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テレビの鑑定番組で、子どもが幼いときに持っていたおもちゃに高額の鑑定が出ると、連れ合いが「捨てずに残しておいたらよかった」と悔しがります。
明治時代の代表的な建物である鹿鳴館は、現在,階段の一部しか残っていないそうです。当時は鹿鳴館の歴史的価値など思い至らなかったのでしょう。
リンカーンが有名な「人民の人民による人民のための政治」という言葉を語ったゲチスバーグでの短く地味な演説は、当時のマスコミである新聞社の中でただ一社だけが報道しました。ほかの新聞社は、同時に演説をした上院議員の美辞麗句に満ちた長演説のほうを全文掲載したそうです。わずか一社の選択が大事な言葉を歴史の中に書き留めたことになります。選択とは残すものを選ぶことですが、同時に葬り去るものを選ぶことでもあります。
PTA広報に載せるために、写真を撮ることがあります。今必要な数枚の写真を選んだら、残りは廃棄したり希望者に分けてしまうことでしょう。後で卒業アルバムに1年生からの行事歴として、また何十周年の記念誌に歩みとして掲載することを思いついても、既に散逸した過去の写真は取り戻せません。
のれんを大事に守ることが店の信用、伝統を守ることが地域文化であるように、日々の暮らしの中で何を大事に守っているか、何を子どもたちの代にまで残そうとしているかが、親の慈愛です。先人たちが「今は役に立たなくても次代には育つ」と信じて、私たちに山の緑を残してくれたことを思い出すべきです。
もう要らないと捨ててばかりいる暮らしの将来は、やがて自分が姥捨山に捨てられる結末を呼び込みかねません。・・・役に立たないから捨てて、どこが悪い?
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