《親から子 私の命 順送り》

 子どもはやがて巣立っていきます。自分一人で大きくなったような顔をして,勝手なことばかり言いながら,親の臑が細ったことなど眼中にありません。それも嘗ての自分の姿ですから,順送りだと諦めざるを得ません。
 近年子どもを産まない,あるいは結婚しないという若者が増えているようです。縛られたくないという気持ちが強いのでしょうか。自分を大事にしようと願うためなのでしょうか。違うなという思いをもつのは,余計なお世話かもしれません。
 お年寄りは孫が可愛いと言います。可愛がるだけですから当然だと思っていましたが,少し違うようです。自分の生きた証として愛おしいのです。自分の命が孫につながったこと,自分がいなかったらこの孫が生まれていないという命の連鎖が至福を紡ぎ出します。考えれば,私の命は両親,祖父母と遡ることができますし,また両親がたまたま違う人と出会っていれば,私は生まれていなかったことになります。私たち夫婦に子どもが恵まれなかったら,子ども,孫,曾孫として生まれてくるはずの次世代は闇に眠ることになったはずです。
 今生きているものが自分の幸福を願うのは自然だとしても,過去に生きた人が自分たちに託したもの,これから生まれてくる者へ託すものを無視することはできないと思います。命は自分のものでありながら,なお親から子へという連鎖でもあるのではないでしょうか。この命の連鎖を断絶する風潮とは,本当の人間らしさなのか疑わざるをえません。
 たまには自分の命の意味を考えてみてはいかがでしょうか。

(リビング北九州掲載用原稿:97年2月)