《幸せは 喜ぶ顔が 見えたとき》

 連れ合いとの生活を振り返えると,思い出されるのはどれも子どもが絡んだことばかりです。二人だけの思い出は遠い昔です。子離れしたらまた二人の思い出作りと思いますが,なんとなく張り合いがありません。子どもの喜ぶ顔が目の前にないからです。子育て中は苦労が絶えませんが,充実感も豊かです。
 親は子どもの幸せを願いますが,親自身は幸せなのでしょうか。幸せでなかったら愚痴っぽくなります。子どものために手間暇を取られていると思えば,「これほどしてやってるのに」とつい不機嫌になります。「牛乳を飲む人よりも,牛乳を毎朝届ける人のほうが健康になる」ということわざがあります。与えられる幸せよりも,与える幸せのほうが大きいのです。親になるというのは,この与える幸せを子育てから学び取ることでしょう。
 ラブという英語は愛を意味します。一方,テニスの点数で使われるようにラブはゼロを意味します。動詞になれば喜んでするという意味です。ラブとは相手に対して無になることであり,裏切られたとか,折角したのにとか,見返りがないとか,相手に何かを求めることがないことです。見返りがあろうとなかろうと,相手のためにできることを引き受けること,それが愛だと言葉が示しています。
 『夜,寝るとき,明日の朝起きるのが楽しみか?』,これが私の幸せチェックです。今日も終わった,寝るだけが楽しみと思っているときは幸せではないようです。幸せとは子どもや連れ合いが喜ぶような何かスルコトがあることです。

(リビング北九州掲載用原稿:97年3月)