《疲れてる それを言ったら おしまいよ》

 休日はスーパーマーケットに連れ合いと買い物に出かけます。駐車場に止まっている車の何台かにはお父さんが所在なげに待っています。「どうしていっしょに買い物をしないのでしょうね」と連れ合いは不思議そうです。はち切れそうなビニール袋を両手に重そうにさげて帰ってくる奥さんの姿があります。「何を考えているんでしょうね」「運転手の役に専念しているようだね」「気にならないんでしょうか」「どうだろうね」。そんなやりとりをしながら,「休日はゆっくりしたいのに買い物に引っぱり出されて,ここまで連れてきてやっているんだぞ」と言いたいのかもしれないなと,ちょっぴり同情もします。
 夫婦にとって疲れは禁物です。疲れるといらいらし,何でもないことにピッと反応してしまいます。自分が疲れているときには意識的に相手の疲れに心配りするのが肝心です。自分が疲れていることを分かってくれないと思うと,お互いに相手を責めることになり,事態は悪い方に動きます。連れ合いの疲れを少しでも引き受ける小さな思いやりが現れたら救われます。
 親は子どもの保護者です。子どももあれこれと疲れています。社会の華やかな趨勢に逆らわなければならないこともあります。いわゆる世間の常識的な考え方に左右されることもあります。そんなとき子どもを守るのが保護することです。社会がどう動こうと人の言にも惑わされずに,社会からの防波堤になって,どんなことがあっても守り通すのが親心です。その保護があれば,子どもは疲れから解放されのびのびと育っていきます。人は自分の疲れはよく分かります。連れ合いや子どもも疲れていることを察してあげて下さい。

(リビング北九州掲載用原稿:98年8月-1)