《優しさは 苦みを引き受け コクが出る》

 気配りというのは難しいものです。ある夫婦の場合です。妻が熱を出して寝込みました。夫は妻の枕元に行き,「ゆっくりと寝ていなさい。夕食は外で済ませてくるから」と優しく言い残して出勤しました。妻は「治ったら別れる」とひそかに決心しました。夫族にはその理由が分からないでしょう。最近流行っている妻からの三下り半を突き付けられたときに「何も悪いことはしていないのに」と言うはずです。夫は妻の荷を軽くしてやったつもりですが,妻にとってはあくまでも夫自身に対する気配りにしか思えません。本当は妻の夕食にこそ気配りすべきだったのです。病めるときにも助け合うという結婚の誓いを理解していません。
 良かれと思ってしたことが,お互いの気持ちの上ですれ違うこともあります。相手を疲れさせまいと遠慮することが,してあげたいという思いやりに水をかけてしまいます。優しさどうしが衝突したらせつないですね。しかしそのわずかな苦みを引き受けることができたら,優しさに深みが備わります。もしも自分の温かな思いを分かってくれないと相手を責めることで苦みを吐き出したら,自分の優しさを半額にバーゲンすることになります。
 親しき仲にも礼儀ありという節度は,相手を大事に思うことで成り立ちます。ところが,親しさとは無礼講であると勘違いしたり,相手に甘えることだと錯覚して,親しさを我が身かわいさに利用することが横行しているようです。
 気配り,優しさ,親しさといった大切な関係は,よほど気をつけていないと自分の利に傾きやすく関係の破綻に迷い込みます。連れ合いが空気のように無自覚な存在になったら要注意です。無自覚とは無視することにつながるからです。

(リビング北九州掲載用原稿:99年3月-2)