《話聞き 反論でたら 問が見え》

 休みの日は買い物のアッシー君です。連れ合いは自転車には乗れますが、自動車の運転免許証を持ちません。私が免許の取得をあきらめてもらったというべきでしょう。ある日、連れ合いがひざに擦り傷をつくっていました。わけをたずねると、自転車に乗っていて何かを避けようとして溝に落ちそうになったとき、ブレーキをかけるのを忘れてそのまま突っ込んでしまったというのです。体を使う運動神経は良いほうなのですが、機械などを操ることは苦手なようで、車などとても心配で運転させられないと思ったからです。
 人は他人に迷惑をかけないように暮らしています。親がひとに迷惑をかけないようにしつけをすると、子どもはしだいに閉じこもるようになります。そこで子どもに自己主張を育てようとすると、どうしても人に迷惑をかけてしまいます。このジレンマについて語ると、現場から最近の子は迷惑かけても何とも思っていないと反論されてしまいます。
 子どもが学校に遅刻しないように親が朝起こすことは過保護にあたるので、少し遅刻させ子どもに反省させて自分で起きるしつけをしてほしいと語ると、現場から最近の子は遅刻しても何とも思っていないと反論されます。
 子育ては自転車のハンドルさばきと同じところがあります。左に傾いたら右にハンドルを向けようとし、右に傾けばハンドルは左です。反対にかじとりするバランス行動によって真っすぐに進みます。もちろん危ないときはブレーキです。普通は必要なブレーキをかけないことがあり得るなどとは想定しませんが、そういう思いもしない事例も現実にあるようで,いろんな人に話をすることは難しいものです。ただ,反論が出ることでより深い問題点が見えてくる効用があります。

(リビング北九州掲載用原稿:98年3月)