《わがままは 早い救いが 痛みなし》

 連れ合いはジャンボ宝くじが発売になると、必ず買って来ます。今のところは無駄な投資続きで決算は赤字のようです。当たれば元が取れるのはもちろん余計なお釣りが付きますが、次第にそのお釣りが目減りしています。夢を買っていると負け惜しみを言い、買わねば当たらないという持論に従っています。
 日本の人口は1億2千万人ですが、年間に交通事故で亡くなる人が1万2千人ほどになります。確率は1万2千分の1です。この確率は、連れ合いが買っている程度の枚数では、宝くじの一等に当選する確率より大きくなります。確率で見れば、連れ合いが宝くじに当たるより先に車に当たってしまいます。
 自分は車には当たらないだろうと油断をし、宝くじには当たるかもしれないと期待をするのが人情です。しかし可能性は無情であり、人の思惑は外れます。
 子どもはあらゆる可能性を秘めていると言われています。その内容にも気をつけておかなければなりません。悪い子になる可能性のほうが強いのです。自分勝手な悪い可能性は早く摘み取らなければなりません。良い可能性だけに期待が片寄ると、悪い芽のほうが先に伸びて来ます。
 貧しさや寂しさに道を間違えた子どもより、豊かさやわがままに道を踏み外した子どもの方が更生は難しくなります。なぜなら、前者はものが与えられ構ってもらえれば快感を伴う救いが受けられますが、後者はものが取り上げられ我慢させられる不快な強制が待っているからです。子どもが幼いときの芽のうちなら、親が摘み取ることもたやすいでしょう。
 わがままな芽を摘み取るのが、父親に求められている厳しさです。

(リビング北九州掲載用原稿:97年8月-2)