《手伝いは 暮らし楽しむ 一里塚》

 お互いに好きあって結婚した夫婦なのに、別れる場合があります。ある離婚した女性は「相手に不満はなかった。ただ結婚生活が思っていたものとは違っていた」と話しているのを聞いたことがあります。独身時代には結婚とは白いテーブルクロスの上に花のある食卓で向き合って生活するものと思っていましたが、実際の結婚生活は台所のゴミの山であり,その現実に失望したということだそうです。ただ一緒にいたいと思うのが結婚だと割り切っている私の連れ合いには、相手に惚れていることより生活を優先する考え方が不思議のようです。
 子どもたちは家庭生活に関わるいろいろな活動を「うるさい用事」と思っている節があります。これは恐らく誰かの思いが伝染しているのでしょう。現実の生活を面倒なこと、できればやりたくない仕事と思っているとしたら、生きることができません。「3K嫌い」という言葉がありました。きつい、きたない、きけんの3つですが、これは手の世界であり、現実の生活の世界です。手を離れたイメージの世界にしか生きられなくなった暮らし方は、生きるための行為を拒否する副作用を産み出しています。
 子どもは包丁でキュウリを薄切りにすることなど簡単と思っています。しかし実際にやってみると、厚さを一定に手際よく切ることが至難の技であることを知ります。頭で知っているやり方は役に立ちません。技とは手が覚えるものです。生活をする場は、その手の訓練の場でもあります。
 うるさい用事をこなしていると、手の動きが訓練されると同時に適度の運動ができ,脳の発達や健康の維持に役に立つことが知られています。人間らしく生きることが健康にも育ちにも最も無理なく向かっていく本道です。

(リビング北九州掲載用原稿:97年9月)