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〜「名探偵クライス」犯人当てクイズ当選プレゼント小説<kozue様へ>〜

国王陛下のメイド探偵エリー

甘い誘惑 [解決篇] Vol.2


誘惑−14:第一の真相

エリーはサイドテーブルの脇に立ったまま、ノートを開くと、時おりページに目を落としつつ、話し始めた。
栗色の髪に白いヘッドドレスが映え、濃紺の地とクリーム色のエプロン、フリルの白が鮮やかなコントラストをなし、襟元のピンクのリボンがアクセントを添えている。巨匠アイオロスがこの場にいれば、絵筆を執ってキャンバスに記録しようとしたかもしれない。
ティーテーブルについて話したらどうかとブレドルフは言ったが、エリーは断った。シグザールの重鎮たちと同じテーブルにつき、同じ目線で話をすることになったら、それだけで貫禄負けしてしまい、まともに口をきくこともできなくなってしまいそうだったからだ。それに、すべてがはっきりするまでは、幹部たちとは距離を置いておきたい。
「最初に、なぜ犯人は陛下の夜食のお菓子を盗んだのか、その理由について、わたしの考えをお話しいたします。事件を解明するには、まず動機を明らかにすることが重要かと存じます」
エリーはテーブルの面々を見渡しながら、口を開いた。特定の相手に視線をとどめないように意識する。エリーから見て手前側に座っているシスカとゲマイナーは、やや椅子の向きを変え、エリーの方に身体を向けている。テーブルの向こう側にいるウルリッヒとエンデルクは、彫像のようにどっしりと構えている。
ごくりとつばを飲み込み、エリーは続けた。
「陛下のお話では、陛下が夜食にお菓子を召し上がるのは、かなり以前からの習慣で、カーテローゼ様やリューネ様がお作りになったお菓子を召し上がっていたとのことです。また、その時には、お菓子が盗まれたという事実はありません。つまり、わたしが陛下の依頼を受けてお菓子をこしらえるようになってから、初めてお菓子の盗難が起こるようになったのです。陛下、相違ございませんね」
「ああ、その通りだ」
ブレドルフがうなずく。
「そこで、わたしは考えました。なぜ、カーテローゼ様やリューネ様のお菓子は盗まれず、わたしが作ったお菓子だけが盗まれたのか――。いくつかの理由が考えられます」
エリーは指を折りながら、言葉を続ける。
「ひとつは、最近になってから、犯人がシグザール城内に出入りできるようになった――あるいは、最近になって、犯人がブレドルフ陛下の夜食の習慣を知ったのではないかということでした。しかし、お聞きした限りでは、陛下の夜食の習慣をご存知なのは、ヴィント前国王陛下、カーテローゼ様、リューネ様と、ここにいらっしゃる幹部の皆様、そして騎士隊の分隊長クラスの方々のみとのことです。いずれの方も、以前からお城にお勤めで、陛下の習慣もご存知のはずです。最近になってお城に来られた方はいらっしゃいません。ですから、この推理は成り立たないことになります」
エリーはもう一本、指を折った。
「次に考えたのは、カーテローゼ様やリューネ様のお菓子と違って、わたしのお菓子だけを盗む理由が犯人にあったのではないかということでした。わたしのお菓子は、カーテローゼ様やリューネ様のお菓子よりも美味しいから、犯人が食べたがったのではないかとも考えました」
ゲマイナーが口を押さえてくっくと笑い声をもらした。ブレドルフは首をかしげる。
「それはどうかな・・・。母さんやリューネが作ったお菓子も、エリーが作ってくれたお菓子も、それぞれ美味しかったし、甲乙はつけがたいよ」
「ありがとうございます、陛下。でも少し考えて、この考えは捨てました。この推理が成立するためには、犯人はカーテローゼ様やリューネ様のお菓子も食べているということが前提になるからです」
「そうか、少なくとも、リューネが作ったお菓子を食べたことがあるのは、ぼくの他に父さんと母さんだけだ」
「はい。それで、犯人がわたしのお菓子だけを食べたがる理由が他にあるのか、ずっと考え続けていました。でも、どうしてもわかりませんでした。ですが、昨夜、犯人がわたしのお菓子だけを盗んだ理由に、やっと思い当たったのです」
エリーはテーブルを見渡す。
「犯人は、特別にわたしのお菓子を食べたかったわけではありません」
「え、どういうことだい? 食べ物を盗む理由は、食べるためだろう? 他にどんな理由があると言うんだい」
ブレドルフの質問に、エリーは直接には答えず、エンデルクの方を向いた。
「エンデルク様におうかがいします。戦争の時に、敵の食糧を奪うことがありますよね。その理由は何ですか?」
エンデルクはちらりとゲマイナーに目をやり、口を開く。
「うむ、局面によって、様々な理由が考えられる。だが、第一は、食糧を奪うことによって敵を飢えさせて戦力を奪い、戦意を喪失させることだ。おのれが食べるためではない」
ブレドルフがうなずく。
「なるほど、そういうこともあるか。だが、それとお菓子泥棒にどんな関係が――」
「あるのです、陛下」
エリーは力強く言った。
「給仕頭のフランツさんがお決めになったルールのため、いったんお菓子を盗まれたら、その晩は陛下はお菓子を召し上がることができません。わたしが作ったお菓子をブレドルフ陛下に食べさせないこと――それが犯人の本当の狙いだったのです!」
「何だって!? いったいどういうことなんだい」
ブレドルフが腰を浮かせる。その姿にエリーは視線を走らせ、申し訳なさそうに続ける。
「陛下・・・。今お召しの服は、最近、仕立て直したものでございますね」
「あ、ああ、そうだけど」
エリーはノートのメモに目を落とす。
「先日、陛下がわたしの工房に、今回の調査の依頼をしにいらっしゃった時、わたしは陛下が以前より貫禄がおつきになったという印象を持ちました。つまり、言い換えれば、最近、陛下はお太りになったということです。その証拠に、初めてチーズケーキが盗まれた日のことをうかがった際、陛下はその日は『礼服を直しに仕立て屋が来たりして忙しかった』とおっしゃいました。これは、太りすぎてサイズがきつくなったので、礼服を大きめに仕立て直したということなのではございませんか?」
「そ、その通りだ・・・」
ブレドルフは恥ずかしそうに目を伏せる。エリーもうつむいて、
「そのことの一部には、わたしにも責任があります。陛下のお話では、お母様のカーテローゼ様はお若い時からカロリー計算などが得意だったそうですね。ですから、お菓子をお作りになる際も、糖分を控えたり、召し上がる方の健康面に十分に留意されていたのでしょう。また、リューネ様もこちらへいらっしゃってから、カーテローゼ様に教わってお菓子作りを始められたとのことです。従いまして、リューネ様も陛下の健康に留意されながら、細かくカロリー計算をされていたと考えられます。また、ご公務の合い間になさることですから、毎日ということでもなかったでしょう。ですから、カーテローゼ様やリューネ様のお菓子を召し上がっている限り、ブレドルフ陛下がお太りになることはなかったのです。ですが、わたしは・・・」
エリーは顔をくもらせた。
「とにかく美味しいお菓子を作ろうと、ザラメや粉砂糖やスイートエキスやハチミツをたっぷりと使って、糖分の量やカロリーなど、まったく考慮していませんでした。ロマージュさんやシスカさんに、『こんなのを食べたら太ってしまう』と忠告されていたのに――。陛下にほめられて、いい気になって、召し上がる方の健康というものを考えていなかったのです。このまま続けていたら、わたしのお菓子のせいで、陛下が健康を害する結果になってしまったかも知れません。これでは、錬金術士失格ですね」
「いいえ、自分の落ち度を認め、反省したならば、以降、改めれば良いのです」
うなだれるエリーに、シスカがきっぱりと言う。エリーが顔を上げると、シスカは力づけるように微笑んで見せた。
「ありがとうございます」
エリーは礼をした。シスカはカップを口に運び、何気なく言う。
「世の中には、何度申し上げても、改めてくださらない人もいますからね」
「シスカ・・・。それは、もしかしてぼくのことかい?」
「わたくしは一般論を申し上げただけですわ」
ブレドルフの問いに、シスカはそ知らぬ顔で答えた。
「お城へ来てから、わたしは何人もの方から、節制の大切さをうかがいました」
エリーは続ける。
「シスカさんからは、礼儀作法の講義の時に、甘いものの食べすぎは美容にも健康にも良くないと教わりましたし、エンデルク様やウルリッヒ様も日ごろの絶え間ない鍛錬と節制で、お身体を、その――」
金髪の聖騎士にそそのかされて、蒸気風呂でリラックスしているエンデルクとウルリッヒを覗き見してしまったことを思い出し、エリーは赤面して言葉を切った。事情を知っているゲマイナー以外はみな怪訝な顔をし、ゲマイナーは意味ありげににやりと笑いを浮かべる。
「と――とにかく、王室の幹部の皆様が、食生活に気を遣い、健康に留意して節制した生活をなさっていることはよくわかりました。ゲマイナーさんがどうなのかは、存じませんけれど」
気を取り直したエリーは、ゲマイナーにちくりとやり返す。
「ですから、先ほどシスカさんがはっきりおっしゃいましたが、幹部の皆様が陛下のお菓子の食べすぎを快く思っていらっしゃらなかったのは明らかだと存じます」
「では――、この中の誰かが――!?」
エリーの言葉に、ブレドルフは身を乗り出し、テーブルの面々を見渡す。はっきりした反応を示す者はいない。
「そのことにつきましては、もう少し後にお話ししたいと存じます」
エリーはブレドルフを押しとどめた。

「犯人が内部の人間ではないかという疑念は、最初に陛下も口にされていました」
落ち着き払った口調で、エリーは言う。ここまで、だれ一人として、エリーが推理を述べるのをさえぎった人物はおらず、エリーも余裕が持てるようになっていた。シスカもウルリッヒも、エンデルクもゲマイナーも、心の中では異論や反論を抱いているのかも知れないが、とにかく最後まで聞こうと考えているようだ。さすがはシグザールを支える重鎮の懐の深さと言うべきだろうか。それとも、メイドの小娘の言うことなど意に介さないという意味なのだろうか。
「エンデルク様のお話によれば、陛下から事件の調査を命じられた後、騎士隊は徹底的に城内の捜査を行い、外部から不審者が侵入した形跡は一切ないと結論付けたとのことです。このことについては、わたしも異論をさしはさむ余地はないと考えています」
エリーの言葉に、エンデルクはかすかに口元を緩めた。エリーは続ける。
「騎士隊の最大の任務は、ザールブルグの――いえ、シグザール王国の平和を守ることです。とりわけ、シグザール城の内部こそは、絶対の平和と安全を保持しなければならないはずです。そのシグザール聖騎士隊の責任者であるエンデルク様が断言しておられるのですから、外部からの侵入者の可能性はありません。第一、わたしがお話しした限りでは、エンデルク様は今回の盗難事件に関して、何の懸念も抱いておられないように感じました。ということは、エンデルク様は事件の真相について、なんらかのお考え――知識または情報と言い換えてもよろしいかもしれませんが――をお持ちで、お菓子泥棒は陛下の身になんら危害を及ぼすものではないと承知してしていらっしゃたのではないかと考えられます」
「そうなのか・・・? だから、あのような報告を――」
ブレドルフが言いかけたが、エンデルクはちらりと流し目をくれ、かすかに礼をしただけだ。
「同じことは、ゲマイナーさんについても申し上げられると存じます」
エリーはゲマイナーを見やる。ゲマイナーは大げさに肩をすくめて見せた。
「秘密情報部の実力・・・と言いますか、怖さは、わたしのメイド服のサイズがぴったりだったことで、思い知らされました。いったいいつ、どうやってわたしの正確なサイズをお知りになったのか、想像することもできません・・・」
言いながらも、何を想像したのか、エリーは頬を染めてうつむいた。
「ふふふふ、俺は相手を一目見ただけで、スリーサイズと体重が正確にわかってしまうんだ」
ふんぞり返って、ゲマイナーがうそぶく。シスカがとがめるような目でゲマイナーをにらみ、「信じちゃだめよ」というようにエリーに目配せした。
「それだけの情報収集力、調査能力を持っている秘密情報部が、陛下のお菓子が盗まれた事件に関しては、何の回答も出していません。それは、エンデルク様と同じく、ゲマイナーさんも事件の真相についてなにかご存知で、陛下にお知らせする必要を認めておられなかったということだと存じます」
「はははは、見事な推理だ」
ゲマイナーがわざとらしく拍手をし、皮肉な口調で言葉を継ぐ。
「――だが、その程度は普通の頭の持ち主なら、誰にでもわかることだがね」
ブレドルフがエリーに向き直る。
「それでは、犯人は、僕がお菓子を食べすぎて太ってしまうのを防ごうと、盗みをしていたということなのかい? だが、なぜ盗まれた日とそうでない日があったのだろう」
「そこが、犯人の賢いところです」
エリーは答える。
「犯人は、あくまで偶然を利用しました。陛下が室内にいらっしゃる限り、届けられたお菓子を陛下の目の前から盗むことは不可能です。ですから、たまたま幹部のどなたかからの急用があって、陛下が席を外された時だけ、犯人は犯行を行うことができました。もちろん、犯人の立場からすれば、なんらかの口実を作って陛下を呼び出すことができれば、いつでも盗みは可能だったかもしれません。しかし、それではあまりにもあからさまで、陛下にも怪しまれてしまうでしょう。犯人は、あくまで陛下がやむを得ない用事で部屋を出られた隙だけを狙って、盗みを働いたのです」
「なるほど・・・。だから、盗まれた日がまちまちだったのか」
「はい、犯人には、毎日お菓子を盗まなければならないという必然性はありませんでした。たまたま盗める時に盗めば、陛下の食生活をそれなりに改善することはできます。3日か4日に1回、陛下がお菓子を召し上がらない日があれば、ある程度、犯人の目的は達成できたものと考えられます」
「そうだったのか」
ブレドルフは納得したようにうなずいたが、すぐにエリーに向き直って尋ねる。
「だが、いったい犯人は誰なんだい? そろそろ教えてくれてもいいだろう」

「そうですね。では、まず最初の事件――10月1日に、チーズケーキが盗まれた時のことを考えてみましょう」
エリーはノートの別のページを開いた。
「一連の事件の中で、チーズケーキが盗まれたのは、この時だけです。このことと、わたしが見聞きした事実から、この盗難事件の犯人はひとりしか考えられません。それは――」
エリーはくちびるをかみ、息を整えるようにガラスの天窓を見上げた。
「チーズケーキを盗んだのは――、ダグラスです」
「何だって!?」
ブレドルフは再び椅子から身を浮かせた。エンデルクは無言で腕を組み、目を閉じている。シスカもウルリッヒもゲマイナーも、目立った反応は示さない。
「だが、ダグラスは、1ヶ月もの間、城を留守にしていたじゃないか。しかも、エリー、きみという証人もいる。その間にも盗難事件は起こっているんだ。どういうことなんだい?」
ブレドルフの言葉に、エリーは首を振った。
「今は、10月1日の事件のことだけをお話ししています。ご不審の点につきましては、順を追ってご説明しますので、お待ちください」
「あ、ああ、わかった」
「お城へ来て3日目の夕方、陛下のためにブドウ入りチーズケーキを作っている時に、ダグラスがわたしの部屋を訪ねて来ました。その際、出来上がったばかりのチーズケーキの味見をさせてあげたのですが、食べ終わったダグラスはこう言いました・・・『やっぱりエリーのチーズケーキは最高だ』。また、こうも言いました・・・『ブドウの風味が加わったせいで、前よりも一段と美味くなった』と。ですが、それまでダグラスは、わたしのチーズケーキを食べたことはなかったはずなのです。2ヶ月前、初めて陛下のご依頼に応えてチーズケーキをこしらえた時、たまたまダグラスが来合わせました。その時、ダグラスは『いつも話を聞くばかりで、エリーが作ったチーズケーキを食べたことがない』とぼやいていました。わたしの知る限り、ダグラスがわたしのチーズケーキを食べるのは、先日のブドウ入りチーズケーキが初めてだったはずです。なのに、ダグラスはそれ以前にわたしのチーズケーキを食べたことがあるかのような発言をしました。陛下は断言していらっしゃいましたが、チーズケーキに関しては、他のお菓子と違って、誰にも分けてあげたことはなく、独り占めにされていたのですよね」
「ああ、間違いない」
問うような目をエリーに向けられて、ブレドルフはうなずく。
「だとしたら、ダグラスは、いつわたしのチーズケーキを食べたのでしょうか。考えられる可能性はただひとつです。10月1日に盗まれたチーズケーキは、ダグラスの胃袋に消えたとしか思えません」
「だが、ダグラスが、なぜそんなことを――?」
ブレドルフは、信じられない様子で首をひねる。エリーはちらりとエンデルクを見やって、
「もちろん、ダグラスの単独犯ではございません。ダグラスは、おそらく命令に従っていただけです。もちろん、チーズケーキを食べてしまったのはダグラスの独断――と言いますか、食いしん坊のせいだったのではないかと存じますが」
「命令だって? 誰の?」
ブレドルフはあんぐりと口を開ける。シグザール王室騎士隊の命令系統を考えれば、誰が命令したかは明らかだが、それさえも動転したブレドルフは思い当たらないようだ。
「東の台地へ採取に行く旅の護衛を頼みに行った時、ダグラスは『極秘命令を受けているから行けない』と渋りました。ですが、その場にいらっしゃったエンデルク様が命令を撤回されて、ダグラスは一緒に来てくれることになりました。この極秘命令というのは、実は『機会を見つけて陛下の夜食のお菓子を持ち去れ』というものではなかったかと、わたしは考えています」
エリーはノートに記した事件の一覧表を示した。
「最初の3回、いずれもダグラスが陛下を呼びに来ています。わたしも最初は偶然かと思っていましたが、命令によるものだとすれば、よりはっきりします。そして、東の台地から帰って来ると、すぐにダグラスは『任務に戻らなければいけない』と、急いでお城へ戻って行きました。それが11月5日のことです。すると、さっそくその晩にクランツが盗まれています。陛下を呼びに来たのはダグラスでした。これは、つまり、ダグラスが極秘任務に戻ったことを意味すると思います」
エリーは気後れすることなく、エンデルクを見つめる。
「おそらく、わたしがダグラスに護衛を頼んだ時、エンデルク様は、こう思われたのではないでしょうか。ダグラスを一時的に城から遠ざけれておき、その間も事件が続けば、ダグラスには完璧なアリバイができる――その後、盗みが続いても、ダグラスが疑われることはなくなる、と。それ以前にも、ダグラスの疑いをそらす工作がなされていた形跡があります。10月5日の事件では、陛下を呼びに来たダグラスが、そのまま同行して、会議にも同席しています。この日の実行犯は別の人だったのでしょう」
「実行犯は別の人って――誰が?」
ブレドルフの言葉には答えず、エリーはエンデルクの方を向いたまま、続ける。
「このようなことから、わたしも一時は完全にそう思いこんで、ダグラスを容疑者から外していました。再び疑い出したのは、昨夜遅く、あることに気付いてからです」
エンデルクはエリーの視線を真っ向から受け止め、
「フッ・・・」
と肯定とも否定ともつかない笑みを口元に浮かべる。
「その、あることとは、何なんだい?」
ブレドルフの問いには直接答えず、エリーはゲマイナーに向き直る。

「今度は、いちばん最近の盗難事件について考えてみましょう。11月17日のことです。この時は、容疑者はすぐに絞られました。関係者の中でアリバイがなかったのは、ゲマイナーさん一人だけだったからです」
「ふん、それで、きみは昨日、俺のところに告発に来たのだったな。だが、結局はすごすごと帰る羽目になった。今日になって、考えが変わったとでも言うのかね」
ゲマイナーは傲然とうそぶいた。エリーは挑発に乗らず、淡々と言葉を継ぐ。
「まず、その前に、一連の事件の実行犯として、妖精さんの存在を考えたことを申し添えておきます。昨日、ゲマイナーさんのいる秘密情報部の部屋を訪れるまで、シグザール城に妖精さんがいるとは思ってもみませんでした。妖精さんを見た瞬間、陛下の居室へ忍び込んでお菓子を持ち去っていく妖精さんの姿が、わたしの脳裏に浮かんだのです。妖精さんは、雇い主の命令には絶対的に従いますし、一瞬で移動できますし、盗みの実行犯としては理想的です。ですが――」
エリーは首を振った。
「実際に妖精さんに質問してみて、わたしはその疑いを捨てなくてはなりませんでした。妖精さんは嘘をつけません。かれらがやっていないと言ったら、それは完全に正しいのです」
「ふん、当然の結果だ」
ゲマイナーが吐き捨てる。エリーはまたも無視して、
「あの日、わたしの作った特製クランツが盗まれた時の関係者の状況を考えてみると、次のようになります。ウルリッヒ様とエンデルク様は、陛下と同席して打合せ中、ダグラスは北の荒地で分隊と夜間訓練、シスカさんはわたしに礼儀作法の授業をなさっていました。ゲマイナーさんだけが、アリバイがありません。金髪の聖騎士さんが陛下を呼びに来た後、ゲマイナーさんが陛下の部屋へ忍び込んで、クランツを盗み出した可能性は、十分に考えられます」
「ふん、そんな証拠がどこにある」
ゲマイナーは薄笑いを浮かべながら、エリーを見やった。
「昨日の午前中、わたしはヘートヴィッヒさんのご招待で、お茶をいただきにゲマイナーさんのお屋敷にお邪魔しました。その時、ヘートヴィッヒさんがお茶菓子として出してくださった手作りのクランツは、まさにわたしのオリジナルレシピに基いたものでした。ヘートヴィッヒさんにうかがったところ、ゲマイナーさんがお土産にお城から持ち帰ったクランツをお手本にしたとのことでした。つまり、ゲマイナーさんは盗んだクランツを、大胆にもご家庭へのお土産にしていたのだと、わたしは考えました」
「フフフ、ゲマイナー卿なら、やりかねぬな」
ウルリッヒがかすかに微笑して言った。
エリーは無意識のうちに襟元のリボンをいじりながら、話を続ける。やはり緊張の色は隠せない。
「そう思って、わたしは昨日の午後、ゲマイナーさんに話をうかがいました。ですが、ゲマイナーさんは、『あのクランツは陛下からいただいたものだ』と断言されました。『こんなことで俺は絶対に嘘はつかない』ともおっしゃいました。確かに、ゲマイナーさんは嘘をおっしゃっているようには見えませんでした。ですから、わたしも引き下がるしかなかったのです。それに、陛下にうかがっても、ゲマイナーさんにクランツをあげたことはあるかも知れないとのことでした。昨日の夜の時点で、ゲマイナーさんへの疑いは晴れたように思えました。でも――」
エリーはできる限り厳しい表情を浮かべて、ゲマイナーをにらむ。
「わたしは、今は確信しています。ゲマイナーさんは、陛下のクランツを盗んだのです」
「ほう・・・。そこまで言い切るからには、なにか証拠があるんだろうね」
ゲマイナーの眼鏡の奥の瞳が挑戦的に光る。エリーは乾いたくちびるを舌で湿らせ、きっぱりと言う。
「昨日、ゲマイナーさんは、確かに嘘はおっしゃっていませんでした」
「どういうことだい? ゲマイナーは盗んだことを否定したんだろう?」
再びブレドルフが首をかしげた。エリーはノートに目をやり、
「いいえ、否定はしていません。ゲマイナーさんは『クランツは陛下からいただいたものだ』とおっしゃったのです。礼儀作法の上では、『いただく』という言葉は『もらう』という言葉の謙譲語として使われます。位が上の人からなにかをもらった時、『いただいた』と表現します。ウルリッヒ様の『シグザール王室儀典大全』にも、そう書かれていますね」
エリーがちらりと見やると、ウルリッヒはかすかに眉を上げた。エリーは続ける。
「ですから、わたしもゲマイナーさんの言葉をその通りに解釈していました。ところが、『いただく』という言葉は、まったく別の意味でも使われていることに、わたしは気付いたのです」
光を宿した目で、エリーはゲマイナーを見やった。
「ヒントになったのは、ダグラスの言葉でした。わたしの部屋へ来てチーズケーキの味見をした時、ダグラスはわたしがケーキを切り分ける前に『へへっ、いただき!』と言って手を伸ばしたのです。わたしの許可も得ないうちに、ダグラスはこの言葉を口にして、チーズケーキを食べてしまおうとしました。このことを思い出した時に、わたしは思い当たったのです。例えば、貴族のお屋敷に忍び込んで宝石を盗み出した怪盗が何と言うか、想像してみましょう。おそらく『宝石はいただいたぜ』と言って、ほくそえむはずです」
ブレドルフがあっと声を上げた。
「つまり、ゲマイナーさんは『ブレドルフ陛下にクランツをもらった』という意味ではなく、『ブレドルフ陛下のところからクランツを盗み出した』という意味で、『陛下からクランツをいただいた』という表現を使ったのです。その意味では、確かにゲマイナーさんは嘘をおっしゃってはいませんでした」
エリーは言葉を切り、じっとゲマイナーを見つめる。
ゲマイナーは首を2、3度振り、大げさに肩をすくめて見せた。
「ふふふ、きみが冒険者や盗賊上がりとも付き合いがあるのを忘れていたよ」
ブレドルフは愕然とした表情で、ゲマイナーを見つめている。
「で、では、きみがやったのか、ゲマイナー・・・。いや、待ってくれ。ダグラスも犯人だと言ったな・・・。しかし、ダグラスは誰かの命令で動いていたという。命令したのは誰なんだ・・・」
「陛下、落ち着いてください」
シスカがなだめる。エリーは一呼吸おくように、ポットのお茶をブレドルフのカップに注いだ。


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