上げた。
「でも、ほんとにオイラが護衛でいいのかな? もっと強い人がいるんじゃないの?」
声に不安そうな響きが混じる。ヘルミーナは『水の砂時計』を取り出しながら、横目でにらんだ。
「ばかを言うんじゃない。あたしがあんたを指名したんだ。あんたの妖精の剣は魔界の連中には最大の脅威なんだよ。期待に応えてくれないようじゃ、『妖精最強の戦士』の名前が泣くよ、ふふふ」
「お・・・おばさん」
パウルの目がうるむ。自分が本当に信頼され、頼りにされているという高揚感がパウルを包んだ。
「おばさんおばさん言うんじゃない!」
「わかったよ、オイラ、おばさんを守ってみせる!」
「だから、おばさんはやめなって言ってるんだよ!」
左右から、凶悪な目を光らせてレッサーデーモンが襲って来る。
「よぉし!!」
パウルは左手首にはめていた腕輪を宙にかざした。
「みんな、集まれ〜!!」(*8)
腕輪は虹色の光に包まれ、光は不意に広がる。
「わ〜っ!!」
光の中から、突然、色とりどりの服を着た妖精の集団が現れた。かわいいときの声を上げて、妖精の群れは迫り来る魔物に殺到する。一瞬、妖精たちの影に消えたレッサーデーモンは、そのまま力を失ったようにへなへなと大地にくずおれた。
「てやー」
そこにパウルが止めを刺す。
「その調子で頼むよ、ふふふふ」
ヘルミーナはその後、背後を一顧だにせず砂時計に集中した。
呼び出したレッサーデーモンが次々と倒されていくのを見て、ドナーを始めとする精霊騎士は身じろぎした。
「ふふふふ、あんたたちはもう終わりさ! はいつくばって許しを請うなら、命だけは助けてやらないでもないよ、ふふふ」
砂時計をかかげたヘルミーナが、高笑いしながら言った。
「クッ・・・。小生意気な人間どもめ・・・。我らに逆らったことを後悔させてやる・・・」
言い捨てると、ドナー、フレイム、エイスは顔の前で腕を組んだ。
「虫けらどもめ――。全員、踏み潰してくれるわ!!」
精霊騎士を取り巻く六角形の各頂点では、それぞれの錬金術士が掲げる砂時計が、まばゆい光を放射し始めている。アイゼルからは赤、ヘルミーナからは青、ヴィオラートから緑、クライスから白、マルローネから灰色、そしてユーディットからは金色の光が――。
だが、その中心では、精霊騎士の姿がぼやけ、溶け合ってゆく。
「まずい! 逃げる気では――?」
カタリーナが叫ぶ。
「いや、違う」
メルがつぶやいた。エンデルクもうなずく。
「ふむ・・・。思い出したぞ・・・。夢の最後の場面だ」
「それって――」
エンデルクの言葉に、カタリーナは息をのんだ。マッセンハイムが魔物に襲われていた夜毎の夢は、中央広場が黒い霧におおわれ、そこから巨大ななにかが立ち上がろうとするところで終わっていた。
それが今、現実のものになろうとしている。
靄めいた黒い影となり、実体を失って混じり合った精霊騎士は、再び別の形をとってこの世に現れ出ようとしている。
「あれは・・・」
メルが絶句した。
「フ・・・。やはりな。これが精霊騎士三兄弟の本体か」
エンデルクは冷静に観察している。
「そうか・・・。やつらは竜と精霊のあいのこだったんだよね」
カタリーナも、その姿を凝視しながら、つぶやく。
錬金術士が掲げる『竜の砂時計』が発する光に照らされ――。
黒い霧が晴れた中に出現したのは、家ほどもある巨体だった。
どっしりとした胴体から長い尾が伸びる。鋭い鉤爪を生やした4本の足を踏み鳴らし、背中の翼が別個の生き物のようにうごめく。すべてが漆黒の鱗におおわれ、ぬらぬらと沼地の汚泥のようにぬめり、腐ったような瘴気を全身から発している。
その姿は、どこから見ても巨大な竜に他ならなかった。
ただ、絵物語や伝説で語られる竜とは明らかに違っている部分があった。
まさに、三位一体の精霊騎士が合体したにふさわしく――。
ひとつの胴体から生えた三つの首が、マッセンハイムの中央広場を睥睨している。(*9)
漆黒の胴体とは対照的に、それぞれの首は元となった精霊の属性を示すかのように、毒々しい赤、青、黄色の三色に分かれていた。左に赤、中央に黄色、右に青――。
ゆらゆらと揺れる長い首の先には鋭い牙を生やした口が耳元まで裂け、らんらんと妖しく光る両眼から邪悪極まりない視線を飛ばし、2本の角まで生やした頭部がついている。
巨竜は大地を揺るがすような咆哮を上げ、足を踏み鳴らした。今にも口からブレスを吹き出す気配だ。
その時――。
六つの砂時計から六つの光が宙を走った。
「くらいなさい!」
「これで終わりよ、ふふふふ」
「ええ〜い!」
「力を見せてやる!」
「いっけえええええぇ〜っ!!」
「いっけぇ!!」
アイゼルからヘルミーナへ、ヘルミーナからヴィオラートへ、ヴィオラートからクライスへ、クライスからマルローネへ、マルローネからユーディットへ、そしてユーディットからアイゼルへ、光の矢が伸びる。
三つ首の竜はもたげた首を錬金術士たちへ向け、強烈なブレスを吹いた。ドナーからは火花散る雷撃のブレス、フレイムからは燃えたぎる灼熱のブレス、エイスからは絶対零度に近い極寒のブレスが、宙を走る。
同時に、アイゼル、ヴィオラート、マルローネが3本の光で結ばれ、ヘルミーナ、クライス、ユーディットが光の三角形を形作る。
巨竜が吐いた必殺のブレスは、何物かにせき止められたかのように空中で静止していた。
六つの砂時計から放たれた赤、青、緑、白、灰、金の六つの光は入り混じり、解放された六つの属性の魔力が結界となって、六重に中央広場を包み込んでいた。
上空から見れば、マッセンハイムの中央広場にまばゆい光の六芒星形が出現したように見えただろう。
その中心には、精霊騎士三兄弟の本体――三つ首の巨竜が、凍りついたように動きを止めていた。
ユーディットが書き記した、魔を封じる秘法――“六芒星封魔陣”が、今こそ完成したのだ。
「今よ!」
長剣を振りかざしたメルが叫ぶ。
「承知!」
エンデルクが飛び出す。
「まかせて!」
カタリーナが剣を抜き放った。
伝説は、繰り返される。
そして、新たな伝説が生まれる。
かつて、小国マッセンに発して世界各地へ散った、剣聖グレイデルグの血――。
その血筋をもっとも色濃く受け継ぎ、はからずも同じ時代に生を受けた3人の剣士が、“竜の心臓”の呼びかけに応えて今ここに集い、伝説を作ろうとしている。
グレイデルグが半生をかけて編み出し、その血筋の中に眠るという究極の剣技もまた、3人の腕に宿っている。
鍛え抜かれたエンデルクのたくましい足が、大地を蹴る。
衰えを知らぬメルが、石畳の広場に確かなリズムを刻む。
若さにあふれたカタリーナが、マントをなびかせ軽やかに疾駆する。
頭上を覆い隠すかのように、動きを止めた三つ首の竜の姿が迫って来る。
剣士は突進する。
エンデルクは中央へ、メルは左へ、カタリーナは右へ。
エンデルクが剛剣を掲げ、大きく跳躍する。
メルが長剣を振りかざし、石畳の地面を蹴る。
カタリーナが気合いをこめて、宙を舞う。
「アイン――!!」
振り下ろしたエンデルクの剣が、竜の首にざくりと食い込む。
全体重をかけたメルの腕が、確かな手応えを感じる。
衝撃に耐え、カタリーナが両手で剣を支える。
「ツェル――!!」
手首をひねりざま、エンデルクは天に向けて剛剣をなぎ上げる。
メルの剣の切っ先が、弧を描いて宙を舞う。
大地に下りた反動を利用して、カタリーナは剣と一体となって身を躍らす。
「カンプ――!!」
ひとつの動きを映し出した三つの影法師のように――。
エンデルクのたくましい肉体が、メルの均整のとれた身体が、カタリーナのしなやかな肢体が、軽い音をたてて大地に降り立つ。
剣聖の血を引く3人の剣士は、それぞれ背後を振り返った。
その瞬間、“六芒星封魔陣”の効果は切れ、広場をおおっていたまばゆい六芒星形は消失した。
三つ首の竜は、すでに首なしの竜となっていた。
どさりと重い音を立てて、赤い首、青い首、黄色い首が石畳の上に落ちる。
そして、首を失った竜の巨体はぐらりと揺れ、地響きを立てて崩れるように倒れこんだ。
生身の生き物とは異なり、精霊の化身は血を流さない。
その巨体は次第におぼろげになり、ついには地面にしみ込むように、消え去った。
後には、“竜の心臓”を祀った小さな祠が、何事もなかったかのように残っているばかりだった。
「終わった・・・か」
エンデルクが剣を収め、つぶやく。
「本当に、倒したのかしら」
メルはまだ一抹の不安を残しているようだ。
「手応えは、あったわ・・・」
カタリーナは両手で剣を握りしめたままだ。
「大丈夫だよ、もう魔界のニオイはしない。やっつけたぜ、イェ〜!」
パウルが歓声をあげて、くるくると回転する。
「本当に、もう戻って来ないの?」
体力を使い果たしてへたりこんだアイゼルがつぶやく。
「どうやら・・・ね。息の根を止めたかどうかはわからないけれど、これだけ痛い目に遭ったんだ。生きていたとしても、二度と人間界にちょっかいを出そうなんて思わないだろうね、ふふふ」
ガラスが砕け散った砂時計の外枠をながめ、ヘルミーナが笑みを浮かべた。
「ほんと・・・に・・・?」
ユーディットの手から、砂時計がぽろりと落ちる。
「やった! やったよ、クライス!」
「マ、マルローネさん、抱きつかないでください!」
「よっしゃ、やったぜ!」
「ああ、やったな!」
ダグラスとルーウェンが、掲げた手を叩き合わせる。
「あ〜、お腹すいちゃったよ〜」
「あんたはそれしか言えないのかい」
言い合うミューとナタリエの脇で、シュワルベが無言で剣についた血のりをぬぐっている。
アウグストが呼子を吹いた。
それを聞きつけて、街のあちこちに散っていた騎士隊員やシュルツェ一家の若者が、三々五々、戻ってくる。作戦成功を知って、誰もが歓声を上げ、だれかれ構わず肩を叩き合った。
そして、恐る恐るではあるが、マッセンハイムの住人たちが、少しずつ広場へ集まってきた。だが、祠の周辺に集まった見知らぬいでたちの冒険者や錬金術士を怪しんでいるのか、遠巻きにして見つめ、ささやき合うばかりだ。
ヴィオラートは目を泳がせ、広場の周りに集まった人々を見回す。みな不安げな表情だ。何が起こっていたのか、理解できていないに違いない。
つと、ヴィオラートの目が止まった。遠目ではあるが、すぐにわかる。2年以上会っていないが、両親の顔を忘れるわけがない。
「あ・・・」
それ以上は言葉にならない。足がすくみ、身体が思うように動かない。
そっと肩を押されるのを感じた。
振り返ると、アイゼルが優しい笑みを浮かべて立っていた。
「どうしたの? 行きなさい」
「はい!」
ヴィオラートは、カロッテ村のにんじん畑に出没するウサギのように、両親がたたずんでいる場所に向かって飛び出して行った。