《オーイお茶 捨てた言葉を だれ拾う》

 「オーイお茶」。ふだんはそれで用が足りています。ところが連れ合いが疲れているときには、「お茶がどうかしましたか」というトゲのある返事が投げ返されてきます。ちょっとむっとします。
 言葉の乱れと言葉づかいの乱れは違います。挨拶ができない子どもでも、丁寧な言葉を知らないわけではありません。使えないだけです。
 子どもはテレビから言葉を覚えます。しかし言葉の使い方は身につけられません。たとえば、アナウンサーが「おはようございます」と画面の中で挨拶したとき、視聴者は無視して決して挨拶を返すことはしません。テレビからは茶の間にあふれるほど言葉が放り出されていますが、逆に言葉を投げ返すことは不可能です。テレビに対しては言葉が使えないのです。
 子どもたちには、自分が言った言葉が相手にどう届いていくのかという訓練が不足しています。そこでどうするかというと、言葉を放り出します。学校の給食で「おかわり」、家庭で「おやつ」と、単語の言葉をポンとまき散らします。
 パパも家庭で「新聞」、「お茶」と捨てぜりふならぬ捨て言葉をしています。ママはみんなの言葉を拾い回らなければなりません。「どうして私が言葉を拾わなければならないのか」と気づいたとき、「お茶がどうかしましたか」と言葉を放り投げた非礼を咎めたくなるのでしょう。
 言葉は文章の形式に整えられたとき、相手に届けようという礼式が備わります。だれに向かって言葉をかけるのか、それが言葉を使う基本です。
 「おかあさん、手が空いたら,お茶を入れてくれないか」、「今、入れてま〜す!」。

(リビング北九州掲載用原稿:97年5月-1)