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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [捜査篇] Vol.5


誘惑−8:絶品特製クランツ

「ああん、わからなくなっちゃったよ・・・」
頭をかかえながら、エリーはふらふらとブレドルフの控えの間へ戻った。ここの掃除がまだ残っている。
機械的に手を動かしながら、エリーはエンデルクから聞いた話を何度も思い返していた。
(本当に、エンデルク様が言っていたように、ネズミの仕業なのかなあ)
だとしたら、これまでのエリーの苦労やブレドルフの悩みは、いったい何だったのかということになる。
確かに、エリーの工房でもネズミが出没し、作ったばかりのシャリオチーズがかじられてしまったことが何度かある。先輩のマルローネに聞いたところでは、マルローネも工房に出るネズミを追いかけ回して、何度も大騒ぎを演じたことがあるそうだ。
「隅っこに追い詰めて、さあ覚悟しろ!――というところで、またするっと逃げちゃうのよね。小さくてすばしこいから、爆弾も命中しなくてさ、あははは」
マルローネの苦笑した顔が、脳裏に浮かぶ。
しかし、ブレドルフの話では、盗まれたお菓子――チーズケーキもクランツもワッフルも、ほとんどかけらも残さず皿からなくなっていたという。ネズミの仕業ならば、食い散らかしたかけらなどが、あたりに散乱しているはずではないのだろうか。
(床にも、何の痕も残っていなかったって言うし、やっぱりネズミだとは思えないよね)
だが、探偵としては、あらゆる可能性を考えてみなければならない。拭き掃除をするついでに、ネズミが入り込んでくる穴や隙間がないか、調べてみること――。ノートを開いて、そう書きつける。念のために、誰かに頼んでネズミ捕りも手に入れることにしよう。
(それにしても――)
エリーの考えは、エンデルクの言葉に戻っていく。
騎士隊が、ブレドルフのプライバシーには干渉しないという方針は理解できる。エリー自身、イングリドから日ごろの生活態度までをあれこれ指図されたりしたら、がまんできないだろう。しかし、だからといって、今回のお菓子盗難事件の捜査までを打ち切ってしまったのは、果たして賢明と言えるだろうか。確かに、犯人が何者であるにせよ、12回にも及ぶ盗難では、お菓子が盗まれただけで、ブレドルフの身に危害が及んだわけではない。でも、これまでそうだったからといって、次も同じだと考えてしまうのは、あまりに安直なのではないだろうか。
「う〜ん、なんか納得できないなあ」
エリーの知るエンデルクは、何事も徹底的に追求する、妥協を知らない人物である。にもかかわらず、今回の事件の処理の仕方は、あまりに建前にこだわり、形式的過ぎる。まだエリーの知らない事実を、エンデルクは隠しているのではないか。
「よし、後でもう一回、エンデルク様に話を聞いてみよう」
決心すると、エリーは音をたててノートを閉じた。襟元のリボンを直し、スカートの裾とエプロンについたほこりを払う。
ふと窓の外を見ると、秋の日はかなり傾いている。
「うわあ、たいへん、お菓子作りにかからなきゃ! ああん、休んでいる暇もないよぉ」
自分の部屋へ戻ると、エリーはあわただしくお菓子作りの準備にかかる。メイド服を着て調合をするのは初めてだ。着慣れたオレンジ色の錬金術服に着替えたいが、今は勤務時間である。勤務時間中は自室にいるときもメイド服を着用するように、シスカから言い含められているので、それに逆らう気はない。それに、シグザール王室伝統のエプロンドレスが実用的で動きやすいことは、今日一日の仕事で実証済みだ。
エリーは、今日のお菓子はクランツにすることに決めていた。時間がないので、チーズケーキなどの手のかかるお菓子は作れない。『幸福のブドウ』入りのチーズケーキも、ぜひ試してみたいのだが、それは日を改めることにする。クランツならば、短時間で作れる。しかも、作るのはエリー流にアレンジを加えた特製クランツだ。
作業台代わりの書き物机に置いたランプに火を入れ、『燃えるリボン』で火勢を強める。シャリオ油を片手鍋に注ぎ、火にかけて熱する。小麦粉と卵とミルクを原料にしたクランツの生地は、あらかじめ工房でこしらえたものを持ち込んである。
エリーは柔らかな生地をちぎり取ると、丸めたり平たく伸ばしたりして、形を整える。本来、クランツはエリーが普段かぶっている帽子のように、真ん中がくりぬかれた輪の形をしているものだが、エリーは自分のアイディアでそれにひと工夫加えたのである。
ある程度、厚みのある平たい円形に伸ばした生地の中央部をくぼませると、エリーはそこにランドージャムやカスタードクリームを詰め、上から別の生地でふたをする。それから、熱したシャリオ油で揚げるのだ。表面がこんがりとキツネ色に揚がると、エリーはゼッテルを敷いた皿に移して余分な油を切り、冷めるのを待つ。適度に冷めたら、全体に粉砂糖とモカパウダーをまぶしていく。苦味のある茶色いモカパウダーと、雪のように白く甘い粉砂糖がかもしだすハーモニーは絶品だ。ひと口かじれば、中から酸味のある真っ赤なランドージャムか、コクのあるカスタードクリームがあふれ出す。エリー自慢のオリジナルレシピである。
出来上がった特製クランツのうち、歪んでしまって見かけの悪いものをいくつか、エリーは取りのける。残りは紙の箱に入れて階下の厨房へ下り、給仕頭のクランツを探して手渡した。自室に保管しておいて、時間になったらブレドルフの私室へ届ければいいのだが、あいにく夜のその時刻、エリーはシスカのところで礼儀作法の講義を受けることになっている。そんなわけで、手間はかかるが従来と同じく、フランツが国王の部屋へ運ぶことになったのだ。
「はああ、やっと終わったよ・・・」
だが、休む間もなく夕食を告げる鐘が鳴る。エリーはあわてて使用人専用の食堂へ向かい、スープとパンの簡単な食事をありがたくいただいた。スープもパンもお代わり自由ということだったが、満腹してシスカの講義の最中に居眠りしてしまうのを恐れ、腹八分目でとどめておく。まだ顔見知りの相手もいないし、あれこれ質問をされるのも避けたかったので、エリーは隅のテーブルで目立たないようにしていた。だが、食堂に集まった人々は、騒がしく語り合うでもなく、黙々と食事をしている。後で知ったのだが、食堂では私語が禁じられており、食事を済ませたメイドや召使たちは専用のサロンへ移動してからが、本当の自由時間となる。そして、みんなで大いに語り合い、仕事の愚痴や噂話に興じるのだった。もちろん、エリーはそれに混じることはできず、シスカの部屋で勉強に励むことになる。
食事を終え、いったん部屋へ戻ると、エリーは特製クランツを持って、シスカの執務室へ急いだ。
「失礼いたします」
礼儀正しくノックをして入ると、昨日と同じようにシスカが待っていた。
「時間通りね、エルフィール」
挨拶を済ませると、その日の業務報告をする。手際が悪く時間がかかってしまった点などは正直に話したが、盗難事件に関してエンデルクと話をしたことは黙っていた。最後に、ブレドルフの夜食には特製クランツを作ったことを話し、実物が載った皿を差し出した。
「あの・・・、よろしかったら、召し上がりませんか?」
シスカは眉を上げ、鋭い目でにらんだ。
「これは、この後の講義で手加減してほしいという意味の、賄賂なのかしら?」
エリーはあわてて答える。
「いえ、とんでもありません! わたしはただ、シスカさんにも味わっていただきたいなあ――って思っただけで、他意はありませんです!」
「最後の“です”は余計ですね」
シスカは面白がるような表情を浮かべ、粉砂糖とモカパウダーがたっぷりとまぶされたクランツをしげしげとながめた。
「でも、本当においしそうね。これでは、陛下も喜んで次々と注文を出すわけだわ」
「えへへ、わたしの自信作です」
「“えへへ”という笑い声は、メイドにふさわしくありません」
ぴしゃりと言って、シスカは考え深げな表情を浮かべる。
「では、半分だけいただくことにします」
「はあ」
「美容のためにも、身体のためにも、甘いものを食べ過ぎるのはいけないのよ。わたしくらいの歳になると、特にね。決して、あなたのお菓子を食べたくないわけではないから、気にしないで」
「あ、はい、わかりました」
「あなたはまだ若いからわからないでしょうけれど、食べるものについて節制することは大切なのよ。わたしはいつも、みんなに口をすっぱくして言っているの。嫌な顔をされることも多いけれどね」
「はい・・・」
シスカがナイフとフォークでクランツを半分に割ると、ランドージャムがあふれ出した。
「まあ、凝っているのね」
上品な仕草で、シスカはひと口大に切り離しては、クランツを口に運ぶ。
食べ終わると、ハンカチで口をぬぐい、満足そうに息をついた。
「確かにこれは絶品です。リリーも錬金術でいろいろなお菓子を作っていたけれど、これほどのものはなかったわ」
「過分なおほめをいただき、ありがとうございます」
エリーは優雅に礼を返した。シスカはにっこりと笑って、
「それでは、ちょうどいい材料がありますから、これでテーブルマナーの授業を始めることにしましょう。エルフィール、今わたしがやって見せたように、きちんとした作法に則って、このクランツを食べてごらんなさい。かけらをこぼしたり、頬張ったりしないようにね」
「はい? ・・・わかりました、やってみます」
「問題があれば、細かなところでも容赦なくチェックしますからね。――それでは、はじめ!」

「ひええ・・・。疲れたよぉ」
シスカにたっぷりとしごかれたエリーは、ぐったりとして上階へ戻って来た。ナイフとフォークの持ち方、お菓子の切り方、刺し方から口への運び方まで、事細かにチェックされ、まずい点は何度も繰り返し練習させられたのだ。
長い一日からようやく解放され、ベッドにもぐりこめる。事件のことを考えるのは明日にして、今夜はぐっすりと眠ろう。
だが、待っていたのは厳しい表情をしたブレドルフだった。エリーは直感した。
「陛下――、まさか!?」
ブレドルフは力なくうなずく。
「また、やられたよ・・・。モルゲン卿に呼ばれて、ちょっと部屋を留守にした間に、きみが作ってくれた特製クランツは、影も形もなくなってしまった」
「陛下・・・」
エリーは言葉をなくしていた。だが、ブレドルフの言葉に、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「エリー、あらためて頼む。一刻も早く、犯人を見つけてくれ」
「はい、わたしが丹精込めた特製クランツを盗むなんて、許せません! 絶対に捕まえてやります!」


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