《フィクションと ことわるドラマの 不自然さ》

 テレビの推理番組が好きで,連れ合いとよく楽しんでいます。ところで,状況設定の必要性のためなのでしょうが無理な場面があります。老いた資産家には若い後妻がいて相続権が複雑です。なぜか主人公の知り合いの周りで連続事件が起こります。青酸カリは昔勤めていたメッキ工場からあらかじめ盗み出しています。人を訪ねて留守の時には臆することなく家の中に上がり込んで現場を発見します。連れ合いは「普通はあんなことはしないわね」と必ず話しかけてきます。そうしないと話が進行・成立しないとは言いながら,無理な場面はやはり興を削ぎます。もちろん,犯罪の手口は模倣を封じるために非現実さを織り込むことが大事ですが,最近のドラマは不自然さが目に付きます。
 テレビドラマの最大の非現実は場面の転換です。場面が変わると飛ばした時間の推移が隠蔽されます。そこは作者の思いのままにどんな展開も挿入可能であり,その結果だけが場面の転換という手法で筋立ての急展開として現れてきます。
 知り合いのおばあちゃんから美味しいぬか漬けをごちそうになった娘さんが,おばあちゃんに秘蔵のぬかをいともあっさりとおねだりするそうです。自分でぬか床を作ろうというのではなく,できたものを手軽に頂こうとします。場面が変わるようにぬかがぱっと現れて来るような非現実さが感じられます。
 父親が会社で働いて手にする給料は,口座という場面にある日パッと振り込まれているようです。子どもは試験の答案の採点に「当たり,はずれ」と一喜一憂しています。点数は日々の勉強の成果ではなくて,ある日パッとひらめいて満点になるというのでしょうか。日々の連続が普通の暮らしであり現実なのです。

(リビング北九州掲載用原稿:98年7月-2)