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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [捜査篇] Vol.4


誘惑−7:メイドのお仕事

「うわあ、終わらないよお! どうしよう・・・」
ピコのような情けない声をあげながら、エリーはブレドルフの寝室をどたばたと駆けずり回っていた。
お菓子盗難事件の話をブレドルフから聞いているうちに、知らずに時が過ぎ、国王の謁見の時間が来てしまっていた。いつまでも謁見室に現れないブレドルフに、しびれを切らしたウルリッヒが呼びに来て、ようやくふたりは我に返ったのだった。ブレドルフはあたふたと出て行き、残されたエリーも大あわてで本来のメイドの仕事にかかった。
階下の用具置き場まで走って行き、ほうきとはたき、バケツと雑巾を取ってくる。ところが水を汲んでくるのを忘れてしまい、あわてて井戸まで階段を駆け下りる。そして、水の入った重いバケツを持って、再び息を切らせて階段を延々と上がらなければならない羽目になってしまった。昨夜、ベッドの中で手順をおさらいした時には、もっと効率よく進んだはずなのだが、やはり時間がないという焦りが悪循環を呼んでしまうのだろう。
急がなければならないという焦りと、水をこぼしてはいけないという慎重さとになんとか折り合いをつけて、エリーは息をはずませて階段を上りきると、廊下を急ぐ。控えの間を駆け抜け、ブレドルフの寝室に駆け込むと、大急ぎで壁と天井にはたきをかけて回る。ブレドルフの寝台の豪華さや、壁に掛けられた美しい肖像画にも、目を止めている余裕はない。
はたきをかけ終わると、エリーは休む間もなく今度はほうきで床を掃く。それが終わると、ブレドルフの書き物机を拭き、壁のランプを丹念に掃除する。ランプには竜を模した精巧な彫刻が施されていて、細かな隙間に入ったほこりを取るのに思いのほか時間がかかった。
「ええと、今度は何をするんだっけ」
ようやくランプも机も床も壁もぴかぴかになり、小首をかしげて考え込んだエリーは、くしゃくしゃなままのブレドルフの寝台を見て飛び上がる。
「そうだ、ベッドシーツと枕カバーを取り替えて、汚れたシーツは洗濯係の人に渡すんだった。新しいシーツとカバーをもらって来なくちゃ!」
あわててエリーは部屋を飛び出す。先にシーツ類をはずして持って出れば手間が省けるはずだが、焦りの悪循環にはまったエリーには思いつかない。城をなかば横断してたどり着いたリネン部屋で、きれいに洗濯されたシーツとカバーを受け取る時、洗濯係の男に「古いのはどうしたんだい?」と言われて、ようやく二度手間になってしまうことに気付いた。
「あ、そうか。わたし、なんてバカなんだろう・・・」
エリーはしゅんとする。
「あんた、新入りかい? まあ、仕事ってもんは、何度も失敗しながら身体で覚えるもんだ。若いうちの苦労は買ってでもしろってね。そのうち、要領よくできるようになるさ」
人の良さそうな洗濯係に慰められ、エリーは悔やんでいる暇もなく帰路を急いだ。
ほのかに香水がかおるシーツとカバーを持ち帰ると、大急ぎで取替え、毛布をぴんと整える。
「はああ、やっと終わったよ・・・」
掃除用具をとりあえず控えの間に移し、リネン部屋へ持って行くシーツ類をかかえると、ようやくエリーはひと息ついて、国王の寝室を見渡す。初めて、正面の壁にかけられた大きな肖像画をじっくりながめる余裕ができた。
「うわあ、きれい・・・」
エリーはほうっとため息をもらす。それは、巨匠アイオロスがシグザール国王の成婚を記念して筆を執った、ブレドルフとリューネの等身大の肖像画だった。真っ白な第一礼装のブレドルフと、簡素だが高貴さを感じさせる薄桃色のドレスに包まれたリューネは、互いに見つめあい、仲むつまじく微笑んでいる。まるで本人たちが絵の中から今にも語りかけてくるのではないかというように生き生きと描かれているのは、さすがアイオロスと言うべきだろう。
「おふたりは、本当に幸せなんだろうなあ。でも、リューネ様がドムハイトへ帰られてしまって、陛下もきっと寂しいよね」
そのためにも、ブレドルフを悩ませる盗難事件を、一刻も早く解決して差し上げねば。シーツをぎゅっと握り締めて、エリーは決意を新たにするのだった。
「そうだ! 帰りに少し、誰かに話を聞いてみよう」
まだブレドルフの控えの間の掃除は残っているが、そちらは簡単に済ませてしまおう。後は夕方に、国王の夜食用のお菓子を準備すればよい。だが今日は時間がないので、お菓子もほどほどに簡単なもので許してもらう他はない。
丸めたシーツを小脇にかかえてリネン部屋への道を急ぎながら、ようやくエリーは盗難事件に思いを巡らせ始めた。
まず、気付いたことがある。今日は大あわてで何度か、国王の私室のあるフロアと階下とを行き来したが、階段の出口や途中の廊下に立っている衛兵の姿はひとりも見かけなかった。城の正門や謁見室前で、鎧姿の聖騎士がにらみを効かせているのとは大違いである。つまり、外部の人間が立ち入りを許されている場所は厳重に警備するが、城の内部は警戒の必要はないということなのだろうか。だとすれば、犯人がいったん内部へ入り込んでしまえば――あるいはもともと内部の者が、ブレドルフの私室へ入り込もうとすれば、比較的たやすく侵入できてしまうということではないか。城内の警備体制について、ダグラスかエンデルクに確認してみよう、とエリーは思った。
そして、エリーはダグラスに思いを馳せる。とはいっても、ホレタハレタに関することではない。
ブレドルフから、犯人はシグザール城内部にいるのではないかと言われた時、容疑者として真っ先に思い浮かんだのはダグラスだったのだ。食いしん坊で遠慮というものを知らず、目の前に食べ物があれば、ついつい手を伸ばしてしまう、子供のような一面がある。聖騎士として鍛えられ、作法も自制心も備わってはいるはずだが、別の見方をすれば、泥棒に必要な図太さや大胆不敵さも、ダグラスならば十二分に持ち合わせているといえる。初めてチーズケーキが盗まれた日、ブレドルフはダグラスが呼びに来たと語っていた。呼ばれたブレドルフが出て行った後、部屋に残されていたケーキを見つけ、ついつい手を出してしまったのではないだろうか。
(ううん、違うよ、ダグラスはそんなことをする人じゃない!)
エリーは首を振って、疑念を払いのけようとした。まずは、もっと詳しい情報を集めなければ。その中で、ダグラスの疑いが晴れるような証拠が見つかれば、安心である。
(でも、もし逆だったら――?)
その可能性を考えると、エリーは足がすくんだ。しかし、すぐに思い直す。自分はブレドルフ国王に信頼され、探偵依頼を受けたのだ。どんな結果になろうと、全力を尽くすしかない。

「ええと、誰かいないかなあ」
リネン部屋の洗濯係にシーツを引き渡して身軽になったエリーは、少し回り道をして、謁見室の裏側に当たる通路をきょろきょろしながら歩いていた。騎士隊の控え室が近くにあることはわかっている。だが、交代時間ではないためか、騎士の姿はあまり見かけない。何人かとすれ違ったが、いずれも知った顔ではない。メイドがこの通路を歩いているのは珍しいことではないのか、騎士たちもちらりと目を向けるだけで、特に話しかけては来なかった。なぜこんな場所にいるのかと問い詰められた場合は、城内に不慣れなので道に迷ってしまったのだと言い訳するつもりだったが、その必要はないようだ。
その時、ひょいと角を曲がって、たくましい大柄な影が姿を現す。
「あ、エンデルク様」
エリーは思わず声をあげた。反射的に、メイドらしく腰をかがめて一礼する。メイドのこのような反応には慣れているのか、エンデルクはそのまま通り過ぎようとしたが、ふと足を止め、振り返った。
「ん・・・?」
「あ、あの・・・」
錬金術士姿の時は、物怖じせずエンデルクに接するエリーだが、服装が違うと気持ちにも影響するらしい。うまく言葉が出ずにもじもじするエリーを、エンデルクは黒い瞳で鋭く見すえる。
「ふむ・・・。驚いたな。エルフィールではないか」
「は、はい! ええと、ご挨拶が遅れましたが、わたし、今度、アカデミーの実地研修で――」
「うむ、その話はレディ・シスカから聞いている。妙なものを城内へ持ち込もうとしたこともな」
シスカに没収された、デア・ヒメル装備などの魔法アイテムのことだ。
「あ、いえ、あれは――ええと・・・」
エプロンの裾を神経質にいじりながら、言い訳を考えようとするが、なかなか浮かんでこない。だが、エンデルクの方はそれ以上追及する気はないようだ。あらためて向き直ると、あごに手を当ててエリーのメイド姿を上から下までながめる。そして、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「フ・・・。なかなか、さまになっているではないか。ダグラスが見たら何と言うかな。まあ、あいつのことだ、だいたいは想像がつくが」
「はい? ダグラスは何て言うとおっしゃるんですか?」
「フ、本人に聞いてみるがよかろう・・・。ところで、どうだ、城内の暮らしで困ったことはないか」
「はい、ええと・・・」
「“ええと”は不要だとレディ・シスカに言われなかったか?」
「は、はい、申し訳ありません!」
エリーは背筋をぴんと伸ばす。エンデルクは軽く流し目をくれ、
「まあ、いい。このように生きた礼儀作法を学ぶ機会はめったにないだろう。日々、精進することだ」
去ろうとするエンデルクに、エリーはこの機を逃さじと声をかける。
「エンデルク様、おうかがいしたいことがございます!」
振り返ったエンデルクは、軽く眉をあげた。
「ふむ、今の言葉遣いは良かったぞ。・・・それで、何を聞きたいと言うのだ?」
「はい、実は今朝、国王陛下から、お菓子が盗まれるという事件が何度もあったとお聞きしました」
黙ったまま、エンデルクは軽くうなずく。エリーは続けて、
「陛下の身の回りのお世話をさせていただく身として、気になって仕方がありません。この事件は、聖騎士隊が調査されたとうかがっています。よろしければ、調査されてわかったことを、うかがいたいのですが」
「ふむ・・・」
エンデルクはしばし思案する風だったが、やがてマントを翻して先に立って歩き出す。
「まあ、よかろう。立ち話も落ち着かぬ。ついて来るがいい」
エンデルクは、簡素な机と椅子が2脚あるだけの小部屋へエリーを連れて行くと、エリーを椅子にかけさせたまま、いったん部屋を出た。ほどなく、分厚い日誌のようなものを持って戻ってくる。
席に着いたエンデルクはおもむろに日誌を開くと、ページを指し示した。
「陛下から、夜食の菓子が盗まれるとの訴えを受けたのは、10月10日のことだ。今日が11月17日だから、今からひと月あまり前だな。陛下の話では、夜食のチーズケーキが初めて消えたのは、10月1日の晩らしい。その後、3日、5日、9日にも事件は起こったそうだ。盗まれたという菓子は、それぞれワッフル、アップルパイ、ガラクトースだということだ」
「はい・・・」
ポケットからノートを取り出したエリーは、忙しくメモを取る。いずれも、エリーが腕によりをかけてこしらえたお菓子だ。エンデルクはさらに日誌を読み上げる。
「その後も、菓子が消えるという出来事は続いた。13日、17日、20日、22日、27日・・・11月に入ってからも、3日、5日、12日に発生している。盗まれたのはマシュマロにクランツ、ウアラップだ。何日に何が盗まれたのかは、ここに記録してある」
全部で12回か・・・と指折り数えながらエリーは思った。自分のノートと照らし合わせる。ノートには、依頼を受けた期日、品目や納期、採取に出かけた日付と同行者など、エリー自身の簡単なスケジュールが記録してある。それによると、東の台地に採取に出かけるので留守にするために、保存の効くクランツとウアラップを作って『飛翔亭』に納めたのが10月7日だ。そして翌8日にダグラスと東の台地に向かって出発し、ザールブルグに戻ったのが11月5日である。
ここまで聞いて、エリーははっと気付いた。10月8日から11月5日まで、ダグラスはエリーの護衛として東の台地に採取の旅に行き、ずっと行動を共にしていた。ところが、その間も、シグザール城では7回も盗難事件が発生している。したがって、ダグラスは犯人ではありえない。専門用語で言えば、ダグラスには確固たるアリバイがあるということだ。しかも、その証人は他ならぬエリー自身である。エリーはほっとして大きく息をついた。
「それで――。騎士隊が調査した結果、犯人の目星はついたのでしょうか。陛下は、騎士隊の報告には・・・その、失望したとおっしゃっていましたが」
「うむ、まず我々は外部から何者かが侵入した可能性を第一に考え、シグザール城のあらゆる場所を徹底的に調査した。だが、不要に開け放された出入り口はなく、警備体制は万全だったことがわかった。もちろん、未知の隠し通路や岩の隙間なども存在してはおらぬ。警固の騎士や衛兵も、不審な挙動の人物は一切見かけてはいない。したがって、陛下が心配しておられた、陛下の身に害を及ぼす闖入者の可能性はありえない――それが、聖騎士隊としての結論だ」
「でも、それっておかしいんじゃないですか? 外部からの侵入者の可能性がないという点はわかりました。でも、肝心のお菓子泥棒についてはどうなんですか? 何度も同じことが繰り返されているんですよ。陛下も心を痛めていらっしゃいますし」
「フ、それか・・・。取るに足らぬことだ」
「はい? どういうことですか?」
エンデルクがあまりに軽く片付けたので、エリーは意外に思うとともに、怒りとも苛立ちともつかないものが心にわきあがってくるのを感じた。強い口調で、エリーは詰め寄る。
「陛下の身辺で起こっている事件を、取るに足らないことと言い切ってしまうなんて、それでいいと思っていらっしゃるんですか!? それでも、シグザールが誇る王室聖騎士隊ですか!?」
顔を真っ赤にしたエリーの詰問にも、エンデルクは眉ひとつ動かさず、正面からエリーの栗色の瞳を見返した。気圧されて、エリーは口をつぐむ。
「ご、ごめんなさい、言い過ぎました」
「ふむ、いささか言葉が足りなかったようだ。聞け」
エンデルクは変わらぬ冷静な口調で言う。
「一日の公務を終えられれば、ブレドルフ陛下も一国の王という立場からひとりの人間に戻られる。私室でくつろがれ、夜食を召し上がるのも、それは陛下の私的な行動であり、公務ではない。そして、シグザール王室聖騎士隊は、あくまで陛下のプライバシーを尊重し、公務以外の部分には干渉しないのが公的な立場だ」
「はあ」
話がどこへ向かおうとしているのか理解しきれず、エリーは生返事をする。エンデルクは続ける。
「だが、陛下のプライバシーをも無視して騎士隊が行動する例外はある。それは、陛下ご自身の身に危険が及ぼうとしている場合だ。他国の間諜や刺客が陛下の命を狙っていることが判明した場合などだな。幸いにも、これまでそのような事態が発生したことはないが――。今回の盗難事件の場合も、王室騎士隊長として私が考慮したのは、まず第一にその点だった。だが、先ほど言ったように、調査の結果、外部からの侵入者や陛下の命を狙った企てなどは一切ないことが判明した。陛下の身の安全が保証されたこの時点で、騎士隊が関与すべき段階は終わったのだ。騎士隊としては公式な報告書を提出し、結論を出した。後は、陛下の私的な問題に過ぎず、それ以上騎士隊が関わることは越権行為になり、公私混同になる」
「でも、謎は解けてないじゃないですか――」
反論しようとするエリーを、エンデルクは氷のような声でさえぎる。
「陛下が夜食を召し上がろうと召し上がりそこなおうと、シグザール王国の利害には、なんら影響を及ぼすものではない。したがって、これ以上の捜査は無用。騎士隊の手で捜査を続行するのは、時間と資源の浪費である――これが、王室騎士隊の公式見解だ。それ以上でも、以下でもない」
きっぱりと言うと、エンデルクは立ち上がる。
「そんな――」
絶句するエリーに、かすかに笑みを浮かべてエンデルクは言った。
「ひとつだけ、私的見解を言っておこう。王室付きメイドとしてのおまえへの助言だ・・・。陛下の菓子を盗んだ犯人を捕えたかったら、陛下の居室にネズミ捕りでも仕掛けてみることだな」
「へ? ネズミ――?」
その時、タイミングを見計らっていたかのように、小部屋のドアがノックされた。
「隊長、こちらでしたか」
エリーが知らない若い騎士見習いのひとりが、遠慮がちに部屋を覗き込んだ。メイド姿のエリーがいるのに気がついて、一瞬、複雑な表情を浮かべたが、すぐにとりつくろったような真顔に戻る。まさか、王室騎士隊長が昼間からメイドを小部屋へ連れ込んで、よからぬ振る舞いに及んでいたなどと想像したわけではあるまい。いや、それとも、そのように誤解したのだろうか。エリーはかあっと頬が熱くなった。
「準備が整いました。モルゲン卿がお待ちです」
エリーが赤面した理由をどのように考えたのかはわからないが、騎士見習いの少年はわざとエリーを見ないようにして、エンデルクに言った。
「うむ、ご苦労。すぐ行く」
「はい、ご案内します!」
「エルフィール・・・。おまえも、仕事に戻るがいい」
いくぶんか優しげな口調で言うと、エンデルクは重々しく出て行った。


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