《分かり合う それは無理だと 分かり合う》

 連れ合いがデパートに買い物に行きたいというので、駐車場が混まないうちにと開店に合わせて出かけました。デパートに入ると、制服に身を包んだ店員さんが一列に並んで「いらっしゃいませ」と出迎えてくれます。開店を待って頂いたことへのお礼だそうですが、何とも居心地の悪いものです。適当な返礼の言葉があれば、少しは気持ちが落ち着くのでしょうが。あるデパートでは「おはようございます」などの挨拶に変えているそうです。
 車で走っていると、流れに割り込まなくてはならない場面があります。譲ってもらったときに手をあげて会釈したり、頭をちょこんとさげたりしてお礼の気持ちを表します。もっときちんとしたお礼の方法があればといつも思います。
 子どもを育てていると、返事に窮することが度々起こります。アルバムを見ているときの「お兄ちゃんがどうして僕の服を着ているの」(お下がり)、「どうしてお兄ちゃんしか写っていないの」(誕生前)といった問いかけはまだいいとしても、「僕は一人で寝ているのに、どうしてお父さんはお母さんといつも一緒に寝ているの」とたずねられたら、参ります。おやじの威厳を保つのに冷や汗をかきます。子どもに分かるように説明することは、結構むずかしいものです。
 親子でなにげない話をしているとき、子どもが親に分かるように話そうとし始めるのは小学校高学年の頃からでしょう。そのとき親に分かるように話すことのむずかしさに直面し、面倒になり、やがてなるべくなら話さないで済まそうと逃げるようになります。ますます分かりあえなくなります。
 人に自分の思いを伝えることはやさしいものではありません。言葉の不足をとがめてはお互いにつらくなるばかりです。

(リビング北九州掲載用原稿:97年10月)