《連れ合いの 父を見習い 円満に》

 共働きの夫婦が別れました。勤務地が遠いため後から疲れて帰ってくる妻を,テレビの前で寝そべっている夫が迎えます。炊事をしている妻には洗濯物や風呂の用意など生活のあれこれ一切が控えています。「少しは手伝ってくれたら」と頼むと「勤めを辞めたら」と言われます。そんな日々が続きとうとう離婚してしまいました。妻が育った家庭では父親がこまめにあれこれと家事の分担をしていました。家庭の中の夫とはそういうものだというイメージがあったのですが,自分の夫はそうではなかったようです。「家事を担うしつけはしていない」と言う姑の言葉が決定的でした。
 昔は「嫁をもらうときは母親を見よ」と言われていましたが,それだけでは十分ではないようです。嫁の父親がどういう父親であるかが,夫が夫であるためには大事な問題です。なぜなら夫は妻の父親と絶えず比較されているからです。
 夫婦が円満であるためには,お互いがお互いに求めるものを持っていることが最低限の条件です。相手を見るには同性の親を見ますが,同時に異性の親が自分に対する評価の基準になります。嫁としゅうとめの対比だけでなく,婿としゅうとの対比もあることを夫族は気付かなければならないでしょう。幸せな家庭に育った相手と連れ添うときには,それだけの覚悟を持たなければ破局が待っています。
 日々の家庭生活の中で見せる夫婦の姿は,子どもの将来の結婚生活の評価モデルになっています。娘に幸せな結婚をさせるためには,父親は最悪の夫モデルであることで娘の夫がよく見えるようにしてやる必要があるかもしれません。娘のいない身は,妻と娘の間で悩まなくて済むと胸をなで下ろしています。

(リビング北九州掲載用原稿:98年7月-1)