《失敗に 子どもが育ち 親育つ》

 わが家にはあちらこちらに傷があります。家具も同じです。暮らしの中でちょっとした不注意をした跡です。夫婦茶碗も何代目かです。五体にもあちこちに傷があります。生きていくということはたくさんの失敗の連続です。
 書き初めの宿題をしていた小学生が、墨をこぼしてじゅうたんを汚してしまいました。あわててティッシュで拭き取りましたが、吸い込まれて落ちません。白い紙に「墨をこぼしてしまいました。ごめんなさい」と書き置きをして、高層アパートのベランダから飛び降り自殺をしました。書き初めをしていた字は「希望の光」でした。子どもにとっては失敗は命懸けになっています。
 失敗したら責められるのでは、子どもは自分から進んで何もしようとはしません。親に言われたことはします。これが指示待ちになります。言われたことをして失敗しても、それは指示した人の責任だと逃れられるからです。
 親の方も失敗させないために先回りします。これが過保護です。子どもから二重の壁で失敗を取り上げています。子どもの育ちとは失敗することなので、育てなくなります。失敗することで自分の力を知り、失敗しないために学びます。その連続が育ちのプロセスです。スポーツの練習も失敗してできないところを克服しようとします。親も子どもの失敗を見ることで、子どもの力が見えます。
 体験の大切さは誰でも知っていますが、どんな体験が必要かというと、それは失敗体験です。多少の失敗の許容がお互いの心のゆとりになります。もし失敗の体験がないと他人の失敗も許さなくなり、助け合いという人間関係の基本が失われていくことになります。

(リビング北九州掲載用原稿:97年11月-1)