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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [捜査篇] Vol.2


誘惑−5:魅惑の女教師

「さあ、今日からお城暮らしだ。やるぞ〜!」
ずっしりと重い採取かごを背負うと、エリーは声をあげて気合を入れた。かごの中には着替えなど身の回りの品のほか、基本的な調合器具一式とお菓子作りの材料が入っている。大きなかごを背負ってシグザール城へ乗り込むなど、普通の人から見れば非常識な気もするが、エリーは過去に何度もこれをやっているので、気にもしない。
かごには他にもいくつかの魔法アイテムが収めてあるが、それらは探偵をする際に役に立ちそうな品々だ。『生きてるナワ』や『影縫い針』はいざという時に犯人を捕まえるのに有効だろうし、城内でひそかに活動するためには3種類のデア・ヒメル装備が欠かせないだろう。デア・ヒメル装備とは、伝説の怪盗デア・ヒメルのようにひそやかに素早く行動するために調合された錬金術アイテム――身につけた者の姿を一時的に見えなくする『ルフトリング』に、素早さを高める『逃げ足のくつ』と『デアヒメル手袋』である。場合によっては、これらの装備を身につけてひそみ、犯行現場を押さえることもできるかもしれない。
採取の旅で長いこと工房を空けるのは珍しいことではないから、誰もエリーがシグザール城にいるとは思うまい。留守を任されたピコも、今回は仕事を言い付かっていないので、大いに羽を伸ばせるだろう。
シグザール城の正門に着くと、エリーはいつものように通行許可証を見せた。いささか緊張した面持ちで、門番の騎士に、レディ・シスカに会うにはどこへ行けばいいのか尋ねる。若い聖騎士は目を見張ったが、何も訊かずに執務室への道筋を教えてくれた。シスカの執務室は、国王の謁見室の奥にあるという。
(これからしばらく、ここで暮らすんだ・・・)
何度も通いなれた謁見室への通廊だが、今日の風景はまるで違って見える。エリーの胸は高鳴った。
「おう、エリーじゃねえか」
謁見室の前を通りかかると、警固についていたダグラスが声をかけてきた。
「今日は陛下は忙しいから、おまえの相手はしてられないと思うぞ」
「違うよ、ダグラス。今日はレディ・シスカに会いに来たんだよ」
どこまで事情を話していいかわからなかったので、エリーは最小限のことだけを口にした。
「おまえが? おまえみたいなやつが、シスカさんに何の用があるんだよ?」
ダグラスが目をむく。
「ええと――」
「だいたい、おまえ、今までシスカさんに会ったことがあるのかよ? 怪しいな。俺は城内警備主任として、普段と違う動きには、どんな細かいことにでも目を光らせていなきゃならないんだ。相手がおまえだろうと、規則は曲げられねえ。事情を聞かせてもらうぞ」
「もう、わかったよ。これには事情があって――」
ごまかしきれないと思ったエリーは、アカデミーの実地研修という表向きの理由を説明した。ダグラスはあきれたように言う。
「何だと? おまえが見習いメイドになって王室の礼儀作法を学ぶんだって? おいおい、アカデミーは何を考えてるんだよ。人選ミスじゃないのか? エリーにお城の宮仕えが務まるわけないだろう。悪いことは言わねえ、帰った方がいいぜ」
「何よ、失礼ね。ダグラスでも務まってるんだから、わたしにできないわけがないでしょ」
エリーが口をとがらす。確かに、騎士隊に入隊した頃のダグラスは、堅苦しい礼儀作法が苦手で、先輩騎士から何度も注意されたことがあると聞いている。
「ちっ、わかったよ。だけど、面倒ごとは起こすなよ。おまえが恥をかくと・・・その――、知り合いの俺まで恥をかくことになるんだからよ」
「うん、わかった」
表現はともかく、自分を心配して励ましてくれているのは感じ取れたので、エリーは素直にうなずいた。お菓子盗難事件についてもそれとなく聞いてみようかと思ったが、これからいくらでも機会があると、思い直した。

ダグラスと別れ、謁見室からさらに通廊を奥へ進む。ここから先は足を踏み入れたことはない。
レディ・シスカ・ヴィラの執務室のドアは、何の飾り気もないオークの一枚板だった。ドアに打ち付けられた名札を確認し、ひとつ深呼吸して、ノックをする。すぐに返事があり、エリーは参考書で予習したとおり「失礼いたします」と一礼して、部屋へ入った。
「あなたがエルフィール・トラウムね。待っていたわ」
筆記具や書類がきちんと整理して並べられた机の向こうで、気品のある中年女性が立ち上がった。
「わたしがシスカ・ヴィラ。陛下の命により、あなたの教育係を務めます」
エリーより頭ひとつ分は背が高く、すらりとした身体はおそらくは若い頃と変わらないスタイルを保っている。身につけているのは貴族のようなきらびやかなドレスではなく、実用的で飾り気のない簡素な上下の服だが、グランビル産の高級な布地が使われているのがわかる。緑がかった黒く長い豊かな髪は、ゆったりとスカーフでまとめられている。知的で威厳のある顔立ち。青い瞳には厳しさと優しさが同居しており、優美さと高貴さを併せ持つ口元にはかすかな笑みを浮かべている。黙って立っているだけでも、存在感はイングリドやヘルミーナにも匹敵する。いや、それ以上かもしれない。
「そんなところに突っ立っていないで、お座りなさい」
「は――ひゃい!」
緊張のあまり、エリーの声が裏返る。あわててかごを傍らにどさりと置き、示された椅子にかけた。シスカの目が、値踏みするようにゆっくりと、エリーと採取かごとを往復する。心の奥底まで見透かしてしまうかのような鋭い視線だが、面白がっているような様子も感じられる。少なくとも、非難や叱責の色はない。
「もう少し、リラックスした方がいいわね。そんなこちこちでは、満足なメイドの仕事はできませんよ」
「は――はい! ええと・・・、レディ・シスカ」
「“ええと”は要りません」
シスカは鋭い剣のようなひとことで切り捨てた。エリーは首をすくめる。シスカは口調を緩めると、微笑む。
「それから、ふたりきりの時には、“レディ”もやめてちょうだい。王宮の礼儀作法を学びに来たのですから、つけるべき人には敬称をつけて呼ぶのが当然ですが、それは公的な場所だけでいいわ。わたし自身、“レディ・シスカ”と呼びかけられると、自分ではないような気がして居心地が悪いのよ」
「それでは、何とお呼びすれば・・・?」
「シスカさん、でいいわ」
「はい、わかりました、シスカさん」
エリーの声にようやく元気が戻る。シスカも笑みを浮かべてうなずいた。
シスカがかすかに顔を動かすたびに、ほのかな花の香りがただよう。これが高貴な淑女の身だしなみなのだろう。化粧っ気のないエリーは、ふと恥ずかしくなった。メイドとしての化粧法についても、アドバイスをもらえるだろうか。
シスカは机の上の書類を取り上げた。こういう仕草はどこかイングリドに似ている。
書類をながめてエリーと見比べ、シスカは小さなため息をつく。
「ふう・・・。本当に、陛下の気まぐれにも困ったものね。余計な仕事を増やしてくれて」
「はい?」
いぶかしげなエリーの目に、シスカは首を振って、
「いえ、あなたを責めているわけじゃないわ。あなただって、アカデミーの指示でこの実地研修を受けることになったわけでしょう? お互い、命令には従わなければならないものね」
「はい・・・」
エリーはためらいつつもうなずいた。自分がここに来たのがブレドルフの差し金だと知られるわけにはいかない。
「何もわからないメイドを一から教育するというのは、大変な仕事だけれど、命令とあらば、わたしは全力で遂行します。あなたも真剣に、一生懸命取り組んでくれることを期待します」
「はい、わかりました」
「よろしい」
シスカは再び微笑んだ。
「もっとも、わたしも単調な公務の連続に飽きていたところだから、いい刺激にはなるわね」
そして、書類に目を落とす。
「エルフィール、あなたには王室付きのメイド見習いとして働きながら、シグザール王室伝統の礼儀作法を学んでもらうことになります。基本的には、ブレドルフ陛下の身の回りのお世話をしてもらうことになるわね。ですから、あなたの居室も陛下の私室のすぐそばということになります。陛下のご結婚前に務めていたメイドのアリスが使っていた部屋をそのまま使ってもらうわ」
「ご結婚前・・・ですか」
「そう。ご結婚後は陛下とリューネ様のご意向もあって、私室のそばにはメイドを置かないことにしたのです」
「はあ」
その意味がわからないエリーは、きょとんとしていた。シスカは続ける。
「毎日のスケジュールは、この紙に書いてあります。仕事が終わっても、自由時間以外は部屋に控えていること。陛下がいつ、ベルを鳴らして用事を言いつけるかわかりませんからね」
「はい、わかりました」
シスカは視線を上下に動かし、ブーツの先から輪っかの帽子までエリーのいでたちをながめた。
「当然のことですが、その錬金術士の服装で仕事をさせるわけにはいきません。部屋にメイド服を用意させておきましたから、勤務時間・自由時間を問わず、自室以外では常にそれを着ているように。私服で城内を歩きまわってはいけません。もちろん、メイド服を身につけていても――いえ、身につけているからこそ、理由もなくあちこちうろつきまわることは許されないのです。いいですね」
「はい・・・」
エリーはやや力なく答えた。これでは、事件を捜査するための聞き込みも満足にできそうもない。エリーの心中を知ってか知らずか、ちらりと見やってシスカは言葉を継ぐ。
「それと、あなたには陛下のたっての希望として、夜食のお菓子を用意するという仕事があります。聞いているわね?」
「はい」
「部屋はそれなりの広さがありますから、調合作業に支障はないでしょう。ただし、爆発騒ぎや異臭騒ぎを起こさないよう、細心の注意を払って作業するように。わかりましたね」
「はい、肝に銘じます」
「その表現は、メイドとしてはふさわしくありませんね。まるでダグラスだわ」
「へ? ・・・あ、申し訳ありません」
エリーは照れ笑いして頭を下げた。シスカがシグザールの全権大使としてカリエル王国に赴任していた時に、少年だったダグラスの剣の腕を認め、以後も目をかけてきたことを、エリーは知らない。
「夕食後は、一般のメイドは自由時間になりますが、あなたは毎日、わたしのところに一日の報告に来ること。なにか質問があれば、その時に受けます。そして、その後は一刻ほど、王室の礼儀作法についての座学を受けてもらいます」
「はい?」
「予習、実践、そして復習を繰り返すこと――これが礼儀作法を身につける最も確実な方法です。一対一で、みっちりと仕込みますからね。座学の講師はわたしのほか、モルゲン卿や、ゲマイナー卿の奥方も担当します」
「は、はい・・・」
エリーはげんなりしてきた。これでは、盗難事件を捜査している時間など、まったくないではないか。夜遅くならば動きが取れそうだが、それではエリー自身が不審人物として捕まってしまう。前途多難とはこのことだ。早く機会をとらえて、ブレドルフに相談してみなければ。
「それでは、部屋に案内させましょう。ですが、その前に――」
シスカはエリーの荷物が入った採取かごに目を向けた。
「所持品検査をさせてもらいます。規則ですから、悪く思わないでね」
「へ?」
エリーはぎくりとした。こんなことは予想もしていなかった。止める間もなく、シスカは席を立ってかごに近付き、手際よく中身をあらためていく。
あっという間に、『生きてるナワ』やデア・ヒメル装備が脇に取り除けられた。
「あ、あの・・・。それは・・・」
おずおずとエリーが口を開く。シスカは断固とした口調で、
「あなたがどのような意図でこれらを持ち込もうとしたのかは、問わないことにします。しかし、このようなアイテムは、メイドの仕事にも礼儀作法の勉強にも必要はないですし、何の役にも立ちません。それに、治安上の理由から、国王のすぐそばに怪しげな魔法の品を持ち込ませるわけにはいきません。あなたにもわかりますね」
「はい・・・。ごもっともです」
うなだれるエリーに、追い討ちをかけるようにシスカは言った。
「あなたが研修を終えて帰る時まで、これらの品は王室騎士隊の管理下で厳重に保管するようにします。誰も手を触れたり悪戯できないようにしますから、安心なさい」
あわよくば、身を隠して待ち伏せ、盗みの現場を押さえて犯人を捕まえてやろうというエリーの目論みは、こうしてもろくも崩れ去ったのだった。
「では、部屋へお行きなさい。途中、仕事をするのに覚えておかねばならない場所を案内させます」
シスカは壁に向かって声をかけた。
「ピエール!」
不意に、石の壁が虹色に光り、光の渦の中から紺色の服を着た妖精の姿が現れる。
「オゥ、ボクはいつでもここにいるよ、マイレイディ。どんな困難な仕事でも、ボクに任せてくれたまえ」
やけに気障なセリフを吐く妖精だ。エリーもこういう妖精には会ったことがない。
「ピエール、これからしばらくお城で働くことになったエルフィールよ。陛下の控えの間へ案内してあげて。途中、掃除用具置き場や厨房の場所も教えてあげてね」
そして、エリーを振り向き、
「わたしは仕事が残っているから、後はピエールに案内させます。今日は荷物を整理して、明日からの仕事に備えなさい。休んでいる暇などなくなるわよ」
にっこりとうなずくと、シスカは机に戻って手際よく書類を処理し始めた。エリーは考えることが多すぎて、ぼんやりとしながらかごを背負った。先に立ってドアに向かったピエールが、気取った調子で流し目をくれる。
「フッ、では、行こうか、マドモアゼル。忠告しておくが、ボクに惚れちゃいけないぜ」


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