《慣れた味 母のぬくもり いっぱいに》

 「お母さん,あれ食べたい」という子どもからのリクエストがありますか。家庭にあれと言うだけで通じ合う献立があればいいですね。オフクロの味こそ美味しいものであったらと思いますが,美味しいものは外に食べに行く時代ではフクロの味になっています。
 連れ合いが買ってきた茶わん蒸しを皆で食べていたときです。息子が卵ばっかりとつぶやきました。なぜなら我が家の茶わん蒸しは母親譲りでうどんがたっぷりと入っているものだからです。一般的かどうかは知りませんが,茶わん蒸しはうどんを最後に食べるものというのが家族の中でイメージ化されています。
 私が24歳のときに交通事故で亡くなった母親に,連れ合いは一度会っただけです。それでも私が覚えている茶わん蒸しなどの母の手料理を聞いて,連れ合いはマスターしてくれました。もちろん連れ合いの実家の料理も楽しんでいます。お互いに食べたことのない献立を通して二つの家庭が溶けあうことで我が家の手料理が完成し,子どもたちは店では味わえない食文化に慣れ育っていきます。
 外食が続くと飽きてきます。しかし家庭の慣れた味は飽きることがありません。味の刷り込みが完成していて,味覚が安心して作動できるためでしょう。それに引き替え外食では慣れていない味を刺激的に受容し,その興奮に疲れてくるから飽きるという防衛本能が働きます。飽きるというのは自己防衛の大切な本能なのです。
 子どもは母親のぬくもりを手料理で覚えています。ところでミルクで育った子どもは牛のお母さんの方を覚えているかもしれませんね。もしそうなら大変です。子どもを取り戻すためにも美味しい手料理になじませることが必要になります。されど食べ物です。

(リビング北九州掲載用原稿:99年3月-1)