《頼るなら 結果責任を 引き受けて》

 「あなた、セロハンテープなかったかしら」。「お父さん、電球もってない」。あれもこれも、お父さんに言えば出て来ると思っています。いかにも私が家の中を差配しているように見えるかも知れません。しかし,連れ合いもまた別の面で私に頼ってばかりと同じように思っているはずです。
 「今日は何を食べたい?」と尋ねられることがあります。ついいつものように「なんでもいいよ」と答えます。立場を逆にして、なんでもいいと下駄を預けられたら、「聞かなきゃよかった」と後悔したり、たまには献立を考える苦労から解放してくれてもいいのにと,ため息をつきたくなるかもしれません。
 福岡県の調査によると,父親は母親に子育てを押し付けている傾向が、ここ十年強まってきています。母親は子どものことについて何もかも引き受けざるを得ない所に追い込まれ、混乱し養育についての自信を喪失しています。
 父親は忙しい中で仕方がなく母親に子育てを頼っていますが、決して押し付けているわけではないのでしょう。しかし子どもが問題を起こしたときに、もしも母親の育て方のせいにするようなら、それは押し付けている証拠です。頼るということは、「一切の責任は私が取る」と言い切る覚悟を持っていることです。後ろ盾を引き受ける覚悟を父親が見せてくれれば、母親のしんどさは軽減されるはずです。
 日々の出番が父親にとって難しいことであるなら、せめて責任を引き受けるという形で出番を果たしてほしいものです。
 つらさを黙って引き受ける姿に、人は美しさを感じます。そういう勝手な迷言を言って、連れ合いに重い荷物を背負わせるだけでなく、気持ちまでも追い詰めていたことを秘かに反省しています。

(リビング北九州掲載用原稿:97年11月-2)