エピローグ 競り落とせ!(*1)
こうして――。
グラムナート全土を巻き込んだ大事件は、終焉を迎えた。
最も被害が大きかったフィンデン王国を中心に、復興の槌音が響き始めている。
精霊騎士フレイムのマインドコントロール下に置かれていたデュオニース国王を始め、フィンデン王国の大臣や騎士隊の幹部はしばらくの間、自失状態に陥り、政務を担うことができなかった。洗脳されていた期間が長かったため、回復に時間がかかったものと思われる。だが、その間もシュルツェ一家が大車輪の活躍で人々の生活を支え、動乱のさなかにも秩序を保っていたリサとプロスタークから、資材と食料を持った応援の人員がメッテルブルグやヴェルンへ送り出された。
しばらくの後、回復したデュオニース王から正式に支援要請が出され、カナーラントの竜騎士隊が本格的な復興支援に乗り出した。ローラントが指揮を執り、ジーエルン家の呼びかけに応えてハーフェンの資産家や豪商が寄付した様々な救援物資を運び込んだ。
シグザール王国からはるばるやって来た遠征隊の面々も、ザールブルグへ帰る日が来た。
『マイバウムの塔』を見張っていたシュルツェ一家の若者が、伝言を持って帰って来たのだ。塔から現れた赤い髪の女騎士からだという。
「次の竜の日に、遮蔽の結界を張る」
伝言は短かったが、意味するところは明らかだった。
「よし、これなら来た時と同じように、さっとザールブルグへ帰れるぜ。あのキリーとかいう女も、いいとこあるじゃねえか」
ヘルミーナが再度パウルを連絡役としてザールブルグへ送り、イングリドが魔界へ赴いてキルエリッヒに首尾を報告した結果だった。
ダグラスは部下たちに帰郷の準備を指示する。ルーウェンたち冒険者も一緒に帰ることにした。グラムナートの珍味を堪能したミューや、遺跡でお宝をたっぷり手に入れたナタリエも満足げである。もちろん、ナタリエは武器屋の親父との約束を忘れず、ヴィオラートから『育毛剤“種子”』(*2)を入手している。
「隊長はどうするんです?」
ダグラスの問いに、エンデルクはしばらく考えて、答えた。
「私は・・・もう少し、わがままを通させてもらおうと思う。マッセンの復興には、まだ時間がかかる。今しばらく、手助けをしたいのだ」
口元に笑みを浮かべて、ダグラスを見やる。
「立派な隊長代行も、いることだしな」
「な、何言ってるんですか!」
ぶっきらぼうに言ってその場を離れたダグラスだったが、その直後、ルーウェンに「やけに嬉しそうだな」と冷やかされることになる。
ヘルミーナも、ダグラスたちに同行して帰ることにした。
「これ以上、放っておいたら、アカデミーをイングリドに乗っ取られてしまうからね、ふふふ。それに、収穫もあったし」
ヘルミーナは数冊の古ぼけた写本を手に入れていた。
「再開したヴェルンの図書館にもぐりこんで調べたら、興味深い文献が見つかったよ。100年ほど前、派閥争いから、船に乗ってこの大陸を離れた錬金術士の一派がいたそうなんだ。もしかしたら、それが――」
「ケントニスへ――?」
聞いていたアイゼルが、目を丸くする。
「ふふふふ、あくまで仮説だけどね(*3)。これで論文を書けば、イングリドもぐうの音も出ないだろうよ、ふふふ。――それはそうと、あんたは、どうするんだい」
アイゼルは即答した。
「わたしは、まだこちらに残ります。見届けたいことが、いくつかありますから」
「ふふふふ、そうだろうね。まあ、好きにするがいいさ。そういえば、あのふたりはどこへ行ったんだい?」
言わずと知れた、マルローネとクライスのことだ。
「さあ・・・? 最近よくヴィオラートと話し込んでいるみたいですけど」
そのとたん、噂のふたりが飛び込んでくる。
「あ、ヘルミーナ先生、帰ってしまわれるんですって? イングリド先生によろしく言っておいてください!」(*4)
元気よくマルローネが言う。
「と、いうことは?」
アイゼルが眉をひそめる。ヘルミーナが笑みを浮かべる。
「あんたたちは、帰らないのかい? ふふふ」
「ええ、ヴィオに聞いたら、カナーラントの南に面白い遺跡がたくさんあるらしいので、ちょっと探検して来ようかと――(*5)。荷物持ちもいますし」
「誰が荷物持ちですか」
クライスが憮然として言う。
「私は、マルローネさんがまた暴走して遺跡を破壊したりしないように、不本意ながらお目付け役として同行するだけです。再び文化財損壊の罪で竜騎士隊に逮捕されたりしたら、シグザール王国の恥ですからね」
「クライス、うるさ〜い!」
どなったマルローネだが、思い出したように首をひねる。
「あ、そういえば、クライス」
「何ですか?」
「ボッカム風穴から脱出しようとした時、なにか言いかけてたよね。今なら時間があるから、聞いてあげるよ」
とたんに、クライスの頬が染まる。
「い、いえ・・・。あれはまあ、ものの弾みといいますか、その・・・。ええと、また今度ということで――」
「変なの」
そして、マルローネとクライスは出かけて行った。その後、カナーラント各地の酒場で、へそ出し爆弾魔の噂が長く語り継がれることになるのだが、それはまた別の話である。
メッテルブルグのさる大邸宅の一室で、次のような会話が交わされたことも、付け加えておかなければならない。
「やっぱり・・・、帰ってしまうのね」
「うん・・・。それが、あたしの運命だと思うから――。だって、あたしが過去へ戻って、“六芒星封魔陣”についての魔法書を書かないと、あの秘法がこの時代に伝わらなくて、精霊騎士を倒すことはできなくなっちゃうわけだし・・・」
「そう・・・そうよね」
「泣かないでよ、ラステル。帰りにくくなっちゃうよ」
「だって――」
「でも、帰りっぱなしなわけじゃないよ、きっと・・・」
「どういうこと? 気休めならよして」
「違うよ、最初の時は、単なる事故でこっちへ飛ばされてしまったわけだけど、今回はちゃんと目標を決めてやって来ることができたんだもの。一度できて、二度できないはずはないよ」
「ユーディー・・・。それって――」
「うん、今のままじゃ、ラステルとあたしは、20も歳が違っちゃってるじゃない? いったん過去に戻って、向こうで暮らして、ラステルにつりあう歳に成長したら――向こうの世界ですべきことをちゃんと済ませたら、またこっちへやって来るよ。だから、その時まで、少し待ってて」
「ええ・・・。約束よ、ユーディー」
「うん、約束する」
「それはそうと、ヴィトスの借金は返済したの?」
「え・・・? あ、忘れてた、あはは」
「もし、よかったら、あたしが立て替えてあげるわよ」
「ううん、いいよ、自分の力で返済したいし。それに、またこっちに来るんだから、その時でいいよね」
「知らないわよ、ユーディー。きっとヴィトスは怒り狂うわよ」
「だいじょぶだってば」
その結果、ヴィトスが怒り狂ったかどうかは、定かでない。ただ、金融ギルドの取立てが一時的に厳しくなったのは確かのようだ。
そして――。
事件に関わった面々は、ほとんどが元の生活に戻り、半年が過ぎた。
カロッテ村は夏の盛り。オイゲン村長の屋敷の前には特設ステージが作られている。
年に一度のオークションの日が、巡って来たのだ。
村おこしの一環として企画されたオークションも、今年で3回目になる。
オークションのルールは簡単だ。村の住人が、家にある不要なものや、オークション用に用意した品物を出品し、集まった人々が入札する。そして、最高金額をつけた人が落札するのだ。落札金はすべて村おこしの資金に繰り入れられる。
過去2年間の盛り上がりはさほどではなく、オークションを目当てにした観光客も近隣からしかやって来なかった。そのため、村人たちが今回にかける熱意には並々ならぬものがあった。
だが、今年はかなり有望だった。
フィンデン王国やマッセンの危機を救ったのは錬金術士だったという噂がカナーラント全土を駆け巡り、国内で唯一、錬金術の店があるというカロッテ村の評判は高まっている。首都ハーフェンはおろか、遠いホーニヒドルフや、隣国のメッテルブルグからも見物人が訪れていた。
特設ステージの前は人垣で埋まり、人々はオークションの開始を今やおそしと待ち構えている。(*6)
「あらあら、こんなに人が集まるなんて、おばさんびっくりだわねえ。これもヴィオちゃんのおかげかねえ」
「くんくん、におうぜにおうぜ、怪しさ大爆発のアイテムのニオイがするぜ〜!!」
「わ〜い、はるばるメッテルブルグから来たんだもん、ばっちり入札するわよ〜! ――落札しても、持って帰れないけど」
「ひっ、あなた、来ていたの? お願いだから、近くに来ないで・・・」
「ちょっと、グレゴール、なにグズグズしてるのよ! せっかく来たんだから、いい場所を取らなくちゃ!」
「待ってくれ、ルディ。ハチに刺された傷が痛むんだ」
「へえ、ここがカロッテ村か。初めて来たけど、いいところじゃないか。いい武器が出品されたら、しっかり落札させてもらうぜ、へへへ」
「フ・・・、そうはいかんぞ、ダスティン。ドラグーンの役に立つ武具なら、私のものだ」
「爆弾だったら、僕が落札するぞ〜!」
「いい食材の匂いがするんだねえ。でも、うちの実験農場の野菜に比べれば、まだまだなんだねえ」
「あらあら、カロッテ村のお野菜は美味しいわよ。ついつい、おばあちゃんも通って来ちゃうわよ」
「任せときなって、ドーリスさん。重い物を落札したら、俺がハーフェンまで運んであげるからさ」
「ふふふ、グレールって、見かけによらずいいところがあるのね」
「あ、あの・・・。あたしも、参加していいんでしょうか・・・。ご主人様の目を盗んで、来てしまったんですけど・・・」
「今年のバルトロメウスさんの出品物は何かしら? うふ」
「お酒が出品されたら、じゃんじゃん競り落とすわよ、じゃんじゃん!」
「ヒック・・・。お姉さん、さっきまで酒場でおじさんの倍も飲んでたのに・・・元気だねえ、うぷっ」
「ふむ、ミーフィスに飲み比べを挑んだ、あんたが無謀だったようだね」
「ほう、言うものだな。そういうお前だって、若い頃はさんざん酒場でばかなことをやったじゃないか」
「早く始めるですの〜! お客を待たすものではないですの!」(*7)
一方、ヴィオラーデンでは、バルトロメウスが自分の出品物を持って、家を出ようとしていた。
「おい、ヴィオ、何やってんだ。早く行かねえと、不参加扱いになっちまうぞ! もっとも、総合優勝を目指す俺としては、競争相手が減った方がありがたいけどな」
「何言ってるのよ! ここまでの累積落札金額がダントツの最下位のくせに」(*8)
兄に向かってあかんべをして見せたヴィオラートは、店のカウンターでうつむいているカタリーナに向き直る。カタリーナは顔を上げてヴィオラートを見た。
「ねえ、ヴィオラート、本当にいいの? あたし、そこまでしてもらうつもりはなかったんだけど」
「ううん、いいのよ。ここはやっぱり、カタリーナさんが自分で出品するべきよ」
「でも、それじゃ、ヴィオラートの出番が――」
「いいんだって! さあ、行きましょう!」
ヴィオラーデンからオークション会場までは、すぐだ。
ヴィオラートとカタリーナが会場へ着くと同時に、オイゲン村長とクラーラが現れる。
村長の長い挨拶が続く。3年目だし、ここが正念場なので、村長も気合いが入っている。クラーラが止めさせなければ、いつまででも熱弁を振るい続けていたろう。
早速、最初の出品者バルトロメウスが壇に上る。
おおかたの予想通り、高値はつかず、クリエムヒルトがほぼ言い値で落札した。(*9)
続くロードフリードとブリギットの出品物はいずれも人気が高く、会場も盛り上がって熱気を帯び、ふたりともかなりの高値で落札された。累積落札額は、ロードフリードもブリギットも3万コールを越え、総合優勝の行方は混沌としてきた。
「それでは、最後の出品者の登場じゃ」
オイゲン村長の声に、ヴィオラートはすぐに壇へは上らず、村長にささやきかける。
村長は目を見張ったが、すぐに大きくうなずいた。
「うぉっほん! お集まりの皆さん、ひとつ、お知らせがあります」
オイゲン村長は声を張り上げた。
「最後の出品者であるヴィオラート・プラターネは、事情があり今回は辞退することとなりました」
会場がどよめく。村長は続けようとしたが、ざわめきが収まらない。不満の声が次々と上がる。
「静かに! 話はまだ終わってはおりません」
だが、群集はさらにやかましく叫び立てる。村長は一段と声を張り上げて、どなった。
「静かにせんと、クラーラに歌わせますぞ!」(*10)
この脅しは効果があり、すぐに人々はしんと静まった。
おとなしくなった群集を見渡し、ひとつせき払いをしてオイゲン村長は続ける。
「辞退したヴィオラートの代わりに、当オークション実行委員会は、カタリーナ・トラッケンを出品者として認定することとします。また、特例として、カタリーナの出品物の落札金については、その半額をマッセンの復興資金として寄付させていただくことにしたいと思います。これは、ヴィオラートの強い希望でもあります。皆さま、どうかご了承ください」
村長の提案は、盛大な拍手と歓声で迎えられた。
うながされて、カタリーナが壇に上がる。温かい拍手がわいた。彼女がマッセンを救った勇者のひとりであることは、誰もが知っている。
カタリーナは上気した顔を上げて、
「あたしの出品物は、これです」
剣帯からはずした、木彫りの人形を示す。
「これは、“マッセンの騎士”の姿を彫りつけたものです。“マッセンの騎士”を探して旅を続ける
間、少しずつこつこつと彫っていました。そして、実際に本人に会うことができ、この人形も完成させることができました」
言葉を切り、人形を見やる。なびく長い黒髪、涼しげな眼差し、たくましい筋肉質の肩や腕、腰に差した剛剣、ひるがえるマント――それはまさに、エンデルクの姿そのものだった。量産してザールブルグで売れば大儲け疑いなしかも知れない。
「あたしの夢はかないました。夢がかなった今、もう、この人形は必要ありません。あたしのこの人形が、少しでもマッセンの人たちと――カロッテ村の人たちのために役立つならと思って、出品します。どうか、よろしくお願いします」
カタリーナは、ぴょこんと頭を下げた。村長の声が響く。
「それでは――レェッツ、入札!!」
「354コール!」
「582コール!」
「793コール!」
すぐに多くの手が上がり、値段は次第につり上げられていく。
「3827コール!」
「4296コール!」
さらに値は上がる。
「11748コール!」
「14264コール!」
突然、会場の後ろの方から、よく通る男の声が響いた。
「10万コール」
一瞬、会場は水を打ったように静まり返る。誰もが背後を振り向いた。壇上では、カタリーナが凍りついたように、その相手を見つめている。
エメラルド色の目を大きく見開いて、アイゼルがつぶやいた。
「エンデルク・・・様?」
「10万コールで落札!」
村長の声が響いた。
旅装束に身を固め、マントと黒髪をなびかせて、エンデルクは進み出る。
聖者の前に海の水がまっぷたつに割れたという伝説のように、人垣が割れた。エンデルクは壇に歩み寄り、茫然としているカタリーナの手から、人形を受け取る。
「あ、あの・・・」
「私も、ザールブルグへ戻ることにした。いつまでも騎士隊長の任務を放棄しているわけにもいかぬものでな。だが、ひとつくらい、グラムナートをしのぶよすががほしくなって、寄ってみたのだ。・・・ふむ、良い出来だ」
「モデルがいいからですよ」
ヴィオラートが言い、エンデルクは笑みを浮かべる。カタリーナは相変わらず自失状態で、ロードフリードとバルトロメウスが抱えて壇上から下ろさねばならなかった。
会場が落ち着きを取り戻したところで、オイゲン村長とクラーラが壇上に立つ。
「それでは、栄誉ある3年間総合優勝者を発表いたします。なお、優勝者には、カロッテ村発展の象徴として、この広場の中央に建てられるジャンボなスタチュウのデザインを決める権利が与えられます」
そして、おもむろに名前を呼び上げる。
「『恵まれない村に愛の手を! カロッテ村チャリティーオークション』、3年間総合優勝者は――カタリーナ・トラッケン!」
「ええ? あたし?」
ようやく落ち着きを取り戻して、ヴィオラートと一緒に隅の方に立っていたカタリーナが、目を丸くする。エンデルクが落札した破格の金額が効を奏し、1回の飛び入り参加で大逆転優勝を果たしてしまったのだ。
「さあ、優勝者は壇上へ!」
村長にうながされ、ヴィオラートに背中を押されて、カタリーナはおずおずと壇に上がる。
「おめでとう! それでは、広場に建てる像のデザインを決めてくだされ」
「え、ええと・・・。本当に、あたしが決めていいのかしら」
「構わんとも。優勝者の権利じゃ。それに、あなたはよくヴィオラートを手助けしてくれたし、間接的にはカロッテ村の復興に大いに力があったと思っておる。村への滞在期間も長いしな」
カタリーナはヴィオラートの顔を見て、エンデルクに視線を移し、注目している観衆を見渡す。さらに、遠い風景や頭上の青い空を見上げ、目を閉じて深呼吸をした。
そして、目を開き、きっぱりと言った。
「決めました」
カタリーナが何を語ったか。その結果、カロッテ村にどのような記念の像が建造されたのか――。
それを知りたかったら、カロッテ村へ赴いて、自分の目で確かめてみるといい。(*11)
<おわり>