《味がない それが飽きない 食べ上手》

 私の昼食は連れ合いに作ってもらった弁当です。愛妻弁当なんていうしゃれたものではなく、食事代を浮かすのと偏食防止のためです。ただ毎日グチひとつこぼすこともなく弁当を詰めてくれる連れ合いには感謝しています。
 子どもの給食について話題が盛り上がることがあります。そんなとき、子どもの食事を作るのは親の権利であると考えて、昼食のために親が子どもを家に連れ帰っている国があることを思い出します。親子のふれあいが少なくなっている現在、弁当という親の愛すら取り上げられている状況は賢いとは言えません。
 子どもが育つと弁当を持たせる機会があるかもしれません。帰ってきて「お母さん、今日の弁当おいしかったよ」と言ってくれたらうれしいでしょう。しかし何も言わなくても、毎日残さずきれいに食べてくれるのも子どもの感謝の表明であることを分かってあげてください。何も言ってくれないから張り合いがないとグチっていては、子どもの気持ちに鈍感です。
 子どもの味覚が鈍感になってきているそうです。昔太閤の側近に曽呂利新左右衛門という人がいて、秀吉にたいそう気に入られ楽しく懇談していたそうです。他の側近がわけをたずねると「お前たちは太閤に菓子ばかり食わせようとするから飽きられるんだ。わしは米の飯を食わせている」と答えたそうです。ご飯は味が無いから飽きません。おかずと交代で口にするから、味覚は無味をベースにしておかずを味わえます。おかずの味ばかりだと濃い味を求めるようになります。
 子どもが「何か面白いことはないか」とぼやくことがあります。面白いことばかり求めているから不感症になっています。激カラなどの過激な味を求めるようになったら,要注意です。

(リビング北九州掲載用原稿:98年2月)