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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [捜査篇] Vol.6


誘惑−9:禁断の花園

「ふああああ〜。――っと、いけないいけない」
エリーはあくびをかみ殺しながら、ブレドルフの寝室の掃除をせっせと進めていた。だが、忙しく手を動かしながらも、心は昨夜の特製クランツ盗難事件に飛んでしまう。現場検証を終えてベッドへ戻ってからも、事件のことが頭から離れず、なかなか寝付けなかったのだ。
ブレドルフは、クランツが盗まれたことは誰にも知らせず、エリーが戻るのを待ってくれていた。だが、案内された現場を見たエリーにも、これといった手掛かりは見出せず、頭をひねるしかなかった。ブレドルフから聞いたのは、次のような事実だった。
この晩も、ブレドルフはいつものように幹部との打合せを済ませ、自室へ戻った。打合せに出席したのはエンデルク、ウルリッヒ(モルゲン卿)、シスカ、ゲマイナーだったという。そして、手紙を書きながら待っていると、給仕頭のフランツがいつもと変わらない時刻に、エリー特製のクランツが載った皿を運んで来た。粉砂糖とモカパウダーの香りを楽しみ、ナイフを入れようとした時に、聖騎士のひとりがドアをノックして、ウルリッヒが急用で呼んでいると伝えた。カリエル王国との国境地帯で、多数の盗賊団がシグザール側に侵入しようとする動きがあり、付近で警戒に当たっていた騎士の分隊をカリエル領内へ移動させたいということだった。騎士隊が国境を越えるには、カリエル王室宛てのシグザール国王名の親書が必要となる。それにサインを求められたのだった。その場には、エンデルクも同席していた。そして、急いで戻ってくると、例によって空っぽの皿だけが残っていたのだった。
エリーは、残されていた皿や、テーブルの周囲、ドアの周辺や廊下まで、念入りに調べた。皿の周囲のテーブルの上には、粉砂糖とモカパウダーがわずかにこぼれていたが、床にはそのような痕跡はなかった。ネズミの仕業にしては、あまりにも周囲がきれいすぎる。とはいえ、エンデルクの説を完璧に否定できる証拠があるわけではなかった。とにかく、あまりにも手口が単純すぎるのである。
「陛下、呼びに来た聖騎士というのは、誰だったんですか?」
エリーの問いにブレドルフは、首をひねりつつ答えた。
「ええと、ほら、彼だよ。名前を度忘れしてしまったけれど、謁見室警固隊所属の、いつも謁見室の隅にいる、金髪の――」
「ああ、わかりました。あの人ですね」
国王の描写から、エリーはすぐに誰のことか思い当たった。エリー自身も名前は知らないが、その金髪の聖騎士とは、数年前にひょんなことから知り合いになった。どうやら、いっぷう変わった趣味を持っているようだったが、一生懸命がんばる姿勢に共感して、年末の武闘大会の予選に出場する彼を応援するために、お守りを作ってあげたこともある。
ドアや廊下の周辺も調べたが、変わった点はなかった。そもそもブレドルフの居室には、鍵はついていない。儀礼と作法と信頼で成り立つシグザール王室に、鍵は必要ないのだ。国王の私室に泥棒が入るなどということは、想定外なのである。
結局、エリーは無力感をかかえてベッドに入ったのだった。
掃除を続けながら、エリーは思いをめぐらす。
今朝のお茶の時間は、ブレドルフも自分も意気消沈しており、会話も弾まなかった。なんとか、ブレドルフに元気になってほしい。もちろん、犯人を捕まえて事件を解決するのが一番なのだろうが、そう簡単にはいきそうにない。なにか、今すぐにできることはないだろうか。
「そうだ! 今日はチーズケーキを作ってあげよう」
手を打って、エリーは声をあげた。
昨日と違って、今朝は掃除を始めるのが早かったし、前日の経験を生かして手際も良くなった。下ごしらえをする時間はたっぷりとある。もちろん、盗難事件に関する聞き込みもしなければならないが、うまく時間配分をすれば大丈夫だ。部屋に持ち込んだ荷物の中には、東の台地から採取してきた『幸福のブドウ』がたっぷりと入っている。秋の味覚、ブドウ入りチーズケーキを試すには頃合だろう。
張り切って掃除を終わらせたエリーは、部屋へ戻ってチーズケーキ作りの準備にかかった。ピコが大量に作ったハニーカステラを荷物から出す。さらに極上のシャリオチーズを取り出してボウルに入れ、細かく砕く。そこへ、細かく砕いたザラメ、ヨーグルト、ミルク、少量のモカパウダーを加え、よくかき混ぜると、布でふたをして寝かせておく。あとは、夕方に仕上げをすればよい。

午後の早い時間、エリーは城内の探索に出た。もちろん、目的は事件に関する聞き込みである。特に、前夜ブレドルフを呼びに来たという金髪の聖騎士に話を聞きたかった。もちろん、昨夜の事件に関しては、彼は最重要の容疑者でもある。
ポケットには、ブレドルフ直筆の、エンデルクとウルリッヒに宛てた伝言メモをひそませてある。内容は、どうということもない確認事項や注意事項だ。エリーが城内をうろつき回ることを正当化するための伝言だから、もっともらしければ内容は何でもいいのである。
エリーは昨日と同様、謁見室裏の通路を、目立たないように歩いていた。午前中に騎士隊の鍛錬があったらしく、タオルで汗をぬぐったり、がやがやと話しながら控え室を出入りする若手騎士の姿が目立つ。そんな中、エリーは廊下の端の方に金髪の後姿を見つけた。身をかがめ、足音をしのばせて近付くと、ちらりと横顔が見えた。間違いなく例の金髪の聖騎士だ。自室へ帰るのだろうか、エリーたちメイドには出入りが禁止されている、騎士隊員の宿舎の方へ向かっている。
宿舎へ入られてしまっては、話を聞くことはできない。その前に呼び止めようと、エリーは足を速めた。
「あれ・・・?」
ふと、エリーは首をかしげる。
金髪の聖騎士は、人気のない通廊で足を止めると、きょろきょろと左右を見回した。あわててエリーは柱の陰に隠れる。聖騎士は、何度も周囲をうかがい、誰もいないのを確かめるようにすると、足をしのばせるようにして、通廊脇にある木の扉に近付く。そして、音を立てないように静かに扉を押し開けると、わずかに開いた隙間にするりと身体をすべり込ませた。いかにも人目を気にした、こそこそとした行動だ。
「う〜ん、怪しいなあ」
エリーも周囲を気にしながら、金髪の騎士が姿を消した扉に近付く。耳を押し付けてみたが、何も聞こえない。扉の向こうに何があるのか、見当もつかない。
(どうしよう――?)
だが、すぐにエリーは決断した。疑問があれば、調べて解答を見つける――それは錬金術を研究する上での鉄則だ。探偵でも、同じことだろう。
静かに体重をかけるようにして、木の扉をそっと押す。わずかに開いた隙間から、涼しい風と草のにおいが吹き付けてきた。スカートの裾がひるがえる。エリーは頭だけを隙間に入れて、左右を見回した。
「へえ、こんな場所があったんだ」
そこは、シグザール城の敷地内に作られた、中庭のひとつだった。さして広くはなく、あまり手入れがされていないのか、草が伸び放題になっている。扉の右側は石壁にふさがれ、中庭は左の方へ広がっている。こんな場所で、あの聖騎士は何をしようというのだろうか。もし彼が犯人だったとしたら、ここでなにか証拠が見つかるのだろうか。
扉を抜け、音を立てないように注意して閉めると、壁にぴったり身を寄せて、あたりをうかがう。こんな時、没収されてしまった『ルフトリング』や『逃げ足のくつ』があれば、どんなにか楽だろう。しかし、ないものねだりをしても仕方がない。
背中をぴったりと壁に密着させ、横歩きでそろそろと進む。左に目を向けると、向こう端の石壁の内側に、王城にはそぐわない丸太小屋のような小さな建物が見えた。小屋からは、かすかな湯気のようなものが立ち昇っている。金髪の聖騎士はエリーに背を向け、小屋の壁に身をかがめている。
あの小屋の陰に、なにかを隠しているのだろうか。まさか、盗んだお菓子を――?
エリーは、風にひるがえるスカートの裾を抑え、そっと近付く。騎士は背を向けたままだ。
ところが、数メートルのところまで来た時、枯れ枝を踏んでしまった。ポキン――と、乾いた音が響く。
びくりとして、聖騎士が振り向く。エリーも凍りついたように硬直していた。エリーの栗色の瞳と、聖騎士の緑色の瞳は、互いの顔を映したまま、微動だにしない。こわばった顔を見合わせたまま、ふたりは動くことができないでいた。
「あの・・・」
「ええと・・・」
ようやく声が出せるようになったふたりは、ほぼ同時に口を開いた。
「何をやってるんですか?」
「何をやってるんだい?」
同じセリフが同時に口をつき、ふたりは思わず吹き出す。張り詰めていた緊張が解けた。
相手がただのメイドだとわかると、金髪の聖騎士はこわばった表情を緩め、かすかに頬を赤らめて照れたような笑みを浮かべた。
「そうか、きみもこの穴場を見つけちゃったのか」
「はい?」
エリーはきょとんとする。相手が何を言ってるのかわからない。それに、予測していたような反応ではない。後をつけられていたことに気付けば、うろたえるか怒り出すかどちらかだと思っていたからだ。
「仕方がないな。まあ、ぼくも偶然ここを見つけたんだから、そのうち別の誰かも気付くんじゃないかとは思っていたけど」
「あ、あの・・・」
質問しようとして、エリーは気付いた。この聖騎士は、ここにいるのが錬金術士のエリー――昔、自分が工房を訪れて惚れ薬や強くなる薬を作ってくれと懇願した相手だと、わかっていないのだ。シグザール城内ではありきたりなメイドの姿をしているし、エリーといえばオレンジ色の錬金術服のイメージしかないのだろうから、無理もない。
ここは正体を明かすよりも、何も知らないメイドのふりをして情報を引き出す方が賢明だろうか。
困ったように微笑みながら、聖騎士は言葉を続ける。
「それじゃあ、一緒に見ようか。ほら、そこにも隙間がある。――でも、きみの友だちには内緒にしておいてくれよ」
「は?」
とまどうエリーには構わず、金髪の騎士は丸太小屋の壁に顔を押し付けた。
「早くしないと、出て行ってしまうよ」
「はあ・・・」
うながされて、エリーはわけのわからないまま、金髪の騎士が示した壁の隙間に顔を近づける。なにかの罠にかけられるのではないかという懸念も心をよぎったが、壁の向こうに何が見えるのかという好奇心の方が勝った。
隙間は腰よりも低い位置にあり、しゃがみこまなければならない。尻を背後に突き出すような窮屈な姿勢のまま、エリーは目を凝らした。
小屋の内部は板張りで、正面にドアらしいものが見え、左右は板を使っていくつかの段が設けられている。両側の壁に向かって大きな木の階段が伸びているような感じだ。
「ほら、左だよ」
聖騎士にささやきかけられたエリーは、そちらへ視線を移す。
「ええっ!?」
思わず声がもれた。かあっと頭に血が昇り、頬が火照るのがわかる。ごくりとつばをのみ、目にしたものを理解しようとする。
木の段にどっかりと腰を下ろし、腕組みをして、リラックスした表情で目を閉じているのは、まぎれもなく王室騎士隊長エンデルクだった。しかも、エンデルクは腰にタオルを巻いただけの姿で、たくましい上半身と脚はむき出しである。汗にまみれて上気した肌は赤みを帯び、呼吸をするたびに張り詰めた大胸筋がかすかに上下する。汗に濡れてつやつやと光る上腕、引き締まったふくらはぎ――。
(だめ!)
見てはいけないものを見てしまった気がして、エリーは目をそらした。すると、エンデルクの隣にもうひとり、同じ格好をした男性が腰を下ろしているが見えた。
エンデルクよりもかなり年上だろうか。目を閉じた顔に刻まれた年輪からは、50歳は越えているのではないかと思われる。しかし、金髪はふさふさと豊かで、筋肉もエンデルクほどではないが張りを保っており、引き締まった身体にはぜい肉のかけらもない。
「ああ、エンデルク様・・・」
うっとりとした口調で、金髪の聖騎士がつぶやいた。そして、目はエンデルクに向けたまま、エリーに話しかける。
「きみのお目当ては、どっちなんだい?」
そんな質問をされても困る。エンデルクはともかく、もうひとりの金髪の男性が誰なのかすらわからないのだ。
「ええと・・・、あの、金髪の方は・・・?」
「そうか、きみはウルリッヒ様が好みなのか・・・。よかった、ライバルにならずに済んだね」
ほっとしたように、聖騎士は言う。
そうか、あれが王室騎士隊特別顧問ウルリッヒ・モルゲン卿なのか――エリーは心の中でつぶやいた。かつて、副隊長としてシグザール王室騎士隊を指揮し、エンデルクが現れて騎士隊長に就任するまでは王国を護る盾として活躍していたウルリッヒは、現役を引退した後もシグザールの重鎮として内政・外交の双方に手腕を発揮している。特別顧問に就任してからは表舞台に現れることは少なく、名前だけは以前から知っていたが、エリーはこれまで顔を見る機会はなかった。
「すごいな・・・。こうしておふたりが並んでいると、まるで神話の英雄群像をながめているようじゃないか・・・」
陶酔したように、金髪の聖騎士はつぶやく。
やれやれ――と、エリーは心の中でため息をついた。これで、先ほど彼が挙動不審だった理由はわかった。すくなくともこの行動に関しては、お菓子泥棒とはまったく関係がない。鍛錬の後、蒸気風呂に入って汗を流しているエンデルクを覗き見したかっただけなのだ。もちろん、このような行為は許されることではない。だから、人目につかないよう、こそこそと動いていたのだ。
「見えるかい、あの芸術的な筋肉・・・。日ごろの鍛錬と節制の賜物だよ。特にウルリッヒ様は、あのお歳なのにあのお身体を保っておられる。日常のあらゆることに、細かく気を配って節制に努めておられるそうだよ・・・。それにしても、ああ、やっぱりエンデルク様は最高だなあ・・・」
「あ、あの・・・、わたし、そろそろ・・・」
この状況では、昨夜のことなどまともに聞き出せそうもない。それに、こんなことをしているのを誰かに見られでもしたらおおごとだ。そう思って、エリーがその場を去ろうとした時だった。なにか棒のようなものがエリーの腰をつついた。
「どうしたね? なにかいいものでも見えるのかい?」
穏やかな声が背後から聞こえ、エリーは飛び上がる。隣にいた金髪の騎士も同様だ。怒鳴り声や詰問口調ではなく、世間話をするようにさりげなく話しかけられただけに、かえってぞくりとする。
立っていたのは、猫背で眼鏡をかけた初老の男だった。地味な服装で、風采も上がらず、街中ですれ違ってもまったく印象に残らないに違いない。わずかに口元をゆがめ、面白がっているような表情を浮かべている。先ほどエリーをつついたのは、右手に持った杖だろう。
「騎士とメイドという組み合わせは悪くないが、こんな場所で、しかもへっぴり腰で尻を並べていたのでは、ロマンのかけらも感じられないな」
にやりと笑って、男は言う。エリーはぽかんとしていたが、金髪の騎士は振り返った瞬間から直立不動の姿勢をとっていた。
「申し訳ありません! ゲマイナー閣下!」
騎士の言葉に、エリーははっとして相手の顔を見直す。この人が、ブレドルフが言っていた、謎めいていて危険な香りがするシグザール王国秘密情報部の長官なのか――。
「おい、おまえ――」
ゲマイナーは金髪の騎士にあごをしゃくった。
「鍛錬場へ行って、素振り1000回。終わったら、エンデルクのところへ出頭して始末書提出だ――いつものようにな」
「は――はい、了解いたしました!」
さっと敬礼すると、金髪の聖騎士はすっ飛んでいく。それを見送ったゲマイナーは肩をすくめ、
「やれやれ、あいつの病気にも困ったもんだ。騎士としては使えるやつなんだが・・・」
「はあ」
あまりにさりげなく話しかけられたので、なにげなく相槌を打ったエリーだが、不意に自分の置かれた立場に気付いて、ぎくりとする。
「あ、あの・・・」
おずおずと口を開こうとすると、機先を制するようにゲマイナーが言った。
「きみは、エルフィール・トラウムだな。もしそうでなかったら、俺はきみを逮捕しなければならん」
「はい? どういうことでしょう? それに、どうしてわたしの名前を――」
「ふん、簡単なことさ」
ゲマイナーは眼鏡に手をやる。
「俺は、シグザール城に勤めているメイドの顔と名前は全部知っている。だが、きみとは初対面で、これまで顔を見たことがない。ということは、考えられるのはふたつにひとつだ。きみの正体は、一昨日に城へやってきたばかりでまだ俺と面識がないエルフィール・トラウムか、あるいはメイドに化けて密かに城へ潜入した他国の密偵か、どちらかということになる。俺の許へ入っている情報から言って、後者の可能性は限りなく低い。だから、きみはエルフィールに決まっている」
「はい、その通りです。でも・・・」
エリーの言葉を無視したように、ゲマイナーは書類を読み上げるような口調で淡々と続ける。もちろん、メモなど何も持ってはいない。
「エルフィール・トラウム。ロブソン村出身。王国暦298年6月18日生まれ。14歳の時、流行り病で死にかけるが、たまたま村を訪れた錬金術士マルローネの薬で一命を取りとめる。それをきっかけに錬金術士を志し、翌313年、ザールブルグへ単身やってきて、アカデミーを受験。入学試験の成績は280位の補欠合格。そのため入寮の資格がなく、『職人通り』の工房で自活しつつ、錬金術の技術を磨く。315年、カスターニェ沖で海竜フラウ・シュトライトを退治。316年、ブレドルフ現国王の王位継承に密かに貢献。同年12月、王室主催武闘大会で準優勝。317年、王室からの宮廷魔術師就任の打診を蹴ってマイスターランクへ進学。319年――」
「あ、あの――」
「まだ続けてほしいかね」
ゲマイナーはからかうような笑いを浮かべる。エリーは完全に圧倒されていた。
「い、いえ、もういいです。でも、どうしてそんなに詳しく――?」
「治安上の必要性からさ。シグザール城内に、身元不明な人物の居住を許すわけにはいかないからね。アカデミーの保証や陛下の推薦があろうと、そんなことは俺には関係ない。自分の手で情報を集め、確認するのが俺のやり方だ。シグザールを護るために、必要と思うことは何でもやる」
「は、はあ」
「さて、無駄話はこの辺にしておこう」
ゲマイナーは真顔になる。
「エルフィール、きみの釈明を聞こうか。あの聖騎士と一緒に、王室騎士隊幹部専用の蒸気風呂を覗き見していた理由をね」
「は、はい、ええと――」
エリーは進退きわまった。この底知れぬ凄みを持つ秘密情報部長官に対して、へたな言い訳は通用しそうにない。エリーは腹を決めた。
「わたしは、国王陛下をお守りするために、やったんです!」
エリーはきっぱりと言う。ゲマイナーはかすかに眉を上げた。
「謁見室裏の通廊を通りかかったら、あの金髪の聖騎士さんがこそこそと怪しげな振舞いをしているのに気付いたんです。ご承知と思いますが、普通でないことを見かけたら、どんな細かなことでもチェックする必要があるはずです。ですからわたしは、王室付きのメイドとして、万一、陛下の御身になんらかの危険が及ぶことがあってはならないと思い、確認のために騎士さんの後をつけていました。エンデルク様たちを覗き見することになってしまったのは、成り行きで――不可抗力だったんです!」
一昨日、城へやって来た時にダグラスから聞いた城内警備心得を、エリーなりにアレンジして言葉にしたわけだ。もちろん、ブレドルフから盗難事件の捜査依頼を受けていることは、自分からは言うつもりはなかった。
「ほう・・・」
ゲマイナーは感心したようにうなった。
「なるほど、陛下の身を案じてか。見上げた心がけだな。ただ、そういう行動は、普通のメイドの業務範囲からは、いささか逸脱しているように思えるがね」
「はい、まだメイド見習いなものですから」
エリーはすまして答える。ゲマイナーはぷっと吹き出した。
「ふん、気に入ったよ。やはり、きみは錬金術士なのだな。リリーに似たところがある。ヴィント陛下やブレドルフ陛下がきみのことを買っている理由もわかるよ」
「そうですか。おほめに預かって、光栄です」
エリーは気取って、スカートの裾をつまみ、にっこりと礼をして見せた。一時は窮地に陥ったかと思ったが、この場はなんとか切り抜けられそうだ。
ゲマイナーはくるりと背を向ける。
「今日のことは、シスカには黙っておいてやろう。きみの方から報告するかどうかは自由だが。ただ、噂の種となるような行動は、なるべく慎んだ方がいいと思うね」
「はい、わかりました。あの・・・ありがとうございます」
ゲマイナーは肩越しに振り向く。
「礼には及ばんよ。それと――そのメイド服の着心地はどうかね」
「あ、はい、ぴったりです。まるであつらえたみたいに」
「そうだろうな。ところで、きみは、支給されたメイド服のサイズがぴったり合っていたことを不思議には思わなかったのかな?」
眼鏡の奥の瞳を光らせ、ゲマイナーがにやりと笑う。不意に、エリーの笑顔が凍りついた。メイド見習いとしてお城勤めをするにあたって、服のサイズを測ってもらったことはない。ならば、なぜこのように身体にぴったり合った服が用意されていたのだろう。
「ともかく、シグザール秘密情報部を甘く見ないことだな。それじゃ、失礼するよ」
「・・・・・・」
立ち尽くしているエリーを残して、ゲマイナーは後も見ずに中庭を出て行った。


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