《分担を きちんとし過ぎ 無理が出る》

 物理の世界には不確定性原理というものがあります。ペアになった二つの量を同時には正確に決めることができないという原理です。暮らしの場でも似たようなことがあります。義理と人情のいたばさみ。ホンネとタテマエ。あちら立てればこちら立たず。権利と義務。公私の別。本当に疲れます。
 家庭と仕事の両立。働く親にとっては大いに悩むところです。どちらかを選べば他方はおろそかになります。両方をこなそうとすればどちらも不完全になります。これは自然な原理です。どちらも完全にという望みは不自然です。だから自然は共生というシステムを産み出しました。
 家族の分担も共生です。連れ合いが疲れているとき,後かたづけやアイロン掛けを引き受けます。人はできることを提供しあえば,お互いに無理なく暮らしていけます。ところで夫婦喧嘩の最大のテーマは子育てだそうです。動物の子どもは産まれてすぐに歩き出しますが,人間の子どもは誕生後ほぼ1年は寝たきりです。未熟なままで産まれてくるのです。父親と母親からなる家庭はあたかも第二の胎内のように出産の詰めをする場として機能する必要があります。決して父親は出産と無縁ではありません。人を育てるというのは,母親ひとりに背負いきれるほどの軽いものではありません。父親にも役に立たない乳首があるのは,子育てをする免許証なのかもしれません。両親とは共生の原点です。
 役割分担という物差しで世事を分けようとする考え方が悩みを生みます。分けるのは単なる便宜上,効率上のことに過ぎません。そもそもお互いが楽をするための方便であったはずです。人に分担の完全性を求めると辛くなります。使い道を誤らないように,よくよく注意しなければなりません。

(リビング北九州掲載用原稿:98年6月-1)