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リリーの同窓会


第3章 北の暴れ者

カン! キィン!
さして広くもない道場の中、剣戟の音が響く。
はずむ息の音、相手の攻撃を避け、切り込む足音、防具の下から滴り、飛び散る汗・・・。それらが渾然一体となって、張り詰めた雰囲気と熱気が、板張りの壁に囲まれた道場にみなぎっている。
練習用の木剣を手に、乱取りに参加しているのは、いずれも十代半ばの少年たちだ。
正面の壁際で、木剣の柄に手をかけたまま微動だにせず見守っているのは、この道場の主、ヘンリー・マクブライド。彼は、このカリエル王国の剣術指南役も務める剣豪である。
しかし、ここは王室公認の道場ではなく、ヘンリーの私塾である。ここでヘンリーは、王国の将来を担う少年たちに、剣術を通して人間的な成長を促しているのだ。
ヘンリーは、つと顔を上げ、傍らに立つ長身の女性を見やった。
「いかがですかな、シスカ殿。うちの塾生たちは・・・」
声をかけられた女性は、青を基調とした騎士の略装に身をかため、腰には儀礼用の短い剣を差している。緑がかった黒髪が肩から背中にかけて流れ、青い瞳は理知的な光をたたえている。年齢は、40を越えたあたりだろうか。落ち着いた物腰の中にも、引き絞られた弓弦のような鋭さを隠している。
シスカ・ヴィラ。
シグザール王国初の女性聖騎士であった彼女は、数年前に騎士隊を引退していた。現在の身分は、カリエル王国駐在のシグザール王国全権大使である。
この春、シグザールの王室騎士隊長エンデルク・ヤードが、親善大使としてカリエルを訪れた。その際、両国間の移民や文化交流を内容とした友好条約が締結され、その一環として、シスカが駐在大使として派遣されたのである。シスカは、カリエル王宮の一画に部屋を与えられ、文化的にも軍事的にもシグザールより遅れているカリエル王国の王室に対し、様々な助言や援助を与えることを任務としていた。
今日、シスカは、カリエルでもっとも武勇に優れた少年たちが集まっているというヘンリーの剣術道場を視察に訪れていた。
シスカの鋭い視線は、木剣を手に渡り合っている少年たちひとりひとりの技術を見定め、実力を推し量っていた。
万が一だが、将来、カリエルとシグザールの両国間で争いが起きたとしたら、戦いの主力になるのは、この少年たちということになる。そのような、まず起こりそうもない状況も想定して行動するよう、シスカはひそかに命ぜられていたのだ。
シスカの視線が、右から左へ動き、つと止まった。
その視線の先には、ひときわ大きい体つきの少年が、もうひとりの少年と対峙していた。
大柄な方の少年が、猛烈な勢いで打ち込む。相手は防戦一方だ。
(危ないわね・・・)
シスカは心の中でつぶやいた。
木の模擬剣とはいえ、それなりの重さを持っている。加えて、少年たちが着けている防具は、薄い皮製のもので、隙間もあちこちにある。打ち所を間違えば、大けがもしかねない。
片方の少年は、握り締めた木剣で相手の強烈な突きや切り下ろす剣先を避けながら、半円を描くように回り込んでいる。しかし、疲れと緊張のためか、その足はもつれかけている。
ふたりの少年は、シスカの方へ移動してきていた。
その時、大柄な少年の突きが、相手の肩口をとらえた。もんどりうって、少年が倒れる。木剣が右手から離れ、くるくると回って板張りの壁に当たり、軽い音を立ててはね返る。
攻撃側の少年の勢いは止まらない。頭に血が上っており、相手の状況が見えていないのだろう。大きく剣を振りかぶり、仰向けに倒れた相手の頭上めがけて振り下ろそうとする。
「いけない!」
叫ぶのと同時に、シスカの体は反射的に動いていた。
ヘンリーが息をのむ。
腰に差した短剣を引き抜き、ふたりの少年の間に割り込む。シスカの剣は儀礼用のもので、もちろん刃は付いていない。単なるなまくらな金属の棒に過ぎない。
その短剣の柄に近い部分で、シスカは大柄な少年が思いきり振り下ろした一撃を受け止めた。
衝撃に、膝を突きそうになったが、聖騎士として鍛えられた強靭な筋力で、持ちこたえる。
少年の方は、相手が代わったのも意識していないようだ。皮製の兜の影に隠れた表情は読み取れないが、おそらくは闘争本能に火がつき、自分の行動を押さえきれなくなっているのだろう。
「とあぁっ!!」
気迫のこもった叫びとともに真横からなぎ払われる剣を、シスカは後ろに下がりながら受け流した。
少年はすぐに態勢を立て直し、今度は大きく振りかぶった剣を打ち下ろす。
「てぃ!!」
シスカは、冷静に左に一歩踏み出してそれを避け、次の踏みこみで少年の内懐へ飛び込むと、短剣の柄の部分で少年の親指の付け根を打ち据えた。
右手がしびれた少年の手から、剣が飛ぶ。
たたらを踏んで前のめりに崩れる少年の体をかわし、背後に回ったシスカは、むき出しになった少年の首筋に、垂直に剣を打ち込んだ。
もんどりうって少年は倒れる。起き上がろうとするが、急所に当て身をくらったために、運動神経が一時的に麻痺してしまっており、動けない。
シスカは向き直ると、倒れた少年を見下ろし、大きく息をついた。
「そこまで! 全員やめ!」
ヘンリーの大きな号令が響き、剣戟の音が一斉にやむ。
ヘンリーは、少年たちに解散を命じると、シスカに向き直った。その目には、掛け値なしの称賛の光がある。
「お見事でした、シスカ殿・・・」
「いえ、わたしの方こそ、差し出たまねをしてしまったのではないかと・・・」
シスカは銀色に光る短剣を鞘に収めて、自分が倒した少年を、心配そうに見やる。
「いやいや、この男は、こんなことで参るようなやわな輩ではありません」
言うと、ヘンリーは強い調子で、
「兜を取れ、ダグラス!」
と一喝する。
ようやく上半身を起こした少年は、両手で兜をむしりとると、首を何度も左右に振った。
その少年の瞳の色は、シスカと同じだった。だが、その深みのある青い瞳の中には、野獣のような熱い光が宿っている。
「な・・・、何があったんだ?」
誰に言うともなく、ダグラスはつぶやいた。
ヘンリーが叱り付けるような口調で言う。
「ダグラス。おまえはまた、冷静さをなくしたな。熱くなって状況判断ができなくなるなど、剣士として未熟な証拠だ」
ダグラスは、まだしびれている右手を見、続いて、壁際まで飛んでいった自分の剣をいぶかしそうに見やる。
ようやく、正面に立って微笑んでいるシスカの姿に気付いた。
「ま、まさか、俺・・・?」
信じられない、という表情でシスカを見、師であるヘンリーに視線を移す。
ヘンリーは、いかめしく宣告する。
「これが真剣勝負の場であれば、ダグラス、おまえの首は両断されていたはずだ。シスカ殿の剣によってな」
ダグラスの視線を受け、シスカは優雅に一礼して見せた。
うつむいたダグラスの口から、獣のような唸り声がもれる。
「・・・っくしょう」
大きく両腕を広げ、ダグラスは絶叫した。
「俺は・・・こんなおばさんにやられちまったってぇのかよ!!」
「こ、こら、ダグラス、失礼なことを言うな!」
ヘンリーの叱責も、ダグラスの耳には入らないようだ。
「だって・・・だって、女に負けるなんて・・・」
「当然だ。シスカ殿は元、シグザールの聖騎士だったのだぞ」
ヘンリーの声に、ダグラスは口をあんぐりと開ける。
「聖騎士・・・っていうと、あのエンデルクとかいうやつと同じってことか」
ダグラスの脳裏に、この春に目にしたエンデルクの姿が浮かんだ。親善御前試合で、ヘンリーを子供扱いした異国の剣士。あの日以来、ダグラスはいつの日かエンデルクと対決して、勝つことを目標にして、剣の腕を磨いてきたのだった。
シスカは微笑んで答える。
「ふふふ、そうね。エンデルクは、そう、騎士隊の中では、わたしの後輩に当たるわ。でも、彼の強さは段違いよ。今のわたしなど、彼の足元にも及ばないわね・・・」
シスカは、ダグラスの青い瞳をじっと見据え、続ける。
「エンデルクの強さは、どんな強敵に出会っても冷静でいられる鉄の意志よ。あなたも、熱くなることを押さえて、自分の体を心で制御できるようになれば、今より一枚も二枚も上の剣士になれるでしょう。はっきり感じたわ。あなたには、素質はあるのだから・・・」
そして、心の中で付け足す。
(成長したあなたを、敵に回したくはないわね・・・)
だが、内心をそぶりに見せず、シスカは艶然と微笑んで見せた。
「精進なさい。それじゃあね、ぼうや
そして、ヘンリーに一礼すると、マントをひるがえし、道場を後にした。

「オゥ、お帰り。待っていたんだよ、マイレイディ」
シスカが、カリエル王宮の奥まった場所にある自室に戻ると、かんだかい気取った声が彼女を迎えた。
見ると、あかあかと炎が燃える暖炉を前に、青い服を着て帽子をかぶった小さな男の子がちょこんと座り、両手でかかえたカップから、シャリオミルクを飲んでいる。
「失礼して、勝手にやらせてもらっているよ。それにしても、キミは相変わらず、バラの花のようだね、マイレイディ」
「ピエール」
シスカは苦笑して、ソファに腰を下ろす。妖精のピエールは、シグザール王室と彼女をつなぐ連絡係なのだ。
ふと、シスカは眉をひそめる。
「でも、ピエール、今日は何の用なの。定期連絡の時期じゃないわよね。なにか、突発事件でも・・・?」
「いやいや、今回ボクが来たのは、情報局の用事じゃないんだよ、マイレイディ。アカデミーの方から連絡を頼まれてね」
と、ピエールは一通の封書をシスカに手渡す。
ほんのりと、ユリの花の香りがたちのぼる。封筒の表面には、大きなユリの花が描かれていた。
シスカは、無言で封を切り、内容を読む。
ピエールを振り返ったシスカの瞳には、夢見るような表情が浮かんでいた。
「伝言、確かに受け取ったわ。そう、あのふたりに伝えて」
「オーケイ、まかせておきたまえ。おっと、もう時間だ。これで失礼するよ。また会う日まで、元気でいてくれたまえ、マイレイディ」
気取った口調で言うと、妖精ピエールは虹色の光に包まれ、消えていった。
シスカは、火かき棒で暖炉の火をおこすと、両膝を抱いて、床に座った。
炎に目をこらしながら、心は遠い過去の日々に帰っていた。
ともに冒険した友の姿を思い浮かべる。思えば、シスカが聖騎士になれたのも、友の励ましがあればこそだったのだ。
(リリー・・・)
しばらく物思いにふけっていたシスカは、はっと顔を上げた。
連絡によれば、同窓会は、ザールブルグの夏祭りに合わせて行われるという。
自分には任務がある。同窓会に合わせて休暇を取り、ザールブルグに戻ることができるだろうか。
少しの間、思いをめぐらせていたが、あることに思い当たり、シスカはにっこり笑った。
たぶん、大丈夫だ。休暇は許可されるだろう。
なぜなら、同じ招待状が、彼女の上司・・・シグザール王国秘密情報部長官ゲマイナーのもとにも届いているはずだからだ。
再び、炎に目をやり、シスカは懐かしい日々に思いを馳せはじめた。

<ひとこと>
キャー、シスカさん、かっこいい!! とても42歳とは思えませんな(歳を言うな)。このエピソードは、ダグラスが主人公の「少年の夢」の第2章とリンクしてます。というか、時代がかぶってることに気付いて、あわてて辻褄合わせをしたという(汗)。それにしても、ここで唐突に出てきたシグザール王国秘密情報部(笑)。その全貌は、いずれ明らかにされることでしょう。


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