《飽きっぽさ 根気のなさと 大違い》

 物置にはいろんな物が押し込まれています。整理していると、「こんな物が」と忘れていた物が出てきます。便利さに惹かれて買ったままの製品もあります。古くなった食器、冠婚葬祭の頂物、書籍類など,見たら思い出すので捨てられなくなります。
 タンスや押入れは、連れ合いの衣服や小物が占領して満杯です。「今日は何を着ていこうか」と面倒な連れ合いにひきかえ、外出着などには頓着しないものですから、「いい加減に、この服に着替えなさい」と指図されています。
 人間は飽きっぽい生き物です。ファッションもモデルチェンジも、飽きっぽさの上に成り立っています。マスコミの報道も、視聴者の飽きっぽさに振り回されています。飽きるという心理構造を抜きにしては人間を語れません。
 「あなたは飽きっぽくて根気がないんだから」と言うことがあります。しかし、人は飽きるから、いろんな工夫をして暮らしています。大切なことは飽きることを否定するのではなく、逆に取り入れることです。飽きてきたら発見や発想を組み込むことによって、新しく関心や快感を喚起することができます。その継続への努力をすることが、根気があるということです。
 慣れるということも同じです。夫婦も惚れなおしていかなければ、長続きしません。普段と違った場に行ったときなど、お互いに新しい発見をすることがあります。ちょっと工夫してみれば、いつまでも新鮮でいられます。
 子どもは飽きるのが早いようです。あらゆることが新鮮で、いろんなことを経験しようとしているからです。探しているのです。一通りやってみたら気が済み、やがて何かを見つけ出し、自分なりの工夫を込める根気のときがやってきます。

(リビング北九州掲載用原稿:97年7月-1)