《あれこれと 思いわずらう 生きる道》

 うやむやにするという言葉があります。有耶無耶とワープロは変換してくれます。ありやなしやと読むこともできます。あるのかないのか分からない状態ですからあいまいさを表します。情報の世界はディジタル化が進んでいます。そこには1と0の数字しか無く,有るか無いかということが基本です。
 世間には有無を問われることが意外に多くあります。環境問題では害があるのかないのか,事件では悪意があったのかなかったのか,結婚生活では愛があるのかないのか,子育てでは可能性があるのかないのか,いろいろと迷わされます。
 有無の結論を出さねばならなくなったときに,人の知恵には限界があることを思い知らされます。その限界とは有ることを証明するより無いことを証明する方がはるかに困難だということです。絶対無いとは言い切れないということです。有るということは事例を一つあげれば分かりますが,無いというのはすべてを調べ考え尽くさなければなりません。
 夫から「愛してるよ」という言葉が有れば愛があると分かりますが,その言葉が無いからといって愛がないとは言い切れません。あれもないしこれもないからといっても,見えない別の形の愛が有るかもしれません。また環境ホルモンの許容量にしても,絶対安全と言い切ることは原理的に不可能なのです。したがって許容量という言い方がされています。
 子育ての場では子どものいろんな可能性の有無が親には気になることですが,簡単に無いと決めつけることはできません。子どもをあれもダメこれもダメと見定めていては先行き不安ばかりが湧いてきます。有るかもしれないという期待が育てる楽しみです。

(リビング北九州掲載用原稿:99年4月-1)