《分かるとは 分けることと 見つけたり》

 世の中のことで案外分からないままに済ませていることが、意外にたくさんあります。たとえばスイカは野菜なのか果物なのか。味噌汁とおみおつけは違うのか。貯金と預金、利子と利息とは。連れ合いに尋ねると、「また始まった」と呆れられてしまいます。
 子どもの勉強を見ているとき、「どこが分からないか分からない」という言葉に、お手上げになってしまうことがあります。子どもは順を追って説明されると、かえって分からなくなるようです。直感的に物事を考えていく連れ合いに似ています。納得することは直感的ものですから、それで構わないのです。しかし直感を言葉で説明しようとすると、理屈が必要になり冗長になります。そのことが物事を分かりにくくしてしまいます。本質は一言で説明できるはずです。
 多くの人が暮らしのレベルを中流と判定していることでしょう。なぜ上流ではなく、どうして下流ではないのでしょうか。レベルを三つに分けるには二つの基準が必要です。現状に不満があれば下流、なければ中流。将来に不安があれば中流、なければ上流。不満と不安という物差しを使うと分かります。
 分かるとは分けることです。分解も分けて分かる、解いて解るという意味です。木に実るのが果物です。味噌汁は飲むもの、おみおつけは実を食べるもの。郵便局が貯金と利子、銀行が預金と利息です。違いを見つけて分けたら分かります。
 人工衛星はなぜ落ちないのか。落ちるという現象を物と地面に分けて考えます。衛星は放物線を描いて落ちていきますが、地球は丸いので地面の方が曲がって逃げるから、いつまでも衛星は落ちきれないのです。もし球場のグラウンドが球形だったらホームランボールはいつまでも地面に届きません。納得していただけたでしょうか。

(リビング北九州掲載用原稿:97年6月-2)