《情報も リズムこわせば 雑音に》

 連れ合いはSMAPの慎吾君のファンで,テレビを楽しそうに見ています。つき合っている私は画面に登場するタレントたちを見て,「この人は誰?」の連発です。若いタレントたちの誕生ラッシュにはついていけません。
 ところで,無料で見せてもらっている番組なので文句は言えませんが,最近CMの時間や頻度が増えてきているようです。たまに受信料を払っているチャンネルで映画やドラマなどを見ると,見たという感じが残ります。大きなうねりとなって迫ってくるテーマを真っ向から受け止めたという充実感です。
 流れているはずのドラマがCMでずたずたにキレテいるという感想は,受信側の勝手な思惑でしょう。大人はまだいいのですが,子どもにとってはこの受信パターンに慣れることは望ましくありません。例えば,授業を聴くときにその張りつめた受信態勢をものの10分と持続することができません。ざわついて落ち着かない教室で授業がキレテいきます。ものごとをじっくりと考えることが学びの基本ですが,チョコチョコと聞きかじることを繰り返すだけです。
 気持ちをぐっと入れ込んでいるときに水を差すような突然の介入は,非常に礼を失しています。間が悪いと言えるでしょう。間の悪さが日常的になると,感情リズムの乱れが慢性化し,自己防衛のために不感症という壁が立ち上がりやすくなります。そのせいでしょうか,CMは全く覚えていません。発信側は伝えたつもりなのでしょうが,受信側には伝わっていません。
 コミュニケーションが無機的な時間に分断されて,人のリズムに調和しなくなりつつあるような気がしてしようがありません。

(リビング北九州掲載用原稿:98年4月-2)