《親の癖 子どもはまねて 身につける》

 私たち夫婦は、寒がりと暑がり、肉好きと魚好き、固めご飯と柔らかご飯、好きなものを先食いと後食いなど、たくさんの不一致をかかえています。二人の子はそれぞれどちらかに似ていますが,いつも2対2で均衡が保たれています。
 夫婦は男女という最大の違いのうえに、生活のあらゆる面で微妙な違いをぶっつけあって暮らしています。他人として育ってきた名残をいつまでも引きずっています。それなのにいつのまにか肉親以上につながってしまいます。
 違っているからお互いに発見があります。子どものころには嫌いだった食べ物を、連れ合いがおいしそうに食べているのにつられて、好きになってしまうこともあります。このことは思わぬ波及効果を生みます。子どもの好き嫌いも、親がおいしそうに食べて見せていれば、やがてなおっていくようです。
 微妙な違いをお互いに受け入れていれば、それなりに楽しくなってくるものです。嫌と思うか楽しいと思うかは紙一重のようです。自分の思いや嗜好を絶対と思い込んでいるかいないかの違いでしょう。
 夫婦はもともとは違っていると覚悟していますから、違いを楽しめます。ところが、親子はなんとなく同じであるはず、同じでなければという思い込みがあります。そこで、親と違った面を子どもが示すと、親は敏感に見つけイライラしてしまい、しつけが登場します。静かな親は子どもが騒げば叱り、ネアカな親はネクラな子どもを責め立てます。こうして子どもは知らないうちに親に似せられていきます。
 せめて家庭では父親と母親の目を複合することで、かたよりのないバランスの取れた視線を子どもに向ける気配りが求められます。

(リビング北九州掲載用原稿:97年8月-1)